酒宴が催されることになって、俺とステラさんはその主賓として村に滞在するように告げられた。準備が出来るまではここで、と今は村長さんの家に招かれている。
「……もう用は済んだ。行こう」
ステラさんはそう言って、椅子にも座らない。とはいえ俺もここに長く滞在するつもりはないから、ステラさんに頷いた。このまま宴会になったらいつまで引き留められるかわからないし。
村長さんが何かの指示に出て行った隙に、俺とステラさんは窓から外へ抜け出した。
まだ日は高い。飛竜を呼べば、夜までには星読みの宮に戻れるだろう。
道を知っているらしいステラさんに従って進むと、村から少し離れたところに、飛竜を呼ぶのにちょうどよく開けた場所があった。
一面の花園だ。飛竜が踏んでしまうと少し申し訳ないな。そう思いながらも俺は、ティータさんに渡された竜笛を荷物から取り出して……
と、そこにいた人物と目が合った。
「おねえちゃん!」
小さな女の子だ。どこかで見た覚えがあると思ったら、さっき魔獣に襲われかけていた家族の子だ。
歳は、ミリアちゃんよりもまだずっと下。五、六歳ってところか。ブラウンの髪と瞳で、驚きの表情に、喜びの表情も浮かべている。
「いまね、おはなでかみかざりをつくってたの。おねえちゃんにあげたくて!」
言ってその子は、手にしていたものを掲げて見せた。作りかけの、花かんむりだ。この後の宴会までの時間があれば完成したかもしれないけど、俺たちはもう出発するところだからな……。
ステラさんに目を向けると、ステラさんはじっとその子を見下ろしていた。
と……
「エマ!」
大人の声が聞こえた。
「一人でこんなところまで来ちゃだめでしょ。姿が見えなくなって心配したんだからね。さあ、家に戻りましょう」
この人もさっき魔獣に襲われていた人で、おそらく、このエマと呼ばれた女の子の母親だろう。娘とよく似たブラウンの髪の女性だ。
俺たちに気付いて、その人は深く頭を下げた。
「さきほどは危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました。村を挙げて歓迎しますので、どうぞくつろいでいってください」
どうも善意で言ってくれているから、俺としても少し断りづらいところだ。ここは「後で行く」くらいの返事でやりすごしておくのも手か。
なんて考えていたら、隣にいたステラさんが首を横に振った。
「その必要はない。用は済んだ。私たちはもう出て行く」
きっぱりとした口調だ。
確かにそのつもりではあったけど、そうはっきり言ってしまうと逆に強く引き留められるんじゃないか。
そう思った俺が相手の顔に視線を向けると、女の子の母親は、驚きに目を見開いていた。その目はステラさんを見ている。見つめている。ステラさんも、真っ直ぐに相手を見つめている。
「あなたは……」
視線を交錯させたまま、ようやく、という感じで相手が口を開いた。
「間違っていたらごめんなさい。あの、あなたはもしかして、シエル、という名前では……?」
急に何のことかと、一瞬だけ、思った。
でも、よく考えれば『その可能性』は確かにあって、俺としては「まさか」と対面する二人を見比べてみたりするのだけど。
当のステラさんはまったく表情を動かさず、
「私の名前はステラ。他の名で呼ばれたことはない」
そう断言した。
何の動揺もないので、女性の方からはそれ以上の追求はない。
「そうですか……ごめんなさい、変なことを言って」
「構わない。……行こう、リオン」
そう言うステラさんにもやはり大きな感情の動きは見られない。
でも、俺にはわかってしまう。ステラさんが心に受けた衝撃を悟らせないようにことさら無表情を装っているってことが。
「飛竜を呼ぶ。私たちの近くにいると危ない。離れることを勧める」
そう言って二人を下がらせてから、ステラさんは俺に飛竜を呼ぶよう促した。頷いた俺が竜笛を吹くと、南東に見える霊峰の方から一頭の飛竜がぐんぐん近付いてきて、俺たちの頭上を何度か旋回した後、意外に軽い足音で花園に降り立った。
女の子はその姿に目を輝かせていて、その母親の方は……飛竜ではなく、ステラさんを見つめている。
そんなことはお構いなしという様子のステラさんが飛竜の背に乗るのを助けてから、俺も乗った。飛竜は出発の合図を待っていて、すぐにでも飛び立てる。
「ステラさん」
何となく事情を察していた俺は、背中の方にいるステラさんを呼んだ。
名前を呼んだだけだけど、俺が言いたいことは、ステラさんもわかってるはずだ。
「……シエルという娘に、何か伝えたいことでもあるのか」
ようやくステラさんがそう言うと、女の子の母親は目の端に光るものを溢れさせた。そして言った。
「ごめんなさい、と」
それを聞いたステラさんは、小さく頷いた。
「どこかで会ったら伝える」
*
女の子に手を振られながら、飛竜は飛び立った。
日はまだ高い。雲も多くはなくて、地上がよく見える。ただ、この高空にいて足下には何もないってことを思い出すと、薄ら寒くも感じるな。
ステラさんは黙っていた。
俺の腰に手を回して背中にしがみついているから、俺からじゃ表情は見えない。でもその無言が、ステラさんの葛藤を示してる。落ち着いてるんだったら、ステラさんはこの空からの眺めに深い興味を示してあれこれ語って聞かせてくれたはずだから。
「あの人、ステラさんのお母さんだったんじゃないですか?」
俺が一番気になっていたのはそのことだ。触れない方がいいかもしれないと思いながらも、訊かずにいられなかった。
「……おそらく、そう」
変に飾った言葉は使わず、ステラさんは端的にそう言った。そして、それ以上は何も言わない。そうだからどうしたなんて突き放してるわけじゃなく、ステラさん自身もまだ心の整理が付いていないんじゃないかと思う。
「名乗り出ないんですか?」
ステラさんにそのつもりがあるなら、今ならまだすぐに引き返せる。星読みの宮に帰るのは明日だって、明後日だっていい。別に期限のある旅じゃないんだから。
だけど、ステラさんはそれを、少なくとも口に出しては、望まなかった。
「そうしたところで誰も喜びはしない。構わない」
はたして本心から言っているのかどうか。かすかに感じる声の震えは、不安定な空にいるからかもしれないし、判別できない。
「でも……」
俺は何か言おうとしてそこまでは口の外へ押し出したけど、続ける言葉がなかった。考えれば考えるほど、ステラさんの指摘は当たっていると、俺も思ってしまったからだ。
それでも、口を開いたからには一応何か言おうと悩んでいると……
「命を救えた。自分がそのために行動したことを、私は知っている」
俺でないとわからないくらいに、ほんの少しだけ、明るい声音。ステラさんのその呟きは、俺の愚考を断ち切った。
俺が思いつくようなことは、ステラさんは全部考えた後だったわけだ。当然か。そして、ステラさんは自分の心の奥底に残っていた棘を、自分自身の手で引き抜いた。
そういう試練……だったのかな、これは。
「私の家族はあの村にはいない。私のではないが幸せな家族がいただけ。そして、それで良い。見るべきものは全て見た」
背中の方から聞こえてくるステラさんの声に暗い調子は全くなく、俺の腰に回された腕にも、もう震えはない。
「帰る。……私の家族がいるところに」
それはもちろん、さっきの村じゃ、ない。
ユリアは星読みの宮の客間にあるベッドでぐったりしていた。といっても、疲れからのもので、生命に関わるような怪我をしたとかではないらしい。
「あー、試練、大変でした。ねぎらってくださーい」
どう大変だったかはわからないけど、この消耗具合を見れば大変だったこと自体は事実だろう。内容は、本人が話したくなったら話してくれるはずだ。
「よく頑張ったね」
俺がそう言うと、ユリアは満面の笑顔で応じた。
「はい、頑張りました。あと、ご褒美もほしいです」
「ご褒美?」
訊き返す間に身を起こしたユリアは、少し首を傾げ、指のひとつを自分の唇に当てた。
「キス……」
ユリアの口からそう吐息が漏れたところに、俺の後ろに控えていたステラさんが、持っていた杖の端で床を鳴らした。
「……は誰かに怒られそうなので、ハグでいいです」
両腕を伸ばして、ユリアはそうねだった。
そのくらいならまあ、キスほどには波風も立たないか。
「……仕方ないな」
俺がベッドの縁に寄ると、ユリアは俺の腰のあたりに両腕を回して引き寄せ、自分の頬を俺の胸に当てた。
「リオンさんって、鼓動はけっこうゆっくりなんですね。でも私が抱きついてるんだから、もう少し胸が高鳴ってもいいんじゃないですか?」
そう言われてもね。これでも俺としては結構緊張してるんだけどな。
その鼓動がたぶん五十を数えたくらいで、ユリアが息を吐いて俺から離れた。
「はー、満足しました。あ、ステラさんもどうぞ」
ステラさんが俺の後ろでどんな顔をしているか、俺からは見えていなかったけど、ユリアは何か察したんだろう。
ユリアは試練をこなした。そしてステラさんも、それは同じ。
ステラさんにも同じご褒美をもらう権利はある、か。これが十分なご褒美かどうかはともかく。
「じゃあ、その、どうぞ。俺でよければ」
ステラさんに向き直って言うと、ステラさんはしばらくためらっていたけど。
「…………うん」
やがて頷いて、ユリアがしたのと同じように抱きついてきた。
……よく考えるとこれ、飛竜の上では背中側からされてたことのような気がするな。もちろん、気分は少し違うけど。
「これでステラさんも共犯ですよ。クレールさんには内緒にしときましょうね」
ユリアはそう言って笑った。そういう魂胆だったか。