星読みの宮の端にあるテラス。さすがに霊峰の中腹となると、視界を遮るほどの木々や山はなく、はるか遠くまで見渡すことができる。近くを竜が飛ぶのも見える。その中にはいかにも悪竜という風情のやつもいるけど、ここには聖竜の守護があるから襲いかかってはこない。
ティータさんは席を外している。星読みが出来るようになる日没まで間があるから、「ささやかながら」夕食を用意してくれるそうで、その準備に行ってしまった。あまり盛大になるようなら断るつもりだったけど、こういう時の夕食は普段清貧に過ごしている星読みの人たちにとってもたまの楽しみだそうで、そういうことならとお言葉に甘えることになった。
「日が落ちるまで暇ですよねえ。もう少しゆっくり来ても良かったんじゃないですか?」
ユリアは石のベンチに腰掛けてそんなことを言っていた。
言いたいことはわかる。でも、ここまですんなり来られたのはたまたまだ。この星読みの宮自体はともかく、道中は必ずしも安全じゃないから一体どんなトラブルがあるかわからない。冒険慣れしていないユリアを連れたまま山中で野宿ってことになる可能性もあった。早めに出発して早めに着いた。いいことだ。
「ここ、いい景色だと思うんだけど」
俺が言うと、ユリアは「それはそうなんですけど」と言ってため息をついた。
長い銀髪と紺色の襟巻きが風になびいている。そのくらい、風が強い。今が夏だってことを忘れそうなくらいに冷たい風だ。
「雲海っていうんですか? 確かに綺麗なんですけど、雲しか見えないんですよね」
……確かに、今日の天気だと、そうだ。
「雷王都市の方に不自然な雲が立ちこめてるのも最初は面白かったですけど、ずっと見てられるってほど雲好きじゃないですね、私」
この東にある雷王都市の上には確かにユリアの言う通り明らかに異常な大きさの雲があって、前にここから見た時にもあった。雷王都市に雨を降らせている原因の雲らしい。
「本来、あの場所にあれほどの雲が常時留まるはずがない地形。非常に興味深い」
ステラさんはその雲を観察しているだけで夜まで暇を潰せそうだけど、ユリアはそうでもないみたいだし、俺もたぶんそうだ。
と、ユリアが「そうだ」と手を叩いた。
「頂上に行く洞窟を探検するのはどうでしょう。中にもドラゴンとかいるんですよね? リオンさんがかっこよく戦うとこ、見たいです」
無茶なことを言ってきたな……。戦って勝てるかどうかで言えば、勝てるけど。
「さすがに危ないよ。やめておいた方がいい」
ありきたりだけど一番常識的な理由を挙げて、俺はユリアの冒険心を諫めた。
「そりゃ、ドラゴンなら倒せるけど。あそこの危険はそれだけじゃないから」
「他にも何かいるんですか?」
そりゃあ、いろいろいる。ドラゴンが数多く棲んでいるところだから、当然、ドラゴンの餌になるようなやつらだってドラゴンの何倍もいる。そしてそいつらも、普通の人間の基準からすると十分に強い魔獣だったりする。俺ひとりならともかく、ユリアの安全までは保証できないかもしれない。
――ということを説明すると、ユリアもわかってくれた。
「〈
……軽々しく試し撃ちとかしていいものかどうかは、この際置いておこう。
「それとあともうひとつ、魔獣以外にも気になることがあって」
俺がそう言うと、ユリアは「何です?」と首を傾げた。
実のところ、アレが何なのか俺も全貌を知っているわけじゃないけど。
「これより上に進むと、悪いまぼろしを見ることがあるんだ。仲間内では『悪夢の霧』とか、単に『霊峰の霧』とかって呼んでる……」
「えっ、怪談ですか?」
ユリアがそんな反応をするのも当然か。確かに妙な話ではある。
「それがね、実際に起きたことなんだよ。俺も見たし、他にも何人かが遭遇した」
そうでなければ俺だってユリアと同じような反応をしたかもしれない。
「見たもの自体はみんなばらばらだけど、過去の不安や恐怖を記憶から掘り出されて突きつけられるような、そんなまぼろしってことは共通してた」
「えぇ……そんなのがあるんですね」
「でも、あれの原因が何なのか俺たちもよくわかってないんだよね。だから対処が難しい」
ティータさんは、あの頃の聖竜を蝕んでいた〈歪み〉のせいで起きたんじゃないかって言っていたな。この霊峰にあれほどのことを起こせる存在は聖竜しかいないって。
ただ、正気に戻った聖竜本人には心当たりがないらしくて、真相はわからないままだった。実際にその時の聖竜と戦った俺としても……歪みに蝕まれていてさえ、聖竜は神聖属性の魔術や
まあ、原因はともかく、そういうことが起こったところだってことだ。
「怖いですね。過去の不安や恐怖って、心当たりがありすぎて……しかも、どれが来ても嫌な感じです」
そう言って両手で自分の肩を抱いたユリアは、霊峰の洞窟へ探検に行くのは諦めてくれた。
「しょうがないから、雲でも見てます。ステラさんに解説してもらったら私も雲のこと好きになれるかも」
それは……どうだろう?
*
みんなで「ささやかな」夕食をいただいた。ただ、俺たちよりも星読みの人たちの方がたくさん食べていた気がする。ナタリー並みに食べていた人もいたな……所作はナタリーよりもずいぶん穏やかだったけど。
「この後の星読みで何を言われるか心配すぎて、あんまり入らないですね」
と言ったのはユリア。だけど、そんなに食欲がないようには見えない。それどころか、結構なハイペースで食べているようにも見える。
まあ、三人分の星読みのために『寄付』した金額を思えば、ここでわかりやすく取り返しておこうという気持ちもわかる。
とはいえ、ステラさんが相変わらずの小食だってのを差し引いても、食事だけじゃどうやったって元は取れない。あんまり気にしても仕方ないな。
「みなさん。その肉のことですが……」
ティータさんが皿のひとつを示した。確かに、肉だ。厚めに切って焼いたものがドンと乗せられている。一人で食べる量じゃないな。切り分け用のナイフもあるし。
「これが何か? 美味しそうに焼けてますけど」
「ドラゴンの尾の肉です」
……言われなかったら食べてたところだった。そうならないように教えてくれたわけか。実際、どのくらい影響があるかはわからないけど、避けられるなら避けた方がいいな。もちろん、身体に溜まっている
「ドラゴンって食べられるんですか」
「俺が前に食べたときは固くてとても食べられたものじゃなかったけど」
驚いた声をあげたユリアに、俺は自分の体験談を話した。もっとも、俺の時は自分で適当に切り取って焼いただけだった。臭みがあって固かった思い出だ。
「時々、竜神が退治した悪竜を食材として提供してくださるのです。適切な処理をすれば美味しく食べられますよ。食べれば寿命が延びるとも言われていて、高級食材となっているそうです。霊峰には無謀な猟師が来ることもあります」
生きて帰る人はほとんどいませんけど、と最後に付け加えて、ティータさんは薄く笑った。食うか食われるか、まさに弱肉強食だ。
「んー、鶏肉みたいな味ですね」
早速食べてみたユリアがそう言うと、普段はあまり肉を食べないステラさんも好奇心に押された様子でそれを口に入れた。
「……ドラゴンの荒々しさに似合わない、あっさりした味と言える。美味。興味深い」
ステラさんもそう言うくらいだから、実際美味しいんだろう。前にミリアちゃんも食べたがってたな。真夏の暑さの中だから、お土産に持って帰るわけにはいかないだろうけど。
「リオンさんは食べないんですか?」
その美味しいドラゴン肉ってやつ、確かに俺も食べてみたいけど……
「……今は肉の気分じゃないかな。こっちの果物をもらうよ」