TSしまりん日和   作:一葉 さゑら

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登場人物

志摩リン
・キャンプ場が近くにある田舎派。都会の利便性に理解はありつつも必要性はそこまで感じていない。

各務原なでしこ
・友達が多いから田舎派。Amazonを知り友達が近いとこが好みになる。友達は、買えない(至言)


第12話

 一人七癖、とよく言われるように、自分にもたくさんの癖がある。

 その内の一つとして、何か嫌なことがあると1人になる癖があった。

 普段から1人でいることが多いが、そういうのとは少し違う。わかりやすい言葉で言い直すならば『心に鍵をかける』癖があった。

 それは能動的に解くことも解かれることもなく、それどころかそれ自体すら悟られることことすらなく、ただただ時間が解決してくれるのを待つしかない。そんな厄介な癖だった。

 

「……はぁ」

 

 木の葉の影に溶けてしまうかのようにため息をつく。

 まだ、鍵がかかっているわけではない。単に、落ち込んでいるだけ。

 そう自分を奮ってもみるが、活力が湧くことはない。

 

「どうしよっかなぁ」

 

 多分、普通なら「あっ、やべ」とか言って即座に問題解決に向けた行動を取るべきなのだろう。しかし、ここまできてしまっているというのに、俺は行動しようとする踏ん切りが付かずにいた。

 校舎裏、放課後、ひっそりとした木の下にて。

 なんだかロマンチックなワードだが、正直それどころじゃない。

 心の底から焦りという感情が唸りを上げている。

 

「んー、思い出せない」

 

 頭を抱える。地べたに這い蹲る。頭を抱える。膝を折って下を向く。

 側から見るまでもなく今の自分は尋常じゃないに違いない。けど、今の自分には一番それが利口な動作なのだ。そんな世迷言ばかりが頭を支配して正しい判断に霞をかけている。

 

「あー、もう」

 

 等間隔に口から漏れる愚痴のような、言葉になっていない言葉は遂に、無意識に事の核心に触れていた。

 

「どこにいったんだよ──スクーターの鍵」

 

 なんというか、そう。今日の俺は、どこかおかしかったのだ。

 原因は探るまでもなく、ただ単に浮かれすぎていただけなんだが。新しいものにして、初めての車体に浮かれていただけなのだが。

 それにしたって、妙なテンションだった。

 時折、初めて彼女ができた初心な男がケータイを取り出してはニヤニヤしているのを見るが、情けないことに今日の俺は限りなくそれに近かかった。制服のポケットに入った鍵を握ってはニヤついていたり、授業中も頭の中はスクーターで東海道をひた走ったりだとか。お昼休みには斎藤に訝しげな目で見られたほどだった。

 そして、なによりの情けなさは、スクーターを手に入れたことを誰かに自慢することが恥ずかしいことだと断じて、決して鍵をポケットから出さなかったことだった。まるで宝物を埋め隠した犬のように、そっとポケットにしまい込んでいたのだ。

 いや、正確には一度だけ取り出した。

 校舎裏──つまり、ここで。ひっそりと、1人で。

 ニヤニヤしながら取り出した……ああ、恥ずかしい! 

 しかし、それはあくまでお昼休みの話。

 放課後になってしまっては、もう、過ぎた話……というか、過ぎたことにして忘れたい話。

 

 学校も終わったというのに相変わらず浮かれ調子だった俺は、昨日磨き残したヘッドライトを磨いてやろうと考え、そそくさと教室を後にした。流石に申請もしていないのに勝手にスクーターで登校するわけもいかないので、今日もギコギコと自転車を漕いでいた俺だったが、いざ校舎を出ようと思ったその時に妙な違和感に気がついた。財布もケータイもあるのになんだかポケットが軽い気がするのだ。

 まあ、種明かしも何もないので言ってしまうと、自転車の鍵がなかった。『あれ、おかしいぞ。ここに来るまで触り続けていたはずなのに』とポケットに手を入れるも出て来るのは家の鍵だけ。

 その時は「なるほど、通りでなんだかスクーターの鍵の割には平べったい気がしたんだよ」なんて呑気な調子で呟きながら鍵を探しに自転車置場に戻ったものだが、一時間二時間と立つにつれて俺の顔は自分の髪の色と同化していった。

 ついでに心内環境もどうかしていった。

 そうして、気付けば6時を回ってあたりは日落ち寸前になっていた。

 ライトに照らされた校庭では、大会前の陸上部がまだまだ元気よく走っているが流石に人もまばらになっていた。図書館だってとっくに閉まっている。

 

 そんなこんなで俺は、最後の頼みだと最後に鍵を取り出した校舎裏へやってきていたのだった。

 土台無理な話だが、今日という日がなかったら良いのにとか思いながら。

 

 なんとかして校舎が閉まるまでに見つけ出さないと。

 可及的速やかに、誰にも見つかることなく。

 

「くっそー」

「……あれ? リンくん?」

「な、なでしこ。どうしたんだよ、こんな遅い時間に」

 

 しかし現実は甘くない。いつだって冷たい。

 周りが暗くよく見えないので、腰を曲げ自然に任せて伸びきった草木をかき分け、校舎裏の枯れた側溝に顔を近づけていると、よりにもよって、なでしこに見つかってしまった。タイミングが悪いのに、良すぎるよ……。

 なでしこも、今の俺の格好は引くに値したようで全身でそれを表現してくれる。ヘコむからやめてほしいんだけど。

 

「それはこっちのセリフだよ……。私は野クルの帰りだよっ」

「そうか。気をつけて帰れよ」

「いやいやいや、ふつうに挨拶しないでよ!? そのポーズで挨拶されても『お爺ちゃん、田植え頑張ってね』みたいな気持ちで帰れないからー!?」

「お前は俺と挨拶する時、いつもそんな感情だったのか。枯れた目で俺を見過ぎだろ」

「いやいやいや、リンくんの今の格好が田植えのお爺ちゃんだって言いたいんだよ!? ここは田んぼじゃないんだよ!」

「知ってる」

 

 なんだ、今日のなでしこは普通の言動しかしないなあ。いや、俺がそれ以上に変なだけか。というか、ハハ。なでしこは元より常識的なやつだったな。時折大ポカや尋常ならざる行動はとるが、むしろその性根は普通の女子高生だ。

 

「もしかして、イジメ?」

「違う」

「じゃあ、奉仕活動……なわけはないか」

「……どーゆー意味だよ」

「いやいやいや、奉仕活動は午後5時までの決まりなんだよっ。生徒手帳にそう書いてあったよ?」

「ああ、そっち……っていうか、生徒手帳なんて普通読まないから」

 

 って、違う違う。今はそんな言い合いをしている場合じゃない。

 校舎の光が消えてしまえばこの辺りはほぼ真っ暗になってしまう。それまでに探さなければ。

 俺は口元を引き締める。そして、側溝から2メートルほどにある草むらへと目を向けた。もしも、あの鬱蒼と茂る草むらに鍵があるとしたら見つけることはほぼ不可能だろう。けどなあ、もうあそこくらいしか心当たりもないんだよなぁ。

 ……ここは、ラストチャンスだと思って探してみるか。

 

「リンくん、もしかしてなにか探し物してるの?」

「……ん? ううん。いや、別に」

「誰も立ち入らないような草むらに片足突っ込んでるのに? 片手にスマホのライトをかざしながら腰をかがめているのに?」

「いや、これは俺の趣味だから」

 

 言った直後に我ながらどんな趣味だよ、と思ったが後には引けず。俺は会話を断ち切るようにいいからもう帰りなよ、と口走った。

 なでしこはしかし『んー』と顎に人差し指を当てたまま突っ立ったままでいる。俺の妄言にどうしたものかと迷っているのだろうが、もうこうなった以上そこに居るだけでこっちとしては気恥ずかしいのでお構いなく帰って欲しいところだった。

 

「……やっぱ探し物してるよね?」

「……」

「手伝って良い?」

「ダメ」

 

 そっと近づいてきたなでしこを俺は拒絶する。

 なんかおっとりとしているし、暗がりと探し物に気取られて怪我でもされても困る。

 割と強めに言った僕の拒絶の言葉だったが、なでしこはそれでもずんずんと歩く調子を崩すことなく、数秒の内に草叢に入ってきてしまった。

 

「よしっ! ちゃっちゃと見つけてお饅頭、食べに行こうね!」

「いや……まあ、うん。……ありがと」

 

 その言葉回しはずるいと思う。

 周りの暗さのせいでうまく顔は見えないけれど、きっとなでしこは屈託のない笑顔をこちらに見せているはずだ。

 

「それで、何を探してるのかな? 大事なハンカチとか?」

「なんだその可愛い発想……鍵だよ」

「大変じゃん! ちよー大事なやつじゃん!」

「大事だけど大変でもない鍵だ」

「大事なのに大変じゃないの?! 見つかんなかったら帰れなくなるのに、大変じゃないの?」

「う──……ん」

 

 何はともあれ、こうして手伝うと決めた彼女はテコでも帰らないだろう。あんまり遅くまで拘束しても彼女の家族に心配をかけるのは俺の気が咎める。そっとポケットに自転車の鍵があったことを確認して僕はなでしこに「こんな感じの鍵だから」と概形を伝え、手伝ってくれと改めて頼んだ。

 当たり前のように二つ返事をするなでしこは「鍵さんはどこかなー」と地面すれすれまで顔を近づけた。

 髪が土につきそうで見てるこっちがハラハラする。なまじ長い髪に土が絡まった時のめんどくささを知って居るだけに余計に「あ、あー」ってなる。

 やっぱり帰ってもらおうかな……。

 

「そういえば、リンくん。今週末なんだけど、野クルでキャンプすることになったんだ」

 

 しかし、そんな気を彼女が知るはずもなく世間話がポンっと始まる。

 

「へー」

「いーすとうっど、っていうトコなんだけど、知ってる?」

「割と近場じゃん。いいとこだよ」

「楽しみだなぁ……」

 

 イーストウッドか。まき無料で低価格の超あたりキャンプ場だ。

 ネット予約はなく電話オンリーの硬派なキャンプ場だった気がする。どてらを着た気のいい兄ちゃんが経営してたよな。

 初めて行った時は女に間違われたっけ。

 

「夜景がすっごい綺麗なんだって!」

「ああ、あそこはたしかに綺麗だよな」

「行ったことあるの!?」

「ま、まあ……てか、顔近っ」

 

 あとなんか良い香りがする。

 気まずさから目をそらして、俺は自分の息がかからないようにマフラーをぐいっと引き上げる。昼食後も歯は磨いてるから口臭を気にしてるってわけじゃないんだけど、なんとなく他人に自分の息がかかるのが嫌いだった。

 なでしこはそこんとこ全然気にしてないようだけど……こいつ、俺がここまで顔を近づけても平然としているのだろうか。

 

「いいなぁー、いいなぁー」

「……今週行くんだろ?」

「それでも羨ましい! だって、リンくんは私の知らない綺麗な場所、他にもいっぱい知ってるってことでしょ? ──あ、そういえば今週リンくんもどこか行くんだっけ? 斎藤さんが言ってたけど」

「あいつ、また口滑らせたのかよ」

 

 ごめーん! と舌を出す斎藤が頭に浮かんだ。つーか、言わないって約束してたのに──まあ、いいけどさ。

 

「うん、ちょっと遠くまで行って来るつもり」

「遠く? 東海の方? それとも関東の方?」

「いや、中央高地」

「長野?」

「そう」

 

 長野県。言わずと知れたようで知られない県。山に360度囲まれた県で、田舎ならではの開放感と山による圧迫感が不思議な雰囲気を醸し出す県、らしい。

 あとは意外と、小説とかドラマの舞台になりやすい場所のイメージがあるな。

 

「長野かあ……りんごが美味しいとこだよね」

「らしいね」

 

 丁度シーズンだし食べてみたいけど、リンゴって買い食いするようなものじゃないよな。……いや、名産だし県民は食べ歩きとかしてるんだろうか。山梨だと時々外でブドウ食ってる人とかいるし。

 

「じゃあ、また写真送ってよ」

「気が乗ったらな……」

 

 そして、そのためにもスクーターの鍵を見つけなければ。

 というか、本当にどこにいったんだろう。やっぱり誰かが落し物箱とか職員室に届けてくれたりしたのかなあ。

 同じ体勢を取り続けていたせいで膝のあたりが熱くなってきた。

 周りを見渡せば、日が沈むにつれて、周りの民家に明かりが止まり始めているのが見える。

 耳をすませばワイワイと下校する生徒たちの声もやがて鳴りを潜めるのが分かった。

 山と畑と少しの民家。

 自然の音が響く中でこうしてポツリ一人──じゃない、二人だ──でいると、なんだか世界から段々と切り離されていくような気がする。セカイ系の話ではないけれど、冬の空は白みを帯びているからより一層そう感じるのだ。

 

「リンくんってさ」

 

 しばらく俺が黙りこくって鍵探しに没頭していると、しゃがんでいたなでしこは草むらから顔を上げて話しかけてきた。気が付けばなでしこが来てから30分は過ぎていて、もうすっかり日が落ちていて表情はあんまり見えなかった。

 暗くてよく見えないが、なでしこも限界と判断したらしくコンクリートに腰掛けている。

 

 そろそろ切り上げ頃だな、と俺も捜索の手を止めて一息つく。

 

 鍵を無くしてからそこそこ時間が経ったことで俺は、また明日探し始めればいいや、と一周回って冷静になり始めていた。

 

「どうして冬キャンプが好きなの?」

「斎藤にも聞かれたな、ソレ。……えっと、色々理由はあるけど、大きいのは人少ないし、虫もいないし蒸し暑くないことかな」

 

 一度答えたことのある質問ということもあって、スラスラと答えられた。

 

「そうなんだ」

「でも急に、どうしたんだ?」

「えっとね、うまく言えないけど、私、あんまり一人が楽しいとか思ったことないから、リンくんみたいにそうやってどんどん独りで進んで行くのが凄いなって思うんだ」

「……別にすごくないと思うけど」

「さっきも一人でいたし」

「それは関係ないから」

 

 俺からしたら、むしろ、皆で楽しめることの方がずっと凄いことにだと思うんだけどな。大勢で楽しい時間を作り上げて、壊さないように気を使って、それでいて本心からソレを楽しむなんて、本来ならきっと俺には想像つかないくらい大変なはずなのに。コイツはそんなこと考えるまでもなく平然とできるんだから。

 今だって多分、なでしこは喜怒哀楽の怒と哀を抜き取ったような表情を見せているはずだ。

 

「ううん、なんて言ったら伝わるんだろ? こいぬ座がおおいぬ座を見つけるような感じって言ったら分かる?」

「そんな宇宙創生みたいな……」

「つ、伝わんない……!」

 

 そりゃ、伝わんないよ。

 例えが壮大過ぎて俺の心のスケールにすっと入ってこない。宇宙をかき分けていくようなアドベンチャーだと言いたいのだろうか。

 ……ないか。

 

「というか、その例え話をするなら、なでしこの方が当てはまるんじゃない?」

「どゆこと?」

「こいぬ座とかおおいぬ座とかはよくわかんないけどさ、星座の位置とかそういう法則や規則を無視してでもコミュニケーションを取りに行くなんて俺にはできない話だし」

「んー、けど、斎藤さんとは仲良いじゃん」

「そりゃあ、だって」

 

 斎藤だし。

 仲が良いかと聞かれたらそうだけど、正確には仲が良いかというよりは相性がいいだけの話なんだよな。お節介焼きで距離感を測らせない彼女と、お節介を焼かれがちで距離感自体がイマイチわからない俺。欠点と欠点が上手く噛み合っているのだ。

 

「……ふーん」

「なんだよ、その顔」

「リンくんってさ。偏見とかあんまりなさそうだよね」

「それもなでしこの方だろ。俺なんかに構ってることがいい証拠だ」

「そうかなあ? 私は人見知りする方だけど……」

「どこがだよ……と、まあ、俺の話はどうでもいいとして。そろそろ帰ろうか」

 

『帰ろう』って、俺がいうのも変な話だけど。

 俺から切り出さなかったら彼女はいつまでもこうして手伝ってくそうだし、仕方がない。

 仕方がないというか、まあ、ありがたい話なんだけど。

 本当に、知り合いが少ない俺にとっては文字通り有難くもある話だ。

 

「え、鍵なくて大丈夫なの?」

「ああ、見つかったから」

 

 心配そうにこちらを伺うなでしこに、チャラ、とポケットから出した自転車の鍵を鳴らしてみせた。辺りは暗いからバレないだろ。

「よかったー!」と無邪気に喜ぶもんだから、モヤっと罪悪感に苛まれる。……自業自得か。鍵をなくした罪となでしこを無闇矢鱈に拘束した罰だと思っておこう。

 

「あ、ありがとな」

 

 この礼と比例のお詫びはいつかするから、と心の中で呟いて、俺は立ち上がり、膝についた土と草を払った。体温で溶けた霜が手に付いてつべたかった。

 

「見つかってよかったね!」

「うん、本当にありがとな」

「いいってー、友達でしょ!」

「え?」

「え?」

「……なんでもない。いや、まあ、なんにしても俺の気が済まないから礼はさせてもらうよ。今度、長野行った時に見つけてくる」

「礼って、お金かかる礼なの? なんか悪いよぉ」

 

 困った顔のなでしこ。

 後ろ手に頭を掻き曖昧に開いたもう片方の手を遠慮気味に振り、彼女は固辞の姿勢だ。マフラーに押し上げられてフワッと盛り上がる彼女のピンク髪が月明かりに照らされて透き通るような光をキラキラと反射した。

 彼女がこうやって遠慮するのは俺もなんとなく予想していたので、

 

「なら、なでしこがして欲しいこと考えといてよ。できる限りのことはするから」

 

 と返す。すると、彼女は先ほどとはまた違った困った表情をした。

 けどすぐに笑顔になった。

 ……ま、それはそれとして土産はお詫びとして買ってくるけど。

 

「……んー、わかった!」

「それじゃあ、帰るか」

「うんっ……あれ? リンくんって違う方向だよね」

「今日は遅くまで付き合わせたし、もう暗いから途中まで送るよ。なでしこは自転車だし、というかこんな田舎でどうこうあると思わないけど、一応な……」

 

 あれ、言ってて恥ずかしくなってきた。

 別に、途中まで一緒に帰るくらい普通のことだよな。クラスの男子とか斎藤とかとはしょっちゅうしてるし。いや、しょっちゅうってのは見栄張った表現だったけど。あ、だめだ、俺の発言が進むに従って声量が無意識にフェードアウトしていく。

 ……ほら、なでしこもなんかポカンとしちゃってるし。

 

「……」

 

 ここは引くか……けどなあ。普通に心配なんだよなぁ。いくらなでしことはいえ、さすがにあの時みたいに帰宅途中に疲れたからとそこら辺で寝るとは思わないけど。

 ええい、開き直れ、俺! 

 

「んだよ」

「──ううん! なんでもないよ」

 

 どうせ、コミュ力弱者がイキってるのを難なく見破って笑いを堪えてるんだろうなぁ。いや、なでしこがそんなこと思うはずがないか。

 ……いい奴だし。

 

「じゃあ、お願いしようかな。……あ、お饅頭屋さんに寄っていい?」

「そういえばそんなこと言ってたな。けどもう閉店してるだろ」

「そうだっけ?」

「また今度な」

 

 そう言って俺はなかなか立てずにいた彼女の手を掴んで引っ張り上げた。

「わわっ」とフラつきながらもなんとか立つなでしこ。掴んだ手が思った以上に冷たくて、申し訳なさを少し感じる。

 田舎の夜は暗い。午後5時ごろから朝4時くらいまで時が止まったように光量が変化しない都会と違って、刻々と空も地も表情を変化させていく。

 雲が星を遮ったり、月が登ったりして。

 そうやって夜は更けていく。

 

「うーん、冬の大三角形ってなんであんなにわかりやすいんだろうね。パックマン刺激っていうやつかな?」

「いや、全然違うと思う」

 

 なでしこが草や土を払ってる間、俺が空を見上げていると帰る準備を整え終えた彼女が同じように見上げていた。

 ちなみに、パックマン刺激はカニッツァの三角形とも言われる錯覚効果で、冬の大三角形とは本当に全く関係ない。

 

「東京社会見学ってリンくんの小学校はやってた?」

「日帰りだったけどあったよ」

「私の学校は冬にやったから帰りの時間はもう真っ暗だったんだけどね。本当に星が見えないんだなーって思ったんだよね」

「まあ、駅の方行けばこっちも見えないけどね」

「どこにいても見えないのが凄いんだよっ」

 

 確かにそれはある。

 

「まあ、星も必要ないって思ったんだろ。東京ってめっちゃ明るいし」

「……リンくん、ロマンチックなこと言うね」

「──うっさい」

 

 ロマンチック。甘美的で耽美的で劇的って意味。

 けど、一方で単に空想的という意味もある。

 突然目の前にぶっ倒れていたと思ったら、いつのまにか俺の日常に割り込んでいたなでしこ。そういう意味でいうと、コイツがここにいること自体ロマンチックなのかもしれないな。

 実際、俺の人生でもっとも現実離れした存在というと、コイツが真っ先に上がるだろうし。

 

「あ、そうそう。冬キャンプが好きな理由、もう一つあった」

 

 そんなロマンに当てられたのか、俺は先の質問では言わなかったこともなんとなく言おうと思う気持ちになっていた。

 

「え、なになに!? 教えて教えて」

「鍋が美味い」

 

 星冴ゆる中に見える大三角。

 冬銀河は静かにせせらいでいた。


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