「……その人が?」
俺の言葉に、クリストバルさんが頷いた。
「おい、領主様に挨拶しろ」
声を掛けられたのは牢に入れられていた髭の男。この髭が、鼻の下、口周り、顎の下からもみあげまでひとつながりになっていて、顔の印象の半分は髭だ。髭に覆われていない部分には、異郷風の顔立ちを見てとることができる。
他に特徴的なのは、頭に巻いたターバン。この布巻きものは調和の海の南岸や東岸でよく使われているものだそうで、央州ではあまり使われていない。着用している人を見かけたらほとんどの場合、商人か船乗りということになる。
「はいはい。あっしの名前はラムーっス。どうぞよろしく」
捕らわれているにしては気さくな調子で、その髭ターバンの男がニカッと笑った。暗い中できらりと輝いた歯だけが異様に白い。
「よろしく、ラムーッスさん」
「あ、いえいえ。ラムー、っス。イザル・ヘイラー提督第一の腹心ラムー、と覚えてください!」
うーん? ……そうか、ちょっと訛りがあるのか。聞き取りにくいというほどではないけど。
「イザル・ヘイラー提督は嘆涯の海都に所属する〈
クリストバルさんが解説してくれた。
そんな人がいるのか、と思っていると、ジョアンさんがため息。
「あそこの〈
ジョアンさんがそう言うくらいだから、相当なんだろう。悪人は魔獣より怖い、なんて言葉は最近読んだ古王国語の本にも書いてあった。前の領主の圧政もそのたぐいだし、悪逆非道な海賊もそうだろう。
ただ、ラムーさんには異論があるようで。
「あっしらは善良な私掠船なんで、他の都市に所属してる私掠船以外は狙いませんよ!」
「善良、ねえ」
ジョアンさんはうろんげな顔。ラムーさんの言葉を信じていないのは明らかだ。
どうにか信じさせようとしたのか、弁明を続けるラムーさんだけど……
「そりゃあ、間違って自分とこの軍艦に大砲ぶっ放して沈めちまったこともありますがね。たまにですよ! たまーに!」
……たまに、そんなことがあるのか。
「そういう奴らなんだよ。イカレてやがるぜ」
ジョアンさんは我が意を得たりといった様子で、肩をすくめた。
*
ラムーさん自身は今のところ善良な人質ではあるそうで、粗食にも耐え、狭い牢にも文句はなく、ともかく命が助かったことを感謝している様子だという。
とはいえクリストバルさんは、そこを素直には受け取っていない。
「ありゃあ、元の船ではあまりいい扱いをされてなかったようですな。第一の腹心ってえのも本人が言ってるだけですし、本当かどうか」
とは言うものの、それにしては救助費用については気前よく満額回答だったということで、その不均衡が気にはなるものの……
「よっぽど儲かってんのかね、嘆涯の海都は。あやかりたいもんだな」
ジョアンさんはそう言って頭を掻いただけだった。
留守を副官のクリストバルさんに任せて、ジョアンさんは船を下りた。
「前に来た時はまだ荒れ果てた感じがあったもんだが、だいぶ明るくなったな」
桟橋で伸びをしながらそう言って、大きくあくび。
「ちょうど昨日の夜に夏至祭をやったんですよ。そのせいじゃないかな」
「なに、祭りだったのか。そうと知ってりゃ、昨日来たのによ。早く言っといてくれよそういうことは」
「無茶を言うなあ……」
こっちから連絡を取ろうにも、ジョアンさんがその時どこにいるのか、確実なことはわからないし。どこに手紙を送ればいいのかも、いまいちよくわからない。雷王都市の港で預かってくれるんだろうか。だとしてもいつ読まれるのかは運次第ってところだ。
「ははは。まあ、なかなかいい感じになって来たんじゃないか?」
ジョアンさんはたまにしか来ないから、それで変化が目に付くのかもしれない。
何にせよ、いい方に変わってるなら、喜ばしい。俺も少しはその手伝いができてるはずだし。
「よーし。それじゃ俺も酒場でちょいと遊んでくるかな」
「案内しますよ。ジョアンさんたちのことをマスターにも話しておきたいし」
酒場は館へ帰る道にあるから、どうせ途中までは一緒だ。
俺と並ぶと、ジョアンさんはなんというか、颯爽としている。背が高いのもそうだけど、何より服装がしゃれているからかな。そういうところは見習いたいと思ってるし、館のみんなの手も借りてはいるけど、どうも田舎者くささが抜けないんだよなあ。
「ここに滞在する間は、竜牙館に泊まるんですか?」
二、三日くらいならクルシスが使ってた客室を使ってもらえばいいと思ったけど、ジョアンさんは「いや」と頭を振った。
「俺だけならそれでいいんだが、船や部下も放っておけないしな。夜は船に戻るつもりだ」
なるほど。ジョアンさんは船とその船員を大事にしている。いつかは「同じ船に乗る船乗りは家族みたいなもんだ」とまで言っていた。寝食を共にする仲間だからって。となれば、船長とはいえ、ひとりだけ特別扱いを受けるのは気が乗らないのかもしれない。
「じゃあ、夕食だけでもどうですか」
「おお。そいつはいただくとするかな。お前も領主になったんなら、料理もさぞ豪華なんだろ? ははは! 楽しみだな!」
……このくらいは大丈夫なのか。
まあ、船の仲間もだけど、冒険の仲間も大事に思ってくれてるってところかな。
「料理は誰が作ってるんだ? 凄腕の料理人でも雇ったか?」
「最近はずっとニーナがやってくれてます。前よりも腕を上げていますよ」
「ほう、ニーナの嬢ちゃんか。そいつは期待できるな」
ジョアンさんも以前に何度かニーナの料理を食べたことがある。
確か……そうだ。冒険者の店で食べる料理を「不味くはないんだが、こればかりだと飽きるな」と評して、それに同意したメルツァーさんやフューリスさんたちとニーナの家でごちそうになったんだ。
その頃もニーナの料理は美味しかったけど、今はもう、ニーナ自身を『凄腕の料理人』と言っていいくらいだ。ジョアンさんもきっと気に入るだろう。
「……なあリオン」
酒場まであと少しというところで、ジョアンさんが急に立ち止まった。
「はい?」
真剣な表情を向けてくるジョアンさんに、一体何事かと首を傾げると……
「ここに定住するんなら、お前もそろそろ嫁をもらったらどうだ。ニーナの嬢ちゃんなら家庭的だし、お前に合ってるだろ?」
その話か……。ヴォルフさんからもそれらしいことを言われたな。
「……ジョアンさんだって独身じゃないですか」
そう反論すると、ジョアンさんはため息をつきながら、右手で髪をかき上げてみせた。
「俺は港ごとに女がいるからな。特定の女には縛られないことにしてるのさ」
「そうなんですか」
「ああ、俺くらいの美男子ともなるとな……そういうものなんだ」
それはその女の人たちに不誠実な気がするけど……。
気を持たせるだけで決定的なところは保留のままっていう態度は、俺も同じなのかもしれない、とも思う。
「じゃあまあ、ひとまず俺もそういう感じにしておこうかと……」
消極的な返事をすると、ジョアンさんはひときわ大きなため息をついた。
「……お前なあ、もう少し真面目に考えろよ……」
そう言われてもね。ジョアンさんが言える立場かな。
「まだそういうことを考えられないんですよ、今の俺は」
口ではそう言ったけど、俺だって俺なりに真面目に考えなかったわけじゃない。結論が出なかっただけだ。結論を出すべき時じゃないのかもしれない、という結論になったというか。
一番の問題は、やっぱり体に蓄積している
……もしそのことがなければ誰か一人を選べていたかというと、自信はないけど。
「お前はまだ十五だからと思ってるかもしれないけどな、もう十五だぞ。もう十分、一人前の男だ。いいか、女の方はいつまでも待ってはくれねえ。一人に決めきれないってんなら、気になる娘は全員囲うくらいの気持ちで、もっとガツガツ行かなくちゃ駄目だ。若いし金もあるんだから」
無茶なことを言うなあ。ただ、熱意は伝わってくる。それはそれでジョアンさんの何らかの哲学に基づく結論なんだろう。
でも俺も素直に「わかりました」とは言えない。
「俺みたいなのは、いつ死ぬかわからないですから」
ほんの数日前には〈歪みの民〉の残党に襲われた。近くには魔獣もいるし、ときどきは竜もいる。西に向かったフューリスさんからも、救援の要請があるかも。
俺はいつかまた激しい戦いに身を投じることになるかもしれないし、そうなれば今度こそ死ぬかもしれない。
「だからこそ、だろ?」
ジョアンさんは真顔でそう言った。この人なりに心配して言ってくれてるのは確かだし、その気持ちはありがたいとは思うけど。
「うーん……」
唸ることしかできない。ジョアンさんの考えは心に留めておくとしても、今すぐに結論が出せる話じゃない。
「まあ、あんまり口うるさく言うのもなんだな」
俺の煮え切らない態度に呆れたのもあるだろうけど、この場はジョアンさんが先に折れてくれた。
「せっかく久しぶりに会ったんだし、夕食の席では心躍る海の冒険の話でもしてやるか」
「そうですね。その方がありがたいです」
ただ……酒場にいた船乗りたちに俺の財布から牡蠣を奢ることになってしまったのは、その代わりなのかもしれない。