夕食の席にはジョアンさんもやってきて、昼に言った通り、心躍る海の冒険の話をしてくれた。
以前に聞いたことのある話もあったけど、ユリアやペトラは全部が初めて聞く話だ。しきりに感心しながら聞いていた。
特に盛り上がったのは、シードラゴンの話だ。
まだ〈白鯨〉の船団にいて五隻を指揮していた頃、ジョアンさんは海の竜、シードラゴンと遭遇した。そいつは名を〈隻眼の海蛇〉といって、船乗りの間では恐怖をもって語られる人食いの怪物らしい。その身体は船よりも大きくて、丸呑みにされた船もあるとか……。
恐慌に陥る船員たちを叱咤して、ジョアンさんは海竜に立ち向かった。とはいっても正面からやりあって勝てるはずもない相手だ。そこでジョアンさんは、干し肉の詰まった樽を船に備え付けの投石機でぶん投げて、海竜にぶつけた。それに海竜が気を取られているうちに、指揮下の五隻全てがどうにか追撃を振り切って逃げ切った……とまあ、そんな話だ。
どこまで本当の話かはわからない。真に迫った話し方ではあったけど、ジョアンさんは口が上手いからなあ。まあ、聞いていてハラハラドキドキの面白い話ではあった。それなら話の真偽なんて些細なことかもしれない。
夕食の後に「話したいことがある」と言われた。内密の話という感じだったから、俺はジョアンさんと二人で執務室に移った。
「話すかどうか悩んでたんだが、やっぱりお前には話しておきたい」
「なんです、改まって」
応接用のソファに座ったジョアンさんの口調と態度からは、何やら深刻な話であることが想像できた。俺には心当たりはない……と思ったけど、俺が投資したお金を返せそうにない、って話ならあり得るか。
ただ、その予想とは違った。
「お前が『親方』って呼んでるあの女のことだ」
……親方? 意外な話だ。
ちょうど俺がこの村に来た頃、前の領主の圧政下にあった村で、村長さんが亡くなった。
親方はその、村長の奥さんだ。本来なら次の村長になっていておかしくなかった人で、今は俺が領主に村長を兼ねているから、村長でなく『親方』と呼ばれてる。役職としては村長代理に任命してあるし、館にいることが多い俺に代わって、実質的には村長だ。
お酒好きなのは知ってる。村では一番強いんじゃないかな。最近はよくネスケさんと一緒に飲んで、酔い潰れたネスケさんを部屋まで送り届けているらしい。
その親方が、どうしたっていうんだろう。
「やつの名前は、メラニー・ローラディン・レイス」
ジョアンさんが話を続けた。
「この近海を荒らし回った海賊〈赤髭〉バルバトスの娘で、雷王都市や嘆涯の海都だけじゃなく、調和の海に面した都市だったら大抵どこからでも懸賞金が掛けられてるくらいの賞金首だ。ついた渾名が〈赤毛の女海賊〉……」
……なんとまあ。
「海賊? 賞金首?」
「武装の乏しい商船はもちろん、私掠船や軍艦でさえ、やつの船〈調和の水妖〉が近付いてくれば一目散に逃げ出すってほどでな。襲われて積荷を奪われた船は十や二十じゃきかねえ。百は軽く超えて、二百とも三百とも言われてる。やり合えたのは俺の〈赤鯱〉くらいなもんだ」
そんなに悪名高い人だったのか……。
納得できる部分はある。今日の昼のことも、思い返せば、そうだ。
ジョアンさんの船を見た村の人たちが「海賊船なんじゃないか」と警戒して集まっていた時、それを指揮していたのが親方。村長代理という立場だからってだけじゃなく、なんというか、武装した集団を指揮するのに慣れている感じがあった。前の領主との争いの中で身に付けたのかとも思ってたけど……。
「特に酒樽を運んでる船は要注意だって言われてたな。匂いでわかるんだと。だが酒樽を積んでれば命だけは助けてもらえるって噂もあった。ま、相当な酒好きだったってのは確かな話だ」
それは……ちょっと笑ってしまうな。親方らしい。
「だが、その女海賊が……数年前に、海でシードラゴンと出くわしたそうでな。仲間の船を逃がすために、その怪物と海戦やらかして、船と一緒に海に沈んだって話だった。親父の〈赤髭〉も相当探したらしいが、行方は知れねえまま。何しろ相手がシードラゴンとなりゃ、生存は絶望的だ……」
シードラゴン。ジョアンさんがからくも逃げ切ったと自慢していた怪物だ。逃げるのが正解で、立ち向かう相手じゃないってことだ。船より大きいとか言ってたな。ドラゴンならそのくらいは当然か。当然だから怖くないってことにはならないけど。船の上は逃げ場がないし。
そういえば、と思い出した。
あの日……俺が前の領主を打倒したあの夜には、親方は誰にも告げず、たったひとりで館に乗り込んでいた。その覚悟と度胸は並外れてる。その時はさすがに多勢に無勢だったけど、それでも、俺が駆けつけるまでにかなり大暴れしていたみたいだった。
そういうところから、ただ者じゃないとは薄々感じてた。
ジョアンさんが語る女海賊と共通してるのは、仲間のためには命を懸けられる人だってことだ。
「それから一年経ってついに、赤毛の女海賊はもう死んだって認定されて、各都市とも懸賞金は取り下げてる」
なるほど。そういうことなら、どこかから賞金稼ぎの人が来て突然、なんてことにはならないか。一安心だ。
「……生きてるとなりゃ、別かもしれねえがな」
ジョアンさんがそう付け加えて、俺を見た。俺の表情の変化を見逃すまいと注視しているのがわかる。
ふむ。……ジョアンさんの意図はわかった。
「あの人は……」
俺の目で見てどうなのか。このまま放っておいていいのか。倒すべき悪党ではないのか。
そのあたりを、ジョアンさんは訊いておきたいわけだ。
ジョアンさんが語った赤毛の女海賊の話は、確かに、今の親方の姿にも通じるところがある。
でも、今の親方と同じじゃ、ない。
俺が親方に会ってからもう半年以上になるけど、悪党には見えない。村のみんなのことをよく気遣っていて、村の人たちからも慕われている。勇気があって、面倒見が良くて、お祭りが好きで、お酒が大好き。
親方から過去のことを聞いたことはない。だから本当は、もしかしたら、過去には悪党だったかもしれない。〈赤毛の女海賊〉はほとぼりが冷めるのを待っているだけで、いつかはまたその牙をむくのかもしれない。
でも俺は。俺の判断は……
「多分、よく似た別人だと思いますよ」
甘いのかもしれない。でも、今の親方のことを信じたいと思う。過去を話したがらないのは、親方自身、過去のことを悔いているからじゃないかな……。
それに、そもそも本当に他人のそら似って可能性も消えてはいないし。
「……そうなのかもな。いや、お前が言うならそうなんだろう」
ジョアンさんはそう言って笑った。
たぶん最初から、俺がジョアンさんの話を聞いてどんな判断をしたとしても、その判断を尊重するつもりだったんだと思う。
「他のやつらにも話すかどうかはお前に任せる」
ジョアンさんは最後にそう言ったけど……
俺とほとんど関係ない女海賊の話を披露する機会は、多分ないだろう。