ジョアンさんの船をこの村に迎えた翌日。
俺の今日の予定は、夜に村で会合……という名の飲み会がある以外は、急ぎのものはない。
せっかくジョアンさんが来ているから海釣りをするのもいいかと思ったけど、よく考えると船乗りのジョアンさんは陸での休暇中にわざわざ海釣りをしたいとは思わないかもしれない。
まあ、とりあえず会いに行ってみよう、と自室で身支度をしていると、ひどく慌てた様子のペトラがドアを蹴破るようにして入ってきた。
「おい変態! 沖にシードラゴンがいるぞ! どうするんだ!」
そう言ってからようやく、ペトラも俺の格好に気付いたようで……
「さっさと服着ろ変態!」
……まあ、下は履いてたからいいけどさ。
それにしても、シードラゴン?
ジョアンさんがその話をしてくれたのは昨日の夕食の席だ。ペトラも熱心に聞いていた。だからそれで、海に漂っていた流木か何かを見間違えたんじゃないかな。
半信半疑で屋上の見張り台から確認してみるも、やっぱり何も見えない。
「見間違いじゃない?」
「確かにいたんだよ! 私に見付かって逃げたのかも」
シードラゴンがペトラに見られたくらいで逃げるものだろうか。
そう思ったのが顔に出たのか、
「私に流れるブランシャール家の血がドラゴンを萎縮させて圧倒してねじ伏せているんだ」
……そんな特別な家系だとは聞いてないけどね、ブランシャール家。
「おー、リオンさん! こっちこっち!」
ジョアンさんを探して村に降りると、広場に親方がいた。
「リオンさんの偉業を称える石碑をこのあたりに建てよーと思うんだよ! 今夜の会合で議題に出すから!」
「やめてください」
俺の銅像は結局、広場に置かれたままになってる。今のところ過度な崇拝も粗末な扱いもされず適度な距離感に収まった様子で安心してたところなのに、そこに石碑? 確かに酒の席でそんなことを言ってたことはあったけど、本気だったのか。
即座に否定の意を言葉で伝えたけど、親方には届いていない様子。
「言い伝えや本じゃーだめだ! 最後に勝つのは石碑! 一万年先まで残す決意だよ!」
「ほんっとーに、やめてください」
そういうの好きな人もいるんだろうけど、俺は恥ずかしいと思っちゃう方かな……死後なら文句も言えないし諦めるけど、まだ生きてるし。
「そう、まだ生きてるんだから、業績はこれから増えるかも……」
「追記できるよーに余白をとっておけば大丈夫だよ!」
どうしても俺の銅像のあたりを観光地にしたいらしい。村の発展のためとはいえ、親方も強情だ。
ただ、俺の名前ってどのくらい知られてるんだろう。この村に石碑を建てたとして、それを目当てに観光に来る人がいるほどとは思えない。雷王都市のあたりでは偽者が現れる程度には有名人だけど、帝麟都市の方から来たっていうネスケさんは俺のことよく知らないみたいだったし。
そういえば、竜にはわりと知られてるらしいんだよな。確か〈竜を絶滅させるもの〉って渾名がついてるとか。……まあ、そんな伝わり方なら竜が観光に来ることはなさそうだな。
石碑が強いっていうのは、少し前に古い社を見付けた時にも思い知った。ステラさんによるとおよそ千年前の石碑。そこに刻まれた文字が読めてしまう。強い。一万年だと、さすがにどうなるかわからないけど。
俺がそんな風に考えを巡らせる間にも、親方は「こっちの方が目立つかねー」なんて言いながら広場をうろうろしている。
今夜の会合で議題に出たら、その場で諦めさせないと。とは思うけど、採決すると俺が負けるんだよな。領主権限で廃案にした方がいいのかな……。
俺に声がかかったのはその時だった。
「リオン! ここにいたのか! ちょうど良かった!」
ジョアンさんだ。妙に慌てた様子で、俺に駆け寄ってくる。
一瞬、昨日聞いた話を思い出して、親方が近くにいても平気なのかと心配したけど、それは杞憂だったみたいだ。
そしてつまり、この慌てようは親方に関することじゃない。
すると、ここでやると言っていた『取引』のことだろうか。例えば、あのラムーさんが逃げ出したとか……
俺のそんな予想はことごとく外れた。
「出やがった! シードラゴンだ!」
その緊迫した様子は、とても冗談を言っているようには見えない。
「シードラゴン、だって……?」
親方がどこか呆然と呟いた。
「見間違いじゃねえ。うちの見張りから報告されて、俺とクリストバルも確認した。漁師たちが海に出るのを止めねえとまずいぞ」
そうか。早い人はもう日が出る前から海に出ている。もし遭遇したら危ないなんてもんじゃない。
こんな時には自警団が早鐘を鳴らすことになってる。すぐに知らせに行かないといけない。
「リオンさん! あたしは村のやつらを内陸の方に避難させるよ! 自警団にも知らせてくる!」
「お願いします、親方」
こっちのことは親方に任せておけば大丈夫だろう。俺がやるよりよほどうまくやってくれるはずだ。
「……頼んだよ、リオンさん」
去り際、親方はそう言って俺の肩を叩いた。とはいえ、ドラゴンとはいえ海の魔獣に対して俺がどのくらいのことをできるかは、ちょっとわからない。
「あいつ、このあたりにはよく出るのか?」
ジョアンさんが言うのはもちろん親方のことではなく、シードラゴンのことだ。
「俺が知る限りでは、初めてですね」
「積荷の匂いにでもつられてきたのか……?」
普段と変わったことと言えば、ジョアンさんの船が来たことと、桟橋ができたことくらい。……シードラゴンが工事の騒がしさに怒った、なんてこともあるんだろうか?
「なあリオン。この村に投石機かバリスタはあるか?」
投石機、は聞いての通りの設備だ。一方、バリスタっていうのは土台のついた据え置き型の大型弩弓。どっちも簡単に動かせるものじゃないから、よほど規模の大きな戦いでない限り、どちらかというと防衛側の武装として用意されるものだ。ジョアンさんのように武装船に積んでいることもある。
この村だと、確か……
「投石機なら竜牙館のある高台にあったかな。海の方を向いてる」
多分、海上から大砲で攻撃された時の反撃に使うために前の領主あたりが設置したんだろう。
「でも手入れしてないから、使えるかどうか」
使われたって話は聞かないし、俺も使ったことがない。正直、置物としか思ってないな。
「俺の船から砲撃した方が確実か……」
ジョアンさんが思案するうちに、早鐘が鳴り始めた。何事かと通りに顔を出した人たちの間を、自警団が駆け回って避難を呼びかけている。
俺たちはその騒ぎが大きくなる前に、新しい桟橋の方に向かって走った。
「ジョアンさん。シードラゴンと戦うつもりなんですか?」
様子を見ていると、どうもそうだとしか思えない。
訊かれたジョアンさんは「もちろんだ」と頷いた。
「奴はな、ちょうど昨日話しただろ? 何隻もの船を沈めた人食いの怪物〈隻眼の海蛇〉だ。シードラゴンの中でも特に凶暴で、あの〈赤毛の女海賊〉の船を沈めたって奴でもある。懸賞金も馬鹿高えが、何より航路の安全のために、仕留めるチャンスが来たってわけだ。こいつは逃すわけにはいかねえぜ」
航路の安全。なるほど、確かにあんなのが港の近くをうろうろしていたら、安心して寄港できない。せっかく港を整備しても、船が避けていくんじゃ何の役にも立たない。
俺としても放ってはおけないところだけど……
「勝算はあるんですか」
訊ねると、ジョアンさんは立ち止まって振り返って、ニヤリと笑った。
「お前がいるだろ? 期待してるぜ」
俺をあてにしてたのか……。
確かに俺はこれまで竜と何度も戦って倒してきたし、竜からも恐れられてるらしいけど。
今は事情があって、戦いを避けてるんだよな……。
それに俺も水竜とは戦った経験があるけど、場所は地底湖の湖畔で水はせいぜい膝下までっていう感じだったから、本当に海の中に入って戦った経験はないんだよな。
でも、うーん。
誰かがやらなくちゃならないなら、俺がやるべきだろう。
俺にしかできない、とも思うし、やらなくちゃいけない、とも思うし……
正直に言うと、やりたい、とも思う。
戦いは
俺にしかできないなら、仕方ないじゃないか?