竜牙の勇者はしばらくお休みします   作:雷神宮燦

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異界の出口

 宮殿……いや、神殿か? そんな感じの廊下を進んでいく。

 これもどこかに実在する建物なのかもしれないけど、俺には見覚えがない。列柱の向こう側は崖、そして雲海だ。星読みの宮みたいにかなり高いところにある建物らしい。夏の服装では肌寒いけど、見晴らしはいい。

 ガルムが抜けたままの四人でそこを歩くうち、ペネロペが嘆息した。

「あの頃のお姉様より今の私の方が強い……と思うのは自惚れというものですわね。だって私は、魔獣からお姉様や私自身を守るためにとっさに飛び出すことができませんでしたから」

 さっきの出来事について、ようやく、ある程度までは気持ちの整理ができたらしい。

「戦って勝てるのかどうか。最近はそれを考えてしまうようになって……かつての私は、考えるより先に行動していましたのに」

 彼我の力量差。わかっていて挑むならともかく、考えもしないのは必ずしも賢明な行動とは言えないだろう。戦う前にそれを考えて、見極めてから動く。必要なことだと思うけどね。それはペネロペもわかってるはずだ。

 その上で……。

「助けていただいたあの日、私はお姉様のように強くなりたいと思い、願い、お姉様に訊ねたのです。どうしたら強くなれるのかと。すると、お姉様は仰いました」

 ペネロペは過去の情景を思い浮かべるように目を閉じ、語った。

 レベッカさんの――敬愛し尊敬する聖騎士の言葉を。

「聖騎士のちからは弱き者を守るためにあり、そのことを忘れずにいてこそ聖騎士は強くなれるのだ……と」

 聖騎士の教え。

 他者を守るために自分の危険を顧みず行動することも時には必要だ、ということだ。

 そうだからこそ人々から敬意を払われているし、その姿に憧れて聖騎士を目指す人もいる。そう、ペネロペみたいに。

「その言葉を胸に、私は鍛錬しました。いつか聖騎士になってお姉様と肩を並べるために。あれから随分と時が経って、大災厄に備えるための聖戦準備法が発効したのが昨年の春。そのおかげで聖騎士見習いになれたのがその秋……」

 ……その頃はもう邪神は倒されていたな。ちょっと遅かった。まあ、大教会ほど大きな組織だと即断即決というわけにはいかないものなのかもしれない。

 でもともかくその法律ができたおかげで、ペネロペは平時なら存在しない『聖騎士見習い』として滑り込むことができた。

「お姉様から指導を受けたいという見習いは大勢いましたのよ。けれど、お姉様はその中から私を選んでくださいました。一番の理由は、あの災害の時にお姉様に助けられた私がその姿に憧れて聖騎士を目指していたことへの嬉しさ、だと仰っていましたけれど……」

 いまや大教会で〈聖女〉と呼ばれるレベッカさんが、その名声に惹かれてきた人たちよりも、聖女ではない素の自分を慕ってきたペネロペを選んだ……。

 なるほど、いかにもレベッカさんらしい話だ。

「けれど、それだけではない、とも」

 そう言って、ペネロペは自分の胸に手を当てた。

「もうひとつは、私の心」

「こころ?」

 訊き返した俺に、ペネロペが頷く。

「お姉様は集まった見習いたちの心技体を試験されましたけれど、最も重視したのは心だと仰いました。他人のためにちからを尽くすことができる、そういう気持ちが、私の中に見えたからだと」

 ペネロペはそういういわば『がむしゃら』な気持ちを、かつては持っていたのに失ってしまった、と考えているらしい。

 かつてのレベッカさん、そして、かつての自分に会って、それを思い出した。

 そんなところか。

「……初心忘れるべからず、というところですわね」

 そう言ってペネロペは笑った。

 ちょうどその直後。

「うむ。このあたりだ。可能性の世界からようやく出られるぞ、ライオン君」

 デュークが杖を持ち上げてそう言った。

 

 自称が偉大なる魔術師であるところのデュークはここから出られると言ったけど、行き止まりだ。

 俺たちの前には大きな鏡が三枚並んでいる。それ以外には特に目立ったところもない石造りの部屋。

「この鏡は異界に通じている。行先を調整するから少し待ちたまえよ」

 デュークがそう言うので、俺たちはその作業を見守ることになった。

 そうして改めて部屋を見回すと、その壁際に斧が立てかけられているのに気付いた。何やら意味ありげだけど……

「その斧には触れるんじゃないぞ。それは鏡の精の斧。ちからは強いが呪いのある武器だ」

 とはデュークの解説。

 何の変哲もない斧に見えるけど、魔斧だったのか。うっかり触ってしまうところだった。

 俺以上にうっかりしてそうなのはペネロペ。よく見ておかないといけない。

「ようやく戻れるんですね。大変でしたね」

 マリアちゃんが呟く。俺はそれに「うん」と頷いたけど……

 俺が戻る世界にはマリアさんがいるし、マリアちゃんは元々いた世界があるわけだから、そっちに帰ることになるのが自然かな。

 となれば、一緒に行けるのはここまでか。

「マリアちゃん」

 名前を呼ぶと、マリアちゃんは振り向いた。

「元の場所に戻ったら、またしばらく会えないかもしれないけど」

 またしばらく、で済むかどうかはわからない。一度こうして会えたから、もしかしたらまた次の機会があるかもしれない、という程度だ。当然、これが最後ということもあり得る。

「少しの間だったけど、会えて良かったよ。マリアちゃんも元気だってわかって安心した。ミリアさんやそっちのニーナにも、俺は元気だったって伝えてくれる?」

 実際、あの異界が消滅した時に、もしかしたら冒険の仲間たちも一緒に消えてしまったのかもしれない、って心配はしてたんだ。

 マリアちゃんは小さく頷いた。

「……そっか。お別れ、なんですね」

 結局、今回のことについて詳しい説明は出来ていない。俺だってよくわかっていないことの方が多いくらいだし。

 それでも、元の場所に戻るということが別れを意味することくらいは、俺もマリアちゃんもわかっている。

 前の時には別れの挨拶もできなかったから、今回は随分マシだと思う。

「調整が終わったぞ」

 デュークがそう言った。見れば三枚の鏡のうち二枚が何やら不思議な光を放っている。

 光の扉だ。

「マリア君はあちらの扉から元の世界に帰れる。迷わないよう、猫の導きをつけてあげよう」

 デュークが杖を一振りすると、マリアちゃんの足下から音もなく影が立ち上がって、黒猫の姿になった。

 ……デュークが初めて、魔術師らしいことをしたな。

「ライオン君とペネロペ君はこっちだ。さあ行こう。ライオン君から大事な羅針盤を返してもらわねば」

 そういえば、デュークはそのために一緒に来ていたんだった。デュークの言う『黒猫の羅針盤』は、いつかデュークに返そうと思って館の金庫にしまってある。

「待ってください。ガルムがいませんわ」

 ペネロペが立ち止まって、あの狼のことを訴えた。

 確かに追いついてきてない。危険のただ中に飛び込んでいったわけではないから、狼の速さなら追いついてもおかしくないだけの時間は経ってる。

 でも、ここはまともな場所じゃない。いくら本性は精霊とはいえ、物理的に繋がっていない場所へ追いついてこられるものだろうか。

「あまりのんびりしているとこの扉も消えてしまうぞ。まあ心配するな。あれはこの程度のことで消えたりはしない。天命が交わるときにはまた会える」

 デュークにそう言われて、ペネロペも覚悟を決めたようだ。

 あとは……

 

「マリアちゃん」

 もしかしたらこれが今生の別れかもしれないけど、それを言うときっともっとつらくなる。そして、別れがつらいからって、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。

 住む世界が違う。……文字通りの意味で。

 だからこそ、なるべく気軽に。

「それじゃあ、またいつか。それまで元気で」

 言われたマリアちゃんは今にも泣き出しそうで、俺も胸が締め付けられる思いだ。

 デュークが「オホン」と咳払いをした。早くしろっていう催促だろう。わかってるよ。でも、マリアちゃんも放っておけない。

 俺はマリアちゃんに近付き、目線を合わせるために屈んで、それから、その赤みがかった金髪を撫でた。

「マリアちゃんは大丈夫。自分の運命を自分で決められる強さがあるよ」

 それは、俺がマリアちゃんくらいの歳の頃には持っていなかったものだ。

 あの頃の俺にその強さがあったら、故郷を救えたのかな……。

 そう思うから、俺は今のマリアちゃんが少し羨ましい。

「だから、自分が進みたい道を進めばいい。将来の自分が後悔しないように」

 俺がそう言うと、マリアちゃんはいっぱいの涙を溜めた目で俺を見て、そして微笑んだ。

 

 改めて鏡の前に立った。デュークとペネロペはもう準備が出来ている。

 この光に飛び込めば、元の世界に帰れる。デュークの説明では、そうだ。

「世界を移動する時って、障壁があるんじゃないのかな」

 俺にそんなイメージがあるのは、過去に三度、そんな障壁にぶつかったから。

「障壁なんか滅多にないぞ。邪神の領域に踏み込むわけでもあるまいし」

 ……一度はまさに邪神を倒しに行った時だったし、他の時も似たようなものだったな。そのせいか。そういうことならそこは安心しよう。

 その光の扉に、まずはデュークが飛び込んだ。次にペネロペ。

 そして最後は俺。

 心配になって振り返ると、マリアちゃんは笑顔だった。

 これなら、大丈夫だろう。

 互いに頷きを交わし合って――

 俺も光の扉に踏み込んだ。


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