殺生院キアラは幸せな一生を送り、笑みを浮かべながら死にました。   作:赤目のカワズ

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狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり

 エミヤの死。

 それは、衛宮士郎個人の死とイコールではない。

 エミヤはもはや一個人の枠を越えて、概念そのものになりつつあったからだ。

 戦場を血で覆う死神。誰かにとっての希望。誰かにとっての悪。誰かにとっての正義。

 十数年に及ぶエミヤの戦いは、世界にその存在を刻み込んだ。それは、エミヤを支援する人々の助力も大きい。

 エミヤの正義は歪んでいたかもしれない。しかし、それでも確かに意味はあったのだ。救いはあったのだ。その正義の元に、名もなき人々は集った。

 エミヤとは、正義の味方を僭称する大きな群れだったのだ。

 

 

 それが、死んだ。全て死んだ。皆死んだ。

 エミヤシロウの死刑執行から一年、彼が育んだものは全て消え去った。

 エミヤシロウの人生は徒労に終わったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エミヤの死から時が経ち、俺はとある女と再会を果たした。

 熱砂集う中東の一国にて――ブロンドの髪がたなびく。

 トオサカ・リンは名うてのハッカーだった。或いは、ウィザードと称すべきだろう。女だてらに活動を続けられるのは、彼女が電脳空間に通じた特殊な才能の持ち主だからである。

 彼女は一匹狼だ。レジスタンス側に属してはいるものの、基本的に単独犯である事が多い。

 それにも関わらず彼女が中東の地に降り立ったのは、俺と似たような理由からだった。即ち、危機に瀕した一組織からのSOS要請である。

 

「酷い顔ね」

 

「お互い様だろう、それは」

 

 じりじりと照りつくような熱さが、体を苛む。

 苛むのは熱さだけではない。周りを見渡せば、血、怪我人、血、血、死体、怪我人。

 ここはこの世の地獄だ。エミヤの死から始まったそれは、疫病のように蔓延し始めている。

 

 エミヤの死とは、正しく総体としての死でもあった。

 衛宮士郎は死んだ。『彼』も死んだ。エミヤが愛した女も死んだ。

 エミヤを支援していたスポンサーも死んだ。エミヤと苦楽を共にした組織の人間は、全て死んだ。

 死んだ。死んだ。全員死んだ。

 もう、誰も生き残っちゃいない。

 レジスタンスにおける一大勢力の消滅は、世界に閉塞感をもたらした。世界は今、息苦しさを覚えている。管理社会の足音が聞こえる。

 始末の悪い事に、レジスタンス内部でのいざこざも多くなってきた。元々一枚岩ではない事もあり、もはや誰が敵か味方かも定かでない。

 

「正直、今でも信じられないわ。あんなに大きな組織が壊滅するだなんて……あー駄目駄目、現実を見なきゃ」

 

「……何故、『彼』はエミヤを裏切ったんだろうか」

 

「さあね? 当事者はもう誰も生き残ってないんだから、真相は闇の中よ。ビジネスパートナーによる裏切りだなんて、まあありがちな最後ではあるでしょうけど」

 

「いいや。いいや。そんな筈がない。ある筈ないんだ。『彼』はエミヤの盟友だった。『彼』が、エミヤを裏切る訳がない。きっと、何か別の理由がある筈だ」

 

 願望に近い推測を、リンは否定する訳でも肯定する訳でもない。ただ、言外にこう言ってみせるだけだ。

 現実を見ろと。

 

 キアラ君と別れた私は、すぐさまエミヤの元に向かった訳ではなかった。

 真に愛するモノのみを食む女――その治療を依頼されたのが理由だ。典型的な飢餓状態にあった彼女は、心を病んでいた。気が狂ってしまっていた。

『五停変生』――自作した精神治療用のプログラム――は正にこういう時にあるべき代物だ。だが、それでも彼女の心を救えなかった。長い時を彼女と過ごしたが、症状は一向に改善しなかった。

 

 

 

 いや……事実は、違う。

 本当は…………救う事が、出来た。

 少なくとも、彼女の偏食を止めさせる事は。俺はそれを可能とする術を、ずっと昔に体得している。

 しかし、私はもう決めたのだ。二度とそれを使わないと。使った所で、意味がないからだ。

 

 

 

 エミヤの組織がおかしくなったのを知ったのはこの時だ。失意の内に患者の下を去り、エミヤとコンタクトを取ろうとした時には、もう全てが遅かった。

 エミヤは既に囚われの身にあり、顔を合わす事も出来ない。『彼』はこちらの言葉を聞こうともしない。エミヤが愛した女も、組織の人間も、皆同じ反応だ。

 まるで機械と話しているようだった。誰も私の事を見ていない。一辺倒に私を拒絶するその様に、私は恐れを抱いた。

 そうして、エミヤはあっけなく死ぬ。稀代の英雄は誰に見送られる事もなく、あっさりと死んだ。

 私には、救う手立てがなかった。

 ただ、その死を見つめ続けた。

 

 

 いや……事実は、違う。

 本当は…………救う事が、出来た。

 エミヤを助けだす事は、可能だった筈だ。

 だが、俺は、しなかった。エミヤとの誓いを、裏切りたくなかった。

 それは今更浮かび上がった罪悪感と後悔だ。しかし、エミヤに、衛宮士郎に非難される事が恐ろしくて、私は何もしようとはしなかった。

 

 

 

「恋人を裏切った男を女が殺し、中枢の二人を欠いた組織は自然と空中分解した――筋道を立てるなら、こんな所かしら」

 

「そうだな」

 

「『彼』はどんな様子だったの?」

 

「分からん。ただ、何かに焦ってるようにも見えたけどな」

 

 リンの推測は、あながち外れてないように思える。事実、『彼』もまた、エミヤの後を追うようにしてその命を絶ったからだ。

 エミヤと『彼』を失った組織は、まるで燃え盛る火の玉のようでもあった。あるいは烏合の衆とも。

 誰も彼もが生き急ぐように戦場に飛び出し、誰も彼もがその命をあっけなく散らした。

 その理由もまた、定かでない。エミヤの正義のカタチ――それに殉死しようとしたのか。それとも、何か別の理由があったのか。いずれにしろ、エミヤが紡いできたものは、全て無価値となった。

 世界が、色褪せて見える。エミヤのいない世界は、古ぼけた絵画そのものだった。価値がない。

 

「息が詰まりそうね」

 

「ああ」

 

 暑い。ここは地獄だ。

 血、怪我人、血、血、死体、怪我人。

 病人。

 

「暑いわね」

 

「ああ」

 

 エミヤは――エミヤは、希望の轍となる筈だった。

 たとえ衛宮士郎が死のうと、エミヤという道は残る。その正義は間違っていたかもしれないが――全てを否定される程ではなかった筈だ。少なくとも、俺の正義なんかよりは、よっぽどマシだった筈だ。

 だが、エミヤは死んだ。全てを泡沫のようにかき消して。

 

「あー! もう! そんなんじゃ、あいつも浮かばれないでしょうが!!」

 

 リンの怒声が耳朶を打つ。

 

「元気出しなさいよ、先生!」

 

 リンは、俺は勿論エミヤとも知己の仲だった。小さい頃から知っている。

 彼女は強い人間だ。揺るぎない自らの芯を持っている。たとえ悲しみを胸に抱こうと、必ず前に進む事が出来る人間だ。

 それが酷くまぶしかった。

 

「……良い子に育ったもんだよ。俺が育てた訳じゃないが」

 

「ちょ、ちょっとちょっと……や、止めてよね。先生らしくないじゃない」

 

「俺も年とったんだよ」

 

 顔を赤面させるリン。

 しかし、彼女と穏やかな時間を過ごす事が出来たのも少しの間だけだった。

 それは、空を切り裂く雷のように。わっと湧き上がった悲鳴、怒声、絶叫。

 風雲急を告げる報せとは、何時だって突然舞い込んでくるのだ。

 

「ったく……最近ほんと多いわね、こういういざこざ」

 

「ここには子供も多い。ただでさえ酷い状況、怒鳴りあいなんざごめんだ」

 

 リンと俺は騒動の中心に足を向ける。そこには人だかりが出来つつあった。

 見れば、骨と皮だけになった老人が、男の足にすがり付いている。その顔は涙に濡れ、年老いた人間とは考えられないほどの激情が溢れていた。

 老人が叫ぶ。

 それは、あってはならない叫びであった。

 聞く筈のない名であった。

 

 

 

 

 

 

『誰か、誰か……殺生院キアラ様を救ってくだされええええ!!!!』

 

 その名前を聞いたとき、俺の人生は色を取り戻したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺生院キアラの名は私の動揺を誘った。

 何故、その名をここで。何故、君はここに。

 落ち着きを取り戻した老人から話を聞くと、彼女の正体はこの地に舞いおりた女神との事だった。

 

「いや、それは知ってる」

 

「ええ!?」

 

 老人曰く、殺生院キアラは暫く前からセラピストとして活動しているらしかった。

 慈愛に厚く、それでいて金銭を要求する訳ではない。正に聖者のような働きぶりだ。疲弊したこの国の人々にとって、彼女はちょっとした有名人になりつつあるらしい。

 しかし、ここは戦場でもあるのだ。治安も著しく悪い。見目麗しい女が一人で渡り歩くには無理が過ぎる。トオサカ・リンは例外だ。

 

「なんか今、すっごい馬鹿にされた気がするんだけど!?」

 

 案の定、彼女は盗賊達の視線を集め、囚われの身となった。

 今や生きているかすら定かでない。盗賊達の住処こそ分かっているが、そこに踏み込めるほどの戦力もない。

 

『お願い申し上げます! お願い申し上げます! お願い申し上げます! お願い申し上げます! どうか! どうか! どうか! どうか! 救ってくだされ! 救ってくだされ! 救ってくだされ!』

 

「ちょ、ちょっとちょっと!落ち着きなさいってば!」

 

 老人の狂気に満ちた瞳に、リンがたじろぐ。

 だが――俺も考えている事は同じだった。彼女が、殺生院キアラがここにいる。

 彼女が囚われているというのなら、救い出さねば、助け出さねば。救わねば。助けねば。

 この時、エミヤを見殺しにした罪悪感が俺を駆り立てた。もう、あんな思いはしたくない。見捨てた命は数え切れないが、その中でもエミヤの存在は重くのしかかった。これに加えてキアラ君も見捨てた時の事など、考えたくもない。

 それに、どうやら彼女がここに来た理由は俺にあるらしかった。キアラ君は俺の足跡を辿るようにしてこの地にたどり着いたらしい。

 

『キアラ様はおっしゃっておりました。用事も済んだので、先生にお会いしたいと。キアラ様はそれはそれは喜びに満ちた表情で』

 

 だが、現実はそうもいかない。正義の味方を名乗っていた男さえ、もうこの世にいないのだ。

 逼迫した情勢、生きているかどうかも分からない人間のために、人員を出せる訳もなかった。

 

「あの殺し屋が付近にいるって情報もあるのよ? 防衛だけでも手が足りないってのに」

 

 それに、とリンは耳元で呟く。

 

「どう考えてもこのおじいさん、様子が変よ? 盗賊の住処だけは分かっているってのもおかしい。西欧財閥の対テロ部隊がウロウロしているんだもの、素人に居所がバレる程度の奴ら、とっくの昔に死んでるに決まってるわ」

 

 おかしい? だからどうした。

 キアラ君が囚われの身にある。それだけで結論は決まっているようなものではないか。

 

「っ、そりゃ先生の身内だっていうんだから協力はしたいけど、もっとちゃんと考えなきゃ。それに、先生も冷静さを欠いてるわ。気持ちは分かるけど、こういう時こそ落ち着いて」

 

「いいや、考える必要はない。俺には、彼女を救う術がある。誰の力を借りずとも、彼女を助ける事の出来る術がある。俺は、冷静だ」

 

「あーもう分からず屋! ただの医者がどうこう出来る問題じゃないでしょうに!」

 

 その言葉にはっとする。

 そうか。君は、知らなかったか。いや、調べようとも思わなかったか。

 俺が、昔何をしたか。何故、お尋ね者になったか。何故、西欧財閥から指名手配を受けたか。何故、■■■■

 

 かつての俺は、エミヤに誓いを立てた。もう、二度とこれを使わないと。

 俺がエミヤの歪みに気づいたのは、付き合いが長いからではない。

 正義の味方を諦めたのは、自分を殺して他者に尽くせなかったからだけではない。

 

 俺自身が、夢のカタチを歪めた経験があるからだ。

 これは、この――コードキャストは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正義の味方の持ち物ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺には、彼女を救う術がある。

 だが、本当は、使いたくなどなかった。

 

 俺は、狂った女を見捨てた。

 

 エミヤを、見殺しにした。

 

 それは、この力が、この、コードキャストが。

 

 正義の行いではないからだ。人殺しの術だからだ。

 

 

 

 だが、キアラ君。殺生院君。

 君が。君が生きているなら。もし、死んでいないのなら。

 何をしてでも、君を救いたい。

 君は、君は俺の誇りだからだ。正義の味方であった頃に救った、小さな命。

 エミヤ亡き今――その光は、とてつもなく大きな光を放っている。世界を明るく照らしている。

 

「先生! 先生ってば! どうしてそこまでムキになるのよ!」

 

「正義の味方だからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時目指した正義の味方には、もうなれない。

 だから【正義の味方】(キアラ君の味方)になろう。

 たとえ、あらゆる人間を殺す事になったとしても。















五停変生
男が自作した医療ソフト
精神の淀みや乱れ――それを生み出す怒りや苦しみといった感情を和らげる。
だが、男はそれだけでは満足しなかった。




ほんとは五停心観だけど、まぎらわしいのでオリジナル





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