汚泥の中、儚き光   作:Masty_Zaki

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理想

 半壊し、完全に道としての機能を失ってしまった灰色の道路――その丁度真ん中を縦断するように、小さな足跡が転々と真っ直ぐ続いていた。それは一人の少女から滲み出した、足裏の血でつくられたもので。

 長髪の女性――星月みきは、完全に意識を失ってしまった少女を抱きかかえ、痛ましげにその足跡を眺めながら、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 続いて辺りを見渡す。初めから当てになどしていなかったが、周囲には人一人いるわけもない。ならば胸に抱く彼女は誰にも頼ることができず、足の激痛に耐えながら、一人でここまで来たと言うことになる。

 もしみきがここに現れなければ、この少女は一体どうなっていただろうか。

 ほんの一瞬の想像で、全身に悪寒が走り、その悪夢を振り払うように首を強く横に振った。

 とにかく、安全な場所に移動させてあげなければならない。

 まだ任されたことの完遂はしていないが、人名を救護することこそ与えられた使命の本質だ。

 痩せ細り、華奢な少女であるとはいえ、それでも人間を腕で持ち上げているのに、自分の腕の限界が来ていた。身体に衝撃を与えないよう、慎重に背中に移す。

 

「この子の……手当をしなきゃ」

 

 あいにく今は医療道具等の手持ちがない。戻った先に必要な者があるかどうかは不明だが、少なくともここに放置しているよりは幾分も安全だろう。

 少女を背負い、みきは来た道をゆっくりと戻る。首筋に少女の弱々しい息遣いを感じながら。

 

 誰にも会わぬまましばらく歩き続けていた。

 背中の少女の呼吸は素人判断ではあるが少しずつ安定しているような気がする。とりあえずはその様子を見て安堵感を覚えた。

 伝わってくる少女の温もり。その温度が、平和だった遠い昔の記憶を思い起こさせる。かつて同じように、かけがえのない妹を負ぶって帰った夕方を。

 みきには妹がいた。故郷に戻らず、遠い世界に残り、そこで出会った仲間と共に、『希望』であることを選んだ、誇るべき妹が。

 あの子は今、元気にしているだろうか。不器用が災いして、向こうのみんなに迷惑をかけていないだろうか。姉として、そんなことを考えてしまう。彼女はもう、一人前の『希望』なのだから、きっと大丈夫だろうに。

 昔は妹の方が甘えん坊だったが、自分もまだまだ妹離れができていないと言うことなのかもしれない。

 

 そんな現実逃避じみた回想から、一瞬にして現実に引き戻される。

 その原因は、ほんの僅かに鼓膜を叩いた、小さな小さな物音だった。

 そしてその物音に釣られて警鐘を鳴らす、第六感。

 これはそう、この世界を守る者としての、星守としての直感である。

 物音のした方に警戒の視線を向ける。少し遠く離れた場所にある、ここからでは真ん中の高さから倒壊したビルの死角になっている物陰。

 ナニカが風を切って向かってくる。

 間違いない、敵が来る――咄嗟の判断。背負っていた少女を少し離れた安全な場所に座らせ、すぐに飛び出す。

 それは既に姿を現していた。鋭い爪を持つ一本の足、瘴気を孕む大気を引き裂くコウモリのような一対の翼、標的を威圧するかのように前で組まれた両腕――クィン種の大型イロウス、ラプターである。その中でもかなり大きな個体である。どうやら一体しかいないようだ。

 躊躇なくみきは戦闘態勢に入る。大地とリンクするイメージ。全身が淡く発光し、身に纏っていた洋服が光となってパージする。そして全身を包み込む花のような戦闘装束がみきに力を授けた。

 星守のバトルドレス、星衣である。その両腕には一振りの大剣が握られていた。淡く輝く桃色の剣。いくつもの苦境をその刃で切り拓いてきた。

 先制攻撃を仕掛けたのはイロウス。バチバチと不快な音を響かせながら、三本の雷撃の矢を解き放つ。

 正面、右、左、ただでさえ弾道は速く、追尾性能もある矢が、逃げ道を塞ぐように襲いかかる。

 一方みきも星守としての戦闘経験は豊富である。この程度の攻撃は何度も掻い潜ってきた。

 右にも左にも避けられない、かといって防御できるような攻撃でもない。下がってしまえば続けざまに遠距離攻撃を連発されるだろう。長距離を射程として支配するイロウスを相手に、近接武器で逃げ回るのは得策ではない。

 一瞬でそれだけの判断を下し、みきは踏み込んで前に出た。迷いない全身。正面の雷撃をギリギリまで引きつけ、衝突する寸前で、地を駆けつつ身を低くして躱す。

 低くなった体勢、次の一歩をバネにして、一気に地面を蹴る。十メートルはあった距離をそのステップで踏み潰し、イロウスに斬撃を叩き込んだ。桃色に輝く剣閃――流麗な起動を描く。

 イロウスは慌てて羽ばたき横に回避、しかし僅かに反応が遅れたせいで刃が翼を掠めた。斬撃による衝撃と、切りつけられて損傷しバランスを崩したことでふらつく。

 みきの追撃、第二撃の横薙ぎを、その鋭利な爪で弾く。その反動で距離をとりつつ、さらなる雷の矢でみきを狙う。

 万全な体勢でない雷撃を、みきは苦もなくしなやかな体捌きで全て躱してみせた。そのまま再び距離を詰め、攻撃のモーションに入る。

 ラプターは再び爪で防御――みきはこれを読み切っていた。

 地を蹴り、垂直に飛び上がる。

 完全に正面を警戒していたラプターは、その爪は標的を失い空を切り、体勢を崩す。

 上をとったみきは、その剣に力を溜め、それを縦横無尽に振り抜いた。

 

「やああああああっ!!」

 

 ラプターに降り注ぐ光の斬撃、ラプターには抵抗する術もなく、その光に切り刻まれた。

 瘴気となって、空中に霧散していくのをしかと見届ける。もう幾度となくこの手に刻みつけてきた感覚。きっとこの手には、イロウスを切り裂いたのとは別の感覚を残しているのだろう。

 周囲に他のイロウスの気配がないか警戒を巡らせる。姿は見えず、音も聞こえない。気配も全く感じられない。

 戦闘を終了し、星衣を解除。光の粒子となって消えていく。全身から力が抜けていく感覚。責任、重圧から解放される感覚に近い。

 

「ふぅ……」

 

 小さく溜息。この手には、まだ僅かに震えが残っている。

 躊躇うことなく身に纏った、人を守るための力。その鼓動。震える両手は、確かに恐怖と後悔を覚えていた。

 

 ともあれ、周囲の安全は確保された。早く少女の元に戻らなければ。

 身に纏わり付くナニカを振り払うように踵を返す。振り返った先には、先程まで気を失っていた少女が立ち上がり、ゆっくりこちらに歩いてきていた。

 焦ったみきは表情を強張らせながら彼女の元へと駆ける。

 

「あなた、危ないわ! 足怪我してるのに!」

 

 急な大声に少女は身を竦ませる。

 自分の失態に気がついて、ばつが悪そうに小さな声でごめんなさいと謝るみき。

 改めて背中に負ぶさるよう促すと少女は少し迷いがちに、そっとみきの背中に体を預けた。

 

 進むべき道を進む。人気のない、破壊され尽くした道を。

 みきの足音だけが遠くへと響き渡る。もはやそれを遮る建物さえ周囲にはなかった。

 赤黒い焼き尽くされたような空が、全ての音を飲み込んでしまう。

 背中のこの子を連れて行って一体どうしようというのか、みき自身にもよく分からない。

 このような絶望的な環境で、致命傷に至らない程度の傷の手当をしてあげたとして、この子の将来に明るい光でも指すのだろうか。

 

 ――今の私に、誰かを助ける資格などあるのだろうか。

 

 思考が沈んでいく。心の中のみき自身が、泥の中に顔を埋めようとしていた。

 

「あの……」

 

 思考が泥に消えてなくなる直前、背後から声がした。少女の声だ。

 まさか話しかけられるとは思っていなくて、みきは驚いて足を止めた。

 

「星守……ですよね……」

 

 心臓を握り潰される。そんな気分だった。

 今この世界で、星守という存在がどういう扱いなのか、知らない者はいない。なぜならこの世界で、星守は、『敵』なのだから。

 

「うん……そうだよ……」

 

 肯定せざるを得なかった。しかしその言葉は空に霞むくらい、弱々しく力のない声だった。

 背中の彼女を下ろそうとしたときだった。

 

「私、星守になりたいんです」

「え……?」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 星守――それはイロウスの魔の手から人類を、世界を守る希望。

 しかしその希望は、一度イロウスによって敗北した。その先に待っていたのは。闇の軍勢の手先となり、傀儡となって、不本意に人類を襲い、破壊し、殺戮を繰り返す日々。

 人々は希望に裏切られた。我々を守る者が、我々を脅かす者に変わったのだと。

 繰り返される地獄の日々。イロウスからだけでなく、星守からも身を隠さなければならない毎日が続いた。

 一方で、たとえイロウスが人の手で葬ることができなくとも、同じ人間である星守が相手ならば、殺傷することが可能だろうと考えた人間もいた。

 彼らはレジスタンスとして組織し、あらゆる手段を用いて星守たちを抹殺しようとした。

 

 無駄。

 

 その一言に尽きる無謀無策だった。

 立ち向かったレジスタンスはその悉くが傷つけられ、踏み潰され、踏みにじられ、叩きのめされ、破壊され尽くした。

 勝てるはずもない。元々強大なイロウスをいともたやすく狩ることができる人智を越えた存在なのだ。たかが一般人程度の戦闘力で刃向かえる相手ではない。

 星守たちは、闇の力を振り翳し、何十、何百と罪のない人々を殺め続けた。

 

 そして、この世界は異世界によって救われる。

 遠い平行世界の向こう、存在を同じくする星守たちの活躍によって。正しき『希望』を理解した、みきのたった一人の妹によって。

 星守を星守たらしめていた神樹――それが闇に汚染された闇神樹は完全に消滅する。そこから新しく、本来の姿を取り戻した神樹の芽が萌えた。

 星守たちは自我を取り戻し、あちら(・・・)の世界で希望になることを選んだ仲間に見送られて、元の世界に戻ってきた。

 

 彼女らを迎えたのは、温かい言葉でも、希望の復活を宣言する祝砲でもなかった。

 憎悪、怒号、そして攻撃。

 その時彼女たちは知った。己自身の罪を。築き上げられた信頼は、とうの昔に瓦解していたことを。そして、この手が既に、血の匂いがこびりついて消えないのだということを。

 もう、星守などと呼ばれない。

 

 ――『魔女』『悪魔』『人殺し』『人でなし』

 

 蔑称の数はこんなものではない。突き刺さる冷たい視線に、怒りの眼差しに、投げつけられる拒絶、否定の暴言に、少女たちの心は粉々に砕かれた。

 もうここに、私たちの居場所などないのだ。既に私たちは、世界の天敵なのだ。その真実に、気がついてしまった。

 

 これが、この世界の私たち。

 

 これが、絶望へと転落した、希望の慣れの果て。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そう言われて、みきの全身から血の気が引く。

 心臓を鷲掴みにされたような、全身を冷水で打たれるような、底冷えする感覚。

 星守になりたい――よもやこんな言葉を今になって聞くことになるとは思わなかった。

 この世界がイロウスに侵食される前、誰もが星守に憧れを抱いていた、少し前の平和な世界でならいざ知らず、世界の天敵となった現状で、その天敵になりたいと戯言を抜かす人間が、こんなところに。

 

「……なりたいって、あなた」

「さっきも見てました。イロウスをあんなに簡単にやっつけちゃうんだって。ああやって、いつも私たちを守ってくれているんだって」

 

 そうだ。その通りだ。確かにこの手は何百ものイロウスを倒してきた。だが同時に、何百もの人間を絶望の淵に叩き落としたのも代えようのない事実なのだ。

 それに、もし本当に星守になれたところで、誰も彼女を祝いはしない。ねぎらいもしない。報われることなどないのだ。

 いや、なれなくとも、星守になりたいと主張するだけで、彼女はターゲットにされてしまうだろう。もしそうなれば、本当にこの世界に彼女の居場所がなくなってしまうかもしれない。

 

 ――もしかしたら。

 

「ずっと思っていました。私は星守になりたい。どんなにどうしようもない時でも、絶対にみんなを、世界を守ってみせる、そんな星守になりたいって」

 

 遅かったのか。もはや彼女は、仲間にすら切り離されてしまったのか。

 

「そうしたら、みんな私を怒りました。馬鹿なことだって。お前はおかしいって」

 

 人を助ける存在になりたいと願うことの、一体何が愚かだというのか。彼女の瞳は、その理想に塗りつぶされていて、一切の疑いを見せることはない。

 この現状にあってなお、彼女は信じているのだ。星守の正義を。彼女の絶対的な理想として。

 

「みんなが暗くて悲しい顔をしているから、私がなんとかしてあげたい……だからそのためには、星守にならなきゃいけないんです」

 

 あまりに眩しすぎた。それはかつて星守に憧れた自分であり、そして妹の姿と重なった。

 たくさんの人間が星守に憧れて、数多の少女がなりたいと焦がれ願い、その中の数粒が選ばれるに至った。

 今彼女が星守になるのに、そしてそうなりたいと主張するのに、何のメリットもない。少なくとも現状維持として平和に暮らしていくには、何も言わずに黙って願い続けるのが最善なのだから。

 でも――もしかしたら――

 脳裏によからぬ幻想が浮かんでは消え、また復活する。

 手を伸ばしかける。もしかしたら、彼女は『希望』なのではないか。

 分かっている。もし彼女を匿おうとするものなら、レジスタンスの連中が黙っていないだろう。確実に彼女も標的にされ、そして理想を叶えることなく抹殺される。

 星守になることに、そう主張することに、そこから先の未来はない。文字通り、希望が絶たれている。何も残らない。無意味な犠牲を生むだけだ。

 でも、こんな光なき世界に、曲がることも霞むこともない、真っ直ぐな理想がそこにあるのなら、それがいつか、一筋の道標になってくれる、そんな予感がして。

 

「――あなた、名前は?」

 

 危うい理想へと必死に腕を伸ばす、その華奢な腕を、掴んでしまった。もう、後戻りはできない。

 既に彼女の理想は、みきの体を毒のように蝕んだ。

 

「……オウカ……染井櫻花(そめいおうか)

 

 背中越しに聞こえる少女の名前。櫻花の名前。

 守りたい、ではない。守らなければ、という義務感。あるいは強迫観念。この子を失ってしまったら、もうこの世界は本当に終わってしまう。そんな破滅的な幻想に縛られて。

 

「そっか……」

 

 ただ、可能性に賭けたかった。

 彼女が星守になるのかどうかは分からない。今のあの小さな神樹の芽に、星守を新しく選出する力があるのかも分からない。

 それでも。その愚かしくも脆く儚い理想に縋り付いていたかった。

 お互いに口を開かぬまま、崩れ去った一本道を進んでいく。

 背負う少女は、名前を知る前以上に重く、巨大な鉛玉のようにのしかかっているように感じていた。




リハビリというかなんというか。
少しずつ書いていきます。

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