思ったより、しぶとい。
並みの魔獣なら最初の一撃、背中に魔剣を突き立てた時点で倒せていたはずだ。それに耐えて、暴れた。……いや、本人としては耐えきれずに暴れたのかも知れないけど。
俺は振り落とされないよう魔剣を握る手に力を込めている。船からは少し遠ざかってしまったけど、巻き込むよりはいい。
やがて大きく首が振られた勢いで、突き刺した剣が抜けた。それを握っていた俺も、振り落とされた形になる。
逃げたらまずい。そう思ったけど、ジョアンさんの言った通り、敵は逃げることなく俺に向かってくる。
海に差し込む陽光の中、初めて、そいつの顔を見た。
シードラゴン。……ドラゴンではないらしいから、ややこしいけど。特徴的なのは、向かって右の眼が潰れていること。これが理由で、渾名は〈隻眼の海蛇〉というそうだ。
残ったもうひとつの眼が、俺に向けられている。それは確かに、竜の眼じゃなかった。竜ならあの特徴的な、縦長の瞳孔があるはずだ。それがなく、ただ黒いだけの眼。これはこれで、何を考えているのかよくわからなくて不気味だけど。
ただ、俺を見ているのだけは、確かだ。
『竜がなにゆえ人に味方する……』
突然、そんな声が聞こえて戸惑った。
シードラゴンが喋っているのか?
声にはかすかに怒気が感じられた。背びれもまだ、攻撃色というのか、不気味に輝いているままだ。平和的な話し合い、というわけではなさそうに思える。
「俺は竜じゃない」
そう言ったけど、実際には海の中で泡を吐いただけ……
『それほどに
どうやら通じたらしい。不思議だ。
そもそも、相手のこれは、竜の言葉か? だから俺も理解できるし、俺が声に出そうとしたことが相手にも伝わっているのか。
「お前こそ、竜の言葉を喋るなんて……ウミヘビじゃなかったのか」
俺の言葉に、敵は嘲りを込めた視線を向けてきた。
『我がちからの強大なるを見よ。竜を何匹も喰ろうたからよ。竜をも超えた我こそ、万物の頂点たるに相応しい』
相当な自信家らしい。確かに、身体は大きい。竜を食べたことがあるというのも嘘ではないかもしれない。
それで……うーん。ということは、こいつの強さは竜から奪ったもので……
こいつも、
まずいことになった。ドラゴンじゃないと思ってたから、少し安心してたのに。
とりあえず話は通じるんだから、倒してしまわずに、ちょっと懲らしめるくらいで済まないか……と思案する間もなく。
『竜でないならば恐るるに足らん。貴様を喰ろうて、その
怒気をはらんだ声で吠えて、襲いかかってきた。
この程度のありきたりなことしか言ってこないなら、何も言わないでいた時の方が不気味な恐ろしさがあったな。
それにしても、気が乗らない……。
そう思いながらも、大人しく食われてやる義理もない。
大きく開けた口から、あの気泡弾。でも海の中だとあれが泡として目に見えているから、対処はしやすい。俺の魔剣はちゃんと
となれば、目の前に残るのは大口を開けたウミヘビだけだ。
背中の方に
たどり着いた口の中はなかなか広い。人間を船ごと丸呑みにするって噂も嘘じゃなさそうだ。ジョアンさんの船は無理でも、漁船くらいなら、まあ。不意にそうなったら恐ろしいだろう。
今はあえて飛び込んだんだし、足場になる場所がある分、海を漂っているより気は楽だ。
ここから――
「――応えろ〈
ああ、でもこの感覚も久しぶりだ。
輝きを帯びた魔剣を思いっきり振り回すのは、そうだ、暴食に近い感じがあるな。後に起きることは頭から追い出して一時の楽しみを貪っている、という……。
幸いというべきか、他の多くの魔獣の例に漏れず、こいつも口の中まではさほど頑丈じゃなかった。
発動した魔剣技〈
『ぐおぉ……こ、こんなはずでは……』
呻き声はしばらく口の中を反響したけど、それもすぐに終わった。その頃には大きく開いた傷痕から血が漂い始めて、俺は外へと抜け出した。
……まずい。
このウミヘビの持っていた
新たに取り込まれた
ウミヘビだっていうから、
それはそうと、ひとつ合点がいったことがある。
断末魔の時、このウミヘビからかすかにだけど〈歪み〉の波動を感じた。つまり、こいつも邪神〈歪みをもたらすもの〉の影響を受けていたんだ。異様な肥大化や人を襲うような凶暴性はそのせいじゃないか? と思う。
そして、そうすると……
聖竜から〈安定をもたらす者〉と認められた俺が戦うはめになったのも、なるべくしてなった、あるいは、遅かれ早かれ、というところだろう。
何にせよ、これでシードラゴン騒動はほぼ決着。
村に大した被害が出なくて良かった、ということで、まずは満足しておこう。
*
シードラゴンのむくろは急速に崩壊が進んで、ようやく引き揚げられたのは頭部の骨だけだった。それでも、片目のあたりに一度砕けた古い痕を残しているから〈隻眼の海蛇〉の討伐証明にはなるだろう、とのこと。その頭骨だけでもものすごい大きさだから、運ぶのには苦労しそうだ。
結局、半分以上沈めたまま引っ張ることになったけど、村に戻ったら空の樽をいくつも繋げてちゃんと浮くようにしないといけない、とクリストバルさんが言っていた。樽も安くはないけど「シードラゴンの頭蓋骨を運ぶのに使った凱旋樽、って札をつけりゃ儲けが出るくらいさ」とはジョアンさん。
「うう。これ、ちゃんとお手入れしとかなくちゃ……」
クレールが沈んだ声で呟いたのは、
ジョアンさんと嘆涯の海都のイザル・ヘイラー提督との間で行われるはずだった『取引』は、シードラゴンの取り扱いについても含めた形で行われた……らしい。
俺も同席するつもりがあったけど、止められた。嘆涯の海都の私掠船に肩入れしていると見られると、雷王都市との関係が悪化しかねないからって。……なるほど。
そういうわけでジョアンさんが「お前の分まで分け前を勝ち取ってきてやるよ」と豪語して、クリストバルさんだけをお供に出かけていった。
桟橋を挟んで並んだ二隻のうち、交渉が行われたのはイザル提督の船の中。
確か船の名前は〈聖騎士〉号だって、ラムーさんが言ってたな。
大きさはジョアンさんのものと大差なく見えるけど、その風貌はかなり違う。まず明らかに幅が狭い。そしてその分、前後に長い。船尾側が高くて、船首側が低いな。その船首には何か……よくわからない生き物を模した船首像が、微妙にイラッとくるようなしたり顔で戦斧を構えている。
船首像を抜きにすると、イザル提督の船の方が優美に見えるかな。でもこうして見比べると、どっしりとしているジョアンさんの船も、俺は好きだな。
酒場で待つことしばし。
その間に、クレールとステラさんはニコルくんのお店で間に合わせの服を買って、すでに着替えてきている。その素朴な風合いの服は、ステラさんはともかくクレールは普段あまり着ていないから少し新鮮だな。
それはともかく。
イザル提督の船から降りてきたジョアンさんは、いかにも悔しそうな表情で席についた。
「すまねえ、リオン。シードラゴン討伐の懸賞金の権利だが、三分の一は向こうの船に持って行かれちまった。向こうの取り分は五分の一くらいにしたかったんだが……援護砲撃で助かったのは確かだから、強く言えなかった」
確かにいきなり撃ってきた時は驚いたけど、あの遠距離から状況を正しく見極めて迅速で的確な対応をしてきたのには、もっと驚いた。そのイザル提督が三分の一。妥当な取り分だと思う。むしろこれ以上減らしたら気の毒だ。
「リオンには、残りのうち三分の一を送るぜ」
俺にも三分の一。これは逆に、もしかするともらいすぎじゃないかと思うけど、俺の攻撃が決め手になったのは事実。クレールとステラさんは「三分の一は当然もらうべきで、むしろ半分くらいもらっていいはず」と言っていた。……まあ、領地経営のことを考えると、たくさんもらえると嬉しいのも確かだ。
三分の一で二人は納得するだろうかと視線を向けると……
「……ジョアンの取り分が多く、リオンの取り分が少ない」
ステラさんがそう指摘した。
ん? 俺とジョアンさんとイザル提督で三等分……だと思ったけど。
「嘆涯の海都の提督に三分の一。残っているのは三分の二。言葉通り『残りのうち三分の一』だと、リオンは全体の九分の二。ジョアンが九分の四を得ることになる」
……なるほど? 正直、よくわからない。あとで改めて詳しく聞かないと……。
ともかく、ステラさんの計算では俺の取り分が一番少ないらしい。
ステラさんの冷たい視線にさらされて、ジョアンさんは何食わぬ顔で「さて、なんのことやら」と言いつつ、目を逸らした。……いかにも怪しい態度だ。
「三者で三等分が筋じゃない?」
クレールもそう詰め寄ると、ジョアンさんは両手を挙げて苦笑した。
「冗談だよ、冗談!」
「ほんとかなぁ」
疑わしげな声が向けられ、そこから顔を背けたジョアンさんはぼそぼそと何か呟いている。
「くそ、惜しかったな。ステラの嬢ちゃんがいなけりゃ、上手くいってたのに」
聞こえてるけどね。からかって遊んでるだけなんだろうけど。
「やっぱり騙そうとしてたのかな?」
「……実際に懸賞金を受け取るまで油断はできない」
クレールは苦笑。ステラさんは……真剣に警戒しているかもしれないけど。
「リオンの旦那、それにお嬢さん方。あっしがちゃーんと見張っておきますんで、どうぞご安心を」
ジョアンさんの横に立っていたクリストバルさんが、自分の胸をこぶしでドンと叩いた。とてもいい笑顔だ。顔の造りは怖いけど、だからこそ頼もしく見えるな。
「クリストバル。お前は俺の副官なんだから、俺の利益を確保するのが仕事だろ?」
ジョアンさんが苦々しげに呻くと、クリストバルさんはいい笑顔のまま頷いた。
「ええ。ですが、信用を失うってえ損害を未然に防ぐのも仕事でしてね」
さすがに長く副官をしているだけあって、ジョアンさんの扱い方がわかってるな。