「あの大きさを見てよ、リオン! あれはモンストラススネークっていう魔獣だよ!」
後ろの荷台に同乗してるクレールが、馬車で進む街道の先を指差した。声に恐怖を滲ませ、見るからにうろたえている。
確かに、いる。豚くらいなら丸呑みにしてしまいそうな、巨大なヘビだ。初めて見るなら、結構怖いかもしれない。俺も最初はそうだったかな。
ただまあ、俺としては見慣れた感じもある。
少し前、神託の霊峰を探索してた時に、何度も戦った相手だ。こんな風に開けた場所で見ると案外小さいな、と思って、ちょっと微笑ましくすらある。
「一匹だけみたいだし、別に怖がるような魔獣じゃないよ」
「え、そう?」
拍子抜けしたようなクレールの声に、俺は「うん」と頷く。
これが〈
「でもこんな街道の近くにいると危ないのは確かだから、退治はしておこう」
「それがいいよね」
「あ」
「ん?」
つい一昨日に決心したばかりのに、うっかりしてた。
年が明けてからの忙しさは落ち着いたものの、まだ冬の寒さが厳しいこの時期。
最近感じるようになった身体の変調について、聖なる竜に相談した。
その結果――『戦わない、争わない』というのを、今年の目標に付け足したんだった。
*
俺は、神託の霊峰に来ていた。俺がいま住んでいる村からはずっと北の方にあって、このあたりでは竜の営巣地として有名な場所だ。
もちろんものすごく危険だから、よほどの用事がなければ、近付く人はほとんどいない。
たまに力試しに竜に挑んだりする人もいるらしいけど、監視所に常駐している兵士から「自殺と変わらないからやめろ」と止められるらしい。
俺が初めてここに来たときには、いろんな事情が重なったせいで監視所が機能していなくて、誰からも止められなかったけど。
それはまあともかく。
見上げると、頂上ははるかに雲の上。歩いて登るなら相当、つらい道のりになる。実際、いま思い出してみても、よく生きていられたなあと思ってしまう。
今回は、上にある星読みの宮から迎えの飛竜が来ていたから気楽だったけど。
この霊峰の頂上には、他の竜とは違う、聖なる竜が住んでいる。
まだ十五年しか生きていない俺とは比べものにならないくらい長い時間――具体的には、すでに数百年、あるいは千年以上を生きた……古竜。
それだけの永い時を生きた賢者だから、悩みを相談すればその深い知見で良い助言をくれるに違いない。
例えば――俺が最近感じるようになった、身体の変調について。
聖竜はどういう助言をくれるだろう。
大きな不安と、少しの期待とを持って、久しぶりにこの地を訪れた。
神託の霊峰の、頂上。
すり鉢状になった地面の中央に、真っ白な毛に覆われた聖竜がいた。
前に会ったときより元気そうに見えるのは、もこもことした冬毛のせい……だろうか。
『リオン――〈安定をもたらす者〉よ。おそらくだが、そなたの身体の変調は竜の血を浴びすぎたことが原因であろう』
毛むくじゃらな巨体から、ごお、と声が降ってきた。
『そなたが倒してきたのは下位種どもとはいえ、竜の血には多くの
竜の血……。正直、心当たりはある。
俺の手には、竜が竜を殺すために鍛えたという
誰かに請われてであったり、力試しであったり、理由はそのときどきでいろいろだったけど、何にせよ、一度や二度じゃない。
「それで身体が竜に近付いている、と?」
俺の問いに、聖竜は重々しくうなずいた。
『そなたならば、やがて大きなちからのある竜となろう。我ら十星珠にも空位ができて久しいゆえ、歓迎するぞ』
そうは言われても、あまり嬉しくないな……。
竜として生きるのもそれはそれでたぶん面白いこともあるんだろうけど、人間の俺にはいまいち想像できない。
偏見かもしれないけど、食べることくらいしか楽しみないんじゃないだろうかと思ってしまう。
『竜となりて後も、その性を竜石に封じ、人化して暮らす道もある。そなたが思っておるほど、竜と人とは違わぬよ……』
励ましなのか、気休めなのか、聖竜はそう言って笑った。
これは……ダメかも。
「……星は、どうなっていますか?」
聖竜は見ているもののスケールが違いすぎてなんとなくあてにならないので、俺は隣にいる星読みのティータさんに尋ねた。
彼女はこの聖竜の巫女で、星読みの宮の祭司でもある。
俺が勇者と呼ばれるようになる前に、俺の宿命に気付いて道を示してくれた、信頼できる人だ。
だが、ティータさんは少し困ったような表情で、首を横に振った。
「不思議なことに、リオンの未来は見通せないのです。少し前までは見えていた道が、今は見えなくなっている。星読みとしてもこんなことは初めてで戸惑っています」
「そう……ですか」
ティータさんがこんな風に言葉を濁すのは珍しい。
星読みは万能ではないとは前にも言っていたけど、それともまた違う状態なのか。
それか……本人に告げるにはあまりにもつらいことを、隠している?
どうも悪い方に考えてしまうな。
「止められないものでしょうか、竜になるのは」
『竜になるのは嫌かね』
この聖竜はどうしても俺を竜にしたいのか……。
……とまでは思っていないとしても、この竜にとっては実際、人も竜も大差なくて、変わると言っても、髪型がちょっと変わる程度なのかもしれない。
だとしたら、深く悩まないのも当然か。
俺にとっては結構重要なことなんだけどな……。
とはいえ、相談を聞いてくれている賢竜を目の前にして「竜になんか絶対になりたくない!」と声高に叫ぶのもどうかと思ったりするので。
「……自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと、そういう不安があります」
控えめにそう言うと、竜は『ふむ』と鼻を鳴らした。
『わからぬでもない。ならば戦いから離れることだ。戦いの高揚は
「心を静めて、か……」
『宿命を見通せぬからと言って、必ずしも悪いことばかりでもあるまい。悪いこともあれば、良いこともある。ただ、何が起きるかその時にならねばわからぬだけよ。そして全てはなるようになる。あまり思い悩まぬ事だ……』
永い時を生きた竜がそう言うから、なんとなく納得しておくことにする。
今の俺がやるべきことは、一応だけど、はっきりした。
まあ……うん。
俺は〈竜牙の勇者〉なんて呼ばれているし、最近は自分でもそう名乗っているけど……
そろそろ戦いから離れるべき時なのかも。
俺の故郷を滅ぼした〈剣鬼〉。
剣鬼の邪悪な波動から銀の玉座に生まれた〈
人間を家畜にして支配しようと企んでいた〈
異界に封じられていた偽神〈
邪神降臨を願った〈歪みの民〉たち。
そして、大陸に大災厄をもらたすという邪神〈歪みをもたらすもの〉。
全部、倒したから。
俺がこの力で倒すべき敵も、倒したい敵も、もういない。
そうだな……少し、休憩しよう。
*
それは、世界には大陸がひとつだけだと……
まだ、そう信じられていた時代の話。
伝説は語る……。
かつて、死と瘴気の渦巻く異界より歪みをもたらすものが現れ……
人間の世界は、滅びの危機に瀕した。
邪神は見るもおぞましい竜の骸の姿で、欠けることのない満月の浮かぶ空を舞う。
爪を振るえば大地が裂け、その吐息は海も干上る灼熱。
咆吼すれば山が砕け、翼を打てば吹き荒れる呪いの風。
ただそこに在るだけでも歪みの波動を放ち続け、木々は枯れ森は腐り、水は濁り汚れ、あらゆる生き物たちは死したという。
人間はこの強大な存在に為すすべもなく、みな恐怖し、絶望した。
この邪神の再訪が予言された時期から、すでにしばらくが過ぎている……。
だが、人々の口にのぼる噂によれば、邪神はすでに滅んだのだという。
――〈竜牙の勇者〉、と呼ばれる人物によって……。