ユリアが竜牙館で暮らすにあたって、足りないものがいくつかある。とはいえ、買い置きがないというだけで、村にある店まで行けば買えるものがほとんどだ。
「私、まだこのあたりのことはよくわからないのでー……リオンさん、案内してくれます?」
昨晩のことがあるから、指名されて少しだけ迷ったけど……まあ、人目がある昼間から妙なことはされないだろう、ということで引き受けた。そのやりとりを見ていたクレールも特に妨害はしなかった。
そのクレール自身はというと、今日は書庫で調べ物をするそうだ。ルイさんから手紙で頼まれたらしい。古い資料をあたるというから、古王国語が不得意な俺では戦力にならない。少し悔しいけど、まだ子供向けの絵本がせいぜいなのは確かだ……。
今はともかく、自分の役割を果たそう。
ユリアを案内して村に向かうと、夏至祭の準備が進んでいた。春祭りほど大きいものじゃないとは聞いてる。新桟橋の完成祝いも兼ねてるから、俺は一応挨拶に出る予定だ。ただ、わけがあって、竜牙館のみんなはほとんど不参加だけど。マリアさんだけは魔女の店の手伝いとして顔は出すらしい。
そんな様子を眺めながら大通りをしばらく歩くと、ニコルくんの店。大抵のものはここで揃う。そんなに広い店じゃないのに不思議だ。
この店の周囲には最近、新しい店もできた。この村の発展を見込んで移住してきた人の店だそうだ。
今まではニコルくんの店で何でも扱っていたけど、専門店ができればその分野の商品はそっちに任せることになるんじゃないか、と親方は言っていた。村の方針としては、その方がいいだろう、ということなんだけど……
ただ、どこの店に商品を卸すかは、最終的には職人さんの選択次第だとも言っていた。ニコルくんと競争、というのはなかなか大変そうだけど、専門店ならではのサービスで立ち向かって欲しいところだ。
とはいえ、今日の買い物はニコルくんの店だけで済んだ。新しい店の方はまた後日、ゆっくり来よう。
それにしても、ニコルくんの店に行くといつも『すぐには要らないけどいつか必要になりそう』くらいのものを余計に買わされてしまうな……。今回はユリアの部屋に置く香炉を俺が買わされてしまった。ユリアが喜んでくれたのは良かったけど。
「すみません。買い物に付き合ってもらった上に、荷物を持ってもらって」
口ではそう言っているユリアだけど、それをあてにして俺を案内役に指名したんだろうというのは、まあ、わかる。俺もそのくらいは覚悟していたし、ユリアが一人で持つには重いのも確かだ。
そうして、館への帰り道。
村と館のちょうど中間あたりに、少し開けた場所がある。
少し前には雷王都市から来たヴォルフさんたちがここに簡易の検問所を作っていた。普通に館に向かうなら必ず通る、という場所だ。
そこで、襲撃を受けた。
「――リオンさんっ!」
それに俺が気付いた直後、ユリアも悲鳴のような声をあげた。
宙に浮かんだいくつもの影のかたまりがやがて矢のようになって、俺の心臓を目掛けて飛来した。……と言うと何やらおそろしいものに聞こえるけど、これ自体はなんということはない。暗黒系統の初歩の魔術である〈
ただ、持っている荷物はそこまで丈夫でもないから、これへの直撃を避けるため、影の矢は俺の背中で受け止めることになった。痛みはある。でも、この程度なら足がよろめくほどのこともない。一瞬、暗黒系統の魔術に特有の気持ち悪さはあったけど。
「ユリア、俺の近くに」
荷物を下ろしながらその指示をして、俺は護身用の短剣を鞘から抜く。魔法も何もない、ただ短剣だ。とはいえ俺が持つ以上、これでも丸太をへし折ることくらいはできる。
警戒する俺の目の前。
夏の熱気に揺れる白い視界に、じわり、と黒い影が立ち上がる。
ひとつ、ふたつ、みっつ……
合計で、三体まで増えた。その影はやがて人型をなして、俺とユリアを取り囲む。
三体いるけど、それらの区別はつかない。そもそも人間ですらないんじゃないか。白目もなくただ真っ赤なだけの目が、俺を睨んでいる。
「……誰だ」
ようやく目と口が認識できる程度ののっぺりとした顔に、俺はそう問いかけた。
『我らは〈歪みの民〉』
影のひとつが、くぐもった声で答えた。
『憎き〈竜牙の勇者〉よ。その生命、我が主のためもらいうける』
その言葉を合図に、全ての影が全く同じ動作で、両手に鋭く長いツメを伸ばして、臨戦態勢をとった。
……そうか。〈歪みの民〉か。
邪神〈歪みをもたらすもの〉を信奉する邪教集団だ。その上層部の多くは人間ではなかったと聞いた。
ユリアはそこで〈歪みの御子〉として育てられた。邪神のしもべとして大陸をさらなる混乱へ導く者として。
でも、ユリアがその役目を果たすことはなかった。
「邪神はもう滅んだ。いまさら俺と戦って何になるんだ?」
俺が〈歪みをもたらすもの〉を倒して、この大陸への干渉を断ち切って、〈歪みの民〉たちが望んだ大災厄は実現しないまま終わった。
だけど、そう言ってやっても、相手が俺に向ける敵意が消えることはなかった。
『もはや今代の活動を終えた〈歪みをもたらすもの〉は関係ない。我らは〈
「……なるほど」
言い分はわかった。
こいつらの言う〈
そして、ユリアを捕らえていた集団では首領格だった。
ユリアがいまここにいるのは、もちろん、俺がそのモルガーナを倒したからだ。
眷属にまだ生き残りがいたとは思わなかった。主であるモルガーナが滅んだ時に、すべて滅んだと思ってた。
「リオンさん……」
不安げに、ユリアが俺の名前を呼んだ。
「俺から離れないでいれば大丈夫。奴らのツメも牙も、ユリアには触れさせない」
俺がそう言っても、ユリアの戸惑いは消えない。
「でもっ! 今のリオンさんには短剣しか……っ!」
そのことか。
「問題ない」
見たところ、俺にとってはさほど強い相手ではなさそうだ。もし強敵なら、最初の不意打ちですでに〈
ただ、多少の注意は必要だ。俺自身の力で短剣が壊れてしまうことは、あるかもしれないから。
『貴様の肉体をばらばらに引き裂いてモルガーナ様に捧げてくれよう! 冥府で我らが主に許しを請うがいい、竜牙の勇者ッ!』
三体の影が同時に動いた。魔術が発動する。中級魔術の〈
さすがに全部食らうのは避けたい。
ふたつは、落とす。
短剣に、腹の奥から湧き出た
全開で戦えたらどんなに気分がいいだろう、とは、思うけど。
必要十分な量の
まだだ。まだ。もう少し……
……ここだ。
――断ち斬る。
目論見通り、ふたつは俺に当たる前に霧散した。ひとつは、予想を超えない程度のダメージを、俺の左腕に残した。まあ、かすり傷ってやつだ。
『ばか、な……すでに発動した魔術を斬った、だと……!』
元は
飛んできた矢を切り落とすのと大差ないから案外簡単だ……とクレールに言ったら「矢を落とすのって、そんなに簡単じゃないよね?」と反論されたけど。
俺の想定外だったのは、護身用の短剣が思った以上にもろかったこと。
とは、いえ。
実のところ、
何にせよ、長引かせる意味はない。
魔術は効かないと察した敵たちはいよいよそのツメで切りかかってきた。
ただ、その動きは緩慢。……他の人の感じ方は違うかもしれないけど、クルシスの動きと比べたら、そういう評価になる。
それをわざわざ食らってやる義理もないから、近付いてきたやつから順番に倒していく。
見た目は影だけど、短剣を振ればそれなりの手応えはあった。斬ったところから、小さな粒になった影が噴き出す。袋の中に詰まっていた、という感じだった。
そうして『中身』を失った影たちは、ついに人型をも崩して、泥のようになって地面に落ちた。
『憎い……憎いぞ竜牙の勇者……』
地に落ちてなお、影はへばりついた地面から俺を見上げて、口を開いた。
『覚えておくがいい。我らは滅びぬ。何度でも蘇り、貴様を狙う。歪みの民は必ずや貴様の生命を我が主へと捧げる……』
それが最後の言葉だった。影は消えて、周囲にはもはや戦いがあった痕跡もない。
それにしても、こんなところで襲われるとは思わなかった。
「命を狙われるって、やっぱり気分のいいものじゃないなあ」
俺もユリアも、見た感じ命に関わる怪我はない。荷物も無事だ。それでもやっぱり、これが続くとなると気が休まらないな。こうして実際に襲われた以上、気を付けないわけにはいかないし。俺はいいとしても、他の誰かに害が及ぶと困る。
「ごめんなさい、私のせいでこんな……」
荷物を抱えなおす俺に、ユリアが声をかけてきた。
……ユリアのせいだとは、俺は思わない。明らかに俺を狙っていたし。
さかのぼって、俺が恨まれる理由を考えると、奴らの主だったモルガーナを倒したからで……確かに、そうしたのはユリアのためではある。
でも、だからってユリアを助けなければよかったとは、俺は思わない。
「俺を憎んでた。ユリアが巻き込まれた方だよ。……怪我はない?」
訊ねると、ユリアは「はい」と頷いた。一安心。
やつらがもしもユリアや村の人たちを人質にでもしていたら、俺ももっと苦戦しただろう。
そうならなかったのは、あいつらが卑怯な手段を嫌ったというよりは……
主であるモルガーナを失って、俺への憎悪しか残らなかったのか。直接危害を加えようという以外の方法を思いつかないくらいに。
それはそれで、奴らもかわいそうな存在なのかもしれない。それとも、奴らにとってはそれが幸福なんだろうか。
……考えてもしょうがないな。