TSしまりん日和   作:一葉 さゑら

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登場人物

志摩リン
・最近、思春期に突入した。

各務原なでしこ
・最近、思春期に突入した。


第7話

 心って形が見えないから、一人一人違ったイメージがあると俺は思う。

 そしてそれはきっと、1人につき1つのイメージではなく、何個もあると思う。

 たとえば俺は、自覚する2つの心のイメージを持っている。

 

 1つは、物事を考えている時の心のイメージ。このイメージは、婆ちゃんの部屋にあった桐ダンスに四方を囲まれているようなイメージで、俺はその部屋で、知識のタンスを開けるのだ。そうして、タンスを開けて閉める時にひょんな拍子に別のタンスが開いて、それがベストアイデアだったりする。

 もう1つは、何かに想いを馳せる時の心のイメージ。物事を考えるのとはちょっと違って、例えば『あんなことあったなぁ』とか、『あの人どうしてるだろう』なんて思ったりする時の心のイメージ。この時のイメージは黒と紫のワタで作ったドームの中にいるような感じ。と、この中にいる自分は、ドームの外を決して見ず、そもそも外があるのか、ドームになっているのかも分からないまんまで、何かを掴もうと手探りでもがくのだ。

 

 だからなんだと言われると、こうやって考えてみると、小中学校で流行った心理テストじゃないけれど、自分の性格というのがなんとなく分かってくる、ということが言いたいのだ。

 何かに包まれていたくて、外が見えなくて、閉鎖的で。

 そんな自分が嫌いじゃないといえば嘘になるけど、好きじゃないと言っても嘘になる。

 嫌いじゃないけど好きじゃない。それはつまり、当たり前ということだ。当たり前過ぎて考えてもみなかったことで、俺はこの性格を変えようと思ったことはなかった。

 

 ただ、中学生のときに斉藤に会った時、俺は、自分が篭ってきたこのドームに外があるかもしれないという可能性を知った。

 彼女は忽然と自分のそばに立っていて、触れることもないけれど、離れることもなかった。

 ただ、話しかけてくれていた。

 けれど、歩み寄っても一歩離れられてしまうので、その距離感に甘えていた。自分を変えようとは思わなかった。

 

 そして、高校生。

 そこはとてもじゃないけど、いつも通りの日常が待っていて。そのことにガッカリする自分がいて、安心する自分がもっといた。斉藤との距離感はちょっと変わっていたけれど、それはだからといってどうしようもないことだったし、受容して日常にさまようには十分些細な変化だった。

 

 ──それも、ついこないだまでの話だ。

つまり、『各務原なでしこ』と会う、その日までの話。

 

 悔しいけれど、会ってまだ間もないけれど、どうやら彼女との出会いは自分の人生におけるターニングポイントだった。

 そのポイントがどの程度の大きさでどの程度の角度をターニングしたのかはまだ分からないけど、それでも自分が曲がった、曲げられたことくらいは分かった。

 そして、俺を曲げた少女は、なぜか今、確かな現実となって目の前にいるのであった。

 

「……リンくん? どうしたの?」

「──なんでもないよ」

 

 呑気に小首を傾げる彼女が俺の人生をズラしたなど、ちゃんちゃらおかしな話だけど、先の言葉が強すぎているにしても、それでも確かに俺は彼女と出会ってから色々考えるようになったのは事実である。

 目を逸らしていたもの、見放していたもの、見放されていたもの。俺は少しずつ考えるようになった。

 

「そういえば、ここまで自転車で来たの? 南部町からここまで40キロはあるし、まさかとは思うけど……」

「ううん、今日はお姉ちゃんが車で送ってくれたんだ」

 

 お姉ちゃん……。キウイのお姉さんか。

 

「優しいお姉さんなんだな」

「うん! ……けど、怖い時は怖いんだよ? 前だってこめかみをぐりぐりー! ってされたんだから!」

「何も見てないけど、多分その原因はなでしこなんじゃないの?」

「ハイ!」

「おお、良い返事だ」

 

 聞きたくなかった返事だったけど。

 聞けば、姉ちゃんがとっておいたお菓子をつまみ食いしたらしい。なでしこ一家らしいエピソードだなぁ、なんて思いつつなでしこのお姉さんの顔を記憶の底から引っ張り出す。

 脳内に浮かんだのは眼鏡をかけて前髪を垂らした涼やかな顔立ちの美人さん。なでしことは似ても似つかぬ顔と性格だけど、どちらが父親、母親似なのだろうか。

 そんなことを考えていると、白菜を持ったなでしこが声を上げた。

 

「そうそう! 今日は私も明日までキャンプするからね!」

「へぇ、そうなんだ……。……。……ん? 今なんて言った?」

「だから──」

「いや、言わなくていい。思わず自分の耳を疑っちゃっただけだから。それよりも、え? キャンプって、どこに泊まるつもりなんだ?」

「このキャンプ場だよ!」

「ダヨナー」

 

 え? 男と2人でキャンプ? しかも、なでしこの格好を見る限り持ってるのは調理器具ばっかりでテントも何も持ってないし……まさか!? 

 そんなわけがない、と自分の中の理性が俺の頭を打つ。

 ついでに頭を抱える。

 

「……ま、テントとかはまだないから、お姉ちゃんと車中泊なんだけどね」

「……」

「あれ? これって、キャンプって言うのかな? ねえ、リンくん……リンくん?」

「──。──言うんじゃない?」

 

 ダッシュを二つ付けた後の返答。胸につっかえた色々な想いと葛藤を飲んだのか、吐き出したのか。自分でもよく分からないけど、やっとやっとの返事だった。

 自己嫌悪で死にたくなる、けど、男子ってそう言うものだと開き直りたくもなる。……どれだけ言い繕っても顔が熱くなるのは避けられないようだけど。

 

「確か……お姉ちゃんは9時くらいに戻ってくりゅって──えぎゅっ! ……えへへ、ちょっと寒いね」

「俺は熱いよ」

「へ?」

「なんでもない。……ほら、貼るカイロあるから貼りなよ」

「うん、ありがと……」

 

 リュックから取り出した非常用のカイロを三枚なでしこに差し出す。当然のように貼るタイプの奴だ。

 振るタイプよりも断然暖かくて長時間待つ貼るカイロは最強だと思う。学校だと振るタイプの方が流行っているように見えるけど、あれは多分、貼るタイプのカイロをワザワザ見える場所に貼らないせいだろう。斉藤曰く、女子は貼るカイロをつけた上で振るカイロを持ち歩いているらしいし。

 俺が差し出すカイロに手を向けたなでしこだったが、途中でジッと見つめ始めて、中々受け取らない。

 どうしたのだろうか、よもやカイロと間違えて変なものを差し出したのではないかと手元を見るが、普通に普通の貼るカイロだった。

 朱色のパッケージが夕日に当てられてテカテカと輝いている。

「ほら」と念押すように再度言うと、なでしこは恐る恐る俺の顔を見て尋ねた。

 

「……せ、1500円?」

「いや、取らないから」

 

 カレー麺ネタまだ引っ張ってたのか。

 確かに好意の押し売りであることは認めるけど、当たり前の話、それはあくでプライスレスだ。

 というか、プライスレスじゃない好意ってそれはもう、ただのビジネスでビジネスライクだろう。好意だけに。

 とはいえ、彼女の頰の端が微妙につり上がっていることを考えれば、あの時の俺に対する可愛い意趣返しであることは容易に想像がつく。

 まぁ、あの時と違わず主導権たる物資は俺が持っているわけなんだけど。

 

「いらないならしまうけど」

「いりますいります! ないと死んでしまいます!」

「極端な奴だな……」

 

 3枚のカイロをまとめてなでしこに渡す。

 そしてポワポワとした笑みから放たれる「ありがとう」。

 俺は、なんとなくそっと目を逸らした。

 

「ねえ、リンくん」

「なんだよ」

「背中の方に手が回らないから貼ってくれない?」

「……目にでも貼り付ければ? 多分一番あったかくなるよ」

「辛辣だ!」

 

 辛辣で結構。君みたいに悪辣であるよりは100倍マシだ。

 とはいえ、カイロを渡した手前、その返しだけではあまりにも酷いと思い直し彼女にいくつかアドバイスを送る。

 

「お腹、あと腰回りに貼れば十分だよ。背中や首筋なんかはカイロが当たりにくかったり当たり過ぎたりしてあんま良くないから」

「そうなの? 家だと学校に行く前に肩甲骨の間あたりに貼ってもらうけど……」

「いや、それは間違ってないよ。むしろ、太い血管が通ってるからそこに貼るのは正解だと思う。……ただ、今のなでしこは体の芯から冷えてるわけじゃないだろうし、それなら腰回りと腹回りとかの自分の手で押さえられる場所につけておいたほうが加減が効いていいと思って」

「加減がいいかげんにつく、ということ?」

「別にそんなシャレを言いたかったわけじゃない。というか、ちゃんと加減がつけられるから良いって話だっただろ。だったら『いいかげん』じゃなくて『好い加減』なんじゃ」

「……こんな感じ? リンくん」

「スルーかよ。こら、服をまくるな。まくって俺に見せるな、見せつけて来るな」

「……?」

「いや純粋か!」

 

 思わず大きい声が出た。だけどそれもしょうがないというモノだろう? (そして、こちらはしょうもない話ではないだろう)

 鈍感とか純白とか、無垢だとかそんな粋じゃない。こいつのコレは非常識の域だ。

 直ぐに白いシャツ(正確にはうっすらとピンク色で隅の方に小さな花の刺繍がついている)から目と顔と身体を背けて、カイロ共々それを隠すように要求する。

 

(全く……)

 

 女子の薄着に過剰反応する俺の方が幼いだけなのだろうか。それとも、やはり彼女がはしたないだけなのだろうか。だとしたら、彼女は噂に聞く女子校に生きる女子高生よりも恥じらいと躊躇いのない猪突猛進だということになるけれど。

 ……いや、なでしこは恥も躊躇いも持っている。

 持っているが、一方で警戒心が圧倒的に足りないのか。

 他人に……そして男に対する危機感が。

 俺が男扱いされていないだけだとかは流石に思わないし思いたくない。そんな考えが許されるのは手元のオカルト本よりもオカルティックな三文芝居の恋愛小説だけだ。彼女は、俺を他人であり男であると認識した上で、前のキャンプで優しくしてもらえたという思い出だけから警戒心を著しく下げている。それはもう、致命的なレベルまで。

 

「それにしても」

 

 と、手持ち無沙汰に本の表紙をざわりと撫で、平常の風態を装って俺は気になっていたことを聞いてみた。

 

「よく、親御さん……いや、なでしこのお姉さんがここに来ることを許したよね。年端もいかない──なでしこみたいな危機感のキの字もない女子を男子が寝泊まりする場所に送り込むって、一般的に考えてやばいんじゃないの?」

「うーん? 普通に許してくれたよ?」

「ちなみに、なんて言ったんだ?」

「……あ、そろそろ日が落ちそうだね」

「おい、誤魔化すな」

「えへへ。私ね、この前のキャンプに行くまで夜空って黒色だと思ってたんだ。けどね、それって街が明るいから空が暗く見えてるだけで、ホントはもっと鮮やかで、深くて、黒くて、青くて、赤くて、白い色なんだって、気付いたんだ」

「無視かよ」

「街でも、時々夜空が物凄い色に見えることもあるけど、それとはちょっと違うんだよね」

「……まあ、なんとなくわかるよ」

 

 世紀末かってくらい赤かったり、明け方のように青かったりするもんな。街中で見る夜景って。

 それには原理的には街による光害と空の湿度の二つの関係が大きく関わっているらしいが、けどなでしこが言いたいのはそう言うことではなくて、どうやら彼女にとってはとっても革命的で深い有様の話であるようだった。

 

「ちがうちがう。こうっ、ブワッと広がっていて、グワッと奥に行く感じ!」

「ウワッ! 危ないからおたまを振りかざすなって」

「だってね、リンくん。星に奥と手前が見えて、それを目印に空を見てるとドンドン上に上がってくんだよ!」

 

 ブンブンとおたまを振って熱弁するなでしこ。

 なんだか、その姿におじいちゃんに一生懸命話しかける幼い自分の姿が重なった。

 だからどうっていうことはないんだけど。

 

「つまりね、私の人生はあの時の富士山にねじ曲げられたと言っても過言じゃないんだよっ!」

「……そうなんだ」

「そうなんですよ。ゆー、ターンしちゃいなよ、ゆー。って言われた気分だったね」

「Uターンって、それだと、悪いことみたいだけどね」

 

 グツグツと煮えたつ鍋のアクを取りつつ空を見上げるなでしこ。

 空はいつの間にか、夜色に染まっていた。

 深い、深い、深海のような青色の空が富士山を包み込む。

 

「……あのさ、リンくんって斉藤さんとなんであんなに仲良いの?」

「友達だから」

「そうじゃなくてっ……あのね、あおいちゃん達が『志摩くんは学校だと斉藤さんとしか話さない』って言ってたんだよ」

「まあ、雑談はあんまりしないかもな。クラスの人たちと仲が悪いわけじゃないんだけど、特に語り合いたいことがあるわけもないし」

「特に語り合いたいことじゃないことを語り合うのが雑談じゃないの?」

 

 無邪気なボディーブローが俺のみぞおちのいいとこに入る。

 

「あっ、そういえば斉藤さんも『リンは仲良くするのも仲悪くするのも苦手なんだよー』って言ってた……」

 

 予想外のフックが2コンボ目を飾った。

 

「あいつら……」

「私もそう思うよ?」

「なんでトドメを刺したの? 恩を返しに来たって、お礼参り的な意味だったの?」

 

 千五百円の恨み、食べ物の恨み晴らしだろうか。

 少なくとも、俺の心はもう腫れ上がっているけれど。

 

「……だから」

「……?」

「リンくんと仲良い斉藤さんを真似したら私もリンくんと仲良くなれるのかなって、思ったんだー」

「……あぁ、そういうこと」

 

 俺は幾ばくかの納得と、少しばかりの理解を言葉にした。

 

 ────ゴゥー──、──ゴゥー──。と唸るガスバーナー。

 グツグツと煮えたぎる鍋。

 静まり返った空と遠くから聞こえるキャンパー達の声。

 夜はまだ、始まったばかり。


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