ふと目を覚ますと、うっすらとした月明かりが長い銀髪を照らしているのが見えた。
誰かが、俺の顔を覗き込んでいる……。
それが誰なのか、一瞬、わからなかったけど。
「あれ、起きちゃいました?」
声が聞こえて、ゆっくりと意識が覚醒していくにつれ、そこにいる人影の正体もはっきりした。
「……ユリア?」
名前を呼ぶと、彼女は微笑を浮かべた。
「リオンさんって、夜寝る時も部屋にカギかけないんですね。不用心じゃないですか?」
囁くような声とともに、俺の頬に吐息が当たる。それくらい、近くにいる。
こんなに近くに寄られるまで気付かなかったのは、気の緩みかな……。多分、ユリアに害意がなかったからでもあるだろうけど。
「緊急時にもすぐ出入りできるようにそうしてるんだよ。開けてたからって俺を襲ってくる人もいないし」
「いるじゃないですか。いま。ここに」
言ったユリアが、仰向けのままの俺に跨がってきた。
そう重いわけじゃない。これがもし俺の命を狙ってきた暗殺者だったら、ためらうことなく振り払うだろう。でも……
「……別に、命の危険はないし」
ユリアには俺を害するつもりはないはずだ。そのつもりなら、もっと別の方法がある。そもそも、そうする理由がないだろう。
と……ユリアの両手が俺の頬に添えられた。
さらりと垂れてきたのは銀髪。
何だか甘い香りが鼻をくすぐる……
そう思った瞬間、ユリアは自分の額を俺の額に合わせてきた。
触れ合った部分から、相手の体温が伝わってくる。熱を感じる。
「貞操の危機かもしれませんよ?」
そう言った唇は、もう俺の唇に触れる寸前――
――というところで、さすがに、右の掌を差し込んでユリアの行為を中断させた。
「そういうのは断ってるから」
言うと、ユリアは「えー?」と不満げな声をあげながら上体を起こした。
「自分で言うのもなんですけど、こんな美少女に好かれてるのに、もったいなくないですか?」
うーん。確かにユリアは自分で言うほどの美少女ではあるし、好意を向けてくれるのは嬉しいし、それを断るのはもったいないなあとは、もちろん思うけど。
「俺は今の自分が普通の人間じゃないことを自覚してるから、あまり深い関係にならないように気を付けてるんだよ。ユリアだけじゃなくて、誰とでもだよ。相手にも悪影響があるかもしれないから」
実際に影響があるかどうかはわからない。仮に何らかの影響があったとして、その結果どうなるのかも、まるで見当も付かない。
でも、何もないとは言い切れない状態。
ちょっと臆病すぎるかもしれないけど……
俺ひとりのことならいい。でも、誰かが俺のせいで辛い思いをするのは嫌だ。
ということを伝えたつもりだったけど。
ユリアは小首を傾げ、妖艶、とも言えそうな笑みを浮かべて、俺を見た。
「それ、私が気にすると思います?」
……そう言うのは、ユリアも同じだからか。
俺が
それによってすでに外見に影響が出ているくらいだから、俺の場合より重い状態と言えるかもしれない。
そこに俺と触れ合って何かが起きたとして、今さらどうということはない、と思っていても不思議じゃない……。
「……気にして欲しいな」
俺としてはそう言うしかなかった。理性的な説得がユリアに通じなかった場合は、俺の理性までもが流れに負けてしまう前に、ユリアを無理矢理押しのけないといけなくなるし。
……今の段階でまだ押しのけてないことが、俺の理性の弱さの証明なのかもしれないけど……。
「うーん。ま、今日は許してあげます」
ユリアがそう言ってくれて、俺も助かった。
「やっぱりお互いにそういう気分の時でないとだめですよね。初めてだから、ちょっと焦り過ぎちゃったかも」
俺の上から降りたユリアはベッドのふちに腰掛けた。少し名残惜しい気持ちはあるけど、忘れよう。そして、今後は就寝前にカギをかけることを検討しておこう……。
ようやく上半身を起こすと、ユリアは俺を見つめて笑っていた。そして、ずい、と体を乗り出すと、少し上目遣いに俺の顔を覗き込んでくる。
「もし気が変わったら、いつでも言ってください。前にも言ったけど私、リオンさんならいつでもどうぞなので」
そのユリアの顔に視線を向けると、その先、夜着の胸元が少し開いているのが見えた。差し込む月明かりだけでも、白い肌がちらり――
俺の視線に気付いているのか、そもそもそういう誘惑だったのか、ユリアは少し笑って襟元に手をやり、そっと広げて、囁く……
「なので次は……リオンさんが私の部屋に――」
「あー! 何してるのユリア!」
一瞬甘くなりかけた空気を、クレールの声が切り裂いていった。
俺は慌ててユリアから視線を外したけど、ユリアの方は落ち着いたもので。
「あ、見付かっちゃいました。あはは。それじゃ、部屋に戻りまーす」
ひらひらと手を振って、軽やかな足取りでベッドから離れ、クレールの横をすり抜けて部屋を出て行った。
……嵐は去ったか。
ほうきを杖みたいに持って、クレールはユリアが出て行った廊下の方を睨んでいる。泥棒でもいたらそのほうきで叩くつもりだったのかな。さすがに、杖と間違えて持ってきたってことは、ないだろう……。
「んもー、女狐めー」
ユリアが自分の部屋に戻ったのを確認したのか、クレールは部屋の扉を閉めて俺の方へとやってきた。
「まったくもう。ほんとにもう。もうこんなことしないように明日きつく言っておかないと……」
言いながら、クレールはサイドテーブルにあった水差しを取ってコップを満たすと、ぐいーっと一気に飲み干した。そうして深呼吸をしたところで、ようやく落ち着いたらしい。
「……二人は仲がいいのかと思ってた」
「仲はいいよ? 友達としては気が合うからね。でも、恋敵としてならちょっと話が別なの」
うーん。わかるような、わからないような。
「僕が早めに異変に気付いてよかったよ。何とか間に合ったね」
確かに、今回はクレールが来てくれて助かった。正直、ちょっと危なかった。……理性をちゃんと鍛えておかないとなあ。
「寝てるところにこっそり忍び込むなんてふしだらだよね」
ユリアの行いを、クレールがそう断じた。ただ、俺の記憶が確かなら……
「……それについては、クレールも大して変わらない気がするけど」
「全然違うよ!」
そうかな? いったいどのあたりで線引きをしてるんだろう。俺にはよくわからない……。