神託の霊峰の北西。近くを通っている大きな街道は『芽吹きの街道』というもので、霊峰の西側を南北に貫いているそうだ。クレールの故郷である輪廻鳥の街や、ペトラの先祖が住んでいたっていう白風の町なんかがその上にある。
そういう話を、飛竜での移動の間、ステラさんがあれこれ語ってくれた。ステラさんにしては饒舌なのは、空の旅の緊張からか、それとも故郷への不安からだろうか。俺の腰に回されたステラさんの腕からも、少し震えが感じられた。いつも冷静なステラさんにしては珍しい。
今回の目的地はその街道よりももっと霊峰に近くて、大きい街道からははずれている。その意味では竜牙の村とも似たところがあるな。さほど大きくない村だ。
村の人たちを驚かせないようかなり離れたところで飛竜を降りて、そこからは徒歩。少し距離はあるけど、昼前には着くだろう。
村へと向かう間に、ステラさんから改めて話を聞くことができた。
ステラさんは幼い頃、両親に捨てられた。
一番の理由は、その黒髪と赤目が両親のどちらとも似ていなかったことだという。
「私の存在が原因で家の中は荒れていた。父だった男は、母だった女の不貞……つまり浮気を疑ったのだと思う」
というのは、ステラさんの推測だけど……そう疑念を持つのも無理はないか。もちろん、そうだとしてもステラさんの責任じゃない。
「それでも男はなるべく良い父であろうとしていたようではあったし、多くの場合は実際にそうだった。女は私を放置したりせず育ててくれた。あの日までは、そうだった」
ステラさんは淡々と話す。俺はそれを黙って聞きながら歩いた。
「私が六歳の頃のある日、ささいなことから始まった喧嘩で男は怒鳴り、女は泣き、やがて、男の両手が私の首に添えられた。私が森へ捨てられたのは、その夜のこと。しかし、それはむしろより確実な死から私を遠ざけようとする女の配慮だった。そのはず。だから、恨んではいない。その時まで私を育ててくれたことには感謝しているし、その対価を支払えていないことは心残り」
ステラさんが語ったことは、ステラさん自身の願望を多分に含んだ見方であるとはいえ、すでに遠い昔に終わったこと。わざわざつらい見方を押しつける必要もないだろう。俺ならそう言える。
でも、ステラさんがこうして故郷に足を運び、その結果、両親と会うことがあれば。
成長したステラさんの目で、過去を冷静に判断したら。
その時には違う側面が見えてくることもあるかもしれない。
そしてそれは、ステラさんの『幻想』とは違うものかもしれない……。
*
「ここが?」
「そう……故郷。そのはず。……覚えがある。この向こう」
ステラさんの案内で進むと、小道の向こうに確かに集落があった。
ただ、遠目にも少し異様な雰囲気が目に付く。前の領主の圧政を受けていた頃の寒寂の村と似た感じだ。
具体的に言うと、例えば、村の周囲に即席の柵があることだ。柵の隙間からは先の尖った木製の杭が延びていて、魔獣対策のために作られたものだと想像される。それに……
「誰だ! この村に何の用だ!」
こうして、怖い顔の門番が二人も立っている。平穏なときならここまでの反応はしないだろう。
魔獣の被害があるとは聞いていたけど、これほどとは思わなかったな。
「道に迷った。水と食料を少し分けて欲しい。見知らぬ旅人に対して警戒心は当然。村の中まで入らなくても良い」
ステラさんが何食わぬ顔でそう嘘をつくと、門番二人は顔を見合わせた。
「子供二人でか?」
「子供ではない。二人とも成人している」
成人の定義は土地によって違うと思うけど、竜牙の村では十五歳なら一応成人だ。その点では、ステラさんの言い分は間違っていない。
門番の男二人は、見たところ、装備は貧弱で練度も高くない。おそらく戦いを専門としている人ではなくて、普段は農作業に従事している人たちだろう。たぶん、竜牙の村の自警団の方が、経験もあるぶん強い。
魔獣の被害があるのに門番がそうってことは、かなり状況が悪い。そのくらいの察しはつく。
「物々しい雰囲気ですけど、何かあったんですか」
俺がそう訊ねると、門番の一人が頷いて事情を話してくれた。
要約すると、少し前に大きな虫の魔獣がこの近くで目撃されて、やがて家畜が襲われ、先日ついに死者が出た。それで警戒を強めているらしい。いつ襲ってくるかわからないから、気が休まらないそうだ。
どんな魔獣なのか訊ねてみると、人間の大人より大きいくらいの虫で、全身が固い殻で覆われていて、毒を吐き、大きく強力な顎は木製の盾くらいなら真っ二つにしてしまうという。
「それって……」
「おそらく、ストライキングシザー」
ステラさんが推測した魔獣は、俺が思い浮かべたものと同じだった。
確かに、恐ろしい魔獣だ。しっかり武装した冒険者たちでさえ、駆け出しばかりだと苦戦は免れない。こいつ一匹を四、五人がかりで倒せてようやく初心者卒業、というところだ。俺も以前は苦戦した。村の自警団くらいだと歯が立たないのも無理はない。
とは、いえ。
今の俺とステラさんにとっては大した相手じゃないのも確かだ。
ステラさんが要求した水と食料は相応の値段で売ってもらえることになって、俺たちはそのまま門の外に待たされた。
一人残った門番は、疲れ切った表情で椅子に座り、大きなため息をついた。
「あんたたちが討伐隊の人だったらよかったのにな。救援要請はとっくにしたのに、討伐隊はまだ来てくれないんだ。でもきっと、二、三日のうちには……」
その言葉は、どうも本人がそう信じたがってるだけで根拠はないように思えた。
変化が起きたのはそのすぐ後のことだった。
「……来た」
ステラさんが顔を上げると、直後に村の鐘が打ち鳴らされた。
「西に魔獣が見えたぞ! みんな集会所に避難しろ! 急げ!」
見張り台からだ。その声で、村の人たちが慌ただしく動き始めたのはここからでもわかった。門番も慌てて椅子から立ち上がって、槍を握り直している。
「あんたたちも早く避難した方がいい! 村の集会所まで案内するから!」
この状況で見知らぬ旅人にもそう言えるのは、この人の人柄を感じるな。
ただ、俺もステラさんもそれに従うつもりはない。
「申し出はありがたいんですが」
俺が言う間に、ステラさんはもう西へと歩き出している。
「……道はわかる。行こう。魔獣……討伐する」
ステラさんの言葉に門番は驚いたようだったけど、俺はそのつもりだったから驚きもない。
「はい」
頷いて、俺とステラさんは魔獣が出たという西側へと急いだ。
「ま、待つんだ! 死ぬぞ!」
門番はそう言って、俺たちを止めようと追ってきた。村の人たちと逃げてくれた方が気が散らないでいいんだけど、と思いつつ、彼の正義感に感心もした。
「近くにいる」
魔獣の気配。ステラさんだけでなく、俺も気付いた。
人が追われていた。三人……両親とその子供か。その後ろにいるのは大きなムカデのような魔獣だ。
「――〈
ステラさんの杖が動いた。詠唱もなく放たれたのは冷気の上位魔術。過剰なくらいの威力があるその魔術を食らえば、ストライキングシザーがそれなりに強敵とは言っても、かなりの負傷を与えられるはずだ。
俺は一気に距離を詰めて、さらに追撃を――
いや、もうその必要はなかった。
ステラさんの魔術だけで、魔獣はその活動を止めていた。もう少ししぶといやつだと思っていたけど、と、よく確認してみれば……。
「……ストライキングシザーではない。下位種のシザービートル」
ステラさんの指摘の通りで、ストライキングシザーなら真っ赤な甲殻をまとっているものなのに、砂色の体をしていた。砂地に隠れて獲物を待ち伏せるタイプの魔獣だ。こいつもこいつで駆け出し冒険者には少し強敵ではあるし、砂地を出て村にまで襲ってくる凶暴性は危険だけど、ストライキングシザーと比べれば大した強さじゃない。
こいつだけのはずがない。
そう警戒する俺とステラさんに、やっと追いついた門番の男が呟いた。
「すげえ、一撃だ……」
「他にどのくらいいる?」
訊ねるステラさんに、門番は首を振った。
「目撃されてるのは一匹だけだ。こいつだけだ。村は助かったんだ!」
そう言って大喜びする門番に、俺は少し呆然とした。ステラさんもたぶん、同じ気持ちだったと思う。でもこの喜びようが演技だとは思えないし、そもそも俺たちにそんな嘘をついて何になる、っていう話でもあって。
……本当に、このシザービートル一匹だけらしい。
俺たちにしてみれば拍子抜けの相手だったけど、まあ、そういうこともあるか。