豊穣の雨、その後に~ウマ娘プリティーダービー   作:尾坂元水

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少しずつ曲がるわけだ。


05 不屈のギャランドゥ

「はっはっはっ……」

 どれだけ走っても深い森。

 足元を取られる長い芝、根茎が作り出す硬軟網の目のような不整地。

 風景も音も匂いも馴染みのないダークファンタジーのような景色の中をいつも走っている。

 バ群の中で体を削られながら懸命に走っている。

 食いしばった歯でただひたすらに前を睨む瞳に映るのは、自分を囲む相手は誰なのかわからないが、ただ一人光へと続く先端を走る者が誰かだけが分かっていた。

「ルドルフ……ルドルフ……そうじゃないとダメ……皇帝よ!!」

 誇り高きシンボリ一門を示す深緑の勝負服、猛き策士を知らせる金の飾緒の肩、ツヤが入れ替わりで流れる光に見える長い髪が揺れながら離れていく。

「もっと、もっと!!」

 手を伸ばした瞬間、世界から闇は消えていた。

 あっという間だ、目の前闇の森が途切れる光の中に、連なるように飛び込む。

 急に瞼の裏に光が差し朝を感じ跳ねるように起き上がった。

 黒髪を海から上がりたての海苔のように湿るほどの汗、眠りという時間の中で呼吸がざらつき口の中はカラカラになっていた。

 

「悪い夢……見ましたか?」

 

 跳ねて起き上がり額をぬぐっていたシリウスに、声をかけたのはホクトベガだった。

 何事もなかったかのような静かな佇まい、朝陽に映された輪郭で神々しさが見える整った顔、伏せた目にシリウスは短めの一息を吐く。

「何も、夢なんか見ませんから」

 呼吸を整え胸を押さえるも、顔に少しの苦味も見せず大きく開いていた目も冷めた薄い感じに戻っている。

 目覚め直前の夢はいつも同じだ、いつも寝苦しく自分の首を絞めるような重さの中で目覚めるが、後は仮面を被ったかのように表情を消す。

 シリウスシンボリの寝起きはいつも悪い夢で始まる。

 何度も同じ夢にうなされているのを部屋の相方であるホクトベガが気がついていないわけないだろうが、彼女がシリウスに向かって悪夢の核心を聞くことはなかった。

 ただ微笑み、朝の挨拶をして、いつも同じ言葉を交わす1日の始まり。

「ああ今日も暑い……暑いですよね」

 トレセン学園の制服を着たままベッドに転がる彼女は寝苦しくなった制服のリボンを解く。

替えがあるとはいえ制服のまま寝るのは褒められないが、ホクトベガは脱ぎ捨てるそれを文句の1つも言わず集める洗濯カゴに入れるという甲斐甲斐しさ。

 カーテンを開けた外の様子はまだ続く夏、朝陽の下にみえる蜃気楼が酷暑を示すグラウンドに複数のウマ娘たちがみえる。

 朝一のトレーニングに励む年少組のポーニーちゃんたち、可愛い囃子がスズメの囀りのように聞こえるグラウンドに目を細めるシリウス。

 どこか懐かしいような薄い笑みは、仲間達と絡み合って走る子供達の姿を見続けている。

 

「元気ですね、年少組は……それにしてもなんというか残暑ですね、まあまだ夏っぽいですし。寝苦しいわけですよ」

 

 冷めた声だが取り繕った返事を、ホクトベガは勘ぐったりせず「そうですね」と優しく返えして、手に持ってきた湿らせた柔らかなタオルを前に差し出す。

「今ちょうど洗顔に行ってきたところなのですよ。洗ったばかりですからどうぞ、汗を拭きに使ってください」

 

 ホクトベガ。

 

 トレセン学園研修生及び外来ウマ娘調整用宿舎兼ダートウマ娘寮砂場の寮長にしてトレーニングアドバイザー。

 赤みがかった美しい髪、柔らかいカールのかかった長髪を後ろで一本に編んだ姿。

 凹凸激しいグラマラス、少し垂れ目の碧い瞳は朝陽に照らされた優しい笑みを見せていう。

 トレセン学園のモンナ・リッザとも称されるホクトベガに、黙ったままのシリウス。

「寝汗をそのままにすると風邪を引きますから、シャワーで流すのがよろしいですよ。今ちょうど研修生たちが朝練に出てますから、空いてます」

「そうですか、そうさせてもらいますよ」

「シャワーを浴びたら走ってみませんか? ダートウマ娘の間では最近ディア◯ラの蹄鉄が流行っているんですよ、ご存知でした?」

 

「知りませんし、無用なことですよ。蹄鉄は美浦印に限りますし」

 

 少ない言葉で部屋を後にしようとするシリウス。

 着たきり寝たきり、教材から蹄鉄まで全て散らかしたままのシリウスの部屋を、ホクトベガはテキパキと整えていく。

 眼差しは母のように、憂の目の中に悲しみを抱いたままでいるシリウスの姿を見抜きながら。

「そういえば今日でしたねレース、観にはいかないのですか?」

「はぁ……それこそ……興味のない話しですね」

 ツイっと上げた顎、完全に忘れていた、本当に興味がない。

 シリウスシンボリのそんなそぶりもホクトベガはお見通しだったが、深く追求はしなかった。

 

 

 

  産経賞オールカマー G3レース。

 

 地方トレセンからの出走ウマ娘もいれば、外国でトレーニングを積んだウマ娘もいる。

 見にくる客もいろいろだ。

 パドックから観客席まで、国民的エンタテーメントであるトゥインクル・シリーズを見る者たちの朝は早い。

 陣取りをしたり、推しのグッズを買い漁ったり、ニュース欄の推しウマ娘の近況を読み直したりと騒がしいが、ことGレースの中でもこのレースは地方ウマ娘の登竜門にも当たるうえに、外国ウマ娘の参戦があったりで新しい推しを発見する場所にもなりで熱気は高く幅広いファンが集う。

 11レースの時間には熱波の山場は超えるが、まだまだ気温の高い時間の中で空は白く持っていた。。

 曇天は薄い白色を水彩絵の具で伸ばしたような、擦れたり途切れたという膜のような曇り演出で閉塞感のある景色を作っている。

「悪くない天気だ」

 日差しはないがゴーグル着用で体操着姿のツインターボはストレッチに執心していた。

 隣に立ち同じく体操着にゼッケンをつけたイクノディクタスは徐々に迫るレース開始時刻を惜しむようにハンドグリッパーを鳴らし、新しく蹄鉄をチェックする。

「うん、まあいい感じじゃない……ヘリオスとパーマも準備オッケーってとこね」

 チームの大半がレースに参加、残っているのはダイタクヘリオスとメジロパーマーだけなのに、すでに大声の応援がレース場の一角を騒がせている。

 相変わらずのホッケーパッド。

 暑ささえも天然脳で無視することができるのかヘリオスはフル装備で飛び回り、パーマーは真っ赤なポンポンをふるって応援を開始している。

 出走時刻を前にメンツは揃っていた。

 ツインターボ。

 イクノディクタス。

 そしてライスシャワーだ。

 いよいよ迫るレースの時刻に観客は推しウマ娘に声をあげ、潮騒のような応援は始まっていた。

 パドックからレースへの産道であるトンネルへと各選手たちが進んで行く。

 各々の願う勝利のために、大望の夢を抱えテンションを上げていく。

 重賞を勝ちさらなる高みを目指す者もいれば、地方から数少ないチャンスの切符を握ってやって来た挑戦者もいる。

 各地から応援に駆けつける人の熱気で、くたびれた雲が作った籠った暑さに火を狗べて熱を上げるのに一役買う。

 この熱気の中でライスシャワーの気持ちだけはひたすらに落ち込んでいた。

 レース会場へと進む隧道を3人揃って歩く中でも1人トボトボと遅れ、迷子の子供のように項垂れて。

 ライスシャワーの気持ちを落ち込ませるのは2人にかけられる声援の多さ。

 トンネルの中に響き渡る声援が鼓膜を叩くように、動悸を早める。

 ツインターボもイクノディクタスも実に多くの声援を受けていた。

 イクノディクタスには年齢層の高い観客が多く、張り出される横断幕もユニークだ。

「健康第一!! 頑張れイクノちゃん!!」

 彼女の間髪開けない連戦、そこで見せる健康的で力強い走りには「健康」になんらかのご利益でもあるのかと噂されており、たまに拝んでいる人もいたり。

「イクノちゃん!! 頑張って!!」

 女性からの応援がよく聞こえるのも特色だ。

 一方でツインターボのファンはいろいろな層がいる。

 若者もいれば年寄りもいる、そして満遍なくヤジにも似た威勢の良い声が飛ぶ。

「今日もかっとばせよ!! ツインターボ!!」

「逆噴射するなよ!!」

 脚足らずで速度が落ちることをやじる声に、即座に反応するのが評判。

「うっさいぞ!! 逆噴射ってなんだよ!! ちょっと行き倒れてるだけだい!!」

 その返答はどうなのか、掛け合いが面白いと観客の笑いを作る。

「行倒れるなよ!! ゴールに突っ込めよ!! 愛してるぞツインターボ!!」

 

「うるせーぞ! 俺も愛してるぞ!! 今日も1番ぶんどって歌って踊る!! 皆様のギャランドゥ(Gal&Do)たあ俺のことだぜ!!」

 

 拳を上げる姿に声援の波は高くなる。

 チーム・アンタレスの半分が出走する。

 人気のあるトップチームではないが、意外にもコアな人気のあるウマ娘が揃っていた。

 だから応援するファンもコアで声援も個性的。

 変則的な盛り上がりを見せる中で、ライスシャワーは悪い夢を反芻していた。

 眠れなかった。

 シリウスシンボリとの会話以来悪夢を見続け今日を迎えていた。

「夢を壊すのをやめて、負けたら良い」

 

 負けないと、負けないといけない。

 

「君の勝利が、彼女たちに夢見た人たちの夢まで破壊している」

 背筋を凍えさせた言葉にに息がつまる。

 響き渡る声援は光当たる出口で渦巻いている、拍手と熱気、今まで自分のことだけをまっすぐに向いて走ってきたライスシャワーにとって異次元へつながらるとも思える出口に手足が竦む。

 これほどに声援をいただく者達に勝ったら……、彼女たちの栄光を夢見る人たちを傷つけることになる。

 小さな体は何度も通路の壁に肩をぶつけ迷いを払えない震えの中にいた。

いつもならレース直前まで一緒にいてくれるトレーナーはいない、ここに来るまでにひと騒ぎありトイレに篭っており、今は1人だ。

「お兄様……ライスは……ライスは頑張るけど、何を頑張ったらいいのかもうわからない……」

 黒髪と帽子、伏せて隠した瞳は潤んでいた。

 泣いて叫んでここから逃げたいという気持ちと、それこそ子供のような態度をレース会場で見せてはいけないという想いのせめぎ合い。

 胸を押さえる手の姿は、何かに祈ってるようにも見えてしまう。

 自身の出走は春以来、そのせいか時々聞こえる自分の名前に怯える。

 意図的に聞かないように顔を下げたままゲートへ向かうが、コースを流し軽く走る中で胸の奥にあるものは「熱く」なり始めていた。

「やめて……熱くならないで……ライスはライスは……」

 天を仰ぎ深く息を落とす。

 

「ライスは……勝ちたい、勝ちたいの……負けたくない、負けたくないの」

 

 混乱だ。

 勝ちたい、心からそう願っている。

 トレーナーのためにも、自分のためにも。

 なのに勝てば「夢」を壊す。

 ゲートインなのに、心ここに在らずのまま息を上げるライスシャワーは心の中にせめぎ合いにくるしんでいた。

 呪文を唱えるように自分の心臓を抑えて。

「ライスは勝ちたい……でも……でも……勝ちたい」

「いいや勝のは俺だ!!」

 出走ギリギリ、いつゲートが開いても不思議じゃない状況の中で背中を丸めていたライスシャワーの願いに応えたのはツインターボだった。

「すごいよなそうやって勝利ってやつを体の中に落とし込んでいくのか?」

 レースの前、様々な願いを込めて走るウマ娘たち。

 ライスシャワーの体をくの字に折るような、祈りような姿にツインターボは正直な畏敬を口にしていた。

「でもさ……負けないからな。いいか米、俺は絶対にお前に勝つ。だからお前も負けないように本気でこいよ。俺は後ろなんか見ないからな!! 最後までお前より先を走ってやるからな!!」

 威勢はツインターボらしい自分への叱咤。

 負けないという気持ちがゴーグル越しに目を光らせ、拳を強く前に突き出させる。

「本気でこいよ……絶対の本気で!! 真っ赤かに燃える本気でレースするぞ!!」

 かかってこいという強い言葉、迷っている時間はもうなかった。

 ファンファーレが鳴り響き、声援はより大きな波となって会場中に広がっていく。

「招待ウマ娘4人を含む13人勢揃いです!!」

 実況の声が場内に響く、観客のテンションがピークへと達する

 各ウマ娘の準備が整いゲートの前が慌ただしくなる中、目を伏せ没頭を演じるライスシャワーにツインターボは楽しそうに話しかけるでなく自分に言い聞かせるように正面を向いたまま続けた。

「米!! 全力でこい!! 行くぞ!!」

 振り払えない混迷を抱いたままのライスシャワーは叱咤される中でもレースへの道を睨み始めていた。

「負けても……勝っても……なにかを壊してしまうのならばライスは」

 今日1番人気なのに、1番に自分を指名したすべての観客を恐れているライスシャワーはスターティングモーションへと、今更何をこだわってもゲートが開いた前ではどうにもならない、迷いはあってもレースに愚考は持込ない、ただ前を見て走るのみと飛び出した。

 

 

 

 ゲートは開いた。

 正面スタンドの左端に設置されたゲートを勢い良く飛び出していく13人。

 誰もがスタートに転ばず綺麗な線を一瞬引くが、2秒後にはツインターボがさらに前へと飛び出していた。

 注目株であるライスシャワーのスタートも場内に伝えられる中、脇目も振らぬツインターボ。

 いつも絶叫が正面スタンドの観客の腕を振らせる。

「うおんりゃぁあぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 絶叫に呼応するように実況もまた伝えていく

「ツインターボがどんどん加速しています!!」

 実況の声が通れば目の前で見ている客は拳を上げる。

「いけー!! ツインターボ!! またぶっちぎれ!!」

 いつも通りの一騎駆け、2番手集団は離されつつも一群となって進む。

 ツインターボの走りを警戒しているのは何もライスシャワーだけじゃない。

 前節のレースぶりは良く研究されている。

 これ以上離されるとやばいというボーダーと、ここからなら刺せるというライン。

 タイムを確かめるすべのないレース中のウマ娘にとって、相手のスピードそこから離される距離と風景が「刺し手」が先頭を差し切るタイムの軸となる。

 誰もが慎重に前を飛ばす尻尾を睨み、2番手集団として各々がポジションを決めていく。

 目の前の風景は早回しのシネマ、水彩画の崩れた輪郭の木々、これらを読み狭い視界の中に浮かぶのは真正面の標的を測る。

 1コーナーを回るころ前回の七夕賞のようにツインターボの勢いはまったく落ちず、容赦なく差を広げ続けていた。

「前と同じペース、このまま行くのかな? まだ待つべき?」

 ライスシャワーは6番手7番手の間で行き、逃げウマ娘ツインターボを見る。

 怒声をなびかせながら前をいく姿、蹴り足に鈍りは見えない、脚色は細かく刻みフル回転で土を蹴りつづけ、芝生を1人気持ち良く散らして行く姿を「覚え」思案する。

「前回は1000を超えて2ハロン目で少し落ちた……このペースで行くのなら間違いなく1000からが勝負でも……何か変……距離を合わせてる? 合わせらさせられてる?」

 ライスシャワーが考えるように、周りのウマ娘も各々の自身のシュミレートに従って足を伸ばし始める。

 ビックウェーブの波崩れのように少しずつ陣形とバ群は変化して行く。

「ツインターボが2番手以降を大きく突き放しています!! 後ろはホワイトストーン、さらに後ろをコウソクダイジン、モガミキッカにつづいてライスシャワーが行きます!!」

 1000を超えていく、向こう流し。

 焦りは確実に他のウマ娘に伝播し始めていた。

 ツインターボは二の足なしのかっ飛び屋、一度速度を落とせばもう2度と伸びることはない。

 だけど1度もスピードが落ちなかったら……。

 わかっていても焦るもの、ウマ娘の焦りに火をつける実況が場内に響く。

 

「現在1200の表示通過して58秒台」

 

「早い?……何どうして、1000でこのスピード。これは」

 2コーナーでバ群は忙しくなっていく。

 誰の目からもツインターボは距離を取り続けていたが、慎重さが仇になっていることも露見し始めていた。

 奇妙な構図をすぐに理解できるものはいなかった。

 相手との距離を測る指標は、走るウマ娘が気がつくよりもスタンド席で見ている客の目に映る大差へのどよめきが大きな指標となるが、その驚きの声に騙されることもあるのだ。

 後方集団のイクノディクタスも目を見張っていた。

「やってくれたわね部長……あーもぉぉぉ!! 脚を残すなんて考えすぎていたわ!! ここからじゃ最後のスパートでも刺せない!!」

 後ろから見ればその差は歴然。

 だが瞞されていたのもわかる。

 カッ飛び屋のツインターボ、前評判と前節のレースが目をくらませていた。

 少しずつ脚を稼ぎ時間を遅らせていた相手に、2番手集団は惑わされ自ら低スピードへと合わせてしまっていた。

 今から頑張ってもとてもツインターボには追いつかない、なんとしても最後までに差を詰めたいという力走が後続集団の足並みに力を与え引っ張る。

 縦長に変化しそうだった2番手集団は向こう流しから3コーナーに入るまでに1つの塊に逆戻りをしていた。

 一方で実況は熱を上げ、観衆も誰もが声を上げての声援のボルテージが絶頂に入りつつある。

 先頭のツインターボ。

「ツインターボが大きく逃げる!! ツインターボが大きく逃げる!!」

 言われなくたって大逃げだ、息つく間もない中で名前を連呼されたツインターボは絶好調だった。

「いいぜ!! プランBが炸裂だぜ!! ここからどこまでも走ってやるぜ!!」

「確定……これは絶対に落ちない……落ちないように走っていた」

 奇妙な間と時間を計り切ったライスシャワーは、混乱するバ群をいち早く抜けホワイトストーンの後ろを行く形を作っていたが、すでに3コーナーのカーブを曲がったツインターボに手が届くかはギリギリだった。

 どこかで落ちるなんて見越した戦い方は完全に裏目に出ていた。

 経験も生かされていなかった。

「好調のあの人は速度を落とさない……まだ……まだ負けたくない!!」

 砂塵を浴びなくても涙が溢れてしまう。

 もっと前へとカーブを曲がる足に力が入りリミッターを切る。

 余力を持ちながらなんとかなる相手じゃなかったと、改めて思い知らされる。

「200の標識を切った!! 先頭はツインターボ!! ホワイトストーンも伸びる!!」

 伸びても届かない。

 誰もが理解していた。

「外を通ってライスシャワーは届かないか?」

 届いてみせる、実況の呼びに心を叩いて足を回すが。

 

「ライスシャワーこれはもう無理!!」

 

 無理。

 宣言れた時ツインターボはゴールを突っ切っていた。

 大逃げ一番の逃亡者。

 その尻尾にライスシャワーの手は届かなかった。

 

 

 

 残響が地下通路に聞こえる。

 多く観客の賛辞に答えるツインターボの声と共に。

 ライスシャワーは来た時と同じように壁に肩をぶつけるように、自分が倒れてしまわないように弱弱しく歩いていた。

「よかったよ、あれでいいんだよ」

 うつむいていた顔に声をかけたのは制服姿のシリウスシンボリだった。

 誰もいない薄暗い通路に薄い笑みが佇んでいる。

 見上げるライスシャワーの涙を指が拭うが、優しさは微塵も感じられない突き放した立ち位置で。

 手を振り払う気力もない。

「よかった……よかったんですか?」

「よかったじゃない、だから負けたんでしょ。とはいえツインターボ程度だったから……」

 

「あの人は!! 強かったです!!」

 

 弱っていた膝に手を立て、自分の中にあった蟠りの渦を割った。

というよりも割れた。

 勝つことで夢を壊すと言われた中で、負けたくないという気持ちで走った。

 勝ちたかったのだ。

 だけど、予想を上回ったツインターボ。

 抱えている重荷のせいで出足は鈍ったが言い訳にもならない、実力で負けたことを認めていた。

 勝ちたい。

 走り出せばそれは自然と自分の中に湧く感情、唇を噛み涙の目がシリウスを睨む。

 

「ライスは……勝ちたかった、でも本当に強かったの……」

 

「勝ちたかった? 本当に? どうでしょうね、強い相手とは思えないよツインターボは。でも君はうまく力が抜けて良かったですよ、勝たなくて正解。望まれる勝利者を倒せば、望んだ「夢」を見る観客は確実に君を野次るからね」

 シリウスは冷徹だった。

 勝利への渇望は走る妖精「ウマ娘」にとって当然のこと。

 言い聞かせておいても走ってしまえば、負けることなど吹き飛んでしまう。

 君を守るための、優しい忠告だと笑わない目が告げる。

「及第点ですよ、今日みたいに負けるのが一番良いですよ。誰も君を疑わない「善戦」したと讃えられる日もくるし、ここに居続けられる」

 軽く肩をたたく、念押しはそれだけで十分。

 これ以上かた寝る時間もなさそうだと、騒がしいトンネルの入り口に視線をやる、まっすぐにすごい勢いで走ってくる影を見つけて。

「米え!!! 待てぇぇ!!!」

 ゴールを切ってフラフラになっていたはずのツインターボは一気にライスシャワーとシリウスシンボリの間に入り込んでいた。

 入り込んで過呼吸ではを食いしばった姿のまま肩を揺らしていた。

「米……米ぇ……お前なんで最後下向いてたんだよ。コースになんか落ちていたのかぁ?」

 ツインターボは公約通りレース中後ろを振り向くことはなかった。

 振り向かなかったが、レースを走る中央トレセンのウマ娘としてレース中継の録画に目を通していた。

 自分がゴールを切る直前、諦めるように俯いたライスシャワーを見て急に腹が立ったのだ。

 

「お前……最後力抜いたのか……諦めたのか!!!」

 

 激昂だった、言うや引いていたライスシャワーの襟首を捕まえフラフラので背筋がこんにゃくみたいになっている状態なのに自分の側へと引き上げた。

「本気でこいって言っただろ!! なんでだよ!!」

 なぜって……

 相手の激怒に闇は連れられていた。

 ツインターボは強かった、実際に計算負けだった。

 考えている以上にうまく逃げ切られたのだから、総合的に見て実力で負けましたと言えたはずだったのに、怒り狂ったツインターボの顔に萎縮して涙が溢れてしまった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 掴まれたエリのままずるずると崩れてしまうライスシャワー、その重荷に引きずられツインターボも割座に座り込んでしまった。

「なんで……謝るなよ!! なんでだよ……嘘だろ!! どっちなんだよ、本気でやってたのかよ!!」

 泣きながらも本気で走ったことを伝えようとするライスシャワーを遮るようにシリウスが前に入る。

「そのぐらいにしておいたら? 勝者が見苦しいことをすべきじゃないよ」

「なんだ……お前は……何してんだ……」

 何度も荒げた息に言葉を飲まれながら、まずは見知らぬウマ娘でするシリウスに顔を向ける。

 チビのツインターボからするとヘリオスほどではないがスレンダーで背の高いシリウスは見上げる存在だ。

「……おめでとうツインターボくん、君はもっと持久力保持のトレーニングをした方がいい。理性的に言わせてもらえれば、2200を1000に見立てて走るなんてそうそう成功しないのだから。途中脚を稼いだよね、あれはイメトレでもして気を保たせたの?」

 プランBの中身を見抜かれていたことにツインターボの目が丸くなる。

 部外者でもある相手が自分たちの作戦会議を聞き耳立てていたとも思えないし、本気でそれを実行するものを知っていたとも思えない。

「師匠!! どんな距離も1000だと思って走れば58秒で優勝だよ!!」

 ヘリオスの馬鹿げた妄言を真に受けたプランを実現するために少しだけ頭を使った、だから途中で少しだけ脚を稼ぐ形になっていた。

 涼しい目で激走の中身を理解していた相手を見る。

「はぁ!? ……何言ってるんだお前、どんなイメトレで走ろうが俺の勝手だろう!! 勝てば文句なしだ!! ……うん? お前なんか会長に似てないか?」

 下からの睨めつけを煙たそうに手で払いシリウスは背中を向けた。

「気のせいですよ、では失礼」

 そのまま騒ぎから離れ通用口の方へと姿を消していった。

「なんだ……あれ……」

「シリウスシンボリ、生徒会長シンボリルドルフの義理の妹にしてダビーウマ娘(東京優駿制覇ウマ娘)」

 勝利者インタビューもそこそこでトンネルに走ったツインターボを追いかけてきたイクノディクタスは、今にも大の字に通路へ倒れそうなツインターボの肩を支えて教えた。

「ダビーの……ドルさんの妹……しらねぇぞ……」

「欧州で何年かレースに出ていたのよ。交換留学生として……今年の初めに戻ってきているとは聞いていたけど、見るのは初めてだわ」

 消えた黒髪の影、同時にツインターボは目の前から消えたライスシャワーに気がついた。

「あれ!! 米はどこいったよ!! あいつもライブなんだぞ!!」

「部長!! ライスシャワーはこっちで探すからウイニングライブの準備してよ!!」

 遅まきに迎えとして走ってくるダイタクヘリオスとメジロパーマーにこっちと手を振る。

 最終レースが終わればすぐにライブは始まる、こんなところでクダ巻いて喧嘩なんてしているわけにはいかない。

 猫の子のようにツインターボの首根っこを引っ張り、ボーリングの球よろしく力強くヘリオスに向かって投げるイクノ。

 軽々と投げられ「物」扱いに憤慨のツインターボ。

「お前!! 偉そうに言うなよ!! 最速の俺様に負けたくせに!!」

 行き場をなくした苛立ち。

 拳をふるって抗議の悪口のツインターボに、斜に構え白眼を見せるイクノディクタス。

「……私のレコードに届いてないくせに、なにが最速の逃げウマ娘よ!! サイレンススズカに土下座しなさいよ!!」

「うるせ!! 勝ちは勝ちだ!!」

 喧騒はトンネルの中外で響く。

 ここから先は観客のエールに応えてスーパーライブで楽しい時間を作るとき。

 勝っても負けても応援をくれた観客に感謝を示す大事な場所へと気持ちをシフトしていかないといけない。

 チームアンタレスは今回2人もライブに出られる。

「たまには良いとこ見せてくださいよ!! アンタレスここにありってね」

「あたぼうよ!! 可愛い俺がいなくてなにが始まるってもんよ!!」

 小言はその後だ、そう言わんばかりのツインターボ。

 心に靄を残しいてもてライブは別物と割り切る速さもピカイチだ。

「早く米を見つけてこい!! ライブを盛り上げるぞ!!」

 いなくなったライスシャワーを気にしながらもツインターボはライブのセンターポジション保持者としてのライブ会場へと駆け出していた。

 

 

 この日3位入線でライブ出場を果たしたライスシャワーは観客の前に姿を見せることはなかった。

 レースとライブは心の切り替えが必要となる。

 観客の声援に対する感謝の為にも立つべきだったステージを彼女は心の底から恐れ、逃げてしまったのだ。

 誰にも合わず控え室に戻ることもなく、ただ一人泣きながら帰路についていた。

 

 

 

 

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