ラムーさんが飛んでいってから、シードラゴンの進攻は目に見えて遅くなった。
「すごい。ラムーさん、手斧でシードラゴンと渡り合ってる」
自信満々だっただけのことはある。シードラゴンに攻撃させないように、その周囲を巧みに泳ぎ回っている。その上、合間合間に手斧で斬りつけている。
「やっぱりあっちの船乗りはイカレてやがるぜ」
ジョアンさんが感嘆とも呆れともいえない呟きを漏らした。
ただ、ラムーさんの攻撃が有効打になっているとは言えない。あくまで時間稼ぎといったところだ。でもその時間を、今は必要としていたわけだ。ラムーさんは十二分に役目をこなした。
ジョアンさんは「なるべく有利な位置を選びたい」と風を見て、船は慎重にシードラゴンとの距離を詰めていた。船に搭載した大砲が最大限に威力を発揮できる距離。ジョアンさんは「大砲じゃ倒せない」と言っていたけど、まったく無力とも思っていないようだ。
「おーい! もういいぞ! こっちの砲撃に巻き込まれないように離れろ!」
ジョアンさんが声を掛けると、ラムーさんは了解した様子ですいすいとシードラゴンから離れていった。その退き際はあまりに鮮やかで、シードラゴンも追っていけない。
そうなると、奴の次の標的はもちろん、この船だ。
「おっきい! 信じられないくらいおっきい!」
クレールが叫ぶ。確かに、村から見ていた時にはいまいち実感がわかなかったけど、ここまで近寄れば、とてつもなく大きいってことが一目でわかる。
船より大きい、どころじゃない。何しろ長い。船をぐるりと取り囲んでもまだ余るっていう長さだ。
その長い胴は黒。でも真っ黒というわけではなくて、よく見れば黄色い身体に黒い斑点がある、という姿だ。そして真っ赤な背びれが、頭から尻尾まで。背びれと表現したけど、触れれば刺さりそうな、トゲ状の突起が連なったものだ。
頭はまだ海面下で、よく見えない。
「非常に興味深い」
ステラさんもそう言って海面を眺めていたけど、
「のんびり見物してる場合じゃねえぞ」
ジョアンさんが言った通り、もうこの距離だと敵がいつ攻撃してくるかわからない。さっきの気泡弾を撃ってきたら、この船もいつまで耐えられるか。
「おかしら! 砲撃、いつでもいけますぜ!」
クリストバルさんの報告に、ジョアンさんは大きく頷いた。
「出し惜しみするなよ! 討伐できりゃあ元は取れる! 撃って撃って撃ちまくれ!」
「野郎ども! おかしらの期待に応えろ! 撃て!」
指示が飛ぶと、艦載砲が雷のような轟音を響かせた。それも一度では終わらず、何度も、何度もだ。そのたびに船が揺れる。
海に水柱が立った。でも、シードラゴンからは少し離れてる。
「前後から撃っても当たらねえぞ! 横っ腹が見えた時だ! 横っ腹にぶち当てろ!」
次の弾を込める間にも敵は動く。そしてその機敏さは帆船とは比較にならない。
それでもこの船はその帆に巧みに風を捕まえて、シードラゴンとの距離を確保している。
火薬の匂いが漂う中、さらなる砲撃が行われた。さすがは熟練の武装商船員というところか、今度は何発かが海竜の傍に着弾した。
当たった……と思う。敵が身をよじる感じがあった。ただ……
「なんにしても海面下だ。弾の勢いが殺されてあんまり効いてませんぜ!」
クリストバルさんの言う通り、これで倒せるというほどの威力にはなっていないみたいだ。
「あれだけ大きいと、魔術もどのくらい効くか……」
シードラゴンの大きさに驚いていたクレールが唸った。
俺のこれまでの経験で言うと、やっぱり大抵の場合、身体が大きい魔獣は生命力も強い。そしてそれは、こっちの攻撃が相対的に小さくなるからでもある。
「とにかくやってみるよ。えっとー……」
短杖を構えて、クレールが目を閉じる。すると周囲がきらきらと輝きはじめた。これは
そして、詠唱。
「遠く大天空より降る星の力、天使の白き翼に宿りし輝ける月の加護、あまねく地を照らしたる天陽の
聖獣や天使は詠唱なしでも天術を扱えるそうだけど、クレールはさすがにその域じゃない。とはいえ、それでも、
「其は祝福! 其は恩寵! 其は栄光! その輝きを幾千の矢へと、また、幾万の槍へと変え、我が敵を打ち据えよ!」
詠唱が終わる頃には、クレールの頭上には光の玉がいくつも浮かんで、解き放たれるのを待っていた。
「行っくよー! ――〈
どどーん、は要らないと思うんだけど。
……ともかく、その合図で光は一斉に頭上へと飛び立ち、一瞬の後に、敵へと降り注いだ。
シードラゴンが身じろぎした。砲撃には見せなかった姿だ。人間はもちろん、魔獣の多くも天術へは抵抗力を持っていないそうだ。
これは効いてる!
続けて、ステラさんが杖を振るう。夏の日差しの下なのにぞくりと冷えるのは、展開された魔術がステラさんの得意とする冷気の術法だからだ。
「
よく使い慣れた魔術に、ステラさんの詠唱は短い。放たれたのは、これも今の大陸には使い手がほとんどいないという、冷気の上級魔術。
「――〈
「そこは真似しなくていいんじゃないかな……」
どことなく、クレールと張り合っている感じがあるような。そのせいか、放たれた術法の威力はクレールの〈
「効いてるな。この距離なら術法の方が命中精度もいいか」
敵の様子を見ていたジョアンさんも手応えを感じている様子だ。
「この調子で続けてりゃいつかは……」
確かに、これなら俺の出番もないくらいかもしれない。
……そう思ったのがまずかったのか。
「畜生、潜りやがった!」
船縁に取り付いて敵を窺っていたジョアンさんが叫んだ。
嫌な予感が体中を駆け巡って、肌をぶるりと振るわせる。
「撃ってくるぞ! 何かに掴まれッッ!」
緊迫した叫び声。
とっさに伸ばした左腕でステラさんとクレールをまとめて捕まえ、右手ではロープを掴んだ。
船に強い衝撃があったのはまさに次の瞬間。
轟音が聞こえるより先に、船が揺れた。そのくらい速かった。船は大きく傾いで、とても立っていられない。まるで壁のように立ち上がった大量の海水が船を呑み込む。
撃ってくるっていうのは、さっき見たあの
この至近距離で、しかも船の上。
俺を狙ってくるならまだしも、船自体を狙われたら避けられない。
やがて船は安定を取り戻した。船が沈まなかったのは幸運だった。さすがジョアンさんの自慢の船だ。
だけどまた同じ攻撃が来たら……
次も耐えるだろう、なんて安易な期待はできない。
「二人とも、大丈夫?」
俺が訊くと、クレールもステラさんも頷いた。ただもちろん、さっきの水しぶきをまともにかぶったからみんなずぶ濡れだけど。衝撃で海に投げ出される可能性だってあったから、それを思えば些細なことだ。伸ばした手が間に合って良かった。安堵して、二人に改めてロープを握らせる。
「さっきのを何度も食らったら船がもたねえ。幸い、あまり連射はできねえらしいが……」
ジョアンさんが腕で額を拭いながら呟いた。
「術法を警戒してるのか、少し深いところにいったな。背びれが見えなくなった」
「このまま逃げちゃうってことは?」
クレールの問いに、ジョアンさんは頭を振る。
「奴の気性からすると、まずないな。この船をまた襲ってくるのは確実だ。多分、長く待つ必要もないだろう。そしてあの吐息じゃこの船は沈まないと判断したなら、次は体当たりしてくるかもな」
あの巨体での体当たりは、さすがにこの船もどうなるかわからない。
ただ、ジョアンさんはむしろそれを待っているみたいだ。
「危険だが、チャンスでもある。奴がそれだけ近付いてきてるってことだからな」
言って、俺の方へ視線を送ってきた。
「やっぱり、その瞬間を狙ってリオンが魔剣で『ぐさぁーっ!』ってやるのが一番なんじゃない?」
クレールの提案は、そのまま、ジョアンさんが思っていることでもあるだろう。
「……そうするしかないか」
「何か心配?」
一番心配なのは、もちろん、俺の身体の
ただ戦うだけでも不安なのに、相手がドラゴン。
そうしたら、もう、すぐにでも竜になってしまうんじゃないか……?
……というようなことを、みんなにはまだ話せていないから。
「俺、海でちゃんと泳いだことないんだよね」
言えるのは、そんな情けない理由になってしまう。
それも事実なのが悲しいところだけど。