化譚   作:吉田シロ

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五、二紀守姫、泣く事

 虚無のように、そして底なしの有限のように、反転有意の存在として、意味は無く、価値も無く、役割もなく、ただそこに在れ。道標も無く、道も無く、先はなく、後も無く、ただただそこに有り、そして、そこに在れ。

 選択が為されたが故に為さねばならない。在るという事を。我在りと虚無の中で幾たび叫び、知らしめよ。無為であろうとも、在らねばならぬ。在れ。ここに在れ。

 

 そして、為せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おおゆうしゃよ、しんでしまうとはなにごとだ。というフレーズがふと浮かんだ。いや、まだ死んでねえ。

 なんか嫌な夢を見たんだ。里が燃えて、見たことも無いような、燃え続ける人の形の炎が、皆を焼いて、あの子を

 

「っ!!!」

 

 跳ね起きた。薄明るい空の端から、光が射してこようとしていた。朝焼けか、夕焼けか。遠くから、鳥の甲高い鳴き声が聞こえる。まだパチパチと火の爆ぜる音がしていた。周囲から、黒い煙がもうもうと立っていた。見渡す限り、里の民家は全て焼け落ちていた。

 ぐらぐらと頭痛のする頭を抱えて、俺は、立ち上がった。なんだ。なんだこれ。夢だろ、これ。

 俺の後ろでは、屋敷がまだ燃えている。茅葺の屋根が、真っ黒に燃え落ちていた。近くには、炭の大きな塊がぱちぱちと火をあげていた。それは、見ようによっては倒れ付した人の形にも似ていた。

 俺は緩慢に立ち上がり、それの近くに行った。炭の近くには同じく焼け焦げた太刀があった。それを拾い上げると、俺は炭の塊に刃を突き立てた。炭はサクリとパンのように割れ、端から粉々になった。

 刃があっさりと通る事に、怒りが込み上げてきた。それは、俺の全身を中から焦がしたが、燃え上がった次の瞬間、俺の何もかもを根こそぎ奪って消えていった。

 近くに、人が倒れていた。小柄な少女だった。俺は自分が夢を見ているのではないかと思った。臓腑を焦がすような怒りはもはやどこにもなく、死にそうな倦怠だけがあった。彼女を抱き起こすと、細い首には赤黒い火傷がぐるりと巻きついていた。白い顔は静かだった。まぶたは閉じられていた。

 彼女の小柄な身体を抱きしめた。焼かれた腿や腕が酷く痛んだが、それすら夢のようだった。俺は、呆然としていた。

 

 俺は、ここで、何をしているのだろうか。

 

 ここはどこなのか。俺は、なんなのか。俺は、何のために居たのか。彼女を、里の皆を、何故、守れなかったのか。少なくとも、俺には太刀を振るう技術があった。この世界ではごく平凡なものだったかもしれないが、何とかできたのかもしれない。

 だが、里は今焼け落ちて、一度救った筈の少女は、俺の腕の中で静かだった。

 

「ぅ、……」

 

 ふいに、ビクリと腕の中でニキが痙攣した。蒼白な身体を折り曲げて、ゲフッと血を吐いた。

 

「ニキ!!」

 

 抱きしめながら、慌てて背中を擦った。伸ばされた手が、俺のむき出しの肩を掴んだ。爪が、炭化した肉に食い込む。気絶しそうな程の、痛みが走った。いや、一瞬意識が飛んでいたかもしれない。いつの間にかニキは俺に縋りながら何度も咳き込んだ。そして、俺の胸に顔を埋めた。暖かな涙が、乳房を伝うのがわかった。彼女は、泣いていた。声も出さないまま、静かに泣いていた。俺に爪をつきたてたまま、涙を零し続けていた。俺は、震える彼女を抱きしめることしか出来なかった。嗚咽は、最後まで聞こえなかった。

 いつしか静かになったニキの背中を撫でながら、俺は空を見上げた。太陽が昇ってきて、青い空の上でいつものように輝き始めていた。白狐族の里はもう無く、俺とニキ以外は誰もいないのに、まるで何もなかったように小鳥が焼け残った梁の上で跳ねている。

 ニキが小さく身じろぎした。俺の胸から顔を上げる。その顔は真っ赤になっており、まだぼろぼろと涙が零れていた。かすかな、「ごめんなさい」と消え入るような声が聞こえた。彼女は自分の両手を、何か恐ろしいものでも見るようにみていた。両手とも、鮮血で濡れていた。俺の血なのか、と俺はぼんやり思った。狐族の爪は、普通の獣のように鋭かった。人のように道具を操り、使いこなしていたその手は、獣の手のように易々と俺の肉を引き裂いた。

 俺は首を振ると、黙ってまたニキを撫でた。ニキは、泣きはらした眼で、少しだけ困ったように笑った。

 

「手当てしましょう。で、俺は誰か生き残っていないか、見てきます」

 

 俺の提案に、ニキはゆるゆると首を横に振り、血に汚れた上着を脱いで渡してくれた。手渡されたそれを見て、初めて竜を倒したときにも、誰かが上着を貸してくれたなと思った。あの時も裸だった。今も、裸みたいなもんだった。引き裂かれ、燃やされた浴衣はもはや着衣の態をなさず、体にまとわりついたただの襤褸切れと化していた。俺が怪我人でなければ、サービスシーンであったかもしれない。俺はむき出しの乳房を隠すように、それを着た。

 ニキがぽつりと答える。

 

「誰も残っておりません」

「けど、里の端や、上の炭焼き小屋なら誰か」

「生きた者は、おりません」

 

 ニキはきっぱりと答えた。

 

「白狐族は、私以外、全て、死にました。わかります」

「わかるんですか」

「はい」

 

 静かな声に被さるように、男の声がした。

 

「そうだな、いまここにいる生者は主らだけだ」

 

 振り向くと、男がいた。気配は無かった。男は壮年にも、青年にも、老人にも見えた。黒い装束に包まれた長身は影のようだった。表情もわからない。地面に突き刺した太刀を引き抜こうとした俺に、男は手のひらを向けた。手のひらには、黒い奇妙な文様が書かれていた。眼のような模様だった。

 

「敵ではない」

「中央の……方ですね」

「然り。来るのが遅れた。申し訳ない」

「何のことですか。里を焼いた、あの炎のあやかしは、何なんですか?!」

 

 冷静さをかなぐり捨てて、ニキが叫ぶ。男の顔は影が張り付いたように見えない。俺は太刀の柄を握ったまま、男を見ていた。この男に切り込む隙が見つからなかった。いや、そもそもこの太刀が使えるかどうかもわからない。折れていて不思議の無い扱いをしていた。痛む手のひらはそれでも、冷たい金属を握り締める。

 

「あれはヒノエの化生よ。あれと合間見えて生き残った者は居ない。それを殺すとはな。銀狐の姫、そして無形の剣士よ。我ら中央は、主らを保護する。里のものは懇ろに弔うと約束する。まずは来てもらおう。主らの命は何にも変えられぬ」

 

 言い切った男の表情は、最後まで見えないままだった。

 

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