「えっ…待って長官がラフム!?」
話を聞いた楓が何度も瞬きをしながら長官を見つめる。
「実はそうなんだ。組織運営の都合上それを明かす事は出来なかったが、バディ基地に侵入したバミューダを撃退したのも私の力…ディンギルラフムだ」
ディンギル―――シュメール語で”神”を意味するその語は、エヌマエリシュを創始とする神々の力を持つ、余りに強大な物であった。
「その儀式によって私は、弟共々ラフムにされ、果ては暴走してしまった…この力は今でもコントロール出来ていなくてね」
はは、と少し笑うが、長官はすぐに険しい顔を見せる。
「儀式の後、私は意識が無くなり、気付いた頃には別の島に流れ着いていた。ティアマトの力を使って平弐が助けてくれたらしいが、結局あの時シー・ディーと名乗った男の正体は分からずじまいだ」
「我に関係のある人物かも知れないが、話を聞く限りかつてここに訪れた錬金術師とは異なる男だ。我にも素性が分からぬとは、気味の悪い…」
神であるアプスすら知る由の無い人物に楓は考察を深めたいと思ったが、それよりもまずは歴史を辿る事にした。
「とりあえず…長官、もしよろしければ話の続きを」
「オッケー、現代に至るまでの話をしようか」
――
一九四四年、十一月一日。
午前十時十三分。
衡壱が目を覚ますと、民家で眠っていた。
「うっ、兵隊さんうきたんが。まーがら流り着ちゃんが知らんしがうんすーぬゆたさたんや~」
甚平を着た丸眼鏡の中年男性が朗らかな笑顔と共に衡壱の目覚めを歓迎する。
方言のせいで良く聞き取れなかったが、衡壱は今の状態を確認する。
「あの…俺は一体」
「軍艦から落っくちたるんうっとぅさんがたしきてぃくぃたるんやてぃん? あぬうっとぅさんしぎーぇんだな~、あぬ武蔵うどぅんから落っくちたしがくままでぃうぃーじ
「あの、何と?」
「お父さんは、運が良かった、軍艦から弟さんが助けてくれて、武蔵から落っこちたのを運んでくれた、だって」
縁側から歩いて来た少女がそう訳すと、衡壱は成程、と返し男性と少女に一礼した。
「お父さん沖縄語すごいから、私が話すね」
「ありがとう、ところで君は訛っていないのか?」
「うん、島にある本みんな読んだから」
「我が国の初等教育の賜物だな」
そんなんじゃないよ、と少女が呟くと衡壱の体を引っ張って居間へと連れて行く。
「お腹空いてるでしょ、丁度隣のおばちゃんからおにぎり貰ったから」
そう言って彼女は衡壱へ食事を差し出す。しばらく意識を失っていた筈なのに衡壱は不思議と腹が空いていなかったが、有難く頂いた。
衡壱を助けてくれたのは
一人娘の吹雪は人一倍賢く、誰よりも知識を持っており早くに母を亡くしながらも農夫の父と二人で暮らしていた。平弐は比嘉一家の助けもありすぐに畑で収穫作業に出ていた。
衡壱もすぐに体が良くなったので近隣住民の手助けを何でも行った。
掃除、洗濯、料理、農耕、牧畜…あらゆる仕事を頭に叩き込み、兄弟でこの島―――沖縄県八重山諸島、波照間島を支えていく事にした。
…だが。
十一月十五日。
波照間島での生活に慣れて来た頃、事態は急変した。
平弐が若い男性を殺害し、ラフムにしたのだ。
騒然とする島民に囲まれる様に、衡壱と平弐、狼のラフムと化した男性が対面する。
「平弐…一体何をした!?」
「ティアマトは僕に告げたんだ…人の営みを守る為に人をラフムへと進化させ…来る戦いに備えよと」
平弐は誇らしげに言うと、ラフムの力を得た全能感に浸る男性と肩を組んだ。
「実際彼は幸せだ。力を得た人々はこれからの世界を苦しめる災いを払い、恒久的な平和を築く為の礎になるのだから」
「は…何を言っているんだ…?」
弟の豹変に衡壱は訳が分からなかったが、一方の平弐は余裕に満ちた表情を浮かべていた。
「これからこの島の人全員をラフムにする。僕らがこの力で助かった様に、ここにいる人々に素晴らしい力を分け与えたい」
「ど…どうやって、ラフム? と言うモノにすると言うんだ?」
「一度、殺すんだ」
一変して平弐の表情が曇る。確かに大きな力を得る事は理想であるが、人の命を奪う行為には抵抗がある様だった。
「俺達は戦争で多くの命を奪って来た。それがどれだけ愚かしい事だと考えただろう…お前だってそうだった。なのに、何故また人を殺そうとするんだ!」
「この世界を変える為だ! この世界は常に何かに飢え、求め、手に入れる為に他者の尊厳をいとわない…そんな世界を終わらせる為に、ラフムの力で全てに満ちた世界を作るんだ」
そう言うと平弐は体を強く力ませて、巨大な液体状の怪物へと変貌する。
「ラフムになれば不老不死になり、食事も睡眠も少しで良くなるし、体の力だって人とは比べ物にならない。これは幸せな事だよ兄さん。この力を全ての人に与えられるのは僕しかいないんだ…邪魔を、しないでくれッ!」
平弐の変貌した怪物―――ティアマトラフムは自らの体を構成する液体を子供へ飛ばす。
液体は体に潜り込んだ後、体内から人の意識を操作し、眠らせてから脳を穿って殺害した。
「な…
「必要な犠牲だよ…今殺した三吉くんはラフムとして蘇り、新たな自分に歓喜する事だろう」
彼はもう尋常な精神では無かった。とにかく今は島民を避難させる事しか出来なかった。
「この島に逃げ場なんて無いさ、船なら既に破壊したよ」
島民が逃げ場を無くした中、彼らを助ける為には弟と対峙するしか無いと衡壱は悟った。だが、今の自分にはコントロールの利かないラフムと
短い間でも自分を助け、大事にしてくれた人々を守る事が出来る手段について、葛藤の末決断をした。
「平弐…お前の考え方は独りよがりだ! 人の生き方をお前が勝手に決めるな!! …俺は! ここに生きる人達がこれからも生き続けて考える、自分だけの生き方を守りたいッ!!」
「だったら! やってみせてよ…兄さん!!」
島全体を覆う
誰かを守りたいと思う人の力に、神は応える事は無かった。
ディンギルラフムは島の人々を焼き尽くした。ラフムも例外無く、大地が吹き飛ぶ程の威力を持った神の後光は、衡壱の願いも虚しく全ての人の命を奪った。
――
「―――はっ!」
衡壱がそこまで語った所で、涙を流している事に気付いた。
「……長官」
「いや、済まない。老人は涙もろくて敵わないね―――!」
まさか話を聴いていた楓まで涙を流しているとは思わなかった。
「どうしたの霧島君!?」
「いえ…長官の悔しい気持ちが、何だか伝わって来ちゃって…」
「そ、そんな泣かないでくれ霧島君? 確かに私はあの時、助けたかった人々を殺してしまったのだが…だが……たった一人助けられた人がいたんだ」
そうなんですか、と楓が口をすぼめて問う。それに対し長官は涙を拭ってああ、と自信に満ちた答えを投げ掛ける。
「僕のディンギルがたった一人だけ、そこにいた子をラフムにしたんだ」
「そこにいた子…まさか!?」
「ああ、今では私と共にティアマトから人の自由を守る為、御剣家の当主として頑張ってくれているよ」
辛い過去を乗り越え、自らの使命を知った長良衡壱は、かつての自分の弱さをかき消す様に笑った。