竜牙の勇者はしばらくお休みします   作:雷神宮燦

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勝利の味

 イザル提督の船が出港するのを遠くから見送った。ラムーさんとは挨拶をする暇もなかったな。

 後で聞けば、桟橋の使用料と共に手紙も届けられていた。その内容はおおよそ『この港の益々の発展をお祈りする』というもので、ジョアンさんによれば、お互い立場があるから親密な交流はしないが敵対もしない、という程度の意味らしい。

 さて、そのジョアンさんの方だ。

 あの『親方』ってやつに会う、と言われて、俺が案内することになった。何だか、渡したいものがあるとか。担ぐように持っている革袋の中身が、そうらしい。

 ジョアンさんのことだから何か悪だくみってことはないだろう……多分。

 クリストバルさんは事情を察しているようで、ただ「お気を付けて」とだけ言って、自分は出港準備のために船に戻っていった。

 事情っていうのは……親方がかつて〈赤毛の女海賊〉と呼ばれた人らしい、ってことだ。話を聞いた限り、その可能性は結構あると思う。俺の領主としての公式の見解は『別人』ということにしているけど。

 親方は避難所にいた。

 村の西にある遺跡で、古王国時代にはここに砦があったらしい。古いわりに造りが頑丈だから、こういう時の避難所には適している。

「おー、リオンさん! 村のやつらはもーほとんど家に帰ったぜ。あたしは後始末」

 こういう時に最後まで残ってるのは親方らしい。だからこそ村のみんなに慕われてるんだろう。

「それで、そっちの男は?」

 そっちの男、とはもちろんジョアンさんのことだ。

 ジョアンさんは頭を掻きながら、俺の横から何歩か進み出て、親方の前に立った。

「久しぶりだな、赤毛の」

 その口調ははっきりとしていて、親方が〈赤毛の女海賊〉なのは間違いないと確信している様子がうかがえた。久しぶり、というからには以前に会ったことがあるんだろう。それは、穏やかな場面ではなかったかもしれないけど。

 言われた親方の方は……

「なんだよその、どこかで会ったことありませんかー、みたいなのは。使い古された口説き文句かってーの」

 そう言って苦笑するだけで、まともに取り合おうとしない。

 それにしても、ジョアンさんはまさか、親方の過去のことをはっきりさせに――悪く言えば、過去を暴きに来たのか? 少し心配になった。

 親方が実は有名な女海賊となれば、商人であるジョアンさんはあの人に恨みがあるかもしれない。

 何か騒動になるなら、俺が止めないと……

 そう警戒した俺の目の前で、ジョアンさんは、持ってきていた革袋を親方に差し出した。

「これ、お前にやるよ」

 そういえば親方に渡したいものがある、と言っていた。これがそうか。中身は何だろう。俺は聞いていない。

 怪訝な顔で受け取った親方がその袋の口を開けると……

「これはっ」

 そう叫んで急に喜色を浮かべた。

 そのまますぐに袋に手を突っ込んで、取り出されたのは一本の瓶。

「……火酒じゃねーか! なんでくれるのか知らんけど、くれるんならもらうよ!」

 なるほど、お酒か。この火酒っていうのは普通のお酒とはちょっと違って……火をつけると燃える、らしい。蒸留という特別な工程を経て酒精を強めてから瓶詰めされているんだそうだ。詳しい人からの聞きかじりだけど。

「酒はいいよな……嫌なことを忘れさせてくれる」

 折れて倒れていた石柱を椅子代わりに腰掛けて、ジョアンさんがしみじみと呟いた。

 夏至を過ぎて間もないとはいえ、さすがにもう遅い。日も傾き始めている。西の空を見上げたジョアンさんの顔にも夕陽の色が落ちる。

「あぁ? あんたはそんな気持ちで酒を飲んでんのか」

 火酒の瓶を楽しげに眺めていた親方が、ジョアンさんの意見に異を唱えた。

 ジョアンさんは、そんな親方の方へ軽く視線を向けた。

「お前は違うのか」

「酒はなあ、明日への活力なんだよ。酒を飲めるってことの喜びなんだよ。未来への感謝なんだよ。だから今日も乾杯、明日も乾杯、明後日もカンパーイ!」

 親方は酒瓶を持った手を、夕陽に向かって掲げてみせた。ガラスの瓶の中身が揺れて、キラキラと輝きを放つ。これが、親方の活力源というわけだ。

 親方らしくて、俺は苦笑。

「……早死にするぞ」

 ジョアンさんは苦笑を通り越して、本気で心配そうな声だ。

 それを、親方は笑い飛ばした。

「これまでの生き方からしてみりゃー、すでに十分長生きだと思うぞー……っと」

 そう言いながら酒瓶の首を握って、その底を手近な板に軽く打ちつけること四、五回。浮き上がったコルク栓を、親方は素手で引っこ抜いた。

 この栓の抜き方も何やら親方の特技らしく、俺を含めて、館の何人かも試してみたものの成功した人はいない。酒場のマスターですらできないそうだ。道具がないまま酒瓶の栓を抜く、なんて機会の多い親方だからこそ身に付いたんだろう。

 俺がそんなことを思っているうちに、親方はもう瓶に口を付けていた。ラッパ飲みというやつで、中の液体をぐいっと喉に流し込んでいる。

「かーっ! きっつぅー!」

 その様子を見て、ジョアンさんは顔色を変えていた。

「そういう飲み方すんじゃねえよ! その一瓶でいくらすると思ってんだ!」

「もらったもんだからタダだよ!」

 間髪入れずに反論された。確かにそれについては親方の言う通りだけど。ジョアンさんの言い分もわかるな。さすがに火酒の飲み方ではない気がする。本来は果汁とかに少しだけ混ぜて飲むんじゃないかな……。

 ジョアンさんは頭を掻いて、ため息。

「……変わらねえな、お前は」

 こうなると、俺にも何となく察することはできる。親方が〈赤毛の女海賊〉と呼ばれていた頃も、ジョアンさんとはどうもただ敵対していただけじゃないらしい、ってことくらいは。

 親方はそんなジョアンさんの方は見ずに、酒瓶の口にもう一度栓を詰めた。

「……あたしは変わったよ。あたしの旦那のおかげで。それと、リオンさんのおかげでね。たぶん、いい方に」

 そう言って、親方は笑った。

 俺がどのくらい役に立ったかはわからない。親方が変わるところにたまたま居合わせただけのような気もするけど……。そこはまあ、親方本人の感じ方次第か。

「そうか。そりゃ……良かったな」

 そう言ったジョアンさんは、続けて何か言いたそうにしたけど……

 しばらくの無言の時間を経て、結局は、もう一度ため息をついただけだった。

「……ま、俺とは関係ない話だな」

「だな。あたしとあんたは、特に関係ない同士だ」

 二人とも、近くで話してはいるけど、お互いに顔を合わせようとはしない。

 俺も何か声を掛けようとは思ったんだけど、どうも、近寄れない雰囲気がある。

 二人の間に横たわっているのは、距離ではなくて時間だ。そこに、俺が割って入ることはできない。

「だけど」

 と、親方が言った。

「少しは聞いてる。名前はジョアンで、リオンさんの冒険の仲間で、船乗り。それと、いま覚えた。火酒をくれた男ってことはさ」

 そうして酒瓶を指で弾くと、ガラスの澄んだ音が響いた。

「今、港を整備してるところさ。この村はもっともっと大きくなる。いつか、あたしの旦那が夢見たように。……だから、また来なよ。今度は酒樽をたくさん積んでさ」

 親方の元々赤い髪が、この夕暮れにさらに真っ赤に染まる。その顔は、屈託のない笑顔。

「……ああ、そうだな。また来る。積荷が全部酒樽ってのも、まあ、悪くはないな」

 そう言って立ち上がったジョアンさんも、今は笑っていた。

 

       *

 

 港へ戻る頃には、すっかり暗くなっていた。俺はこの後にまだ酒場で会合……という名の飲み会があるけど、ジョアンさんは明日の出港に備えて早めに休むそうだ。

 その道すがら、ジョアンさんが少しだけ、昔のことを話してくれた。

「……十年くらい前はな、海の王者っていやあ二人の名前が挙がった。〈白鯨〉ペス・ヴィエントと〈赤髭〉バルバトス・ローラディン・レイスだ。二人は敵同士だったが、好敵手ってやつでもあった」

 その二人の名前は俺も聞いたことがある。〈白鯨〉はジョアンさんの育ての親だということだった。そして〈赤髭〉は〈赤毛の女海賊〉の――つまり、たぶん親方の、父親だ。

「その二人が、お互いの後継者同士を結婚させて、ふたつの船団を統合させようと計画したことがあったんだ。その話は結局、じいさん……〈白鯨〉が死んじまって、お流れになったんだけどな」

 つまり……ジョアンさんと親方は、言うなれば婚約者同士だった時期がある、ってことか。そう考えると、さっきの二人のぎこちない態度も、何となく納得できる……ような。

「まあ、だからどうって話じゃねえんだ。ただ……」

 そこまで言って立ち止まり、ジョアンさんは、暗くなり始めた海へと視線を向けた。

 ちょうど、丸い月が水平線のあたりに見え始めたところだ。こんな満月の日だから、シードラゴンなんかが襲ってきたのかもしれない……というのは、さすがに考えすぎだろうか。

「お前も考えてみろよ、リオン。あの海に大艦隊がいる、その姿をだ」

 ジョアンさんが、海の方を指差した。

「俺の〈赤鯱〉と同じくらいの大きさの船が何隻も――ああ、総勢三十隻を超える大艦隊だ。揃いの紋章が描かれた帆に風をはらませて、整然と列をなして進んでいる。その姿は海の竜、シードラゴンに喩えられるほどだ……」

 それは……。

 ジョアンさんの船が一隻近付いてきただけで、昨日の騒ぎだ。

 それが三十隻。相当の威圧感がある光景だろう。

「……たまには考えるのさ。あの話がうまく行ってたら俺は、今頃は大艦隊を率いてたかもしれねえ、ってな」

 その可能性も本当にあったからこそ、気になってしまうんだろう。無くなってしまった可能性だけど……〈赤毛の女海賊〉の姿を見たから、思い出してしまったのか。

 ……でも。

 と俺が口を開きかけると、ジョアンさんは少し笑って、それから、頭を振った。

「わかってるさ。その代わりお前とは出会わなかったかもしれねえ、ってことはな。……もしどっちかを選べたんなら、昔の俺なら何も迷わず、大艦隊の提督になるのを選んだだろうが……」

 ジョアンさんの笑みは、これは、苦笑だろうか。何か、いろいろな感情がない交ぜになって、ようやくぎりぎり、笑顔が勝った。そんな感じの顔だ。

「今の俺なら言えるさ。……お前と出会えたこっちの航路も悪くなかった」

 そう言った顔は本当に真剣なものだった。

 でもそれが長く続くことはなく……

「なんてな。まあ……酒の肴さ」

 すぐにまた苦笑に戻ったジョアンさんは、がしがしと頭を掻いた。

 

       *

 

 ジョアンさんと港で別れて酒場に向かうと、会合はもう始まっていた。……まあ、ほとんど飲み会なんだけど。

「おー、リオンさん! 遅かったじゃねーか! こっちこっち!」

 親方が声を掛けてきた。明らかに、もう飲んでいる。さっきの瓶もテーブルの上にあるな。ただ、栓はされている。まだ飲みきったわけではなさそうだ。

「よーし、リオンさんも来たから改めてカンパーイ!」

 いつも通り、真面目に会合をする感じじゃない。

「で、議題はー……あー、あれだ! あたしからの提案をはっぴょーする!」

 親方がそう言って立ち上がった。

 何だろう。海賊船かもしれない船の来航、シードラゴンの襲撃とあったから、正式に避難所を整備したいとか、そういう話かな。

 と思っていると……

「広場の銅像の近くに、リオンさんの偉業を刻む石碑を建てたいとおもーう! 一万年先まで遺るように、ひっじょーに頑丈なやつにする! 建造の費用は村人から広く寄付を募って、税は使わないよーにする! 以上!」

 あ……あーあー、その話があった。シードラゴンの件があってすっかり忘れてた。すぐに反論してやめさせないと――

「異議なし!」

 周囲からすぐさまそんな声が上がって、盛大な拍手。

 ……異議なし、じゃないよ。

「全会一致でけってーい! よし、じゃあ改めてカンパーイ!」

 いったい何度乾杯するのか。

「かぁんぱーい!」

 なぜか村の会合にネスケさんが紛れ込んでお酒を飲んでいる。まあ、会合といっても店を貸し切りにしてるわけじゃないから、そういうこともあるか。

 それはともかく、反論するにしても今ここでは多勢に無勢。ここは一旦流しておいて、具体的に動き始める前のどこかで広場への石碑建立を禁止する命令を出そう。それがいい。

「いやー、今日はあのヘビ野郎も退治されてほんっとーにめでたい! リオンさんもじゃんじゃん飲んでじゃんじゃん食べてくれよ! リオンさんの分は奢るからさ!」

「そうですか。それじゃ、何か料理をいただこうかな」

 正直に言うと、空腹感はある。あれだけのちからを使えば腹も減るというもの。

 でも、この店で食べ過ぎないようにしないとな。館ではニーナも何か用意してくれてるかもしれないし。

 ……と思っているうちに、親方が大皿から取り分けてくれた。ちょっと多いけど今の空腹具合なら食べきるのは問題ないし、断るほどでもないか。なにより美味しそうだ。

 親方から皿を受け取って、空いている席に座る。ちょうどネスケさんの横。……いつ吐くかわからないから空いてるのかな……。

「パエリア、おしいそうっすー……」

 ネスケさんが俺の皿を見て、そんな感想を漏らした。ひたすら飲むばっかりじゃないんだな。そりゃそうか。

「ちょっと多いくらいなので、少しどうぞ」

 勧めるとネスケさんはにへらっと笑った後、自分のさじでそのパエリアをすくって食べた。

「あー、これは海の味っすねー、おいしーっすー」

 というのが、しまらない笑みを浮かべて口をもぐもぐさせた後のネスケさんの感想。海の味って。確かに魚介類が入ってるみたいだけど、そのことかな。

 やっぱり結構酔ってるな、これは。何か問題が発生しないうちに、場所を変えた方がよさそうだ。

 そう思いながら、俺もその料理をひとくち。

 それから、もうひとくち。

 そしてさらに、……ひとくち……。

 

 …………。

 

 味を、感じない……?

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