十二月三日、午後十一時三十二分。
食事を済ませた楓はここが一体どこなのかを老婦―――
彼女によると、ここは神奈川県茅ヶ崎市、相模湾に面する海沿いの地域らしい。
黒木を追って東京からここまで来た事に楓は我ながら驚愕する。だが、それ程の執念を持つ実感があった。
「それで、あんたどこから来たの?」
「…東京からです」
「結構遠くから来たのねぇ…いつものバイクは?」
「ありません」
それを聞いた茜はまさか、と言いたげな驚きの表情を見せて楓の状態を察する。
「走って来たんかい!?」
「ああ、体力は回復したし、外傷もありません。だからそんなに気を遣わないで下さい」
軽々しく言って見せる楓に茜はため息を溢すと、楓が座るテーブルの向かいに腰を下ろした。
「あんたの戦い、いつも見てたよ。危なっかしくてハラハラしたよ」
「それは、お見苦しい物を…見せました」
「それがさ、外に稼ぎに行った息子に似てて、なんだが懐かしくなっちゃったのよ」
そう言うと茜の目線は横の写真に移る。それにつられて楓もその方向を向いた。
茜と、その夫、息子の三人が写った家族写真だった。
「三年前にお父さんが亡くなってから息子は”母ちゃんを食わせていけるのは俺だけなんだ”って張り切っちゃって、寝る間も惜しんで仕事ばっかしてたね。そのいつもヘトヘトなのにこっちが元気を貰える様な姿が、あんたとそっくりだったのよ」
「今はもうちょっと身を固めて入れる職場を見つけたって遠くの地方へ行っちゃったけど、毎月仕送りしてくれるし…ほんっと親孝行もんだよ」
「その、遠くの地方って?」
「確か桜島だったかね、鹿児島の」
桜島。その名を聞いた楓は何かを察して、眉間にしわを寄せた。
「どうしたの?」
「いえ……」
(桜島…そうだ、その辺りだ…そこに、”黒木”がいる、そう感じる……)
シャドーラフムの一部を取り込んでから楓は、原理不明の力によって黒木のいる位置を直感的に把握出来る様になっていた。それによりここまで黒木を追って来ていたのだ。しかし力尽きて以来距離を離され、位置の情報が曖昧になっていたがようやくハッキリした。
だが、それと同時に桜島と言う場所に不穏な感覚を覚える様になった。茜の息子がそこにいるのも黒木と無関係では無い様な、そんな悪寒が走った。
そして、黒木の居場所が分かった途端に心の中がざわつき、虚空から声が囁いた。
―――進め。
―――休むな、甘えるな。
―――黒木が憎いだろう。
―――早く、早く喰らえ
―――のうのうと生きているあの外道を
頭痛の様にじわじわと脳を締め付けるその響きに耐えかね、楓は頭を抱えながら歯を食い縛る。その異常な光景に茜は動揺しながら声を掛ける。
「楓君! どうしたんだい!? 楓君!」
これがフラストルの作用である事はすぐに分かった。だからこそ楓はこの声に全てを委ねていた。この声が自分の本能であり、本心なのだと。故に彼は声に導かれるまま重い体を引きずりその場から動こうとする。
「楓君! 少し休んでいきなって!」
茜の声は届いていなかった。自らの内から出る声に支配された楓は人形の様に鈍重な体を動かし外へ出ようとうごめいていた。
遂には茜の制止を振り切り楓が玄関から外へと飛び出した。それを追って茜も家から出て行くと、思いがけない光景が広がっていた。
「母ちゃん、ただいま。オレ、仕事頑張るよ」
桜島にいた筈の息子が、暴れ続ける楓の首を締め上げながらそこに立っていた。
茜はしばらく言葉も出ず、その場に立ち尽くした。
「シャドーってラフムが言ってたんだ、仮面ライダーを一人でも殺せば安定した裕福な暮らしを保障するって」
茜の息子―――石井
「前金もくれたんだぜ、1000万…まさか家にいたとは思わなかったけどシャドーの言う通りだったな」
そう語る間にも楓の首に掛けられる握力は増し、彼の顔面は
が、楓もやられてばかりではいない。恵介の腹部目掛けて爪先を立てた蹴りを見舞い、その痛みで力が抜けた隙に彼の手から脱した。
「―――ごほッ、うぅ…ふー……茜さん」
不幸中の幸いと言うべきか、恵介の絞首により正気を取り戻した楓が茜を呼ぶが、彼女は立ちすくんだまま顔を蒼くしていた。
最悪の状況として予想していた事が、今目の前で起きてしまい落胆する楓だったが、何とか正気を保ちながら茜の肩を叩いた。
「茜さん…信じられない事でしょうが、息子さんはティアマトの手に堕ちています」
「嫌ッ!!」
事実を拒絶する茜に楓は掛ける言葉を見失う。が、”それでも”、と自分に言い聞かせると同時に茜に語り掛けた。
「起こってしまった悲劇は変えられない。でも、これ以上の悲劇は繰り返さない」
「僕が元の息子さんに戻しますから、茜さんは周りの人に助けを求めて下さい」
そう言うと楓は外に出ようとしていた時に持って来ていたウェアラブレスを腕に装着する。
一方の茜は涙ぐみながらも楓に背中を押され、家へと戻った。
《Account・Frustration》
「茜さんから少し話は聞いています…親孝行な人だって」
「だからこそ、ティアマトなんかに…黒木の野郎なんかに協力しちゃいけなかった」
「テメェに何が分かる!? オレにも、家族にも都合があるんだよッ!!」
「僕には都合を付ける家族はもういないッ!!」
そう叱咤する楓だったが、もう戦いは始まってしまった。
《Hand》
恵介は起動させた”ハンド”のイートリッジを首筋に当てると、その体をヒトの腕部のみで構成された異形へと変貌させた。
(淡路島さんの言っていた洗脳状態、なのか…?)
(とにかく、今すぐ暴走を抑える!)
《Winning》
《Change・Winning・Frustration》
ウェアラブレスを操作し、黒い粒子と共に楓の姿は戦士のものへと変貌する。
先に仕掛けたのはフラストルだった。ウニの様に突出した腕をかいくぐりその中心部を探る。が、一筋縄ではいかない。何本もの細くも力強い腕がフラストルの動きを止めつつ全身に殴打を繰り返す。その勢いで吹き飛ばされたフラストルが地面に膝をつくと舌打ちする。
「厄介なラフムだ…どうする、勇太郎―――」
隣には頼れる相棒はいない。何故このタイミングで彼を呼んでしまったのか、そんな考えに浸る間も無く訪れる喪失感に楓は一瞬呆然としてしまった。その隙を突かれ、ハンドは大量の
フラストルの声にならない叫びと共に地面が破砕されていく。強化装甲により平潰しになる事は避けられたが、周囲への被害が甚大になってしまった。石井家は辛うじて無傷であったが、近隣の住宅や土地、道路が逃げ遅れた人と共に跡形も無く潰されていた。
瓦礫の下から溢れ出る血液に、楓の心が締め付けられた。
(守り切れなかった―――僕のせいだ)
その時、まるで走馬灯の様に過去の情景が脳裏に浮かび上がった。
勇太郎が大柄な学生と取り巻きの集団に暴力を振るわれている様子。聞いた事の無い彼の弱々しい声と共に手足から血が滴っていた。周りの連中の笑い声、彼らの手に収まった似合わない財布。後ろで見ている傍観者ら。
そこで情景は途切れた。…楓の意識が無くなったからだ。
「――――――!!!」
大きく口を開けた異形の獣の叫びが、街に轟いた。