登場人物
男子生徒
・リンに話しかけては塩対応される。それはそれで漫画の1シーンっぽいとか思ってる。
志摩リン
・男子生徒に話しかけられては塩対応する。本人は『なでしこに似てるから、おんなじ対応でいっか』とか思ってる。
あな不思議なこととは、いつなんときに起きるか分からないもので。
ええと、まあ、そう。
どう言葉をこねくり回しても伝わる光景は余りにもドストレート。だから、ここは正面から挑むような言い回しを使わせてもらうと、そう。
俺はなでしこに押し倒されていた。
「……は?」とか自分ながらに惚けた声が出てしまった。
ていうか、え。なに? いつから俺の人生は少年ラブコメ漫画、あるいはお気楽ハーレム小説の体をなし始めたんだっけ? 俺だってそっちの方面の知識がないわけではない。けれど、さすがにこれにはびっくりしてしまう。
てんてこ舞いだ。
なんだか、事実として突っかかりなく通り過ぎてしまったようだから、自覚する意味も込めてもう一度言わせてもらうが、そう。
俺は各務原なでしこに押し倒されたのだった。
鼻の先を撫でる桃色の髪がこしょぼったい。それに、なんかいい匂いがする。
なんだろう。なんで、こいつは満面の笑みなんだろう。
もう分かんない。突然の出来事すぎて飲み込めない。
キャンプに行く前に貰ったメールなんてもの、遠くかなたに吹っ飛んでしまった。
キャンプ中も結局モヤモヤしていておっとり系の登山家を見てもなでしこを思い出し、神社に置かれていた犬見ても思い出す。果てには夢の中まで出てきたというのに(それもお昼寝と夜の二回!)、何なんだこいつは。
というか、吹き飛んでったメールの主もなでしこじゃないか。
どうなっているんだ。アクティブすぎだろ、静岡県民。俺の心に不法侵入しすぎだよ。
ふー、いやまて。落ち着け、落ち着いて考えるんだ、志摩リン。
行間を保って、心を鎮めて。
静めて、沈めて、そう。
なんか、なでしこの顔が近づいてきているような気がするけど底の底まで冷たく冷静に──ってムリ!
「こらぁ、なでしこぉ。なにするんだぁ!」
首元には彼女の腕が押し付けられて声すらうまく出ない。それでも俺はスカスカと彼女の両肩越しに腕を振るいなけなしの抵抗を試みる。
一体なにがあったが故のこの結果なのからはこの際、というか、とりあえずどうでもいい、
「……りんちゃーん!」
「りんちゃん!? なに言ってんだよ、なでしこっ」
「男子服も似合ってるよー」
なんだいきなり!
なんでコイツは大の男を押し倒して、フニャッとした笑顔を浮かべて、抱きつこうとしてくるんだ! ここ廊下だぞ! 幸い誰もいないけど、いつ誰がきてもおかしくないんだぞ。こら、そこはダメだっ。
「えへへー、スカートじゃないから足にザラザラした感触。なんか新鮮だね!」
「キモっ! この変態!」
何かこの状況を打破できるものはないだろうか、と周りを見渡せばなぜか近くに釘バットが落ちている。
釘バット? と思いつつ手を伸ばしてみるが、それは鉛のように重く、とてもじゃないが惹き寄せることができなかった。
「りんちゃん!」
「……今度はなんだよ」
「キャンプっ、楽しみだね!」
「──ああ、そうか」
プッと、頭が切り替わった気がした。
と、同時に世界は急激に色彩を欠いていく。
綺麗な色のなでしこの髪。廊下の釘バット。最後の悪あがきのように登場した大垣の顔がペイントされたUFO。
そう言ったものが廊下の奥闇に吸い込まれていくと同時に耳もので警鐘を鳴らし始める。UFOがだすウィンカー音かともおもったが、そうではない。
そう、これは──。
目覚ましだ。
「……あれ、今日って何曜日だったっけ?」
湧き上がる何かに押されるように目覚めた俺は、ポツリと言葉を漏らした。その言葉に答えるように枕元の電波時計はジリリリ、となり始める。どうやら起きたのは目覚ましの設定時間、その寸前だったようだ。我ながら恨めしそうに時計を睨めば無機質なアラビア数字は7と14を指し示していた。
左の隅に添えられた漢字は『月』。
今日は月曜日だった。
「──はぁ」
目覚ましを止め、小さく吐息を漏らせば小さな雲が口から出てくる。
タイミング良く、階下から母の呼ぶ声が聞こえてくるので思い切って重い体を起こす。寒い。
「はあい」なのか「あぁい」なのか「ううぅ」なのか。自分でもよくわからない、嗚咽のような喉の奥を絞りきったような返事を返しながら寝間着を脱いで壁にかけておいた制服を手に取った。
服を一枚脱ぐごとに冷える体、徐々に覚醒していく脳みそ。
冬は寒いのが全く、難点だった。
長袖のヒートテック越しにワイシャツ、ブレザーを着込む。
往生際悪く履いていたぬくいズボンを脱ぎ、制服に履き替える。ひゅるりと太ももを撫でる冷風が腰から脳天までシバリングをもたらした。
寒い寒い、といいつつも家の中ではスリッパや靴下をなるべく履いていたくない僕なので、黒い靴下だけは手荷物にとどめて部屋を出て階段を下る。そうしてリビングに入れば、まるで扉に膜でも貼っていたかのように暖かさに包まれた。
むわっと。ぬくっと。
「おはよう」と母親と挨拶を交わし、部屋を見渡す。テーブルの長手の端に食事済みの皿類が重ねられているところを見ると、どうやら父親は既に出勤していたようだった。
挨拶以外に特に話すこともなく、朝食を取る。
味噌汁を一口含み、嚥下する。電線が熱を持つように、食道が口から胃と徐々に熱くなる。「ほうっ」と声が漏れた。同時に、寝疲れからか、凝り固まって余計な力が入っていた体がすっと楽になる。
ああ、起きた。今日が始まった。
そんな自覚が湧いてきた。
キャンプ後はキャンプに想いを馳せるに限る。
じいちゃんはとある山梨のキャンプ場からとある岐阜のキャンプ場へいく途中、そんなことを言った。
『なんだよ、それ。じいちゃんはキャンプ場からキャンプ場に移る間にキャンプについて考えるってことじゃん。それって四六時中考えているのと一緒だろ。ちゃんと前向いて運転しろ』などと聞いた当時は思ったものだが、今ならその言葉の正しさが分かる。
まぶたの裏に焼きついた旅先の風景とまだ見ぬ旅先の風景の間をさまようあのひと時はたまらなくヒーリング効果にあふれているものだ。なんなら、その時の俺からマイナスイオンが出ていてもおかしくない。
そんなわけで、いつものカバンにキャンプ雑誌をいつもより多めに入れる。今回行った場所が載ってるのと、まだ読んでいないのと、次に行きたいとこの、三冊。
普段より少し重いカバンになんとなく、多幸感を覚えた。
夢みたいなことは起きないよな、ふと今朝を想起してかぶりを振った。しょーもない考えだと気づいたからだった。
「行ってきます」
母親に見送られて外を見れば、薄っすら積もった雪がいの一番に目に入る。ツーっとなぞれば線がつく。当たり前のことだけど、なにが起こるか分かっていたことだけどやらずにはいられなかった。
「はぁ」と、吐息を漏らせば白い靄が口から立ち込めた。
これも、また、やらずにはいられないことだった。
「おはよう」
学校に着けば、いつものようにいつもと同じようなあいさつが響く。
普段なら気にもしないような光景だったが、昨日まで人との関わりを絶っていたせいか、それが少し不思議に感じる。あいさつが「おはよう」の一種類であることは文化性として貧しくないのか、あいさつは一言目に来る必要性はあるのか。
キャンプの気分をひきずりナイーブに浸りすぎてないだろうかとも思うが、まぁ、その分夢が破茶滅茶だったから釣り合いが取れてるだろう。
それに、どうせ今日も騒がしくなる。
必然的に騒がしさが訪れることに一抹の感慨深さとそれを塗りつぶす勢いの日常感を感じつつ下駄箱を開いた。
冬風、頬をなでる。その傷が付くような鋭さと体を突き抜けるような清清しさに押されて校舎に入ると、開いた教室のドアから緩い気配が這い出てくるのを感じた。
「おはよう」
見慣れた教室のネームプレートを横目に扉を開けば、ここでもあいさつが飛び交っている。
空気が乾燥してるなぁ、なんて思いながら着席する。
すると、何時ぞやのように眼の前に座る男子生徒が『待っていました』と言わんばかりに振り向いた。
「よう、今日は遅かったな」
「まあね。夢見が良くなかったから」
「ふうん、そういう割にはあんまり眠そうじゃなけいど……。まあそれよりさぁ。聞いてくれよ」
通学かばんから教科書をとりだしながら返事を返せば、ツンツンと尖らせた前髪を弄りつつそいつは声を潜める。
またゴシップ話かと顔色を伺えばどうも違うらしい。つうっと目線を窓に向けてそらし、両手のひらをうにゅうにゅと動かす様子はどちらかというと悪戯的というよりかは恥じらいのような。
男が行うには女々しい動作。
ははあ、これはこれは。
「……なんだよ」と相手の言いそうなことに大方の予想はつきつつも、いじらしい所作を見せつけられた仕返しに知らんぷりを決め込んで見る。ツッコミやらなんやらを期待してのものだったが向こうは向こうで余裕はないらしく、馬鹿正直に「ええっと……」なんていいもごってしまっている。
「もじもじすんなって、気持ち悪い」
「わ、悪い──てか、結構はっきり言うのな」
「髪の毛を立てて制服を着崩すような男が乙女心剥き出しにしてるところをみせられたらなぁ」
「けど、お前だってなよなよしたイメージだぜ? 髪伸ばして、細身で、大人しくて」
「……俺はいいんだよ」
そんなイメージだったんだ。
割とクールなイメージで生きてきたつもりだったんだけど。そんな受け取られ方をされているとは。
憮然とした表情で言い返せば、今度は「なんでだよ」と返事が返ってきた。
「それで? なんのようなの?」
「いやな……その……、俺。告白しようと思うんだよ」
「……はあ?」
「いや待って。今のセリフは早かった、ちょっと行き過ぎた、ミスミス。……えっとな、俺、好きな奴ができたかも知んねえんだわ」
「……はあ?」
彼のセリフが時期として早すぎようがアジャストしてようが、俺の返答は変わらなかった。
時として、恋愛相談にのる(というか、
勿論、にそのことを根に持つつもりはない。むしろ言ってくれただけ、自分との距離を縮めようとする意気込みすら感じた。
しかし、どう週明けのいの一番にそう親しくない相手からもたらされるべき話題としては不適切だ。
俺のセリフが変わらないのも無理はないはず。
だって、なんて言ったらいいかわからないし。
ていうか、誰に告白するのかを聞いていいのかもわからない。
それくらいの仲なのだ。
「なんとか言ってくれよ」
「なんとかセリフを出そうとしても出てこないんだよ」
「それはあれか? 俺の恋が無謀だってのか!?」
「いや、俺とその会話をするのが無謀じゃないかな……そもそも、その話と俺になんの関係があるだよ」
よもや、こいつと俺が関係あるなんて話ではあるまい。
となれば、僕と関係するのは、必然と。そう──。
「あ、斎藤?」
「違う違う。流石にそんなムボーな恋はしねえって!」
「別に無謀ってことはないんじゃないか?」
御すことをハナから放棄した付き合いなら、まあ気楽なものになるはずだ。問題があるといえば、その場合、一切の手伝いができないことくらいだろうか。
被害がこっちにきそうだし。
「いやお前……んん、まあいいや。とりあえず斎藤じゃない」
「なら『野クル』の?」
「……っかー! 照れるぜ!」
「で、誰?」
「あれぇ? ちよっと話を急ぎすぎじゃね? もっとねぶるように会話を進めようぜ」
嫌だよ、気持ち悪い。
そもそもむさ苦しい男どもの恋バナってだけで俺は嫌なんだ。
それに、読みたい雑誌も手元にあるし。
それに、男女のことといえば先週のメールのこともあるし。
とにかく、こいつに避けるキャパシティなんてほとんどないのだ。
ギィ、と目の前で椅子を揺らすと、モジモジと手を動かしてやっとの状態で片思い中の彼女の名を男は告げた。
「……犬山」
「はい解散」
「待て待て待てぇ!」
いやだって。
アイツはアイツで斎藤とおんなじ部類じゃん。
俺に話してどうこうなるモンじゃないじゃん。無理じゃん。
席を立とうとする俺の手を引っ張って無理矢理サイド着席させてくるので『分かった分かった』と言い、改めて俺は座り直す。
「……で、あお──犬山のどこがいいんだよ」
「おいまて。今、犬山のこと下の名前で呼ばなかったか?」
「呼んでない」
しかし、どいつもこいつも最近は色恋の話をしたがり過ぎやしないだろうか。したがるのは良いのだけれど、それを俺にぶつけることが若干の
「……まあ、どーでもいいか。それにしても、へぇ──犬山にね」
「へへ……実はな、犬山ってスーパーレジ打ちのバイトをしてるんだけどさ。オレ、この前行った時にさ、たまたま打ってもらったんだよ」
「うん」
「その時にさ、あいつ。『ありがとーございましたー』っつって、にぱーって八重歯をチョロつかせて笑ったんだよ!」
「……うん」
「オレは分かったね。あの笑顔は普通の笑顔じゃない。だって、メチャ可愛いし」
「うん?」
「きっと彼女の方もオレに気があるんじゃないか。察するには余りある笑顔だったね。あの時ばかりは母さんに買い物を言いつけられてやさぐれた感情も薄まったというものさ」
「ううん?」
「だからよぉ、志摩。シャイな彼女に代わって俺から告白してあげようって思うんだがよぉ、この男気に免じて一つよろしくやってくれはぁ、しねえか?」
「うん、しないなぁ」
気分的にはもう2度目の解散をしたいくらいだ。
恋は盲目とはいうけれど、こんな別ベクトルの盲目具合を見せつけられては敵わない。叶うものも叶わないというものだ。
「まあ、恋愛経験も何もない俺を頼るのがそもそもお門違いだよ。ほらあの、まあ仲良くしてた女子に相談してみれば?」
「それがよぉ、昨日あいつにもしてみたんだけど、その時からなーんか不機嫌なんだよなぁ。別に下ネタ振ったわけでもないのに」
「……あっそう」
この男のどうでもいい恋愛話はその後もぽつぽつと降り注ぐ雨のように続いた。つまり、鬱陶しく長ったらしく続いた。
俺には不思議とこの恋が報われることはないだろうと確信していたし、その後のこいつの恋愛遍歴の真っ先に刻まれるであろう女子の名前も分かっていた。だからというわけではないが、そろそろこの朝の一幕は割愛(愛の字がつくほど話に愛着はないが)させてもらう。
結局の所、このくだらないやり取りを通して得られたものはなかったし、得したこともない。なぜならクラスメイトの好きな対象が金の情報に想うには、俺は余りにも恋愛に疎かった。それどころかいらない情報くれやがって、とすら思っていた節もある。
──けど。
それでも、悔しいことに。
自分が過去に想いを馳せた時にターニングポイントと告げるならこの時なのだろう。
初めてキャンプをした時ではなく、斎藤恵那に出会った時ではなく、彼女に告白した時ではなく、各務原なでしこに遭遇した時ではなく、犬山あおいと話した時ではなく、各務原なでしこからお誘いのメールが来た時でもなく、そうこの時。
この名前もないようなクラスメイトと恋愛話に興じた時。
この、やり取りこそが俺のターニングポイントになったのだ。
「……恋愛、ねぇ」
眠るように紡いだひとり言。
一人、事に興じるように静かになった席で俺はスマホを開き、メッセージを確認し、電源を落とした。
そうして俺は、目に入った送信済みメッセージを忘れるように髪の毛を左右に動かした。
「『無理に決まってるだろ、常識的に考えて』……バカなでしこ」