マーシャは結局、しばらくは竜牙館に住むことになった。元々、姉妹で旅から旅の暮らしだったというし、そもそもここはマーシャからすれば異界。他に頼れるところもないだろう。
部屋は、マリアさんのところに一緒になった。これはマリアさんからの申し出だ。マリアさんの部屋は、ミリアちゃんと二人で使っていることを差し引いてもかなり広いから、それでだろう。
そうしてひとまず落ち着く先が決まったところで……
執務室には俺とデューク、それにマリアさんとマーシャがいる。
「これが羅針盤」
俺がテーブルに置いたのは、デュークから借りたままになっていた『黒猫の羅針盤』だ。名前の通り、黒猫の意匠がある。
封印殿への扉を開くためにこれが必要になって、その用が済んだら返しに行ったんだけど、デュークは俺が羅針盤の代わりに渡した『夢路見の地図』を使ってみたくなったとかで行方知れずになってた。
どっちが悪かったのかというと、俺としてはデュークの方だと思うけど……
まあ、もういいか、どっちでも。
「間違いない」
デュークはその羅針盤を自分の目でよく確かめて、本物だと認定した。ちゃんと金庫に入れてあったし、俺は偽物とすりかえたりはしていないから、当然、本物のはずだ。
「それで、あの……いったい、どういうことなんでしょう」
デュークとの話が終わったところで、それを待っていたマリアさんが口を開いた。具体的な質問ではないけど、どこから訊いたらいいかわからないんだろう。
「ちゃんと説明できるか自信がないけど……」
俺はそう前置きしてから、二人のことについて俺が知る限りのことを話した。
マーシャは『異界のマリアさん』で、姉のミリアさんと一緒に俺の冒険の仲間だったこと。逆にマーシャからしてもマリアさんは異界の自分だってことも。
二人はよく似ている。外見はわかりやすい方で、赤みがかった金髪は色合いも髪質もまるで同じだ。もちろん、身体的にはマーシャはまだ発育途上という様子ではある。でもそれは歳が歳だから仕方がない。本人が言うには、十一歳。ちょうどミリアちゃんと同じ年頃だ。
稲妻系統の魔術に関しては、マーシャもマリアさんに劣らない。年齢差を考えると驚異的なことだ。一方、薬の知識や弓矢の腕前ではマリアさんの方が上。
総じて、当然だけど、マリアさんはマーシャが成長した姿、という感じ。
ただ、クレールが言った通り、普段からそう意識する必要はない。二人は二人。別々の存在だから、二人でひとつの身体を共有したりはしない。
そういう事情だから、マーシャが必ずしもマリアさんと一緒に行動する必要もないし、もちろん、マリアさんの経験をなぞる必要もない。
その上で、マーシャが今後どうするのかは、よく考える必要がある。
……というような話を、まずは俺から一方的に、した。
「それと、そうだ」
大事なことを言い忘れるところだった。
「ここにはマーシャも見覚えのある人たちがいるけど、ほとんどはこっちの世界のみんなだから、マーシャの知り合いじゃないってことになる。ややこしくて最初は戸惑うと思うけど、これは慣れていかないとね」
マーシャと一緒に組んだことがあるのは、俺の他にはクレールだけ。……いや、スペースハムスターのハスターもそうか。それでも少ないのは確かだ。きっと心細いだろうな。
「オホン。帰るつもりがあるなら、あまり長く滞在するのは勧められないぞ」
横で話を聞いていたデュークが、咳払いをしてからそう言った。
「離れがたくなるのももちろんだが、それ以上に、本来の居場所との繋がりが細くなるのが問題だ」
「繋がり?」
訊き返すと、デュークは「うむ」と頷いて返した。
「本来いるべき世界との間には特別な絆や縁がある。そしてそれがあるうちは、帰るだけなら大きな問題はない。この黒猫の羅針盤さえあれば、偉大なる魔術師である私ならそのくらいはできる。ただ、時が経って縁がなくなれば、元の世界を探し出すのが難しくなるのだ」
デュークが話したことを完全に理解したとは言えないけど、ともかくこの分野に関してデュークは詳しいようだし、頼りにしていいだろう。
「それは、どのくらいの期間なのかな」
「私の経験から言うと、最長で五十日。それを越えると今回のような偶然を待つことになる。だがそれをあてにするのはまったく勧められないぞ。普通に生活していて可能性の世界に迷い込み、しかも目的の異界へたどり着くなんて、普通はあり得ないことだ。今回、たまたまマリア君とライオン君が合流したのは、まさに奇跡と言うほかない。そのことは肝に銘じておきたまえ」
五十日が最長。そのぎりぎりまで大丈夫と期待するのは危ない気がする。となれば……
「夏の間には結論を出した方が良さそうだね」
そういうことになる。
俺の言葉に、デュークもマーシャも頷いた。
「夏が終わる頃にまた来るから、それまでに身の振り方を決めておきたまえ。元の世界へ帰るつもりなら、その時に送ってあげよう。このままこの世界に残るというのも、まあ、選択肢のひとつではあるが」
「はい。わかりました」
マーシャは素直に頷いたけど、すぐに顔を曇らせた。
「……あの。姉が心配していると思うので、ひとまず手紙だけでも送れないでしょうか」
確かに、姉のミリアさんからは妹のマリアちゃん――マーシャが、急にいなくなったように見えているはずだ。心配しているだろう。
でも異界に手紙を送るなんて、できるものだろうか……という当然の疑問に答えるように、デュークが頷いた。
「すぐに書きなさい。私が届けよう」
「そんなことができるのか」
俺があげた驚きの声に、デュークは得意げな顔で返した。
「黒猫というのは荷物を運ぶこともあるものなのだ」
そういうものなのか?
*
「ところでデューク。訊きたいことがあるんだけど」
マリアさんとマーシャが退室した後、椅子の上で自分の顔を撫でていた黒猫にそう声をかけた。
するとデュークは杖を持ってその場に立ち上がり、余った手でピンとヒゲを弾いてポーズを取った。
「この偉大なる魔術師デュークに何でも訊きたまえ」
何やら機嫌がいいらしい。羅針盤が手元に戻ったからかな。理由はともかく、この態度なら訊きやすい。気が変わらないうちに済ませてしまおう。
「竜石ってものを知ってる? どうにか手に入れたいと思ってるんだけど、俺には在処がわからなくて」
少し前に神託の霊峰でヴァレリーさんから聞いた話だ。竜石があれば身体に溜まっている
俺が自分の不調のことをみんなには隠しているのもあって、他の人に話すのは少しためらっていたけど、その点デュークなら相談しやすい。
デュークは「竜石か」と呟き、少し考えてから、俺の質問に答えた。
「昔どこかで見たぞ」
驚くほどまるで参考にならない答えだ……。
俺の表情から失望を感じ取ったのか、デュークは慌てて続けた。
「まあ待て。もう少し詳しく思い出すから。確かあれは……そう。輪廻鳥の街の領主のところに黒服の男がいて、そいつが持っていた。名前はヴァリ、ヴァレ……まあ、ヴァ某だ」
輪廻鳥の街はクレールとルイさんの故郷。そこにいた黒服の男。名前はヴァ某。
ヴァレリーさんのことだとしか思えない。
「それ以外で」
デュークには悪いけどそう言わざるをえない。だって、ヴァレリーさんが竜石を持ってるのは知ってるし、譲ってもらえるものじゃないこともわかってる。
「それ以外!」
デュークが目を丸くして呻いた。
「竜石がそんなに何個もあると思っているのかね、ライオン君」
うーん。考えてもわからない。そんなに多いわけではないだろう、というくらいは察することができるけど。
「何個くらいあるのかな」
デュークに教えを請うつもりでそう言うと、デュークは目を閉じ、耳を伏せた。
「とんと見当がつかぬ」
……うーん。デュークは肝心なところであてにならない。
「仕方ないだろう。竜石は私の研究対象ではないんだから」
俺の態度に憤慨した様子で、デュークが顔を背けた。
「詳しく知りたければ、隠者の書庫を調べてみるといいぞ。あそこなら何でもわかる」
「隠者の書庫か……」
デュークが口にしたのは、輪廻鳥の街の地下迷宮に繋がっていた異界の書庫だ。
本来は天界を追放された堕天使を閉じ込めておくための牢獄らしい、と言っていたのはクレールだったかな。その堕天使が外に出る気が起きないように、本が湧いて出るんだとか……。
俺も立ち入ったことがあるけど、中は本棚が連なる迷路になっていて、確かに本好きなら出てこられなくなるような場所だった。例えば今のステラさんなら、入ると危ないかもしれない。
あそこなら、どんな本でも、探せばある。探すのは大変だけど、奥には『その時に最も必要としている本が光って見える』と言われる部屋がある。そこまで行けば何らかのヒントを得られる可能性はあるか。
ただ、問題はその場所だ。
「今はどこにあるんだろう」
俺が見たのは、異界化していた時の輪廻鳥の街……暗黒卿の〈箱庭〉でのことだから、その箱庭が消滅した今となってはどこにあるのかわからない。
でも異世界のことに詳しいデュークなら……
「とんと見当がつかぬ」
……うーん。やっぱりあてにならない。
でも、隠者の書庫のことを思い出させてくれたのはよかった。あの書庫を再び見付けるよりも、竜石が見付かる方が早いかもしれないけど。