化譚   作:吉田シロ

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十二、猪鍋を思う事

 青い空。のどかに鳴く小鳥。白い雲。そよぐ、爽やかな初夏の風。延々と続く緑の野山。街道を馬車で揺られながら、そんな外の風景に目をやる。時代劇って馬車なんかあったっけ?と思うのだが、これは時代劇ではないし、乗っているのは馬車と言うかリヤカーに屋根をつけただけ、という壁もなにもあったもんじゃない代物なのだが、それはそれで。俺達は中央から北上していた。もっと安全な場所に移動すると言われたが、正直どこに居てもああいう化物が乗り込んでくるあたり、安全な場所なんてないのでは?とも思う。ともあれ、さらば都会。

 どんどん遠ざかる街を尻目に、馬車は街道沿い、緑深い山の中へ進んでいく。馬車の前後には数人の馬に乗った護衛がつく。本来ならば俺もそちらなのだが、護衛の一人としてニキ姫の近くにいたほうがいいだろうという配慮で、彼女と同じ馬車の中だ。

 空は本当にいい天気で、昨日の血生臭さが嘘のようだったが、俺の隣にちょこんと座る彼女が、それを忘れさせてくれない。手をね。握られてるんですよ。ぎゅうっと。袖で隠してるつもりか、片手に布のひだを集めて上に載せて、その下でぎゅうっと。で、俺の方を見ようともしません。耳が赤くて、たまにちょっと俺の方を見て、また慌てて目を伏せてる。なあに、この初めての付き合いだした時のような甘酸っぱさ。記憶がないなりに自分ではそこそこ若いつもりだったけど、俺おっさんだったのかもしれない。きゅんきゅんする。

 パタパタとニキのしっぽが、馬車の壁を叩いている。世界一かわいい。

 

「結構街から離れましたね。山の中だと猪とかでません?」

 

 なんとなく話を振ると、彼女は顔を上げて俺の方を見て、それから少し笑った。やっといつもの笑顔。

 

「猪が出ても、イチ様がすぐにやっつけてくれるじゃないですか。それに、青磁さん達もいらっしゃいますし」

 

 青磁達は、馬の上だ。もちろん、普通の猪なら大きいのが出てもそれなりに余裕だ。白狐族の里に居た時は、狩人衆と一緒に狩りに行っていた。あの時は、ずっとあの平穏な毎日が続くんだと思っていた。

 

「里の猪鍋は美味しかったなあ」

「猪が獲れたら私が作りましょう、鍋」

「じゃあ、今から獲ってきましょうか」

「今からは結構です!」

 

 少しからかうと、ニキはからかわれた事に気がついて、少し頬を膨らませた。俺の脚をこつんと蹴ってくる。かわいい。

 

「何がおかしいんですかイチ様」

「ニキさんがかわいいなあと思って」

「……ッもう! やめてくださいイチ様のほうがかわいいです! そういう顔するのずるいです!」

 

 そういう顔とはなんぞや。多分かわいいとは程遠いニヤニヤしたスケベ顔だったに違いない。申し訳ない。尻の痛くなるような硬い馬車の中で俺達が付き合い始めのバカップルよろしくイチャイチャしていると、横合いから「そろそろ休憩にするぞお嬢さん方」と声がかかった。青磁である。馬に蹴られてしまえ。

 馬車は街道脇の開けた水場に止まり、御者が馬に水をやって世話している間に、人間の方も食事の準備となった。少し早い昼である。そう、御者の人もいたんですよ、後ろでイチャついてて本当すみません。

 

「目的地までは遠いんだっけか」

「このまま何もなければあと2日だ」

「うわ、いやな言い方するなあ」

「さすがに4人も武人がいれば向こうも簡単には攻めてきまいよ。そちらの怪我も癒えてるだろ?」

「そういうもん?」

 

 青磁達と相談。三人護衛+俺。一応戦力に数えられているのはうれしい。

 確かに傷はいつもの通り、痕もなく治っていた。治りの早い身体は便利だが、じゃあもうちょっと強くなれないんですかね。刃の通らない肌とかそういうやつ。ないですね。

 

「で、えーとその神社?は本当に大丈夫なのか?」

「神主が当代一の結界の担い手だ。前の戦の時も、守りの要となった人でね。壱春ちゃんも二紀守姫も町中よりかは安全だろうさ。退屈だろうが、しばらくはそこで籠もってもらおう。それに、壱春ちゃんのあの訳のわからん刀、もしかしたらそこで何かわかるかもしれんぞ」

「人の刀をわけのわからん刀扱いしないでくださーい」

「菅野明(すがのあけ)の社、そこを守る菅野一族で、垂桜(すがざくら)という武人がいたと聞く。流派はわからんが、大層な達人だったようでな」

「無視かい」

「そいつは、『好きな武器』を『好きに喚べた』という」

「ん? いろんな武器を?」

「そう、いろんな武器を」

「例えばだけど、刀の代わりに槍とか弓とか」

「弓を喚べたかは知らんがそういうことらしいぜ。小太刀から大太刀、十文字槍から仕込み杖、なんでもございだ」

「へぇえ……」

「壱春ちゃんの武器に近い理不尽さを感じる。資料を拝謁できるなら、俺はなんらかの参考になるんじゃないかと思っている。うちの無形も呼べたら良かったんだが、今はあちこちきな臭くてな」

「ははあ」

「その訳のわからん刀は化ける。断言してもいい。だが、俺達じゃ前例がなさすぎてわからん。そういうことだ。己を探すというのは、思うよりもずっと難しいことでな」

 

 『タイムラインにある状態の武器が呼び出せる』という今一使えるんだか使えないんだかわからん俺の刀は、ついに理不尽とかわけのわからん刀で落ち着いてしまった。いやまあいいよ、我ながら地味に考え込むとわけわからん力だと思うし。しかし丸投げされてもざっくりすぎて、雑ぅ!という感想しか出ない。

 まあ政府のコネでシェルターに行けるんだから、文句なんか言いませんとも。大事なのはニキと俺の当面の安全だ。

 

「食事ができましたよ。イチ様どうぞ!」

 

 青磁と話し込んでいたら、その間にニキがぐいぐいと割って入ってきた。

 

「あっごめんニキさん手伝いもせず」

「いいえ、イチ様と護衛の皆様がお話してるのをお邪魔してはいけませんもの。でも、せっかくの食事ですから」

「すみませんね、二紀守姫。壱春殿をお借りしてしまって」

「いいえ、いいえ! さあ青磁さんもお食事をどうぞ、あちらに用意してありますので!」

 

 勢いよくぐいぐいとニキに引っ張られていく俺に、青磁は苦笑いして軽く手をふってきた。

 

 

 夜、見張り番のローテを一番最初にしてもらい、その後朝までぐっすりと寝た。特に襲撃などはなかった。次の日、昼前にちょっとしたでかい熊が出たが、俺が馬車から出る前に青磁に首を刎ねられていた。瞬殺こわい。他の二人も立ち回りが早すぎて、参考にならない。これだけ強い人が揃っているなら、テロ集団もさっくり片付けられそうなものだが、多分向こうにも強いのが揃っているんだろう。特に化物よりのやつが。

 

「ニキさん、熊も鍋にします?」

「捌くのに無用な時間がかかるので、爪だけもらってあとは捨てるんじゃないでしょうか」

 

 馬車の中から見物モードで見ていると、一人が熊の首を拾い、手足を切り落とし、倒れ伏した胴体の前で何かをした。熊が燃え上がった。

 思わず後ずさったせいで思いっきり馬車の柱に頭をぶつけたが、それよりも心臓がバクバクと跳ね上がっていて、そちらの方がびっくりした。

 

「イチ様?!」

「あ、いや、ごめんなさい、なんでもないです」

 

 火だ。火の使い手、そりゃいるだろう。火とか水とか、メジャーっぽいし、普通に多そうだし。多分どこにもいるはずだ。一瞬にして火葬された熊はぐずぐずと形を崩し、男たちはその上から土をかけて始末した。

 あの夜。真っ暗な屋敷の中で倒れていた、狐族の小柄な身体。真っ黒に炭化していた頭。大丈夫大丈夫、覚えてない、そんなこと。鍋を囲んで笑ってたあの人達の事は、もう申し訳ないけど遠い。

 

「大丈夫です」

 

 ニキが、俺の手を握る。その手は、昨日みたいにそわそわしてもいなかったし、熱にうかされたように熱くもなかった。ただ、そっと力強く握られた。

 

「大丈夫ですよ」

 

 そう言われて、俺はなんだか泣きそうになった。恋の甘酸っぱさも熱っぽさもなく、ただまっすぐに俺を見てくれる彼女が、眩しかった。彼女のほうがよっぽど悲しかっただろうに。家族を、一族を、全て失って。

 

「はい」

 

 俺は女だから、少しは許されるかもしれないと思って、だけどやっぱり泣く権利は行使しなかったけど、代わりに彼女の肩に少しだけ額をつけて、「やっぱそのうち猪を獲ってきます」とだけ言った。

 ニキは「お鍋、作りましょうね」と言ってくれて、俺はこの子をもう決してあのような目に合わせたくないと、本当に、本当に思う。

 

 

 

 

 そして何事もなく、馬車は大きな鳥居の前までたどり着いた。


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