夏が来る。
きっと夏が来る。
全寮制のトレセン学園には夏休みという大きな区分けはない、7月初旬から8月末まで「自由学習期間」という文の部分を補う補習授業を中心とした期間に入る。
夏が来るとバカンスで海外に行くものもいる。
余暇を楽しみ、実家に帰ったりする成績優秀なウマ娘もいる。
秋から始まる重賞レースへと目標を据え学園に残りトレーニングを積む者も多い中、トレセン学園では変な事件が起こっていた。
空が薄く紫色の裾野を広げる早朝、トレセン学園の本校舎から離れた栗東寮の前を通る道でツインターボが行き倒れていたのだ。
発見時間は朝5時、発見者は学園管理を任されている駿川たづな。
地面に向かってベシャッと潰れたカエルのように倒れるツインターボの発見に悲鳴が朝を知らせる引き金となって学園に響き渡った。
学園内でウマ娘が行き倒れているなど、なんとも不可解にして奇妙にして危険な事件と思われたものだが、結論からいくとかなり馬鹿げたものだった。
この一ヶ月、ライスシャワーにとって止むことない苦痛の時間が流れていた。
理由は言うまでもない、狂争集団チーム・アンタレスに所属してしまったことにある。
所属理由は、かなーり緩く規則も1つしかないチームであったことからトレーナーこと「お兄様」が選んでいた。
実際に規則は1つ、「レースに出る仲間をチーム一丸となって応援する」だけという大雑把なもだったが、この大雑把さが大きな足かせへと変貌していた。
大雑把な規則だからこそ、どこからどこまでが応援なのか線引きが難しい。
単純にレースの時だけと区切りをつけることはできそうだったが、もとより引っ込み思案のライスシャワーにはハッキリと「ここで」と線を引くことができなかったのだ。
言えたとしてもこの勢いのある集団に停止をかけることなどできなかっただろう。
頼みの綱であるトレーナーは暴走レース集団のスケジュール調整に目を回し、ライスシャワーを保護しようにも身動き取れない状態が続くうえ、会話に持ち込んでもなぜかあれこれとうまくかわされ最終的には言い負かされてしまう始末。
真面目な2人組には手ごわすぎるアンタレスの面々に、今日もこうして引っ張り回されている。
ダイタクヘリオスの笑顔でレッツゴーという圧力に勝てず、メジロパーマーの柔らかい合いの手に釣られ、イクノディクタスの理論的威圧に押される。
それでもこの3人は徹頭徹尾の態度で自分の心に入ってみようとはしない、根掘り葉掘り話を聞こうとしないし感心のある部分だけで会話は成立する点はよかった。
唯一ライスシャワーがこの中で最大の苦手を、思わず顔に出てしまいそうな相手はツインターボだけ。
理由は簡単だ。
朝から晩まで騒がしく、粗暴で自分をぞんざいにあつかい、粗暴で我が物顔にして顎で自分を使う彼女。
その悪漢ぶりにして悪口スピーカーがチビのくせにえらく高くチームに君臨し無駄に高いレース参加意識と団結がここから生まれていることを理解したからだ。
チーム・アンタレスという不安定な塊の起爆スイッチは彼女だと。
そしてその苦手の塊は今朝もやらかしていた。
朝やらかして授業にはでず、そのまま放課後の模擬戦に出るからチームで迎えに来いと偉そうに呼びつけていた。
保健室に。
問題の朝の騒動とは。
結論から行けば安眠妨害を行ったツインターボが武力鎮圧されたというもの。
ライスシャワーとの一戦を念頭にひっそりこっそり朝練を始めたツインターボが、朝日昇る前に日の出よりも上がりきったテンションで。
「俺はやるぞ!! 絶対に米(ライスシャワー)に勝ってやる!!」と、午前4時に栗東寮の前で叫んだことが原因だった。
キラリと光る太陽に振り上げた拳、そこを迎撃した物体。
新製品ミ◯ノの蹄鉄付きシューズ。
投げたのは栗東寮の遅刻女王ことゴールドシチー。
彼女の最悪な寝起き逆鱗に触れ剛腕から放たれたシューズはツインターボの後頭部にメテオストライクをかましていた。
「今何時だと思ってるのよ!! バカウマ!!」
結果ツインターボはその場に崩れ、たずなさんに発見されるに至る。
「たくよぉ、金(ゴールド)が名前につくやつはろくなやつがいねーよな」
今まで昼寝を楽しんだ顔が大アクビで愚痴る。
ツインターボの前には着替えのジャージを持ったイクノディクタス。
「誰だって朝一で大声出された怒りますよ。ていうか私に謝ってくださいよ部長!! ゴールドシチーに教室まで押しかけられたんですからね」
朝の騒乱、10時過ぎにゴールドシチーは登校するやイクノディクタスの襟首を捕まえていた。
「自分の亭主の世話ぐらいしっかり見ときなさいよ!! ボケ老人を徘徊させないで!!」
意味不明な殺し文句を置いて去る。
「なんで部長が私の亭主なのよ。頭にくるわ、私の旦那になる人は筋骨隆々でアーノルドと名乗る男と決まっているのに」
なんで決まっているの?
明らかにマッチョそうな名前に頬を赤らめるイクノディクタス、そういう趣味なのと引いてしまうところでいきり立つのはツインターボ。
「おいおいおいおいおい、それはおかしい!! イクノより俺の方が圧倒的に可愛いのに旦那とかありえないだろ!! 俺が可愛い奥さんでイクノがDV夫だろ」
真顔で言い返すツインターボのコブを素早いスイングでファイルでアタック、ハエでも叩くような勢で。
「あいダァ!!」
「そういうのもういいから早く行きますよ!! 授業サボったくせに模擬レースは走る気なのでしょう」
痛くて飛ぶツインターボ、ニヤリと笑うイクノ。
立派なたんこぶにバッテンの絆創膏、ギャグ漫画の人かと突っ込みたくなる様子でツインターボは立っていた。
年季の入った夫婦漫才もこのチームでは一つの風物詩、ヘリオスもパーマーも大笑いの中一人すまして引いた位置にいるライスシャワーをツインターボは目ざとく見つける
「おい米、なんだよその嫌そうな顔は」
ひん曲がった口は、そのまま悪い顔でか弱いライスシャワーを押すように威圧して言う。
「励ませよ!! 俺がこんなに頑張っているなだからよぉ!!」
「人様に迷惑かける人を励ますのは変です……」
正論は小声で出たが、正義は大声行った側に味方する。
「怪我人を励ますのも応援だぞ!! お前が落ち込んでどーすんだよ!! そういう態度を見せても俺はレースを諦めないからな!! 絶対お前に勝ってやるからよ!!」
言うやダッシュのツインターボ。
廊下を走るツインターボに大笑いでついていくヘリオス、ヘリオスを追っかけて走るパーマー、早くいらっしゃいと手を振るイクノディクタス。
先頭を突っ切るツインターボは息を弾ませ大音響でライスシャワーを呼ぶ。
「俺は絶対にお前に勝っ!! 今度のレースで1番なってお前をレースに引っ張り出してやるからな!! 覚悟しとけよ!!」
レース。
ツインターボはレースを望んでいる、ライスシャワーとの一戦を。
その日は近づいていた。
「いったい……なんなんだこの荷物の量は……」
レース会場に着いたチーム・アンタレスのトレーナーはレース会場に持ち込まれた荷物の多さに疲れきっていた。
メンバーはすでにおらず、これを一人で運ぶのかと腰を叩く。
今日のレースはG3七夕賞。
学園が用意してくれるレース会場へと向かう車の中、メンバー5人と彼女たちの必需品だけならこんな窮屈な思いはしなかった。
ワンボックスカーの後ろに積まれたボストンバックは10個。
クーラーボックス4つ。
アメフトで使うタックル防御用のクッションと、折りたたみ担架。
「これ……全部、運ぶのか……」
今日のレースは大したことはない、だから余計に疲れる。
チーム全員を乗せて大声援で応援しても、きっと彼女は勝てない。
トレーナーは「勝負発言」からツインターボの戦績を洗いなおしていた。
新ウマ娘の時は1着連続という好スタートを切っていたが、あっと言う間に負けへと移行する戦績が示すのは「逃げウマ娘」の典型だ。
「最初は瞬発力のある者が前に行く、だが最後は努力した者が勝つ」
生来の走りで前を走ることだけに集中したウマ娘は、必ず失敗する。
まれに成功する者もいるが、それは「知恵と努力」を知って前を行く者に限られる。
レースとは自分以外の他者を含む競技であり、競技とは前に出ようとするウマ娘心を自制することによって作り出されるものだ。
ツインターボは何もできていない。
少なくともトレーナーはそう結論を出していた。
ライスシャワーのようにレースに対して忍耐強い心もなければ、レースを組み立て走るという知恵もない。
だからか直接対決をすぐに認めさせなかった。
「勝ちを持ってない君とライスは釣り合わない、レースをしたければ勝利してみせてくれ」
簡単に突き放すことができた、勝てない彼女の無駄な努力を見送ればいいとトレーナーの気持ちは落ち着いていた。
大きく背伸び、汗をぬぐって。
「応援終わってこれ運ぶの手伝ってくれるのかな? ……でもまぁ、これでライスをレースにださなくて済むわけだし……悪くないか」
腰にかかった巾着袋に手を伸ばす、金物がぶつかる軽い音色を響かせる。
「そうさ、ライスはもう走らない。一生懸命戦って勝つようなレースはさせない……それが大事なことだ」
昼になり高く登った太陽、額の汗を拭いレース場を見る。
ガラス張りの両ウイングを持つスタンド前へとカートを押して。
「シリウスは見に来ていないのか?」
トンネルを通る冷たい風、長い通路の果てにある控え室でシンボリルドルフは腕時計を見て尋ねていた。
今日は「シンボリ」一族ウマ娘であるアイルトンシンボリの激励に来て。
レースは真夏のグレード3だが、暑いという現象の中でどうやって自分をコントロールするのかを学ぶにはもってこいだ。
目の前のアイルトンはすでにハーフパンツの体操服姿でストレッチを重ねていたが、思い出したように立ち上がるとルドルフの前で少し悲しそうな顔を見せていた。
「興味がないとはっきり言われました、私は……是非見に来て欲しかったのですけれど」
自分の試案で新人ウマ娘の顔を曇らせた。
シンボリルドルフは自分のつり上がっていた眉を緩やかに落とし気遣いを示す。
「そうか、余計な気を使わせてしまったな。すまないレース直前だというのに」
「いいえ、会長が心配なさっていることを思えば」
「レースを見て、また走る気持ちを思い出して欲しかったのだけどな。うまくいかないものだ。アイルトンもう気にするな、気持ちを切り替えて……秋のレースに向けて良い調整をしてほしい」
アイルトンは生真面目なウマ娘。
明るい栗毛のストレートヘア、会長と同じく前髪に一本線を引いたような少なめの流星。
ひし形に尖りつつもぱっちりとした瞳、真っ直ぐ目の顔が自分にレースのなんたるかを語るルドルフを見つめて。
地方開催のレースでの控え室は少々狭く艶やかさはないが機能的だ。
必要な備品を細かく揃えたアイルトンらしい控え室の中で、それでもルドルフの表情は浮かない様子。
G3、秋の本線への調整を兼ねたレースに学園の会長がただの激励だけに来たのでないのはアイルトンの方が理解していた。
顎に手を当てたまま考え込む表情のルドルフの前に立つと、姿勢も正しくはっきりと言う。
「調整とはいえ決して負けはしません、正直に言います。手を抜きません」
「当然だ」
考えを見抜かれ、これからレースのアイルとに気を遣わせたこと。
自分に厳しく反省も含めた声色ははっきりと答える
「アイルトン。決して気をぬくな、調整試合という場においても常に「勝つ」ことを目指し実践して見せろ」
「はい!!」
リギル顔負けの号令。
アイルトンの甲高い声は、ウマ道に響きツインターボたちにも聞こえていた。
「もうめっちゃどんとこいですよ!! 師匠!! がんばぁぁぁ!!」
ヘリオスの意味不明な応援が大音響でレース場に響き渡る。
たくさんの人がいる中でも目立つ集団、ライスシャワーはできるだけ小さく身を隠すようにしている。
「恥ずかしいよ……」帽子の上に飛び出した耳がペシャント潰れてしまうほどに。
レース前にこんなにうるさい環境にいたことがないので尚更にだ。
ヘリオスの隣では真っ赤なポンポンを持ってフレフレしているメジロパーマー。
「あたしちゃんがついてますよぉ!! 遠慮なくドーンと来て来てぇ!!」
方やホッケパッドのようなフル装備のウマ娘、方やチアガール顔負けポンポンを振り回し踊り狂うウマ娘、異色の応援が続く。
「ライスちゃんもぉ、持って持ってぇ、昨日作ったのぉ」
スタートダッシュは苦手だが、克服して思い切り逃げ出したい。いよいよ肩身の狭いライスシャワー。
「あの……しっかりツインターボさんのレースを見たいので……」
もっともらしく断るので精一杯という雑音集団チーム・アンタレスは最終コーナーからストレート、ゴール板を越したところに陣取り大荷物と共に応援観戦に入っていた。
「ひとつ……聞いていいかな? この荷物は何に使うつもりだったの?」
全ての荷を運び込んでトレーナーにお茶を運ぶライスシャワー。
来た時は制服だったのに、今はトレーニングウェアーに着替えているイクノディクタスたち。
熱波を通る風は少しずつ気温を低くしたターフを見ながらダイタクヘリオスは答えた。
「ゴール切っても師匠は絶対に止まれなから!! これでキャッチしに行くの!!」
取り出したのはボクシングでパンチを受ける大型ミット。
というかキックを受ける方のミットもありだ。
さらに顔をガードするプロテクトメット。
「なんていうか見た目が……物々しいんだけど」
レース場なのに格闘技でもやるような装備。
ライスも迷惑そうな顔で仲間と思われないように目をそらしている。
「これわぁ、部長がゴールしたら助けに行くものなのぉ」
「いや聞いたけどなんで? 自分で止まれないわけじゃないでしょ」
メジロパーマーのゆるーい声に、意味不明と首を振るトレーナーにイクノディクタスは楽しげに言い放った。
「止まれないのよ、「逃げウマ娘」の部長が本気で逃げるのよ。それこそ今日はゴールと同時に気を失うぐらい本気でね。転んだら大変なことになるでしょう」
本気。
トレーナーは大げさと目をそらした。
ツインターボはいつも「本気で走っている」を公言しているが、いつも負けている。
自身が失神するほどの本気など、もはやスポーツじゃない、理性のないただの「走り」に過ぎないと心で思う。
「確かに転んだら大変だしね、で、それで受け止めに行くの?」
「そうよ、部長の最高速は75キロよ、そのまますっころんだら骨バラバラになっちゃうから。まあ私には必要ないけど「逃げ」を基本とするウマ娘には「転び方」ってのも習得しているやつも多いけどね、まーわかっていても今日はダメだろうな、とりあえずキャッチは必須よ」
余裕なのか愉快犯なのかイクノの笑み。
トレーナーはできる限り冷静に受け答える。
「最後まで75キロを保てることはないだろ、せいぜい60キロ……ああでも助けはいるかもね」
「だよ!! だから担架もアイスも色々いいっぱいあるんだよ!!」
すっかりフル装備のヘリオス。
暑苦しい中を暑苦しいかっこうのメンバー。
変な集団の中でトレーナーは早くレースが終わることを願い呆れ顔を隠すようにしていたが、ライスシャワーは真逆の緊張を身にまとい始めていた。
他人のレースなのに、緊張。
小さな手が胸を押さえる。
目の前に広がるレース場、並びに見える満員御礼の観客席、音高くなるファンファーレ。
ジリジリと迫る時を何度も自分も経験した、少しずつ飛び出しそうな心臓を抑えレースの中心へと自分を落とし込む作業が心の中に蘇りハッとする。
「私は興奮している? ……レースの空気……なんかピリピリする……」
だれにも知られないように、高まる鼓動を抑え伏せた帽子の下からゲート見つめていた。
「怖い……良い感じに怖い」
ツインターボはゲートに入った閉塞感でめまいを起こしていた。
いつもかけている丸メガネではなく、レースの時だけ着用するゴーグルの中で涙が溢れる。
チビな自分、自分より一回り大きいウマ娘たちの中を走る緊張。
バ群の中でやたら体をぶつけ出られない石壁の間を走るような「痛い」レースは絶対にしたくない。
痛くてもう走りたくなくなるぐらいなら一番に飛び出す、恐怖という闇は吹き飛ばすために。
ゲートに入ってからの短い時間が永遠に感じる問答の時になる。
上がり下がりする息、隣のウマ娘の願掛けが聴こえてくる、呪文のように呪いのように。
鼻先がツンとなるが、気を押さえるようにフツフツと熱を溜め込む。
「鼻血もいやだ……走らないのも嫌だ。怖い……でも気持ちいい……だからいっちばーん先を行く!! まだ勝てる!! 走る前から負けられない!!」
少しずつ沈黙の世界から目を開け、雑音の応援が耳に入る現世へ。
「いいぞいいぞ、やる気出てきた。今日はぶっちぎる、プランAだ」
G3、11レース、晴天の15時40分。
迷いのない心と体は一致した深呼吸で魂のエンジンに着火しスタートを切っていた。
短く切りそろえられた芝は緑一面。
遠くから見るそれは塗ったように統一されたカラーの中を出走ウマ娘16人が飛び出していた。
スタートからすぐにスタンドストレートだ。
大歓声は走り出したウマ娘たちに大きな波となって届けられる。が、その声援を押し返すような絶叫でツインターボは走っていた
「うぉんりゃぁぁぁあああああ!!!」
馴染み絶叫客は喜び拳を上げて熱くなる。
実況もまた声を弾ませる。
「まず矢張り、ツインターボが行きました!!」
いつもどおり。
いつものレースと変わらぬ爆速リード。
アイルトンシンボリは2コーナーに入るところで中段より前を走る。
「早い……でも早すぎる、彼女のペースタイムがこの先の基準タイムになる、そこから仕掛けても十分いける」
周りをどうどうするウマ娘たちもそう構えている。
ウマ娘群は短い距離の中でも力の駆け引きを考え、3コーナーから勝負をほぼ全てのウマ娘が決め込んでいた。
前方を行く者。
明らかにハイペースのツインターボ、その早さで最後までは絶対に保たないと読んでいた。
2コーナーから向こう正面に入る時、隊列は形成され始めていた。
「先手を取ったのはツインターボです、ターボエンジン全開で逃げまくりです」
レース実況もよく聞こえるが何より爆速リードが広がる程に客がノリノリである
「ツインターボ!! 今日こそがんばれ!!」
「ツインターボ!! 頑張って!!」
どこまで本気かわからない声援だが、走る彼女のスカだが加速していれば誰もの心が踊るというもの
「1000メートルのタイムは57秒!!」
相変わらず聞こえるツインターボの気合。
いつもなら1000で息切れする絶叫が今日のそれはかなり長い。
「頑張るな、今日のツインターボは絶好調じゃない?」
「絶好調で逆噴射か?」
笑いも漏れるスタンドの中、危機を最初に察知したのはシンボリルドルフだった。
「これは……届かない?」
レース場を上から見るからこそわかるものがある、だがレース勘が優れているウマ娘ならばすでに気がついていてもおかしくない。
ツインターボの足色がまったく衰えていないことを。
「……いつもならこのあたりで14秒に……」
1000を超え次の200メートルそして次の200。
「落ちてない、タイムが落ちてないんだな……」
ルドルフは時計を見ているわけじゃないレース勘が教えるものに従って、走るツインターボを計り驚いていた。
「……アイルトン!! 間に合わないぞ!!」
3コーナー、同じく危機を察知したダイワジェームスが大きく踏み込み前に出た。
2番手集団はいつもなら捕まえられる相手の尻尾にめまいを起こしていた。
焦っていたのだ、1000を超えてなお差をつける相手に近づこうと全体が自分たちのペースを崩していた。
自分のペースを失い、さらに最終コーナーで雪崩れ打つようにスピードを上げるが。
「うぉっりゃぁあぁあぁあぁぁぁぁぁ!!!」
残り400を切った時、600前で途切れた気合の怒号は再びレース場に響き渡っていた。
「ここからリスタート!! 1000メートル2本目いくぜ!!」
1000メートル2セットだと思えば、パーマーのあのアドバイスを鵜呑みにした先行逃げ切りは当たっていた。
「2000じゃなくってぇ、1000をヨーイどん!! でまた1000をヨーイどん!! 58秒58秒ですよぉ、合わせて2分切って大勝利ぃ!!」
子供理論のAプランだが、後攻たちの手にはもう届かない。
アイルトンは必死だった。
いつもなら出ない声が、叫びが出てしまう。
「うわぁぁぁぁ!!!」
隣のジェームスも顎を上げる息苦しさで自らに鞭打つが、届かない。
サーキットストレートに熱狂は復活していた。
夏の暑さではなく手に汗握る展開に、全ての観客が拳を上げて。
「吠えろツインターボ!! 全開だ、ターボエンジン逃げ切った!!」
2年ぶりの重賞制覇、大歓声のレース場。
くす玉を割ったような紙吹雪が咲き乱れ、ゴールを突っ切ってなお止まらなかった体はヘリオスとパーマーに抱きとめられ、ツインターボはガクガクになった足のまま振り絞った力で手を挙げた。
「どんなもんだ!! 勝ってやったぜ!!」
1度は止められた足が歓喜に飛び、ヘリオスの腕から放たれたウイニングランはないはずのコースを走っていく。
勝利に浮かれた声が走って、走って走ってトレーナーとイクノ、そしてライスシャワーの待つ場所へと飛んできた。
ずいと前に出した親指、満面の笑みで
「どうだ!! 勝ったぞ!! 勝ってやったぞ!! 次はお前と勝負だぞ!!」
ライスシャワーは驚いていた。
驚いていたが、騒ぎの塊ツインターボりの前から逃げようとはしなかった。
自身が立ち上がってレースに熱狂していたことに気がついたのだ。
「あっ……私……」
「ああ、お前だ!! 米、次のレースで俺と激突だ!!」
レースを、望んでる心が躍ってしまう。
突き出された手に、手を合わせてしまう衝動が……途切れた。
とてつもない絶叫で。
「ピギャァアアァアアァァァァアァん!!!!」
大絶叫だった、後を走ってきたダイタクヘリオスやメジロパーマー、面前に立ったライスシャワーは目を閉じ両手で耳を抑える大音響。
「なんなのよ!!!」
イクノディクタスの声がツインターボを制止させようとしているが、後に続くの立てていたビーチパラソルが倒れたりファイルが吹っ飛び舞い散る図。
「ぎゃああああ!!! エリィアンやぁぁぁん!!! くるなくるなくるなぁぁぁぁ!! このしんにゃくちゃ!!」
「黙って部長!! 落ち着いてよ!! まだみんな見てるのよ!!」
語尾が崩れてなにを叫んでいるのかわからないツインターボ、止めようと必死になるイクノディクタス。
一方で観客席にはドッと笑いが溢れ出る。
パニックを起こしているツインターボを見る目が優しいのだ。
隣で耳をペシャンとしながらも意味不明な会話が続くヘリオスとパーマー。
「エリィアンってなに? こんにゃくの親戚?」
「エイリアンのことだよぉ、日本のこんにゃくは群馬産が80%だよぉ」
両方ボケで突っ込み不在、目の前では動く騒音公害が絶叫継続中だ。
「ヘッヘッヘッヘッヘへっへっへっつぁん!!! 虫ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
叫び声の原因がツインターボの顔の前を飛ぶ、ひん曲がった口は目を回した顔が必死に助けを呼ぶが、目の前で目が点になっているライスシャワーを見て震えたままなんとか飛び上がらずにその場に留まる。
「あっあっあっぁっのなぁぁぁ、別に怖いわけじゃないんだからな!! 怖くないんだからな!! ただ……ただ……」
半泣きのツインターボ、ライスシャワーは2人の間を飛ぶ蝶々にポカンと惚けていた。
「……蝶々ですよ……」
ライスシャワーの指に止まった黒い蝶、斜陽の陽に照らされた影に鱗粉が星空のような輝きを見せる蝶は、とても美しい。
ライスシャワーの手の中を舞う蝶を前に、一人だけ局地地震の本震直撃を食らったように震えゴーグル下部に涙がたまってしまったツインターボは言い放った。
「うぉぉぉん……虫ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……、だからな、よく聞けよ怖くないんだぞ!! 嫌いなだけだぁぁぁぁぁい!!!」
彗星の如く、泣きながら走っていくツインターボ。
あっけにとられたままライスシャワーは、今まで粗暴の塊と決め込んでいた存在のなんとも可愛らしい部分に思わず吹き出してしまっていた。
「蝶々は怖くないですよ……」
手の中を泳ぎ人差し指に止まった綺麗に、今日まで困り顔しか見せていなかったライスシャワーに笑みが漏れた。
すでにはるか遠くを走っているツインターボをダイタクヘリオスとメジロパーマーが追いかけている。
目の前の惨事に色々と備品がぶっ飛んだ場から顔を上げたイクノディクタス。
「……よかったわね、部長の弱点は虫よ。昔大口開けて走っていたら飛び込まれたらしくってね、それ以来ダメなのよ」
遠い目ではるか彼方のツインターボを探す。
「うーん今日は走ってるわね。いいんだけどウイニングライブどうするのかしら、立ってられないんじゃないの」
心配するような発言の中にも笑いが入ってしまう結末。
ライスシャワーは何か刺さっていた棘がポロリと落ちたような気分だった。
自分を頭ごなしに怒鳴りつける粗暴な彼女のかわいい部分を見て、ツインターボが自分と変わらない存在ではないのかと少しだけ思ってしまっていた。
ツインターボはいつも壁のような存在で話すに硬く、触れるに痛く、ぶつかりたくも会話もしたくない存在だったのに、こんにゃくのように壁は崩れ涙目で自分にレースを挑む顔に、ほんのりとした闘志がここの中に浮かんだ。
「私……あの人をどうやって刺したら勝てるのかな……どうしようかな……」
手のひらの蝶に聞く小声に、心踊るレースだったことをもう隠せない。
小さな彼女の大激戦が、かつてレースを楽しんだ自分と重なっていく。
競う楽しみを帯び弾みの籠った小さな声だったが、トレーナーは聞き逃していなかった。
顔を上げ歓声飛び交う会場を見つめるライスの視線を引っ張り戻していた。
まるで突風に手を引かれるような強さで、レースの全てを楽しむ瞳を自分の側へと向き直させていた。
「ライス!! 何も考えるな……走ろうなんて思わないでくれ!!」
歓声の中に重く差し込む悲痛。
イクノディクタスはトレーナーとライスシャワーのチグハグな姿をしっかりと見ていた。
そしてそのおかしな風景をさらに遠景として見ていたウマ娘がいた。
「おバカさんみーつけた」
前髪を飾る菱流星、長い黒髪は冷めた視線はツインターボではなくライスシャワーを見つめていた。
この日、ツインターボは全力を尽くし使い切ってウイニングライブに出た。
パペット人形のように、ヘリオスとパーマー補助されながら歌って踊る彼女の姿に観衆は泣いて笑って楽しんだ。
ハクサンムーンがバレリーナ志望だったとしても、イスラボニータが見切れ職人としてオグリとデスマッチをしていても、フェノーメノがガングロコギャル(死語)だったとしても、ジャガーメイルがペコちゃんの親戚だったとしても面白いから許す。