「すみません。斧は途中で落としてしまいました。あとで弁償しますんでどうかご勘弁を」
近くを漂っていたラムーさんが救助された。もっとも、今この船に乗っても必ずしも安全とは限らないけど。まあ、身ひとつで海を漂っているよりはマシか。手斧はもともと村で建築作業に使われてたもので、大したものじゃなかったはずだ。その値段分以上の働きはしてくれたと思う。
シードラゴンがまた浮上してきたのはその直後。丁寧に、挨拶代わりの気泡弾も飛んできた。クレールが不安がる程度の嫌な音はしたけど、今のところ浸水はしていない。
ジョアンさんの予想通り、敵はあまり気が長い方じゃないらしい。ただ、だからといって冷静さを失っているわけでもないみたいだ。
「警戒してやがるな。術法の距離に近付いてこない」
ジョアンさんが言う通りで、この距離だと敵の吐息だけが一方的に届く。
一応、船から散発的な砲撃は続けられている。でもあまり効果は出ていない。
「うおおおおお……! ちくしょう……! ちくしょおおおーっ! お、斧さえ……斧さえあれば……!」
ラムーさんはまた飛びたそうな様子だけど、手頃な武器がない。
「これを斧だと思い込めばいけないか?」
ジョアンさんがそう言って船員用のサーベルを用意したけど……
「いやあ、さすがにその剣じゃ無理っス……」
どうも気に入らないらしい。まあ、俺も剣の戦技を斧でやれと言われたらうまくやれないだろうし、無理を言うわけにもいかない。
「くそっ。エサにも食いつかねえ」
改めて〈
さっきから何度か、距離を詰めようと試してはいる。でも、近付いた分だけ相手が離れる、というのを繰り返していてらちが明かない。
ジョアンさんがエサと言ったのは塩漬け肉の入った樽。投石機でこれを飛ばしてもみたけど、まるで無視している。
「船があと一隻ありゃあ、やりようもあるんだが……」
それはさすがに、手斧ほど簡単には調達できそうにない。
と苦笑した時だ。
「……おかしら! 船が!」
クリストバルさんが叫んだ。何か異常が起きたのかと思ったけど、どうも、違う。
指差す方。海の上に、いつの間にかもう一隻、大型の帆船が浮かんでいた。
「あれは……あの旗は」
ジョアンさんが呻く。
「――嘆涯の海都の私掠船旗!」
これを単純に援軍と期待することができないのは、嘆涯の海都と私掠船の悪名を聞かされていたからだ。襲われる方にとってはほとんど海賊と変わりないっていう話だった。
ただひとり素直に喜色を浮かべたのはラムーさん。
「みなさん、ご安心を! あれこそ、イザル・ヘイラー提督の船団の旗艦〈聖騎士〉号っス!」
ラムーさんが誇らしげに紹介したその船が……
「撃ってきたぞ!」
ずらりと並べられた大砲から、次々と黒い煙があがった。放たれた弾は山なりの軌道を描いてこの船の方へと飛んでくる。
「提督! あっしがいるのに撃つなんて、相変わらずひどいっス!」
相変わらずって。……まあ、ジョアンさんからも「あそこの連中はヤバい」と聞いていたから、そんなに驚きはない。
相当な長距離を飛んできた弾が、この船の近くに次々と水柱を立てた。ただ、この船には一発も命中していない。
「すげえ……!」
一瞬、ジョアンさんがそう言った意味がわからなかった。だって、ひとつも命中せずに全て外れたわけで……。
でも、すぐに理解した。さして間を置かず第二波が放たれると、その砲撃のすごさを認めざるを得なかった。
「あんなに遠くからなのに、的確な砲撃で、シードラゴンの動きをうまく誘導してやがる」
そうなんだ。撃ち込まれた砲弾が敵の行動を制限している。着水するたびに立ち上がる水柱が幾何学的な模様を描き出していて、明らかにその意図で撃ってきてるのが感じられる。
「悔しいが、この船の練度じゃあそこまではできねえ」
ジョアンさんには悪いけど、俺の見た限りでは、その意見は正しい。でもこっちの船だって決して下手じゃない。あっちの船がそれより上手いのは、普段から『そういう』活動をしているからかもしれない。
事情はともあれ、今は助かる。
「おかしら! あのデカブツ、こっちに来やすぜ!」
クリストバルさんが叫んだ。
その報告通り、シードラゴンはその巨体を左右にくねらせながら、今まさにこっちに向かってきている。海面に突き出た背びれは天に向かってぴんと張っていて、心なしか、さっきまでよりまがまがしく光っている。
「かなり怒ってやがるな」
その様子を、ジョアンさんはそう評した。怒っているのか、あれは。言われてみればそうのような気もする。
私掠船は砲撃を続けながら移動もし続けていて、今やあの船とシードラゴンとの間に、こっちの船が挟まれる形になった。大砲の弾はこの船の上を飛び越えて、シードラゴンの周囲へ降り注いでいる。
こうなれば、怒っているシードラゴンはまずこの船を襲うだろう。
「下をくぐるか、体当たりしてくるか、それとも上を飛び越えるんですかね?」
どこかのんびりした様子でクリストバルさんが呟くと、ジョアンさんは頭を掻きながら応じた。
「体当たりだけは勘弁して欲しいが、こういう時は十中八九、体当たりだな。出番だぜ、リオン」
こうなってしまうと、もう後戻りはできない感じだな……。
この敵の危険性は思い知った。村の近くに野放しにしておくことはできない。それはわかってる。
でも正直なところ、気が進まない。
「……ドラゴンの一種なんですよね」
そこが問題だ。ドラゴンと戦ったら俺の中の
「違う」
「えっ。違う?」
ステラさんの言葉に、俺は思わず訊き返した。
「確認した。時間が無いので詳細は省くが、あれは巨大なウミヘビで、魚の一種。ドラゴンではない」
「そうなんですか」
なるほど……? 正直、よくわからない。でもステラさんが言うならそうなんだろう。
それなら、倒すことで敵の
「わかりました。とどめの一撃、俺が行きます」
剣で直接届く距離での攻防なら、村の近くにたまに出る害獣を退治するのと大差ないだろう。相手がちょっと大きいだけだ。
「頼んだぜリオン。万が一のことがあっても嬢ちゃんたちはどうにかして村まで送り届けるから、安心して行ってこい!」
ジョアンさんの激励。万が一なんてことにならない方がいいけどね。
大きく深呼吸して、竜革の鞘から魔剣〈
名前の通り竜の牙から削り出したという片刃の刀身は、竜の頭部を模した柄とあわせると竜の吐息のように見える。この剣を手に、俺は多くの戦いを乗り越えてきた。
身体が熱いのは、夏の日差しのせいだけじゃない。魔剣に呼応して、俺の中を巡る
だから、魔剣を使うのを避けてたんだよな……。
そんな言葉とは裏腹に、気分は戦いに向けて高揚していく。
……なるべく手早く済まそう。
「来たぞ! 野郎ども! 衝撃に備えろーッ!」
ジョアンさんの指示を背中に聞きながら、俺は船縁を踏み越えて海へと……シードラゴンへと跳んだ。