視界を覆い尽くした光が消え去っていくと、今度こそ見覚えのある場所に出た。
村の西のはずれにある遺跡。千年以上前、古王国時代には砦があったという場所で、シードラゴンが襲ってきたときには避難所にもなった。
もちろん、この場合の村っていうのは竜牙の村のことだ。
あちこちに水たまりはあるけど、雨は降っていない。太陽は西の低い位置にあって、そろそろ夜になろうというところだ。
周囲に人の気配はない。もちろん、俺たち三人の他にはってことだけど。
「ようやく戻ってきた……かな。まさか、竜牙の村によく似た異界ってこともある?」
「ちゃんと君のいるべき世界だ。私にはわかる」
俺の問いにはデュークが答えた。デュークの保証にどれほどの効力があるのかは、難しいところだけど。
まあ、もし違ってたら、そのうち違和感があるだろう。
今のところは「帰ってきた」って感じがする。勘だけど。
「ペネロペさんがいません」
言われて、デュークが「オホン」と咳払いをした。
「あの子は精神だけが向こうに囚われていたから、身体に戻ったのだろう」
なるほど。それはそうかもしれない。見れば、ペネロペから預かっていた短剣が消えていた。使ってる間は本物だと思ってたけど、あれもペネロペの夢の産物だったらしい。
「とりあえず魔女の店に行ってペネロペの様子を確かめよう。それから館に戻って、デュークに返す羅針盤を金庫から……」
――ん?
なんだろう。今、何か違和感があった。
その正体を確かめようと、周囲を見回してみて……
「あれ?」
ようやく気が付いて、俺は声をあげた。
俺とデュークの横にいる『三人目』。ペネロペじゃない。
赤みがかった金髪の、幼い女の子だ。
「……マリアちゃん?」
訊ねると、その子は笑顔で「はい」と頷いた。
「来ちゃいました」
まさか! なぜ? どうして?
俺には何の心の準備もなく、ただ呻くしかなかった。
「来ちゃったのか……」
ようやくそれだけ言うと、マリアちゃんは頷いた。
「リオンさんが言ったんです。自分が進みたい道を進めばいい、って。だから、そうしました」
それは、確かに言った。こういうつもりじゃなかったけど。
「……ミリアさんが心配してるんじゃないかな」
確か姉のミリアさんと霧ではぐれたと言ってた。ミリアさんはわりとその場のノリで生きてるような人だけど、妹のことはちゃんと大事に思っている。それは知ってる。だから今はきっとマリアちゃんを探しているはずだ。と、そう言ったけど……
マリアちゃんは「はい」と頷いて受け止めた。
「姉には手紙を書きます。きっとわかってくれます」
手紙。……異界に届くわけがないけど、どうしたものか。
「まあその話は後だ。心配するな。羅針盤さえあれば何とかしてあげられる。だからまずは羅針盤を返してくれ」
デュークがそう訴えてきた。何とか、と言ってもデュークのことだからなあ。とはいえ、ここで悩んでいても仕方ないのは確かだ。もう光の扉もないわけだし。
……みんなには、なんて説明しようかな……。
*
「あっ、リオン! どこに行ってたですか! 急にいなくなったのでみんな特級心配してたですよ! あ、ペネロペは目を覚ましたです! ちょっとまだ混乱してるみたいですが、命に別状はないようです!」
魔女の店の前で出迎えてくれたナタリーが、そういうことを一気に喋った。
「目を覚ましたならよかった。中に入っても大丈夫かな」
「ちょっと人が多いですが、なんとか大丈夫です!」
俺の後ろにはデュークとマリアちゃんもいる。二人とも面識のあるクレールに話を通すまで遺跡で待っていてもらおうかとも思ったけど、すぐ夜になってしまう頃だから、諦めて連れてきた。
ペネロペが寝かされていた部屋に入ると、寝台から半身を起こしたペネロペと目が合った。
「まあ、リオン様! ご心配をおかけしました。私、いま目覚めましたわ。つい先ほどまで私、リオン様と一緒に冒険をするという楽しい夢を見ていまして、爽快な気分ですの」
「夢じゃないけどね。まあ、元気そうでよかった」
ペネロペの傍に座っているレベッカさんも、今は安堵の表情だ。
他にはクレールとペトラ、それにナタリーがいる。
そしてそこに、俺と、あと二人が加わった。
「オホン。ペネロペ君は心配なさそうだな」
「今、猫が喋らなかったか?」
ペトラがデュークをじーっと見つめると、デュークは耳を寝かせた。
「にゃおん」
「気のせいか」
……杖持って二足歩行してることに気付いて欲しいところだけどね。
「ところで、リオンはどこに行ってたの? 何でマリアちゃんとデュークが一緒にいるの?」
俺の同行者が誰なのかすぐにわかるのがクレール。何しろクレール自身、この二人とは面識がある。
「簡単に言うと、霧が異界に通じていて、ペネロペと同じく巻き込まれたマリアちゃんとデュークも一緒に力を合わせて切り抜けてきたんだ」
だいたいそんな話。
「そっかー。大変だったんだねえ」
クレールは異界について理解が深いから、そのくらいの感想で済む。
「ええっ。ということは、あれは夢ではなかったのですか?」
驚いているのはペネロペ。
「わけがわからん」
ペトラは首を捻るばかり。それはまあ、普通はそうだろうと思う。
「でも、変態領主が今度は幼女を誘拐してきたってことはわかった」
……人聞きの悪い言い方はやめていただきたい。
「ともかく二人とも無事でよかったわ。本当に心配した……」
その言葉通り、レベッカさんは眠っていたペネロペよりもむしろ疲れた様子。二人の顔が並ぶと、休息が必要なのはどちらかというとレベッカさんに見えるくらいだ。
「目が覚めたからといって、あまり騒がしくしてはいけませんよ。本当に大丈夫かどうか、検査はこれからなんですから」
言いながら部屋にやってきたのはマリアさん……。
「まあ、皆さん大げさですわね」
ペネロペの表情は明るくて、やっぱり具合が悪そうには見えない。
だから、ペネロペのことは、まあ、いい。
問題は……
「……お母さん……?」
「え?」
女の子の呟きに、マリアさんが振り向いた。
そして、二人が顔を合わせた。
さすがに、マリアさんとマリアちゃんの年齢差は親子ってほどじゃない。そもそもマリアちゃんはミリアちゃんと同じ年頃のはずだ。だから、ちょっと年の離れた姉妹。
だけど、二人は『同じ』だから、言うなれば『年の離れた双子の姉妹』という感じになる。実際、マリアさんとミリアちゃんや、ミリアさんとマリアちゃんより、マリアさんとマリアちゃんの方が似ている。当たり前だけど。
それで『成長した自分』を母親と見間違えた、か……。
「あの、この子は……」
マリアさんが呆然と呟く。二人ともまだ事情を理解していないから、これから説明しなくちゃいけない。
どう話したものかな……。
「その子はマリアちゃん。僕やリオンと一緒に冒険した仲間なんだー」
俺の代わりに、クレールがそう説明した。
「マリアちゃん。その綺麗なお姉さんはマリアさん。リオンと一緒に冒険した仲間なんだよ。僕はまだあんまり一緒には出かけられてないけどね」
二人とも俺の仲間には違いないし、クレールの説明は間違ってはいないけど、何だかややこしいな。それに、肝心なところは説明できてないように思う。
他のみんなもどうもすんなりと受けいれてはいないみたいだ。
「まずはねえ、呼び方をなんとかしようよ。二人とも『マリア』じゃ大変だよ」
「いい考えだ。二人はどう思う?」
マリアさんとマリアちゃんに訊くと、二人は顔を見合わせた。
少し考える間が空いて……
「亡くなった母は私のことを――」
「母からは、マーシャ、と呼ばれていました」
二人はほとんど同時に口を開いて、そういうことを言った。
マリアさんは自分の言葉を遮る形になったマリアちゃんの発言に、
「そう、そうです……」
と、驚きの声をあげた。提案するつもりだった呼び名を、自分が思ったのと全く同じ「母親が自分をそう呼んでいたから」という理由で逆に提案されて……
マリアさんはもう、外見が少し昔の自分と似ているだけの子、とは思っていないだろう。
「じゃあ、ちっちゃいマリアちゃんのことはマーシャって呼ぶことにするね。で、二人が似てるのにはわけがあるけど、それはひとまず置いといて、単によく似た者同士ってくらいの認識で問題ないよ」
ふむ。確かに、周囲の人間にとっては原因や理由より接し方が問題だ。本人たちにはまた違う視点があるだろうけど、それは後で話すってわけだ。
「それで、マーシャはしばらくここにいるの?」
マリアちゃん――マーシャは、訊ねられて首を傾げた。
「そもそもここがどこなのかよくわかっていないので、今後どうするかは、少し考えます」
それはこれからちゃんと話さないといけないな。