#1 喪失
当たり前にある日常は、いとも容易く崩れ去る。
続くと思っていた幸せな時間が、世界に蔓延る邪悪に飲み込まれていく。
自宅にて食事を共にしていた筈の家族が、親友が、そして自分が、まるで矮小な虫の様に殺害されていく様子を見る事しか出来なかった。
何も出来ず死ぬ自分が悔しい。いつも一緒に笑いあった家族や友と暮らせなくなるのが嫌だ。
みんなの幸せを屠るあの怪物が―――。
―――憎い。
「ーーーーーーッッ!!!!!!」
力無き青年の最後の叫びと共に爆風が巻き起こる。辺りに舞う粉塵に包まれると青年の意識は途絶えた。
――
先程まで怪物に襲われていたのでは、と思考を巡らせるが頭痛が邪魔をしてその後の記憶が蘇らない。
この状況に困惑していると、扉が開く音がする。そちらへ目を向けると、白衣を着た小柄な女性が目を丸くして楓を見ていた。
「霧島君、意識を取り戻したの!?」
直立不動で絶句したままの女性に楓は事情を聞いてみる。
「あの、僕は一体…何があったんですか? それに僕の家族や友人は……」
戸惑いながらも楓が問うと女性ははっと我に帰る。
「まだ安静にしてて頂戴。今からゆっくり状況を説明するわ」
女性が自分の胸に手を当てて深呼吸をする。
「私は
「怪物、あれは夢じゃ無かったんですか……それじゃあ僕の家族は、友達は、どうなったんですか!?」
「……遺体の情報と身元から照合した限り、ご家族は亡くなられたわ。ご友人と思われる血痕や衣服の破片は残っていたけれど、遺体自体は発見されなかったわ」
目の前に叩きつけられる事に楓の目から涙が溢れ出す。
「嘘、つかないで下さいよ。いきなり出て来て何ですかそれ、そんな訳ないでしょ」
言葉ではそう言うが、楓には分かっていた。あの時誰も助かっていなかった事を。そして自分さえも生きている訳が無いと。
「それじゃあ僕だけなんで生きてるんですか?」
「あなたが……」
藤村が口をつぐんで唇を噛み締めるが、意を決して伝える。
「その怪物、ラフムになったからよ」
「は?」
「ラフムは”ティアマト”と呼ばれている組織が生み出した異形の怪物。ラフムは知能を持たず、ただ人を殺害するの。その中でラフムとなる素質のある人間がまたラフムになる、とされているわ。現状はね」
「じゃあ僕はまさかそのラフムってのになる素質があったからここにいるんですか?」
「その通りよ。霧島君も辛い事があったのに、こんな事しか言えなくて、ごめんなさい」
藤村が淡々と答える。が、その手は確実に震えていた。
次々と告げられる信じられない真実に楓は頭の中が真っ白になった。手を見る。人間のまま。足を見る。人間のままだ。
「嘘をつくな! 僕の姿は人間だ!」
「まだ研究中だけれど、ラフムはどうやら人間の姿に戻れる、らしいわ」
それを聞いて楓の記憶が少し蘇る。家にいきなり押し入った数人の男達がラフムに変わる瞬間の記憶だった。その情景がフラッシュバックした時、楓が筆舌尽くしがたい鳴咽を含んだ叫び声を上げた。
「僕がラフム!? 僕が怪物!? 意味が分からない!!」
楓が信じられるか!と絶叫する。
「落ち着いて霧島君! どうか私の話を聞いてちょうだい」
楓の顔をがしっと掴み藤村が言う。いつの間にか大粒の涙を溢す楓はただ素直にはい、と答える。
それから時間を置いて、楓が落ち着いたタイミングを見計らって再び藤村が口を開く。本人は淡々と語り始めるが、彼女は青白い顔をしている。怪物となった楓に恐怖しているのだろうか。
「私達があなたの家に向かった時、その場で生きていたのはラフムとなっていたあなたとラフムだったと見られる男達しかいなかったの。これがどう言う状況か分かるかしら?」
藤村の問いに楓は乱れた呼吸でしか応答が出来なかった。そこで彼女は楓に深呼吸をさせる。と、楓は先程の問いに答える。
「もしかして……僕が倒したんですか? ラフムを」
「とても勘が良いわね、霧島君。大正解よ。あなたが世界で初めてラフムを倒した人間なのよ」
人間?楓がそう呟く。
「さっきはラフムだなんて言ってごめんなさい。あなたは、そう、特別な人間なの。ラフムの力と人間の意思を持った唯一無二の存在……その証拠に、あなたを目撃した私達を一人も攻撃せずにラフムの力を解いて、眠ったの」
「え?」
と、唐突に藤村が眉を上げて微笑む。
「今は記憶が曖昧になっていて困惑しているでしょうけど、あなたは、既にラフムの力をコントロールしているの」
再び楓の記憶の一片がフラッシュバックする。大切な人が皆奪われた悲しみ。そして怪物への怒り。
それが彼の力となって体中を緑色の粒子が覆いラフムへ変貌する瞬間。
と共に目の前の凶悪な怪物を薙ぎ払う光景。
自分は奴らを、倒していた。まるで路地裏の不良を蹴散らす様に。
「思い出しました、やっと…そうか。僕は、人間です。ラフムの力を持った、人間です」
「その意気よ霧島君。ご両親、ご友人の事を救い切れなかったのは我々の落ち度だけれど…あなたにはその力で私達”
そうは言いつつ藤村の蒼白した面持ちは変わらない。
そんな彼女を見て楓は彼女に問う。
「僕の事は、これから考えます。それより今は、藤村さんの事も心配です……怖いですよね、僕がラフムの力をコントロール出来ていないかも知れないですから」
「あ…そうね。そんなにひどい顔してたのね。そう、まだやっぱり怖いのかも知れないわ」
「ですよね……僕でさえ自分が怖いですし。でも、そうしたら僕を拘束でもしたら良いのに」
「これは、あなたが人間である事の証明であり、私達を信頼してもらう為の覚悟よ。ただのケガ人に拘束なんてするかしら?」
藤村が楓の顔を覗きながら問うと、楓は少し儚げな表情をしつつも微笑んだ。彼女の一存なのか、組織の意向なのかは知らないが、自分を良く扱っている事だけは理解し、安堵した。
――
楓が藤村から自分がラフムに襲われてからの事を教えて貰いつつ回復に専念する。彼女の話によると襲われてから一日が経過し、この組織、「
「それにしてもラフムって言うのは凄いわね。ラフムとの戦闘で恐らく人間では致命傷レベルのダメージを受けているにも関わらず、たった一日で意識を取り戻して、もうこんなに会話が成立するなんて」
「自分でも実感湧きませんよ。でも、この力が僕の命と大切な物を奪ったんです。どんなに治りが早くても、あまり嬉しい物じゃありません」
そうよね、ごめんなさい、と藤村が不謹慎な発言であった事を謝罪するが楓はでも、と続ける。
「こんな強い力なんです。僕みたいに大切な人を奪われる前にラフムと戦って誰かの役に立ちたいです。この力でも誰か守れるかも知れない。そう考えたいんです。例えば核エネルギーだって、誰かを傷付ける事も誰かの暮らしを支える事も出来た。ラフムも、きっとそう出来ますよね」
その言葉に藤村は何も言わないが、感動を覚えた。
「あなたがラフムで良かったわ、霧島君」
「僕の大切な人達が奪われた事を無駄にはしたくないんです」
楓はそう言うとよし! と気を張った。
「お陰様で体力も回復してきました。藤村さんの言う、バディ?の力になりたいです。僕に何か出来る事はありませんか?」
いきり立つ楓に藤村は苦笑いを浮かべる。
「そんないきなり張り切らなくて良いのよ、病み上がりだし。でも、あなたに今すぐ協力して貰いたいのも山々ね。取り敢えず長官に報告するわ」
と言って藤村は懐から連絡機器を取り出し連絡をする。しばらくはい、とか了解です、等と会話すると連絡機器をオフにする。
「取り敢えず私について来て」
こく、と楓は頷き立ち上がる。
――
バディの基地の広い構内をしばらく歩き、藤村は大きな区画に入る。そこは正しくオペレーションルームと言った様相で、全国各地のバディ職員が状況確認を連絡している。楓が今立ち入っているのは恐らくその中央指令室だろう。そして指令室の中央の一回り大きいデスクに座しているのが、多分にこのバディを統べるリーダー、と楓は推測した。
「長官、霧島君を連れて来ました」
藤村がそう告げると長官と呼ばれたバディのリーダーであろう細身で長身の男性が椅子を回転させこちらへ向く。
「ああ、良かった。正常に意識を取り戻したね」
楓を見ると長官ははにかんでこちらへと歩み寄る。
「私はこのバディの長官、つまり最高責任者を務める
爽やかにそう言うと長良長官は楓に手を差し伸べる。
「これは、君が我々に協力してくれると言う証明となる握手だ」
「はぁ、協力って具体的に何をすれば?」
楓が握手しようと手を出すと長官は手を後ろに引く。彼の不可思議な挙動に楓が怪訝な顔を見せるが、長官は笑顔を崩さない。
「第一に…ラフムと戦って欲しい」
先程の笑顔から一転、長官の表情が険しい物になる。
「先に手を出しておいて悪いがこれからラフムと戦闘をして、君が傷付くかも知れない。誰かの犠牲を目の当たりにするかも知れない。知りたくない事を知るかも知れない。それを覚悟して私達バディの力となる事を許諾した時に初めての握手だ」
それを聞いて楓はそうですか、と呟いて拳を握った。
「僕はあなた方の力になりたいですが、この力についてまだ何も分かっていないんです。もう少し時間を頂けませんか?」
「勿論だ。私…いいや、私達は君の意見を尊重するよ」
そう言うと長官は差し伸べていた手で楓の肩を叩く。
「もう少し見て行くと良い。きっと色んな事が学べる。あ! バディって組織の事は公には内緒だけどね!!」
長官はそう釘を刺す様に言って笑った。その言葉に甘えて楓もはい、と答えようとしたその瞬間だった。
バディの基地にけたたましく非常事態を告げるサイレンが鳴り響く。
職員らは一斉に持ち場につき状況確認に従事する。と、指令室の目の前のモニターに現場の職員が映る。
「本部! こちらは東京都港区海岸一丁目! 竹芝埠頭にラフムが出現しま」
その瞬間モニターに映っていた職員が堅牢な鎧を纏ったラフムに殴打された。
「午前九時二十三分! コードネーム”ロックラフム”出現を確認、機動隊は直ちに急行せよ!!」
オペレーターの号令と共に機動隊長の合図が聞こえる。それを見て長官は再び楓を見る。
「霧島君、握手もままならないけど、行ってくれるか?」
「……じゃないとまた誰かが死にますよね」
長官が眉間にしわを寄せながらうなづく。
それを見た楓は滝の様に流れ出る冷や汗を拭いながら、行きます、と呟いた。
彼は少し前までの平和な日常とのコントラストに気が動転し、今にも卒倒しそうだった。
だがその緊張が返って彼を…”