豊穣の雨、その後に~ウマ娘プリティーダービー   作:尾坂元水

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後書きにおまけのようなもの。
時間の許す方向け。大した事は書いてない。
単純に06話に収録できなかったパーツ。
話をコンパクトにまとめられないのはしんどいですよね。
まちがいなくウマ娘時空な話ですわ。


06 愛しのルビーちゃん

 その日寮に戻ったダイタクヘリオスの左頬には真っ赤な手形が残っていた。

いつものことだが、しつこく追いかけ回したダイイチルビーに付けられたものなのは誰もが理解しているため自室に戻る間で誰彼と心配されることもなかった。

 

「パーさん!! 僕決めた!! 明日サブプライム(意訳・底辺所得者ローン)する!!」

 

 背中合わせのデスクとベッド。

簡素ながらも間を割って真ん中に冷蔵庫、右のベッドで天井を見て寝転がっていたヘリオスは起き上がり、隣のベッドでせっせっとポンポンを作っていたメジロパーマーを見る。

相方の発言に目を丸くしたパーマーはいつもの笑顔で聞き返した。

「何か買うのぉ?」

 不思議と首をかしげ、同じ方向にヘリオスもかしげる。

違いが目を合わせ不可思議な少しの間、何かに気がついたようにパーマーがもう一度口を開く。

「サプライズするのねぇ!!」

「そうサプライズ!!」

 パーマーの翻訳がないとヘリオスの発言は理解しにくいところがある。

思いつき、理解を得られたことに目を輝かすヘリオスは窓に近づいてクルクルバレリーナのように回る。

「きっと喜んでくれる!!」

「でもー、明日って感謝祭だよぉ」

 そう明日はトレセン学園の感謝祭。

たくさんのファンが詰め掛ける場でヘリオスは何をサプライズしたいのか。

「感謝祭だからいいんだよ!! きっとルビーちゃんが喜んでくれるよ!!」

 夜半過ぎ消灯も近づく時間の中でお構いなしに跳ねるヘリオス。

パーマーは手を打って同調する。

「いいことならやるぅやるぅ!!」

 思いつきの権化たちは演し物も決まっている感謝祭に、思いつきのサプライズを実行することを決めたのだった。

 

 

 

 

「体験!! ウマ娘のスピード!! ウマ娘の世界!!」

 

 変な看板だ。

ライスシャワーは「ドッキリ」の看板のように派手にして大きく書かれた字体の板を背負って前を走る2人を追っていた。

 感謝祭の今日チーム・アンタレスの演し物は真面目に肉体労働だ。

 ダイタクヘリオスとメジロパーマー、2人が前後に並び間にカゴのような小さな神輿がある。

 これに子供を乗せて走るのが「体験会」の実態である。

 ライスシャワーが体重計を持って付いて回っているのは、いくら2人でも大人を乗せて走るのは無理だから、重量制限を設けているためだ。

 同時に水はガチで肉体労働担当班として働く2人のために持ち運んでいる。

「はーい!! ここまで!! 「ハリ◯テエ◯ジー号」への乗車ありがとうございました!!」

「すごいよ!! すごい!! ウマ娘さんって本当に早いんだね!! 風がびゅっときたよお父さん!!」

「ほんとかー、お父さんも乗ってみたいなぁダメなんだよねぇ」

 大喜びの子供、待っていた両親。

 後ろには体験希望の子供たちが、乗車場所など決めていないのに列をなしている。

 プロデューサーイクノディクタスは並ぶ人の群れを見て苦い笑み。

「流行っちゃうのよね……ほどほどで繁盛してほしいだけなのに」

 この演し物は違法スレスレなのだ。

 実際体験シリーズは色々と行われているので一概に「悪」とはいえないのだが人をウマ娘のスピード領域に連れて行くのは「危ない」

もし何かのはずみ転びでもしたら、時速60キロは間違いなく交通事故になる。

「このへんで走っている分にはいいけど、部長そっちにバンブーメモリーいる?」

 耳に引っ掛けたイヤホン、繋がっているのはグラウンドを挟んだ反対側。

学園正面の軒店回りを歩くツインターボに。

「おたけさんはこっちをウロウロしてるから大丈夫だけど……バク(サクラバクシンオー)ちゃんがそっちに走ってたからやばいかもな」

 感謝祭の今日、風紀委員長のバンブーメモリーは気合を入れて見回りをしている。

同じように「高い志」で学園の平和維持に邁進する学級委員長サクラバクシンオーがいる、どちらに見つかっても過激な追っかけっこに発展することは間違いない。

できるだけ穏便にしてお客様に楽しんでいただき、些少なりの金子が得られたらラッキーだ。

 遮二無二行動して怪我をするぐらいなら、ほんの少し飛ばしてましたよぐらいの評価でいい。

イクノディクタスは汗だくの3人を見て手を打った。

今日は朝8時から走り回っている。

「鉢合わせになっても嫌だから……よし、ちょっと休憩しよう。私飲み物もらってくるからこのあたりで涼んでいて」

 まだ陽の高い午後1時。

 通算10回ぐらいは外周を走った3人はヘトヘトだった。

 

 

 

 ヘリオスは天を仰いでいた。

 ジャージの上着はとっくに脱いで、Tシャツ姿で芝に寝転んで。

 隣のパーマーも同じようにごろ寝、ライスシャワーは割座で2人の隣に座っている。

 シリウスシンボリとの会話以来、モヤモヤした想いを抱えたたまますごしていた。

 出来れば今日もどこにも行かず、自室で静かな時を過ごしたかったが、前回レースでツインターボに負けてしまったことでチームの新しい規則の中に組み込まれてしまっていた。

 組み込まれるまでの経緯は勢いの一言に尽きたが。

「当然のことだが!! ウイニングライブをおろそかにする者を俺は許さない!!」

 仁王立ちのチビは偉そうにみかん箱の上からライスシャワーを指差して宣言していた。

 前節オールカマーでライスは3位入線を果たしたのにもかかわらず、ライブステージに立つことなく部屋に閉じこもってしまった。

 以前のチームならば落ち込んだ自分をそっとしておくメンバーしかいなかったが、アンタレスの懲りない面々にそれは通用しなかった。

 翌日、寮の自室にバカコンビがやってきて「ラーイースちゃーん、あーそびーましょー」と連呼の大合唱。

 1日ならずや3日4日と続きこのまま引きこもれば他の生徒の迷惑になるとドアから顔を出し、どうか一人にしてくれと丁寧に頼んだ。

 にもかかわらず翌日事件は起きる。

 落ち沈む心を抱え花言葉の検索に没頭していた自室に何かが突進しドアに激突する。

 もうおわかりだと思うが、まさにツインターボ。

 一番会いたくない相手の来襲に、ドアどころか耳も心も閉ざし固まったライスシャワー。

 静寂を演じ、何にも答えない氷の彫像と化したにもかかわらず、ツインターボの追求は変わらなかった。

「開けろ!! 米!! 俺だ!! こないだの件で話がある!!」

 大音響のオレオレ詐欺ですか? 

 とにかく開けろ、俺だを連呼、ライスシャワーは耳を両手でペシャント抑え嵐が去るのを待っていたが。

「開けないなら突破するからな!!」

 言うや嵐はドアに激突してきた。

 およそ寮の中全てに振動は伝わっただろうという大激突の後、場は静まり怯えながらライスシャワーはそっとドアを開けた。

「なっ……なんだ……いるじゃん……はっはやく……あけろよぉ……」

 ドアとガチンコ、目を回し倒れるツインターボは転がった状態で上から自分を見るライスシャワーに手を振っていた。

「仲直りだぞ、仲直りするんだぞ、お前はどうか知らないけど……俺はお前と仲直りするからな……」

 諦めた。

 こんな強引なウマ娘は見た事がない、今まで経験した事もない。

 なによりこのままここに転がしておく事など出来ない、すったもんだの末ライスシャワーはツインターボを保健室まで運び、なんとなくだがあの日のレースでの出来事を反省しすれ違いを解消していた。

 以降ライスシャワーはチーム・アンタレスが行う行事には全部参加する事になった。

そして今日はこのお騒がせ集団が企画した「ウマ娘のスピード体験会」の補助要員として走り回っている。

「いやぁ、ライスちゃん。荷物重くない?」

 実行部隊の2人のために持った荷物はそれなりに重い、パーマーは横に置かれた荷物を気にしていた。

 割座で隣に置いた荷物にあるのはペットボトル20本。

「重いと走りたくなくなくっちゃうからぁ……」

 少し分けようか、多分気遣いの言葉をかけようとしていたであろうパーマーを遮って珍しくライスシャワーが先に答えた。

 

「ライス……走るのは好きなんです。重くなんてないです……」

 

「あたしちゃんも大好きだよ!!」

 赤いポンポンを被ったパーマーは目を丸くし、隣で寝転がったまま水分補給をしているヘリオスも拳を上げて

「僕も大好きだよ!!」と、走り仲間と笑う。

 奇縁、不思議なものだった。

 前のチームも自分を思って色々と話しかけてくれるウマ娘はいた。

 でもその気遣いが、一緒に落ちていく負の側への気遣いになっていたのか、慰められればられるほどに気持ちは落ち込みなかなかレースの世界へと戻れなかった。

 レースというより走る事に前を向けなかったのに、このチームでは気遣いもダイナミックで予想外のアプローチをしてくる事に驚き、沈んでいる暇もない。

 だからなのか、言われ損になりたくないと思ったのか、ライスシャワーは自らの事を少なからず話すようになっていた。

「……まだうまくいかないですけど……ライスはまた大きなレースで頑張りたい……かなって思ってます。お兄様のためにも……」

 負癖なんて身に付けたくない。

 珍しく自分のしたい事を口にするライスに、ヘリオスが飛び起き、その場で膝を付き合わせるとズィッと顔を寄せた。

「ねぇ、ライスちゃんってトレーナーさんのこと好きなの?」

 カンカン照りのお日様のようにぱっちりと開いたヘリオスの目が、ライスシャワーの顔を真面目に見ていう。

 突然である。

ヘリオスはいつも突然変な質問をする。

びっくりして顔を真っ赤にして目を合わせてしまったライスにさらに近寄って。

 

「好き好きなの?」

 

 遠慮のなく言いよる、ライスシャワーは驚きと恥ずかしさで座ったまま後ろへと逃げてしまわざる得ない。

「好きというか……」

 もちろん好き、でもそういう期待されているのとは。

 言いにくい、助け舟を出してくれそうなパーマーは船で寝たまま流れて来なそう。

 真面目な顔で見るヘリオスの前、耳まで真っ赤、唇が震える。

「好きですよ。というより尊敬してます。お兄様は立派なトレーナーですから、だから私は勝つことができたと……」

「僕は好きな人いるよ!!」

 質問を質問で返す、というより質問の答えを聞き流し自分の答えを前に押す。

 ライスシャワーが「恋愛etc」と色々困惑し考えている間で別の方向へと展開していくスピード思考。

 本当に前のチームではなかった速度でヘリオスは自分のことを話していく、トレーナーのことはもはや忘却の彼方だった。

「えっと……ダイイチルビーさんですよね……」

「えっ!! 知ってたの!!」

 真顔でびっくり、耳がピンっと立ってしまう、顔を少し赤らめ照れるなぁと揺れる純朴さ。

「……前に、その、言ってませんでした?」

 大騒ぎだった「食堂乱闘事件」の切欠、やっぱり忘れていたヘリオス。

だがそこは気にしない

「そうだったけ!! でもそうなんだよね!! ルビーちゃんのことが大好きなんだ!!」

 同期で激しいレースをした仲間という想いを隠すことのない愛情として語るヘリオスだったが、そこまでいったところでテンションが落ちた。

「うーん、でもね最近ルビーちゃん元気ないの」

 耳までペシャント倒れるほど落差の激しい感情の中で、ヘリオスは本当に寂しそうだった。

 ライスシャワーはダイイチルビーが最近良い成績を残せていないことを知っていた。

「……辛い時は走れなくなる時もありますよ……」

「そうなんだよ!! ルビーちゃん辛い想いしてるぽいの、だから今日は励ましてあげたいの」

 友達想い。

 ライスシャワーはヘリオスのことを現実的には苦手なタイプとしていた。

 自分の主張を時間も場所も心得ず、次から次へといい飛ばし、勝手に何かを決めて走り出す。

 まったく予定にないことをし、計画など皆無の行動はライスシャワーにとって異次元の生き物を見ているようなものだったが、だけど本音の部分を隠さないから彼女の優しさもダイレクトにわかってしまう。

 少し羨ましいとも思っていた。

 自分ももう少し素直で保偏諱の言葉を普通に言えたらと。

「花でも買いますか?」

 今日の肉体労働で得たお金で花束は素敵かな、ライスシャワーは普通を考えたがヘリオスの激励はそんなものではなかった

「もっともっとだよ!! もっと大きいことするの!! ライスちゃんもてつだってね!!」

 言うやバネのようにビョンと立ち上がり、隣に転がっていたパーマーを揺さぶった。

「パーさん!! パーさん!! もう2時だよね!! そろそろだよね!!」

 揺さぶられ、待ってましたと飛び起きるパーマー。

「そだよぉ、ダイちゃん!! 時間だよぉ時間ぅん!!」

 ポンポンをかぶった頭のままムッくと立つパーマー、ヘリオスはライスシャワーの手を引いて

「さあ行こう!! ルビーちゃんのために!!」

 何が何だかわからないまま突然の疾走。

「あの!! あの!! イクノディクタスさんがここで待ってろって……」

「いいのいいの!! 今日はこれからメインディッシュだよ!!」

 食べ物? 困惑の渦が拡大する中ライスシャワーはひたすらに流されていた。

 

 

 

 

「危ないことはしない……させないというのが僕の基本方針なだけだよ」

 トレセン学園正面広場。

 外郭につながる広場の一本道に出店が並んで建てられ、奥へと続く形となっている。

この広場の向こう側で今現在開催されているイベントは「ダートウマ娘」による公開練習である。

「聞いてるのかい? ツインターボくん」

「聞いてるよ……もうちよっと離れて歩けよ」

 耳にイヤホンで「ウマ娘スピード体験会」のサポート、手には今日の収穫であるキーホルダー。

 しっかり祭りを満喫しているツインターボ、トレーナーは彼女の後ろをついて歩いていた。

「なんでライスと一緒じゃないんだ、きみといるという話しだったのに」

「イベントを楽しんでるさ。ていうか……ちょっとここに座ろう」

 軒店が並ぶ道、少し入れば街路樹が並び間にはベンチもある。

 少しの休憩にはもってこいのベンチの端にツインターボは座り、反対の端に座れと指差し指示する。

「あんま近くに座るなよ、変な噂建てられたら嫌だからさ」

「君とどんな噂建てられるのさ……たく……、むしろ僕が嫌だよ」

「なんだと!! 俺だって可愛いからさ、困るよ!! こんなおやじなんてさ」

 ほのぼの感のない会話にトレーナーは本気でイライラしていた。

 何しろライスの近くにいられなくなったのは前回のレースの頃からだ。

 意図的に引き離しをされているというのはチームに入った頃から感じていたが、ことさらべったりするのも立場上できず今に至っているのがもどかしいのだ。

「今後物事を決めるのに「勝負」とかはしない、先にはっきりいっておくから」

 ひんまげた口のトレーナー。

 前回のレースの時、ライスシャワーに付き添いアドバイスをしようと考えていたのにできなくなった。

「今回は半分が出るんだアドバイスするならみんなにしてくれ」

 もっともな意見をいうツインターボに気押された。

 実際に勝ちを持ってきた相手を足蹴にするのは難しい、あれよこれよと言い訳を繕おうとしたが相手の方が上手だった。

「わかった勝負しよう、勝ったら何も言わなくていい。負けたら俺の言うこと聞くだけ」

 目の前にあったのは人参スムージー、のピッチャー版。

 ラーメン屋にある「お水はご自由に」でおなじみのポットサイズのアレ。

 ここでトレーナーはしくじって負けていた。

 レース直前の勝負にスムージーはさすがにやばいし、量がまずヤバい。

 だが勝負師であるツインターボに合わせて「やってやろう」と息巻いてしまったのが間違いだった。

「俺は今からレースがあるから無理なので招待選手を呼んでいる。ベストを尽くしてくれ」

 トレーナーVSオグリキャップ。

 どう考えても無理な戦い、見るなり「ダメだろそれ!!」と声を出してしまったトレーナーにオグリキャップは強く拳を握って。

「ベストを尽くす!! お互いに頑張ろう」と握手を迫られ、結果は惨敗にしてトイレに引きこもりコースという無残なものだった。

「あんなひどい勝負……本来なら無効だよ無効」

 念を押すほどの辛酸苦痛な思い出に、思い出し笑いを少しだけ見せたツインターボはパリっと態度を変えて返事した。

「そういう話はしねーよ。話したいのは米(ライスシャワー)のこと、それとあんたのことだ」

 声を尖らせていたトレーナーに、すっぱりとツインターボは斬り込んでいた。

 横並び、間に2人は座れるだろうベンチの端と端で空気が凍る。

「なんのことだい」

「それはこっちのセリフだ。あんたはなんで米を走らせようとしないんだ。なんで止めるんだ、理由を教えてくれ」

 睨むツインターボ、顔をそらすトレーナー。

 大人の思考でトレーナーが逃げを打とうとしているがバレバレだ、年若なツインターボにもわかるほど。

 それほどに背中を丸めて顔を隠している。

 だからなのかツインターボは機会を逃さず、ズバズバと発言していった。

「別に良いんだけどさ、このままならあんたウチのチームやめてもらうぜ」

「何を……トレーナーがいないとレースに出られないよ」

「問題ないよ、戻ってくるさチーム・アンタレスの正規トレーナーの「さっちゃん」が」

 思い出させられたという顔、目が泳ぎ強めの言葉を選んで返す。

「……そうかい、だったらライスは」

 

「米はうちのチームの一員だ。あんたに渡さないし、あんたが連れていく権利もない。臨時トレーナーさん、あんたそういう扱いだったよね」

 

 小娘にしてやられた感。

 急に怒りが上乗せされ強張った顔がツインターボを睨んでいた。

 こんな策士だったとはという驚きに立ち上がる

「ちょっと待て!! 立つなよ……怖いから」

 拳を震わせ立ち上がったトレーナーに、ベンチから中腰一歩引いて両手を前に止まれとポーズするツインターボ。

「……怖いよ、……大男、だけどそんなに米が大事なら……とにかく座れよ……」

 トレーナーは我に返った、相手はウマ娘とはいえ少女だ。

 生意気な口を聞いても子供で、暴力に訴えるようなことは絶対にできない。

「すまない……つい……」

「おお俺も言い過ぎ……いや俺はちゃんと言ったぞ。で、どうなんだよ。ていうか聞かせてくれよ。なんで米をレースから離そうとするんだよ」

「離したいわけじゃない、でもダメなんだ。今のままライスが頑張ってしまったら……きっと悪いことが起こってしまう」

 脱力し滑るように座ったトレーナーに反し今度はツインターボが立ち上がっていた。

「悪いこと……だったらなおさら教えろよ!! 仲間ことなんだ、大事なことだろ。あいつはすごいやつなんだろ、レースに出ないなんてもったいないだろ」

 素晴らしい素質を持つウマ娘。

 言われなくたってトレーナーには分かっている。見て知ったツインターボはまだそこまでを見ていない。

 でも感じている、「走りたい」という気持ちを。

 肩を押されむ、答えろと迫られるトレーナー。

俯いたままだ。

「なあ、教えてくれよ。助けになれるかもしれないだろ。それにさ俺は見たいんだよ!! あいつの本気を、米の本気に俺が勝負したいんだ!! たのむよ……教えてくれよ」

 メガネの奥は少しだけ水色に光、声は少しずつ小さくなって、互いの感情がピークを通り越し2人は静まっていた。

 トレーナーの顔を流れ汗とも冷や汗とも取れる雫、立ったまま黙って視線を打ち付けるツインターボ。

 ベンチで祈るように腕を前に重ね背中を丸めていたトレーナーは、何度か首を振りやっと顔を上げた。

「わかった……話すよ」

 観念した顔は深く息を落として、いつも腰につけている巾着袋を持って中身を見せた。

 

 

 

「ケイちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 ダイタクヘリオスの大声は軒店を楽しむ客の視線を一斉にあつめ、呼ばれた彼女の顔を真っ赤にしていた。

 呼ばれた彼女の制服は緑色、スカートは長めでレトロセーラーのような趣。

「……馬事公学園(ばじこうがくえん)の制服」

 後ろをついて走ってきたライスシャワーはその制服が意味するのを瞬時に悟っていた。

 トレセン学園とは違う、レースはやらないウマ娘の学校。

 ウマ術ことバ術専攻する馬事公学園。

 英国式に米国式、ウマ娘文化の深い国では国家元首を前に儀仗隊としてウマ娘が参加する。

 特に英国式は、隊バ術的要素を持ちながらも近年は優雅さが大きなポイントとされ、オリンピック種目にもなっている

 競技正装はロングドレスにつば付き帽子、胸元を飾る花など優雅で優美な衣装。

 英国女王の御前にての競技では拝謁と深いカーテシーを合わせるなど、宮廷ロマンスを絵に描いたような図に女性に人気の高い競技であるが、日本では今ひとつ人気がない。

 レースのように瞬発力のあるエキサイティングな部分が少ないからとも言われるが、一番の問題は第一専攻でこの学校に入るウマ娘が少ないということ。

 生徒の多くがレースによるなんらかの疾患や力不足を露呈し挫折の果てに来るが、なおも競技の世界に留まりたいという思い故の受け皿化しているところにある。

 学園自体に少し暗いイメージを付けられている感はあるが、学園長ウマ娘ウラヌスはそれでも花のある世界を目指すウマ娘たちに広く門戸を開き、怪我からの回復やリハビリテーションにも積極的に携わり、中央トレセンと姉妹校として遜色ない業績を上げている。

 そんな学校の制服を着た相手をライスシャワーは覚えていた。

 一昨年怪我でトレセン学園を去ったウマ娘。

「ケイエスミラクルさん?」

 相手を確かめるように見るが、お構いなしのヘリオスは少し引いてしまっているケイエスミラクルの両手をとってブンブン振って大喜びを体いっぱいで容赦なく示していた。

「久しぶり!! ケイちゃん!!」

「うわぁ……、久しぶりヘリオス……って声大きいよ。ていうかなんでここに?」

 馬事公学園のギャリソン・キャップ、深い黒みにほのかな赤の髪はショートボブ。

一見するとバスガイドさんにも見えそうな小柄な彼女はかなり嫌という顔を表に出していた。

「なんでヘリオス? 今日ここに来るのを伝えたのはルビーちゃんだけなのに……」

 わかりやすい苦手意識、何歩も下がって距離を取ろうとする相手に、我感ぜずで矢継ぎ早な挨拶のヘリオス。

「こっちはね、パーさん!!」

 相変わらず赤いポンポンを頭にかぶったままのメジロパーマーはにっこり。

「わぁぁい!! 元気してたぁ?」

「しっているよ、久しぶりパーマー。私はまあまあ元気だよ」

 次は一歩引いた位置に立っていたライスシャワーの手を引く。

「でもってこっちはライスちゃん!!」

「……あっ、あのライスシャワー? へぇ、初めまして」

 ひっぱり出されたライスシャワーに、ケイエスミラクルは興味津々という顔をみせる。

一方でライスシャワーの方は顔をうつむかせていた。

「あの」などと形容される時は良いことがない、きっと悪い噂の方で知られている。

「初めまして……」

 目を合わさない、帽子に顔を隠したライスに、ケイエスミラクルは声を弾ませて手を取った

「春のレース見たいよ、すごいねあのマックイーンを刺すなんて!! 私も一度はああいう勝ち方したかったな。後ろからとドーンと!! 私と変わらないぐらいの身長なんだね。なんだー、すごいなー」

 暖かい、驚いて顔を上げてしまった。

 本気の目が本当に羨ましいと微笑む。

「きみは本当に強いよね、頑張ってね。次のレース楽しみにしているから」

 本当はレースが終わった後、悲嘆にくれた時も仲間のウマ娘はみんな褒めてくれていた。

 なぜあの時は賞賛の声が聞こえなかったのかと自分を疑うぐらいに目の前の相手、ケイエスミラクルの何気ない笑みの向こうに、やっとそれを思い出していた。

「あっ……ありがとうございます。でも私……もうあまり」

「あまり? レースでないようにしているの?」

「いいえ、その……」

 答えにくい、レースが好きだけレースに出ることの意味がわからなくなっていた。

 どうしていいかわからない迷いの中にいる。

「どうしたら夢を壊さないようなレースができるのかって……変な悩みですよね」

 帽子に隠れる顔、ケイエスミラクルはハッとしたような目を見せていた。

「夢を壊さない?……それは……してい……と……」

 シリウスとの会話で付けられた傷のせいで、勝利を喜ばれて期待されても良い答えが出せないとうつむくライスに何かを言いかけたケイエスミラクルの声はかき消される。

 大音響は響き渡っていた。

「さあ!! 行くよ!!」

 次の瞬間ケイエスミラクルはメジロパーマーに軽々と持ち上げられ、体験会のカゴに乗っけられていた。

「ちょっと!! 何してるの!!」

「ス◯ライトだよ!!」

 どういう絶叫? クラクラする返答のヘリオス。

「はぁああ? 炭酸が何?」

 

「サプライズ〜だよぉ!!」

 

 ヘリオスを訂正するパーマー、だが行動は止まらない。

めまぐるしいセリフ合戦も添え物だ、2人は走り出していた。

「どこ行くの!!」

「レースするんだよぉぉぉぉん!!!」

 猛ダッシュのヘリオス、息を合わせ後ろを走るパーマーは呆然とするライスシャワーに手招きする。

「早くぅ早くぅ!! 追って追ってぇ!!」

 お祭り騒ぎの超特急は止まらない。

 ライスシャワーは呼ばれるままついて行くだけだった。

 

 

 

「……なんて言えばいいのかしら」

 ダイイチルビーはいつも一緒にいる取り巻きと離れ学園前に立つ銅像の前にいた。

 今日、親友のケイエスミラクルが来る。

 久しぶりの手紙で「会いたい」とかかれていたことで熱発しそうになった。

 大事な親友だった彼女がこの学園を去って以来のことに、動悸は逸るばかりだ。

美麗な黒髪の下で整えられた眉がハの字に下がる。

「最近レース出ていませんから……きっと怒りますわよね」

 ケイエスミラクルが故障してレースを去って以来ダイイチルビーのレース成績は良くなかった。

 心を支えてくれた友達が目の前から消えてしまったのは辛かったのだ。

「会ったら、叱ってくれる? それとも呆れる? ……あなたからいろんなことを聞きたいわ」


 髪が揺れる静かに、美しい彼女をより美しく見せるさやかな風に感謝祭に来た客は……ビビっていた。

 まっすぐこっち向かって来る暴れウマ娘の神輿に。

「なんだあれ!!」

「ひゃっほぉぉぉぉぉぉぃ!!!」

 佇むダイイチルビーの前を豪速球のようにお祭り超特急が駆け抜けていく。

 待ち望んだ親友の顔が、驚きと戦きに歪んだまま

「ルッルッルッルッルルビーちゃんんんんんんん!!!」

 過ぎ去る画面、溶けそうな絵の中にケイエスミラクルを確認するも、あまりの再会に言葉も出ない。

「……何? 今の何?」

 駆け抜けた何かに放心、そして電気走る背筋。

「……ヘリオスぅぅぅぅ!!! 何をやっているのですか!!」

 涼しく装っていた瞳が鋭く尖ると、大地を突き刺すような足音が響く。

 大切な友人をさらったヘリオスへの怒りが一気に噴き出していた。

「昨日は手紙を盗み見したうえに、今度はなんなのですか!! 一体一体一体なんのつもりなんですの!!」

 感動の再会を期待していた、レース成績の良くない月日を過ごしていたけど少しでも良い雰囲気で再会したかった。

 髪も整えたし頭絡も真新しいくもシックな黒とワンポイントの赤を誂えてきた。

 あの時と変わらない綺麗にしている自分を見て欲しい、そして甘い言葉で……

「台無しですわ!!!」

 遠くを走る2人組、遅れて後ろをはしるライスシャワー。

 パーマーの赤いポンポンのせいで蹴り癖注意のリボンに見えてより一層怒りの火に油を注ぐ。

 自分の想いを蹴られた気分で。

「せっかくの再会をなんだと思っているのぉ!!」

 長らく本気になれなかった脚。

 それが今爆発的な走りを見せていた。

「ヘッヘッヘッヘッリオスゥゥゥゥゥゥ!! なんだってこんなことをぉぉってルビーちゃんはぁ」

「ルビーちゃんはどこー!!」

 さっき通り過ぎただろう。

 聞かれているのに聞き返す、マヌケにも大口開けて全速力だ。

 意中のダイイチルビーはさっき通り越しただろJK。

 みんなして銅像前でモジモジしていた彼女の前を通り過ぎてきたのだから、なのに突っ込み不在のこの集団。

「ヘッヘッヘリオスさん……ダイイチルビーさんは……後ろに……」

 ウマ娘攫い集団の唯一の良心とも言えるライスシャワーの声は小さすぎて静止には及ばない。

 なんとか止めようと手を伸ばすが、2人のスピードはなかなかに早い。

 2人でトウカイテイオーを邪魔したと言われる、有馬記念がごとく息の合った雲助ぶりに驚くばかり。

「じゃあ僕が1番!!」

「あたしちゃん2番!!」

 意味不明。

 勢いはそのまま校庭を突っ切り、休憩に入りダート整備を始めていたダートウマ娘たちの前を横切りトレーニンググラウンドに突入していた。

 砂煙り上がる灼熱のレース始まる。

2人を追ってライスシャワーもコースへ、後ろからはダイイチルビーが突入。

そこで止まればよかったが、この騒ぎは大きかった。

 校庭を横切ったところで、イクノディクタスに見つかり、同じく風紀委員長バンブーメモリーにも見つかっている。

 挙句は学園前庭から騒ぎを聞きつけたサクラバクシンオーも警笛のような声をあげながら突進してきている。

 これほどにウマ娘が乱入すれば、当然模擬レースを終えグラウンド整備をしていたウマ娘たちにも見つかってしまう。

 整地したばかりのコースへの乱入者に、黄色い声の集団が足を追いかける。

「何してやがりますか!! せっかく綺麗にしたのに!!」と。

 複数のウマ娘が走り出せばそれはレースだ。

ましてや校庭を突っ切りレースコースへと突入、オーバルを走り始めれば観客が集まるのも無理はない。

 騒ぎの超特急が連れてきたお祭り騒ぎ。

 観客たちの大移動も伴い学園中に行き渡る事件に変貌しつつある。

 神輿に乗せられたケイエスミラクルは落とされないようにヘリオスの頭を掴んで怒鳴っていた。

「だから!! なんでこういうことするのかな!! 大騒ぎになってるじゃないか!!」

「お祭りだしね!!!」

 まったく堪えてない。

 この後どうなるかなんて蚊帳の外だ。

「もう……どうしてヘリオスはいつもおかしなことするのさ……」

「おかしくないよ!!!」

 わざわざ愛しのルビーちゃんに会いに来て騒ぎの主人公になるなんて、ケイエスミラクルは怒っていた。

 ヘリオスの髪を引っ張って無理やりにでも止めてやろうと吠える。

「止まれ、止まってヘリオス!! なんでこんなことするのか聞かせてよ!!」

 

「ルビーちゃんが!! ケイちゃんとまた走りたいって!! だからレースするんだよ!!」

 

 息が止まる。

「また一緒に走りたい」

 何度もの手紙のやり取りで互いが交わした一番多い言葉。

 ヘリオスは毎度の盗み見の中でその部分を強く印象に無残していた。

 どうしても2人をレース場で走らせたかった。

 ケイエスミラクルは上がりきっていた高ぶりの中で初めて今自分がどうなっているのかを知った。

 レース場だ、かつて走ったあの景色が重なっていく。

 200メートルを切ったサーキットストレート。

 左足から体に走った激痛で、背骨を渡った激痛の電撃でポンっと体が弾けた。

 あの日ダイイチルビーと一緒だった。

 1番人気を取った自分に……

 

「お待ちなさい!!」

 

 4コーナーを曲がるところで彼女の特有の気合、啖呵を切ったあのセリフが聞こえて。

ほんの一瞬だった、弾かれたまま力の行き場をなくし落ちていく自分を突き抜けて駆け抜けて置き去りにした彼女。

「ルビーちゃん、ルビーちゃん……」

 背中に手を伸ばしたまま幕を落とした。

 終わってしまった。

 神速を楽しむレースには出られない体になってしまった。

 もう2度とレースというステージで彼女に会う事はない、ない、ない、はずだったのに。

 なのに今、ダイイチルビーがあの頃のように自分を追いかけている。

「ヘリオス!! お待ちなさい!!」

 いっぱいの涙が溢れ叫んでいた。

 ああレースだ、ここが自分の居場所だった、変わらない仲間のいる場所だったと喉を詰まらせた声で。

 

「走って……もっともっともっと……もっと!!!」

 

「任せて!!!」

 ヘリオス爆進。矢となって走る。

 ダイタクヘリオスは愛しい人との間に入るお邪魔虫。

 彼女のいうこと大嫌いだった。

「頑張って走ると、ルビーちゃんが好き好きって追いかけてくれるの!!」

「私もっともっと走りたかったよ!! こうやってルビーちゃんが好き好きって追いかけてくれるレースを……したかったよ!!」

 空を仰ぎ走り行く愛情。

 学園を巻き込んだレースは大いに観客を沸かせ、関わった全てのものがバンブーメモリーに雷を落とされた。

 

 

 

 正座させられ大目玉を食らうヘリオスとパーマー、責任者として連座のイクノディクタスという図の中から「制止」を叫びながら走っていたことが考慮されライスシャワーだけ説教から1抜けしたところで、ケイエスミラクルが声をかけていた。

 レースが終わったところでダイイチルビーはヘリオスへと勇み足で突っ込んでいたが、ケイエスミラクルに止められていた。

「今日は……ねっ、ゆるしてあげてルビーちゃん」

 泣きはらした真っ赤な目は、2人とも同じだった。

 走っている自分、追いかける彼女。

 忘れていた情熱にまみれた疾走だったのだから、ケイエスミラクルの制止がなくてもヘリオスに張り手を食らわすつもりはなかったダイイチルビー。

「わかってる……今日は……許すわ……、許してあげるわよ、バカヘリオス」

 バンブーメモリーの唸る竹刀を横目に疲れ切って大口開けて、目を開けたまま寝るヘリオスと赤いポンポンで目隠しして寝むるパーマー。

 2人揃って大口開けて魂出切ったかのような顔が幸せそうで、イクノディクタスの額の血管が切れそうである。

 ただ一人叱責に耐え、限界値を超えつつある上がりっ放しの目で噴火寸前。

 とにかく修羅場から離れたところでケイエスミラクルはライスシャワーを捕まえていた。

「ライスシャワーさん、私は、私が思うに夢を壊さないレースなんてないものだと思うんだ」

 突発的な声に戸惑い、抱えていた思いを素直に答えてしまう。

 

「……それでもライスは……人の夢を壊したくないんです……」

 

「……優しいね、だからこそ聞いてほしい」

 疲労が体を支配し始める時間。

 色々な出来事に揉まれ少しだけさらけ出されていた心にチクリと痛み、いつものように顔を伏せ逃げてしまいそうなライスシャワーを、本心を逃さぬようにケイエスミラクルは素早く掴み取る。

「君の見る夢と他のウマ娘が見る夢は一緒じゃない、君に夢見る観客が他のウマ娘に見る夢とも違う、だからどうしたって夢は壊れちゃうものなんだよ」

 わかっていた。

 うつむき口をつぐむ、それでも「夢が壊れたところを見れば」辛くなってしまう。

 あの時も、あの時も、三冠も三連覇も。

 顔を隠してしまう。

 自分に対する罵詈雑言より、叶わなかった夢を嘆く人たちを見るのが一番怖かったと痛感するライスに彼女は赤裸々に自分の想いを告げていた。

「実際私の夢は壊れてなくなっちゃった。でもね……でも私たちの夢って平たく言えば「誰よりも早く走りたい」って事だと思うんだ。私の夢は消えたけど、ルビーちゃんや君や……ヘリオスがまだ走ってくれる」

 ケイエスミラクルはダイイチルビーの手を取り、同じようにライスシャワーの手を取った。

 「夢は壊れたりしない。2人が、私が願った夢に同じく走り続けてくれるのだから私の夢は引っ張られて連れて行ってもらえる、そう思うんだ」

 沈んでいた顔、上げた先には新しい涙で頬を濡らしながらも優しく微笑むケイエスミラクルがいた。

「後悔しながらなんて止めて頑張って、私は君の夢を応援するよ。ルビーちゃん、ルビーちゃんもいつまでも後ろを見ないで、前を見て走って、もっともっと走ってね」

 ダイイチルビーは自分が甘えたかった事を恥ずかしく思った。

 まだ走れる自分にケイエスミラクルの夢が託されている事に気がついて泣いた。

「かんばる……頑張るわ、私のために貴女の夢のためにも……」

 夢は繋がっていく、大きな夢も小さな夢も平らに直せば「走りたい、だれよりも」になるのだろうという言葉はライスシャワーの沈んでいた勝利への「意味」に火をつけていた。

「……ありがとうございます。ライスも頑張ります」

 ケイエスミラクルの微笑みの涙はひび割れていたライスシャワーの心に深く浸み込んだ。

 

 

 

 




 トレセン学園ファン感謝祭・前日譚だったり中日だったり後夜祭だったり


 その日ライスシャワーは自室に閉じこもっていた。
 G3オールカマー以来、チームの活動に参加していなかった。
 授業が終わるや廊下を一直線に走り自室へと駆け戻るようにしていた。
 レース1週間後が感謝祭という過密スケジュールだった事はともかく、色々な事に傷つき誰とも会いたくなく話もしたくないという時間を黙々と過ごすためだったが。
「……ライスはもう学園にいられなくなっちゃうのかな?」
 チームから出てレースに参加しないのならば学園にはいられない。
 窓から覗く世界。
 学園祭前を楽しむ仲間達、出店の支度にダンボール箱を山で運ぶ子もいれば、焼物機の点検に目を光らせる子もいる。
「……楽しそうだな……」
 外の喧騒はそこかしこに黄色い声の花を咲かせ否応無く盛り上がろうとする勢いを感じる。
 あの中に何も気負う事なく入っていける勇気があれば、自分も少しは変われたのかもしれないとため息。
 椅子に座り白紙のノートを前にぼんやりしていたが、気がついた用にドアの側を見る。
「今日は……こないよね」
 実は前日までここも静かではなかった。
 レースが終わった翌日、ライスシャワーは体調不良を理由に自室で泣いていた。
 どれだけ泣いても枯れない涙に、少々自分自身うんざりし始めた頃にそれはやってきた。
「ラーイースちゃーん!! あそびーましょ!!」
 子供か?
 にしては大声だった、おそらく寮のいたるところに響いたであろう声。
 泣き疲れ立ち上がっていたライスシャワーも思わず耳を伏せてしまう大音量の声は、例の2人組のものだった。
 魚眼から覗かなくてもわかっている。
 メジロパーマーにダイタクヘリオス、チーム・アンタレスの、いや学園で言うバカコンビが2人並んで手をつないで揺れながらドアの前で自分の名前を連呼している。
 長い廊下が程よく筒の役目を果たし、2人の声はよく響いていた。
 たまにトーンを変えたり早口合戦みたいにして名前を連呼する2人にライスシャワーは沈黙を守った、耳を塞ぎ嵐が通り過ぎるのを待った。
 小一時間ほどこの合唱は続いて、当然だが誰かに注意されたのか2人は去っていったがこの災難は昨日まで続いた。
 大声を出して周りに迷惑をかけて、2日目には突進してきたシンコウラブリイに噛みつかれ、3日目にはゴールドシチーに目覚まし時計を投げられ、4日目にはナカヤマフェスタに横から思い切りドロップキックを食らわされる2人。
 2人が来るだでも大騒ぎなのに、2人のせいで別の誰かが接触し二次災害を引き起こし大騒ぎになるのはさすがに堪えた。
 幾ら何でもと思った5日目も……来ていた。
 これ以上迷惑が拡大するのは恐ろしい、揃ってドアの前にたった2人に少しだけドアを開けて挨拶した。
「あの……おねがいですから1人の時間をください……おねがいですから周りに迷惑かけないでください」
涙目の懇願をする羽目に、当然ドアの向こうには他のウマ娘がおり、この成り行きを見ているという恥ずかしさ。
 とにかくライスの懇願を理解したのか今日は久しぶりに静かだ。
「ライス……なんか疲れちやった」
 実際疲れた、泣く事で自分のために費やしたいと思った時間をバカコンビに潰され明日は感謝祭というところまで来ている。
 周りの浮かれ具合の中、沈もうにも沈まず宙ぶらりんになった心を抱いたまま、疲れたとため息ばかりが溢れる。
「そうだ……ニンジンミルクティーが欲しいな……」
 癒されたい、そう思った時新たなる嵐はやってきた。
 「開けろ!! 米!! 俺だ!! こないだの件で話がある!!」
 ツインターボだった。


「あわあわあわあわあわあわ……どうしたらいいの?」
 突発的に訪れた嵐は、突然来て突然行動して突然倒れていた。
「開けないのなら突破するからな!!」
 有言実行、言葉の後にやってきたのはドアにぶつかる大衝撃、そして沈黙。
 そっとドアを開けたライスシャワーが見たのは額に特大のたんこぶを作り目を回してぶっ倒れているツインターボだった。
 廊下には誰もいない、今の時間いるわけもない。
 感謝祭の前日だ、祭りの支度に追われこんな時間に寮に戻っている生徒などいない。
 大の字に倒れているツインターボをどうしていいのかわからない。
「どっどっどっ……ライスどうしていいのかわからない……」
「おっ…おおぉ、いたんかよ、早く……ドア開けろよぉ……お前……」
 メガネの下で泳ぐ目のツインターボ、本当に遠慮なく突進したのだろうドアの中程が凹んでいるのだから。
「あの……今だれか呼びますから……」
「ごめんな……」
 背中を向けて保健室へと向かおうとしたライスシャワーの手をツインターボが掴んでいた。
 全力衝突のせいか、いつものような強引さはなく弱々しい掴みで。
「レース、お前も頑張ったんだよな……そうだよな、わざと負けるなんてできないよな俺たちウマ娘はそんな事できない。うん、わかっていたけどさ……ごめん、自分勝手な事を言った」
「あっえっと……ライスは何も怒っていませんよ」
 レースの最後、最後まで全力で走ってこなかったように見えてしまった。
 ライスシャワーの中では全力を尽くして負けたレースだったが、勝ちに慣れないツインターボにとっては最後の直線は疑心のもとになった。
 勝手に描いた勝利の図で、勝ったのに疑心暗鬼になって。
「なんでライス責めるのよ。勝ったのに余裕なさすぎでしょ。部長が悪いんです!!」
 イクノディクタスに言われ反省した、そこに至るまで5日かかったが思い立ったらすぐに謝りたい。
 ライスシャワーの困りながらの告白に苦笑いのツインターボ。
「そっか……じゃあいいや。俺は一言謝りに来ただけなんだ……あぁぁ、まだ言いたいことあるわ。とにかくお前は負けたんだから……今度からはチーム行動には全部出るんだぞ……でもってぇ……」
 そこまで言い切ったところで気を失った。
 バネが伸びきって戻らなくなった体は力なくトロンと伸び、返事をしようと顔を見ていたライスシャワーは軽くパニックにならざる得ない。
「あっあっ……どっ……どおしたら……だれか……」
 結局ライスシャワーに迷惑をかけるツインターボ。
 結局は様子を見に来た馬鹿コンビに引きずられ保健室に行く事に。
 ライスシャワーはどっと疲れながらもこの6日間、初めてと言えるほど泣かなかった事に驚いていた。
 こんなに忙しさに忙殺されたのはいつぶりだろうと思いつつ窓の外を見ていた。
 学友たちが感謝祭のために忙しくしている姿で。
「そうか、感謝祭だものね……忙しくても仕方のない事だよね」と。
 少しホッとしていた。




 日頃レースを楽しみ、声援によって自分たちを推し支えてくれるファンへの感謝祭は明日と迫っていた。
「はあ……わたしったら何をやっているのかしら……」
 いつもはアップにしている黒髪を落とし、湯上りのほてりに両頬を手で隠したダイイチルビーは、寮内にあるソファーでため息を落としていた。
 明日は感謝祭、たくさんのファンを迎える採点に未だグラウンドの整備など委員会を中心としたメンバーが働いているのが見える。
 校舎に向かうメイン通りには軒店ようの電気配線が長〜い蛇のように引っ張られ、それぞに使う機材のチェックが行われている。
 明日は特別な日、特別なお客様を迎える。
 だから念入りの入浴をした。
 手紙のやり取りは多くしたけど別離以来の顔をあわせ。
 大切な友達が学園を訪れる。
 長い黒髪はしっかり保湿され潤いに満ちた輝きを惜しむ事なく見せている。
 長湯の成果にしっかり感100%が余計に恥ずかしい。
「2時間もお風呂だなんて……恥ずかしいわ、何よ、友達に会うだけじゃない」
 念入りのブラッシング、尻尾の先まで整えた身だしなみに苦笑い。
 着替えと一緒に運んだパスケース。
 オルテガ模様でターコイズの装飾が入るそれには大切な友達の写真が入っている。
「ケイエスミラクル……何を話そうかな……」
 久しぶりの出会い、ダイイチルビーはクスリと笑った。


 ケイエスミラクルがここを去って手紙が月一ぐらで届くようになった頃、ダイタクヘリオスは面白いことをしていた。
 毎日落ち込んでいたダイイチルビーだが、手紙が届く日には明るい顔を見せていた。
 ヘリオスはダイイチルビーの変化を見逃さなかった。
「ルビーちゃん!! 良いことあったの? どしたのどしたの?」
「ルビーちゃん!! 一緒にご飯食べよ!! でねでね!!」
 手紙が届く日は躍起になって近づこうとするヘリオスの目的はわかっていた。
 手紙が読みたいのだ。
 ケイエスミラクルが故障した時、彼女を最初に支えたのはヘリオスだった。
 ゴールを切ることなく片足を引き摺りながらスピードに引っ張られ、勢いのまま倒れそうだったケイエスミラクルをヘリオスは全力疾走で救出に向かい抱きかかえていた。
「ケイちゃん!! しっかりして!!」
 認めたつもりはなかったけど、ダイイチルビーにとってケイエスミラクルは大切な「友達」でヘリオスは「とりあえず友達」という関係。
 だがヘリオスからすれば両方とも大事な友達で、友達からの手紙はやっぱり見たい。
 あの手この手と手紙に近づこうとしたヘリオスは、ある日寮の屋上からダイイチルビーの部屋へとクライミングを敢行した。
 当然一人ではできないのでメジロパーマーと実行したわけだが。
 ダイイチルビーはその日も風呂上りで部屋に戻った。
 すでに開封し手紙は読んでいたが、フロから戻ってまた読もうと少なからず浮かれた気持ちドアを開けたところでキテレツな風景に直面する。
 窓の外に逆さになったヘリオスがガラスに張り付いて、デスクの上に置かれている手紙を読んでいたのだ。
「……何しているの……ヘリオス」
 突然のことすぎて固まってしまう。
 開いた口が閉まらないままだ
「あはぁ、ルビーちゃん!! ごきげんよぉ!!」
 すでに長時間逆さだったのだろう、ヘリオスの顔は真っ赤だ。
 相当に負担がかかっているだろうに、器用なことに窓から伸ばしたマジックハンドで複数枚の手紙を並べて読むという芸当をこなしていた。
「……へっへっ、このバカヘリオス!!!!」
 22時を越した夜、ダイイチルビーの怒声は響き渡っていた。


「ふぅ、ヘリオスも会いたいのかしら」
 雑草ヘリオスとは何度もレースをした、華麗なる一族の自分に肩を合わせる勝負をする彼女を世間は何時しか「ライバル」と言い出し、それに腹を立て邪険に扱ったが、心の底から憎める相手でもなかった。
 いつも朗らかなヘリオスが、ケイエスミラクルを失った後の自分を少なからず励ました。
 そう思うとヘリオスにも顔合わせをさせてあげたいと思ってしまう。
 明日会える、明日やっと久しぶりの友達に会える。
 軽いスキップで自室の扉を開けるダイイチルビーの前、ヘリオスが立っていた。
「……ここってわたくしの部屋ですわよね……」
 半開きの口で笑うヘリオス、硬直するルビー、次にあったのは張り手の音。
 イベントの前日、一時も気の抜けない気分をダイイチルビーは味わい、ヘリオスは改めて2人のためにサプライズをしようと意を固めた。



「イクノちゃん、今年もあれやるの?」
 早朝のチーム委員会に顔を出していたイクノディクタスに声をかけたのは「そよ風さん」ことヤマニンゼファーだった。
 ちょっぴり虚ジャッキーの彼女はスレンダー系のおチビさん。
 おでこまるだしのショートボブ、珍しいのか変わっているのか額にビンディのような白い丸があり顔もエキゾチック。
 別チームの彼女もチームリーダーとして委員会に出席していた。
「ゼファー……静かにしてよ、風紀委員長に見つかるとやばいんだから」
 ピーチク。
 小鳥のさえずりのようにライトな声に人差し指で「声チャック」の身振りを見せるイクノ。
 感謝祭の当日早朝、風紀委員長バンブーメモリーは燃えていた。
 勉強は苦手だが「秩序正しい学園生活」というものがレース成績の向上につながると考えている節があるほどに、風紀に熱心で今朝も非常召集をかけらチームリーダーたちは会議室に集められていた。
「問題のないよう!! 清く正しく美しいく感謝祭を成功させるぞ!!」
 一人で安全コールしちゃうぐらい、浮かれているのか熱に祟られているのかわからないが感謝祭成功のために目を光らせていることは確かだ。
「……あれをやるわよ……まったく、仕方ないでしょう」
「わはー、スーパーウマウマ号ね」
「今年はハリ◯テエ◯ジー号よ」
「楽しそう!!」
 あくびをしながらぞろぞろと会議室を後にするウマ娘たち。
 基本早起きなウマ娘たちだが、感謝祭前は準備に余念がなく遅くまで支度し起きてトレーニングの繰り返しになり軽く疲労している。
 ただ感謝祭はなんと言っても祭りだ、疲労も心地よい当日にイクノディクタスはヤマニンゼファーの口をふさぐとお米様抱っこでバンブーメモリーの視界から逃げる。
 聞き付けられては厄介だ。
「2年連続だと色々面倒臭いけどさ……うちのチーム欠員出てから向こう獲得ポイントジリ貧なのよね」
「あー、そうだったよね、年明けに去年入ったメンバー引き抜かれちやったんだよね」
「そそ……女王様に口説かれてさ……」
 チーム・アンタレスはライスシャワーが加入するまで、チーム存続の危機的状況にあったのだ。
 トレセン学園でのチーム成立単位は最低5人である。
 アンタレスも新人を合わせて5人という最低ラインを守ってはいたのだが、年明け1発目の模擬戦を見ていた「砂の女王」に引き抜かれていた。
「なんて言ったっけ? ピザちゃんだったけ?」
「うーん、そんな感じの名前だったような。バカでお調子者だったけど、どんなレースのスピード感もすぐに合わせられるっていう器用な子だったのよね。あーもう、まいったわよ。突然よ「あなたにはダートを走る類稀な才能がある、とても美しい才能を見せてくれてありがとう。私はあなたを咲かせたいと思うのだけど、その美しい才能を私に預けてみませんか」だってぇさ」
 砂の女王ことホクトベガの「女らしい」しなを作った声真似、その後の曲がった口。
「チームじゃないけどあそこは研修生やら地方推薦やらで人は足りてるでしょうに、こっちは人数ギリギリだっていうのに容赦ないわよね」
「あははははは、さすがの鉄の女にも止められなかったかぁ」
「才能の伸ばしどころを選ぶのは個人の自由だし、引き止めなんて時間の無駄でしょう。悔しいけどあの人の相マ眼は確かだし」
 春先に1人抜けた状態で、予定を入れていたレースだけはなんとかやっていけたが5月から向こうの予定は定員割れで入れられず、解散の一歩手前だった。
 解散しなくてもチームは残るが、レースで得られる獲得ポイントがなければ活動は難しい。
 国民的エンタテーメントであるトゥインクル・シリーズは基本的に勝っても賞金は出ない。
 代わりに得られるのは獲得ポイントだ。
 このポイントは勝負服の作成やチームの備品、遠征費に食事代に換金することができる。
 例外的に個人の都合を考慮してお金に変えることもできる。
 理由は生家への仕送りなどに限られるが、タマモクロスなどはそうやって実家の牧場に貢献している。
 ポイントを得るレースに出ようとするならばチームの頭数をそろえるのは必須だ。
 ギリギリのところでライスシャワーの加入を得てレースへの道は断たれなかったが、今年も勝ちに恵まれずチーム運営資金は潤沢とはいかない。
 小金を稼げる「出し物」をやるしかない。
「使える人材が少なくて、大変だねイクノちゃん」
「何気にひどいこというのね、まあそうよ。うちのチームは学園切ってのバカ揃いだしね。とにかく大変なんだから……ちょっとは手伝ってね。そっちは焼きニンジンの店でしょ、風紀委員長がどこにいるかって連絡だけくれたらいいからさ」
 あれをやるにはコース選びに慎重さが必要だ。
 まるでレースの先読みのようにね、そういうと2人は苦笑いを見せる。
「了解了解、お祭りは楽しくやらないとね。でもレースは負けないよ!! 私今度の天皇賞でるからね!! そっちからはライスちゃんと師匠がでるんでしょ」
「そうなのよね。部長は無駄に人気はあるのよね、無駄に」
 人気はあるツインターボ。
 もとより破滅的逃げウマ娘で芸人的パフォーマンスもできる彼女の人気は高かったが、今年はここまで重賞2つを勝っている。
 所謂絶好調で、ファン投票でも上位にランクされ天皇賞にでる。
「ライスちゃんもでるからダブルで入選したらいいね、1番は私だから2番と3番でバックダンサーとしてね」
 小さな人差し指を揺らしご機嫌のヤマニンゼファー。
 最近調子は上がってる良いレースを楽しもうという笑顔に軽口で応じる。
「ついでにバカ2人もつけてあげるわよ」
「やーん、あの2人背が高いから私が目立たなくなっちゃうよぉ!!」
「今日も目立つわよ、あのバカコンビは最高に良い奴なんだから!!」
 ちびっ子ゼファーの頭を押さえてイクノディクタスは開幕寸前の感謝祭会場へと走って行った。




「えっとぉ!! 整地が終わったんで休憩にしていいすか!!」
 どでかい声だった。
 まるで拡声器を耳元に付けられて声を出されたような気分、鼓膜の繊細な神経をピックで弾くような痛みを感じる。
 あまりのでかい声に整列したウマ娘たちがへし折れた電柱のように身をよじり耳を伏せ。
 目の前に座っていたシリウスシンボリもまた同じように耳を伏せ苦々しい顔を見せていた。
 シリウスは運営テント内に、面前には今日模擬レースに参加したウマ娘たちが返事を待っている。
「解散……自由にして良いんじゃないかな、私は別に寮長さんじゃないんだから」
 好きでここにいるわけじゃない、一刻も早くここから逃げたい。
 そもそも感謝祭に出る予定はなく昼まで寮内で過ごしていたシリウスだったが、昼のランチを済ませたところでホクトベガに頼まれていた。
 模擬戦の監督を。
 当初簡易テントの下でストップウォッチをカチカチといじって汗をぬぐうだけという仕事と考えていたが、思いの外忙しいうえに地方出身が多くひん曲がった方言で話も通じなければ、聞かん坊のウマ娘の多さにうんざりする。
 珍しく長い黒髪を後ろで一本に結い、首筋を涼しくしようとするほどの熱気のある秋を実感しながら昼間のホクトベガのいけ好かない態度を思い出していた。
 ホクトベガ曰く。
「日頃の感謝を込めて快く私を手伝ってくれても良いのですよ」と、優しいのに威圧的な目に押され、感謝祭名物の1つダートウマ娘と地方研修生による模擬レースの監督を任された。
 普段甲斐甲斐しく世話をしているのは「ただ」ではないことを痛感させられる目力に押された事もあるが、他にやることもないうえシンボリルドルフからもう1つの感謝祭名物である「リギルの執事喫茶」に呼び出されたが断る口実にもなったため良しとしていた。
「……感謝祭か……向こうでもよくやってましたね」
「まじっすか!! 欧州留学の話とか色々と聞かせてくださいっすよ!!」
 耳直の声に顔が歪む、というか音に押されるという経験を初めてした。
 壁が脳をプッシュするような声に目が尖る、前にいるのは小柄だがやたら声のでかいダート研修生。
 煙たいうえに近い。
「……君、顔近いから離れて」
「そんなこと言わないで話してくださいっす!!」
 この図々しさ、年下で活気のある少女たちは引き下がるということはない、むしろ解散を命じたのに誰も場所を動かず自分を見ているのに驚く。
「……えーと、君たちは何してるの? 解散して良しだよ、祭りを楽しんでおいでよ」
「祭りはいいっす!! そんなことより留学の時の話聞かせてくださいっす!!」
「……昼はまだだったでしょう、ランチにしたら?」
 煙たいどころではない、暑苦しいと手でシッシッと払う真似を見せる。
 見せて「嫌悪」を知らせないとこの手のタイプは下がらない、経験が教える方法で割り切った態度を示しているのに凹まない若者。
「大丈夫っす!! ランチはみんなでここで食べますよ!! シリウス先生も一緒して色々聞かせてくださいっす!! 海外の話聞きたいっす!!」
 ため息が出る。
 同時に嫌悪の最大級を食らわしてやろうと悪い顔が向き直る
「海外ね、そう……だったらホクトベガさんにドバイの話を聞いてからにして欲しいね。順番というものだよ、まずは君たちの「おねえちゃん」の話からだろう」
 もとより自分の話を聞かせるつもりはない、そのうえで無用に懐かれたり教示を求められるのも嫌だ。
 だから誰もが聞きにくいと考えるところを話題を投げてやればいい。
 ホクトベガのドバイレース。
 ある種タブーともされているだろう話を聞ける者などいないだろうという愉悦は、簡単にへし折られていた。
「それはもう聞いてるっすよ!!」
 真顔の生徒たちに思わず聞き返したのはシリウスの方だった。
「聞いてる? どうして?」
「どうしてって、おねえちゃんはその話は普通にしてくれるっすよ。事故にならないように体調管理は大事だって」
「はあ?」
 シリウスの驚きは正直な反応だった。
 あれは大事件だったし、事故の後ホクトベガは何年も日本に帰ってこられなかった。
 体を動かすことができない程、心身に深刻なダメージを負い長く意識不明の状態が続いたのだから。
「……事故の時の話もするの?」
「しますっす、あれは欲が出たとかって」
 深い、そんな言葉が出てくるなんてかなり深いところまでホクトベガが隠すことなく生徒たちに話していることが伺える。
 同時にホクトベガの大きさに苛立った。
 何かと大人な対応で自分を抑えている節があったが、事故のことを教育として他者に話せるなどなかなかできなることじゃない。
 ましてや経験としてこれを聞かせ、役立てろなどとは心に余裕がなければ無理だ。
 ジャージの襟首を解放、自分の中に溜まる苛立ちを熱気と一緒に逃がす。
「……そう、まあ私の話はホクトベガさんのもの程役に立つものはないよ、だから……」
「そげなこといわんでくだんせぇ!! シリウスせんせぇのお話ききたいんよ!!」
 方言丸出しの声が高く上がると整列していたウマ娘たちがズイッと距離を詰めてシリウスに殺到していた。
 午後2時を回ってまだ昼も食べてない集団ウマ娘が、食欲以上にガッツりと並んで話を聞きたいと叫ぶ図にシリウスは動揺し椅子から立ち上がっていた。
「先生とか言わない、私もただの生徒だ。話すことはない!!」
「なんでもいいっす!! 向こうでもやっていたっていう感謝祭の話でもいいっす!!」
「そうです!! 海外がダメならばダービーの時の話とか聞かせてくなしぇ!!」
 足を振るってなぎ倒しいしまいたい衝動に駆られるが、迫る生徒たちの純粋な目にさすがに回し蹴りは無理というもの。
「どうしてそんなことが聞きたいのかな、走る場所があれば海外だろうが日本だろうが一緒だろうに」
「それはそうですけど、おねえちゃん言ってたっす。シリウスさんは海外でいっぱい走ってきた人だから色んな経験を聞いて役立てるといいって、私は海外のレースで、母ちゃんの国とか行って海外のウマ娘と楽しく走りたいんす!!」
 満面の笑みが告げる「夢」に舌打ちと悔恨しか浮かばない、眩しい。
 これ以上この光に惹かれてはいけないという危機感から殺到するウマ娘を避けシリウスは立ち上がり、遠くから走ってくる生徒が見えてしまった。
「ピザちゃーん!! たいへーん!! ピザちゃーん!!」
 整地したばかりのコースわ横切る勢いは、入道雲のように立ち上る砂煙りでよくわかる。
 手を振り走ってくる少女の後ろに何かがいるが、まず振り返ったのはシリウスの真ん前を陣取っていた故郷に錦を願った「すっ」が語尾につく彼女だった。
「トラちゃん!! 私のことピザっていわないっす!! 私太ってないよ!! ねぇ私のどこがピザ豚みたいにみえるっすかぁ!! 私の名前はヴィクトワールピサ!! ピサだって!!」
 両手をフリフリ地団駄踏んで反論するピサは、砂煙りをあげて走ってくるトランセンドに拳を振り上げる講義の姿勢を見せたが。
「ピザちゃーん!! 大変なんだってば!!」
 注意など耳に届くはずもない、騒ぎは多くの人を引き連れグラウンドにやってきているのだから。
「トラちゃんんんんん反省してないっすねぇって……おわぁぁぁなんだあれ!!」
 怒りもあらわの拳を震わせるピサの前、トランセンドは叫び続ける。
「なんだか知らない人がグラウンドに!!」
 もうわかる、というかわかるけど何かおかしい。
 2人並列で真ん中にもう一人、カゴに乗せられたウマ娘の塊が先頭を走り、後ろにはそれ以外のウマ娘がそれぞれ何かを叫びながら走っている。
「あわあわあわあわ、なんてことするっすか!! せっかく綺麗に整地したのに!!」
 なだれ込む水のように大勢のウマ娘が整えられたグラウンドへと入り走り出している。
 シリウスの前に並んでいた生徒たちは気が治らない。
 せっかく綺麗にしたのに、ごはんもまだなのに、口々に雄叫びをあげて乱入の輩追って走り出した。
「なんなの? ああもういいですよ」
 とりあえず質問攻めから逃れたシリウスは、馬鹿騒ぎを遠目に見ながらこの場を離れるよう歩き出していた。
騒ぎにはもううんざりだ、ジャージも早く脱ぎたい、嫌気の溜まるこの場から人知れず消えて汗を洗い流したい。
 風を払いテントを出たところでシリウスは戻っきたホクトベガと鉢合わせになっていた。
 優しい嬉し目が休憩そっちのけで、整地したグラウンドを集団で騒音をあげながら走る姿を見ていた。
「止めないといけませんね」
 今更? 運営で今まで何していたかもわからない相手を避けるように寮へ帰ろうとして肩をすくめて言う。
「無理ですよ、あれはもう私のできる範疇を超えてますからね」
「随分と投げやりなことを言うのですね、あの子たちの質問にも答えないで」
 責めるような口調ではなかったが言葉でしっかり釘をさす。
「お祭りですからまあいいのでは、貴女には貸しにしておきましょう」
 勘に触る言い方だ。
 歯噛みした姿勢から一気詰め寄り襟首を掴みそうになった時、ホクトベガは柳のようにするりと避けて指差していた。
「貴女の意中の方も走ってますよ、どうせ止められないのなら貴女も一緒に走ってみてはいかがですか? きっと楽しいですよ」と。
 グラウンドの縁、少しだけ高くなったそこから騒ぎで始まったレースが見て渡せる。
 1番を走るおかしな神輿の隣、懸命に追随するライスシャワーの姿が見える。
 慌てているような、少し笑みを見せているような顔。
 さっきまで自分に話を聞かせてくれとせがんだウマ娘たちと重なり目を伏せる。
「……止めてみせますよ、前を走ることなんか不要ということを私が必ず……必ず知らしめてあげますよ」
 つめたい尖った声だった。
 シリウスは自分の声とは真逆で楽しい叫声が溢れる世界を背にしていた。



 
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