志摩リン
・ロングヘア系男子。カット代として貰ったお金をキャンプ道具のための資金としてネコババし続けたため。母はこれはこれでありと思っている。
斉藤恵那
・男子でありつつ髪が長いリンを見て『男+お団子=オモシロ』の方程式を立てて近づいたのが付き合いの始まり。
「……それじゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。気をつけるのよ」
いつも通りのやりとりをして、学校へ行く。なんて事のない寒い冬の日。その中で、頭の中だけがいつもとは少し違っていた。
そう、頭の中では最近勉強を始めた原付免許の学科試験が飛び回っていた。特に落石注意や熊注意が元気な様子を見せているようで、最低速度を表示する道端の標識にソレらを幻視する。
今乗ってる自転車が、もしスクーターだったら。手元にあったらどこへ行こうか。
そんな妄想をしながらの登校は、ここ2、3週間の日課だった。
ブイィィィィィィィン!!! なんちって。
どこか浮かれた気分になるのは、きっと、今日がなんて事のない寒い日だからだろう。ずり下がる鞄を背負い直して、俺は強めに自転車を踏み込んだ。
ー・ー・ー
「それで、今回の冬キャンプはどうだったの?」
「……毎度言ってるけどさ。声かけるなら挨拶からにして、斉藤。普通にびっくりするから」
時間は飛んでお昼休み。リンゴンとチャイムがなりクラスは色を取り戻したようにざわめきだす。
いつものように、俺が雑誌と弁当を取り出していると、突然ニュッと右後ろから斉藤が顔を出してきた。
思いがけない登場に二度三度めばたきをしていたが、斉藤はそんな俺の反応を予想していたようで『してやったり!』といった表情で笑いかけてくる。
「ふふふ、リンはコミュ障だからね。突然始まる会話にも慣れておかないといけないよー? ……ってこれも毎度言ってるね」
「ついでに、人を驚かすところから始まる会話なんてあってたまるかってのは、俺が毎回言ってることだな」
そして、いや、あるのかもしれないけどさ。と思うところまでがお約束。
俺は机の上に雑誌と弁当を置いて、慣れた調子で彼女に向き直った。斉藤の手元を見ると、そこにはちんまりとしていて可愛らしい花柄の弁当袋が握られている。なるほど、今日は俺と食べる日のようだ。斉藤は普段、クラスの友達と食べているのにふとした日にこうやって俺の前にきて弁当を開く。
だからといってどうこうあるわけでもないので、俺は「まあ、いいや。座りなよ」「ありがとねー」なんて軽いやり取りを交わしつつ、隣の席に座るよう促した。
斉藤恵那。
中学時代からの知り合いで、俺がほぼ唯一SNSでやり取りを行うくらい仲の良い相手である。色々あったけれど、今となっては良い友達だ。これと言った身体的特徴のない黒髪少女で、性格も格段良くも悪くもない。けれど『特徴がないのも特徴なのだ』と開き直る妙な精神力を持っている。あと、チワワ飼ってる。
「それでさ、リン。一昨日はなんか色々あったんでしょ?」
「まあ……。といっても、迷子を一人保護しただけなんだけどね」
「いやいや、十分大事じゃん。冬のキャンプ場で迷子って、なかなかないよ」
そうツッコミを入れた斉藤がパクリと美味しそうに卵焼きを頬張るのを余所目に、俺は一昨日のことを思い出す。
朝の地獄坂を上るサイ苦リング、坂道からの解放とキャンプ場の開放感に押されてキャンプ設営をしてそのまま本を読み、薪を拾い、スープを作り、夜にトイレへ行った。そしてピンク髪と出会って、カレーラーメンあげて、富士山を見て、なぜかキウイもらって、ついでに連絡先ももらって。そうして1日が終わって。
……そういえば貰った電話番号、まだ登録してないや。
「──って聞いてるの?」
「ごめんごめん。なんの話だったっけ?」
「だからさー、そのピンク髪の女の子の話だよ。連絡先もらったんでしょ。メールとかしたの? あ、その唐揚げちょうだい」
「箸ぶっ刺しながら言うなよ……」
行儀悪い。
「代わりにあげる」と寄越されたミニトマトを手でつまんで、俺は話を続ける。
「してないよ。するわけないだろ」
「えー、なんでー? 運命の出会いかもしれないじゃん」
「やだよ、メンドくさい。それに、あの手のタイプは得意じゃないし」
短い時間の触れ合いだったが、それでも分かる。
そういうタイプの人間だ。
「そーお? 話を聞く限りいい子そうじゃん。リンは人付き合い苦手なんだし、リハビリだと思ってやりとりしたら? ……って、そんなイヤな顔しなくても」
「実際イヤだし。それにリハビリ感覚で接するとか失礼だろ」
そもそも、俺はSNSとかEメールとかのやりとりの方が、実際に会って話すよりも苦手なんだよなぁ。会話でさえ、自分の考えが思うように伝わらないというのに、文字に起こしてだなんて、どんなすれ違いが起こるか分からない。それに、相手の顔を見られないのは普通に不安だ。なんて思っているのか分かんないことも、どんな状況でやり取りをしているのかも分かんないことも。──不安である。
「そー言う割には、私のところにはバンバン連絡してくるよね」
「斉藤の場合は、なんとなく想像つくし」
「なにそれー」
なんつーか、布団にくるまっているか、雑誌を見ながら気軽に返信している光景が容易にまぶたの裏に映る。
からからと斉藤は笑う。俺は無表情でレタスを食べる。むしゃむしゃとレタスを食べた後の弁当の片隅には醤油が溜まっていた。
どうやら、今日の弁当は随分と塩分濃いめだったようだ。
ぷちっと、咥えたトマトからヘタを外して斉藤は質問する。
「でもさぁ、夜のキャンプで男女2人ってのはどうなの?」
「まだ蒸し返すか」
「蒸し返しますよー、なんてったってこんなこと滅多にないからね。それに聞く限り、わざとらしいまでの少女漫画的展開じゃん。そりゃあ、コペンハーゲンですよ」
「コペンハーゲンって……」
なんでデンマークの首都? ……いや、どうせ意味なんてないんだろうな、うん。斉藤はテキトーなことをよく言うし。ただ、コイツはたちが悪いことに、意味ない的な『
なんというか、煙にまくような物言いといえばいいのか。大して興味のないことをあたかもマイブームであるかのように語ったり、無意味に無為な嘘をついてみたり。そうかと思えば優しい距離感で触れてきたり。まるで、理論武装ならぬ戯論武装だ。だからどうしたとか言うことではないが、彼女の厄介なところは、自分の本心すらも戯論のように言ってしまうところだった。
それすらもテキトーに。
そんな斉藤に見習って、そんなテキトーなことを考えて
しょうがないので、俺は毅然とした口調で断ることにする。
「──とかくそんな展開がなかったことは昨日話した通りだよ。どんだけ追求しても、昨日のメール以上のやりとりが出てくることはないないから」
「そんなガード固めたような話し方しなくてもいいじゃん。さして隠すようなことでもないのに」
「だから、隠すもなにも……つーか、なんでそんな色恋沙汰に飢えてるんだよ」
斉藤はどちらかというと、むしろ、そういう話題には興味がない側だよな。会話がそっち方面に行くと、やや困ったような笑みを浮かべて相槌を打つのに徹するようになる系女子なはず。
「だってもうすぐクリスマスじゃん? もしリンに春が来ちゃったら、私のクリスマスの予定がおじゃんになっちゃうじゃん」
「冬なのに春?」
「冬なのにっ」
「……はぁ。心にもないことをよく言うよ。俺ら、一度だって、クリスマスを一緒に過ごしたことなんかないじゃん」
「ふーん、そんなこと言っちゃっていいんだー? 今年は一緒に過ごそうと思ったのになー」
しなを作って挑戦的な目線を送ってくる斎藤を無視し、俺はタコさんウィンナーを持ち上げた。弁当の最後はタコさんウィンナー以外にありえない。ぱくり、と口に放り込んで咀嚼し、飲み込んで。俺は斉藤の発言を鼻で笑って手首を振った。
「はいはい。……というか、早く弁当食べなよ。斎藤、ただでさえ食べるの遅いんだからこのペースだとお昼休みがもう3倍あっても足りないんじゃないの?」
「ちぇー」
誤魔化したなぁ。と拗ねた斉藤は、けれど、自分の弁当の減りが危ういことには自覚的だったたようで、もそもそとゴマの降りかかった白米を食べ始める。とりあえず、彼女の追求は終わったようだ。俺は一息いれるようにパックのお茶を飲む。廊下側に座る斉藤から目を離し、窓へ移した。
すると、南向きの窓から暖かい日差しが教室内に降り注いでいるのが見えた。教室がほこりっぽいのか、日差しが白い光線となって可視化している。伴って、ポワポワと光線の周りの埃が反射してもいる。
(こうも牧歌的だと、なんだか眠たくなってくるな)
俺の席は割と廊下よりであるはずなのに、暖かい日光が当たっているわけではないのに。なんだか、こう、いかにもぬくい日光が目の前にあるとただそれだけで眠気を誘うような……誘わないような、こともない。こともない。
あくびが出る。
頭がぼうっとして、自分の言っていることの判別もままならない……あな恐るべし、昼食後の眠気。
ちらりと横を見る。無言で弁当と格闘している斉藤。
これは……ちょっとくらい目を閉じてもバレない、か?
「リンー? まさかとは思うけど、寝ようとしてないよね。 人と一対一の場で、よもや寝ようとしてはござらんよなぁ?」
「し、してないよ。つーか、なんだそのへんちくりんな口調」
バレるの早いなぁ。まだ寝る態勢すらとってなかったのに。
人をはぐらかすのは上手いくせに、人の機微には聡い奴め。平和極まる現代でいったいコイツはどこに向かっているのだろうか。こんなこと考えてると『失礼なこと考えてたでしょ』と言われてしまいそうだけど、斉藤の場合はさらにその一歩先を行っていて……あぁ、ほら。いまも、また。俺がそんな風に考えていたのを見越した上でただニヤニヤ笑うんだよなぁ。
……逆に、俺が分かりやすいのだろうか。
「リンは無表情なことが多いけど、その分手足が忙しないからね。リンのことを知るためには、こうやってハンバーグを食べているだけでも十分なのだよ、ワトソン君?」
「……さいですか」
俺が重々しく呟いたところで、昼休みの終わりを告げる予鈴がなった。俺からしたら、ようやっとの予鈴。けれど、彼女からしたらまだ物足りないようで。斉藤は露骨に時計をじっと見つめて弁当の蓋を閉めた。
「学校は勉強するところだからこうやって談笑したりふざけあったりする時間は必要ない、なんて言う人がいるけどさ。やっぱりこうやって高校生であるからには、どうしてもこういう時間の方が愛しいよね」
「まぁ、学校生活で勉強の方に重きを置いている生徒なんてほとほといないだろうし」
特に進学校というわけでもない我が高校でガリガリ勉強に邁進する生徒なんてのは、やっぱり少ないだろう。それに、いたとしてもそういう人達は大抵、休み時間の自学にこそ重きを置いている。
高校の無償化が終わってしまった今、こうやって学費を出してるのは親だしそれに報いるために……なんていうのは俺たち学生にとっては思うのも簡単だけど、実践するのはどうしても難しいものなのである。
「要するに、昼休みがあと2倍欲しいってことなんだけどね」
「そりゃ無理な話だ」
「知ってますー」と斉藤は笑って席を立ちクラスを出て行く。今度こそ聞き出すから、と言い残して。
「それもまた無理な話だ」と繰り返すように言い、俺は雑誌を机にしまった。結局眠いまま5時限目に突入したな、と思いつつ。
なんて事のない冬の昼休み。
眠気も誘う、温い時間だった。