扉を開くとその先は洞窟ではなく、草原が広がっていた。
「ここは……?」
またしても俺には見覚えのない場所だ。そしてこういう開けたところだと、夢路見の地図はあまり役に立たない。自分の目で確かめるしかない。
見回すとまず目に入ったのは大きな山。俺たちがいるのはその麓の、傾斜が緩やかな場所だ。上の方を見れば、草木も生えず地肌がむき出しになっている。その威容は、でも何やら自然の造形の美しさも兼ね備えていて、総じて霊峰の雰囲気がある。
「あれは、刃義の赤竜山ですわ!」
ペネロペが驚きの声をあげた。
どこかで聞いた地名だと記憶を辿ると、ペネロペの故郷の近くにあるっていう山だった。ペネロペが真っ先に気付いて指摘するのも当然だ。確か、かつて火の竜が棲んでいたとか言っていた。
「あの山の向こうには温泉で有名な狼宴の町があって、こちら側には私の故郷の村が……」
ペネロペの故郷の村。確かに、麓に集落がある。大きめの村だな。竜牙の村より人口も多そうだ。人より多そうなのが羊。この山麓の草原で放牧されているらしい。
「これは、まぼろし……? それとも、まさか……」
ペネロペが呟く。まぼろしなのは、これまでの経緯からしても確かだろう。それはペネロペもわかっているはずだ。
それでも、そう言うのは……
すでに滅びたはずの故郷の村が、本当は今も昔と変わらず存在してるってことを、そういう可能性を、信じたいってことか。
止める間もなく、ペネロペが駆け出していた。
真っ先にその後を追ったのはガルム。俺とマリアちゃんはさらにその後ろを追った。デュークは完全に出遅れているな……。
追いつくことはできる。無理に止めることもできるだろう。
でも、これがペネロペの悪夢に繋がっているなら、結局、目的地はあの村ってことになる。それなら、せめて本人が納得できる形の方がいいかもしれない。
ペネロペは時折足をもつれさせながら、それでもひたすらに走った。
ガルムは完全に追いついて併走している。やっぱり止める気はなくて、ペネロペを補佐しようという姿勢だ。
と……ついにペネロペが転んだ。
起き上がろうとしたその前に、黒い影。
「ひっ」
ペネロペが息を呑んだのがわかった。目の前にいたのは、ペネロペの悪夢。
「ネ、ネズミ! ネズミがこんなところに! こわい! やだやだ! キャーキャー! こわいこわい!」
大げさな……と、普段なら言ったかもしれないけど……
正気を保つことが困難になりつつあったペネロペの服をガルムがくわえて、ほとんど引き摺るようにして俺たちの元へ連れ戻した。そうしてようやく降ろされたペネロペは、俺の足にすがりついて、恐怖からか肩を震わせている。
「毒と病を持つ、プレイグラットの群れだ」
デュークが呻く。
そんなに強い魔獣じゃない。駆け出しの冒険者たちでも、このネズミを相手に討伐なんて言葉は使わない。退治とか駆除とか、そんな感じだ。
でも、この数はなんだ。
地面が波打っているように見える、その正体が、プレイグラットの大群だった。それは草原を覆い尽くさんばかりで、ネズミ嫌いを公言しているペネロペでなくても、この光景を見ればネズミ嫌いになっておかしくない。
いや、そもそも……ペネロペのネズミ嫌い自体が、かつてこれを見たからなのかもしれないのか。
「どこへ向かっているんだ……?」
この大群が村へ向かうのかと思ったけど、そうでもなく、どちらかと言えば近くの森を目指しているように見える。
「これは、何かから逃げているように感じます……」
マリアちゃんが、そう指摘した。
「ネズミは住処に危険を感じると一斉に逃げ出すことがあるそうなのです。ここで何か、おそろしいことが……」
言われて、ネズミの大群が何から離れようとしているのか確かめると、それはあの赤竜山だ。
『数年前に大きな噴火があって、私は家族と離ればなれに……』
以前、ペネロペは確かそう言っていた。
ペネロペは今、その時のことをはっきりとした実感と共に思い出しつつあるところかもしれない。
その古傷を刺激するようで申し訳ないけど、これはこの場の全員で共有しなくちゃならない話だ。でないと、俺たちまで悪夢に呑み込まれかねないから。
怯えて震えているペネロペの代わりに、多少は事情を知っている俺が、話した。
「これはペネロペの過去の体験が元になってる空間だと思う。そしてきっと、大災害が起きる。あの火山が噴火するんだ。それが、あの村を巻き込む。何者かがペネロペの記憶から悪夢の体験を掘り起こそうとするなら、それを見逃すはずはない」
プレイグラットの大群は、俺たちにも、村にさえ目もくれず、走り去っていった。
そうなるとようやく、ペネロペも多少は落ち着きを取り戻したようだ。
「故郷を放ってはおけませんわ。これがまぼろしだとしても、手を尽くしても何も変わらないとしても、村に報せにいかなければなりません」
まだ恐怖も抜けきってはいないだろうに、その毅然とした態度は、先輩であり師匠でもあるレベッカさんによく似ている。
「だったら急いだ方がいい」
デュークが周囲を見回しながら言った。
「地鳴りだ。地面の下で何かがうごめいている。もうどこかから噴き出した頃かもしれない。だとすれば、オホン、のんびりしている暇はないぞ」
言われて意識すれば、確かに不気味な音が聞こえる。さっきのネズミたちもこれに気付いて逃げ出したのかもしれない。
一刻の猶予もない。少なくともそのつもりで覚悟をして、村へと急いだ。
見れば、村の人たちも異変に気付き始めていた。山の方へ意識を向けていて、でも、具体的に対策や避難を始めた様子はない。
「……皆様!」
ペネロペが叫んだ。
「私は自由と光の教団の聖騎士……見習い……ですわ! いまこの村に危機が迫っています! 皆様もすでに不気味な地鳴りにお気付きでしょう。これはあの赤竜山が噴火する前兆です! すぐに避難してくださいませ!」
見習い、の部分だけは小さく言って、ペネロペは訴えた。でも、それですぐに村の人たちが動き始めることはなく、さて、どうすればいいんだろう。もうあまり時間はないはずだから、どうにかして避難させないといけないけど……
と、ここで、ペネロペが続けて叫んだ。
「……これは、猫の導きですわ!」
何だかよくわからないことを口にしてから、ペネロペはすぐ近くにいたデュークを抱え上げた。
「この不思議な猫が突然私の前に現れて言ったのです! もはや猶予は少ないが今すぐに避難すればまだ助かると! さあ、この猫がもう一度口を開くのを、よく聞いて下さい!」
…………。
大教会では猫が『聖者を聖地へと導いた生き物』としてとても大事にされているのは、レベッカさんから聞いて知ってるけど。
その伝説の猫の役をやらされるのか、デュークは……。
村人たちから注目されて、デュークは耳を寝かせている。急に引き出されるとは思っていなかったらしく、まるで借りてきた猫のようだ。助けを求めるように俺に向けられた顔は「知らなかった、そんなの……」ってところか。乗り気じゃないのは明らかだ。
「……早く何とか言ってくださいな」
ペネロペがこそこそと耳打ちすると、デュークは諦めたようにため息をついて、そして……
「……にゃおん」
ようやく口は開いたけど、なんだよ「にゃおん」って。それじゃ村の人たちが納得するはずがない。その証拠に、デュークに注目していた村の人たちは避難に走り出すこともなく、近くにいる他の村人とひそひそと囁き合っている。漏れ聞こえてくる声はざっとこんな感じ。
「ねこがしゃべった……!」
……ん?
思っていたのと違う反応が聞こえて、俺はデュークと顔を見合わせることになった。
デュークはペネロペに抱えられたまま、ぽつり。
「にゃおんと言っただけじゃないか」
「あぁぁぁぁぁぁしゃぁべったぁぁぁぁぁぁぁ!」
さっき見たぞ、この流れ。
村人たちが避難を始める中、ペネロペは村の中を駆け回った。みんながなるべく安全な場所に避難できるよう手伝うためだ。その行動と指示は的確だったし、みんなが妙に素直に従うから、大きな問題も起きていない。
「猫がしゃべったのが効いたみたいですわね」
とは、ペネロペの指摘。そういうものかな……。
俺やマリアちゃんもペネロペについてまわって、いろいろ手伝った。村の人たちには『聖騎士様とおともの人たち』に見えただろうな……。
そんな中で、気になることがひとつ。
……『ペネロペ』がいない。