「食い逃げ?」
その話が出たのは、デーモン討伐のその日、夕食前のことだった。買い出しから戻ったペトラが、執務室にいた俺のところまで持ち帰ってきたんだ。
「酒場にいたんだ。そいつ、自分は変態領主の知り合いだから変態領主を呼べ、ってうるさくてさ。店のマスターからどうにかしてくれって頼まれたんだ。どうしたらいい?」
食い逃げするような知り合い、いたかな。ナタリーが貧乏だった時には、何度か立て替えたことはあるけど、そのナタリーはいま、食堂で夕食が出てくるのを待っている。他には……心当たりがない。俺を『変態領主』なんて呼ぶのはペトラくらいだし。
「その人、本当に『変態領主』って言った?」
「いや、別の言い方だけど?」
報告してくれるのは助かるけど、できればもう少し正確にしてほしいところだ……。
まあ、そこはじゃあ、いいとして。
「どんな人?」
見た目の特徴で確認するしかない。
「二十代くらいの男。ぼさぼさの黒髪でするどい目つき、それから赤いバンダナをしてて……冒険者みたいなやつだった。それと、魔剣を持ってたな」
ペトラがその食い逃げ犯の特徴を並べていくと……
その場で一緒に聞いていたクレールも、何かに気付いた様子で俺に視線を向けてきた。
「……知り合いかもしれない。会ってみるよ。帰りが遅くなったら、夕食は俺に構わず済ませるようにニーナに伝えておいて」
ペトラにそう言付けて、俺は魔剣を準備する。
戦いを避けた方がいいって、頭ではわかってても、やっぱり避けられないこともある。
避けられないなら手早く。そのために魔剣は役に立つ。使わないで済めばその方がいいけどね。
でも、その食い逃げ犯……
俺が思っている通りの人なら、何か厄介事を持ち込んできたのかもしれないんだよな……。
心当たりがあるらしいクレールも、俺と一緒に行くことになった。
そうしてたどり着いた酒場の前には、人だかりができていた。そろそろ夕食時だけど、中には入りにくい雰囲気……ということらしい。
こっちに気付いて手を振る親方に先導されて、俺とクレールは酒場の中へ。
目的の人物は……いた。食べ終わって空になった皿を塔のように積み上げたテーブルで、それでもまだ何か食べている。
「おう。来たな、リオン」
俺に気付いた様子で、その男は俺に向かって手を挙げて見せた。
やっぱり、知っている人だ。
俺がそれを確信する間に、同じ人物を予想していたクレールが反応した。
「スレイダー! 何で生きてるの?」
「会っていきなりそれか? 何でも何も、死んでないからに決まってるだろ」
……間違ってない答えだけど、正しい答えでもないな。
黒髪の
俺が最初に出会ったときには、輪廻鳥の街の領主であるルイさんの直属の部下だと紹介された。その立場で、俺とクレールの冒険に便宜を図ってくれたりもした。
それが実は、ルイさんの〈箱庭〉にあった強力な魔導器〈
魔杯に関しては、最後には俺が競り勝ったけど、スレイダーさんはちからを封じられている状態だったと言っていた。負け惜しみとは思えなかったな。
その後に行った偽神の封印殿では、強力な魔剣と魔剣技で俺たちを助けてくれたな。
スレイダーさんの魔剣〈嵐を呼ぶもの〉は、俺の〈
偽神を討伐した後は、再会を約束してそれぞれの世界に帰った。
次に会うときはまた敵同士かもしれない、なんて物騒なことも言っていたけど……
どうも、それは現実にはならなかったらしい。
「スレイダーさん。お久しぶりです。……どうして食い逃げを?」
食い逃げ、というのも変かな。まだ食べてるし。今はパンにソーセージを挟んだものを食べてる。普段このあたりではしない食べ方だけど、まあ、美味しそうに食べている。
「別に逃げちゃいないさ。食うのは食ったが金はねえと正直に言った」
「……お金、ないんですか」
「ちょうど拠点に送金したばかりだったんでな。お前に会う前に腹ごしらえと思ったら、もうなかった」
それなのにまだ食べているのはどうしたことかと思ったら、魔剣を担保にしているらしい。そんな馬鹿な。スレイダーさんがその魔剣を手放すはずがないから、俺の財布をあてにしてるってわけだ……。
「仕方ないな。ここの支払いは俺が立て替えておきます」
その旨をマスターに伝えて、ひとまずその場はおさまった。請求は後ほど、館に請求書を届けてくれるそうだ。かなり食べた様子とはいえ、村の酒場で、一人。そこまで酷い額でもないだろう。
納得いかない様子なのはクレール。
「やめときなよ、リオン。スレイダーのことだから、ほんとは持ってるに違いないし。この場できっちり払わせればいいんだよ」
……まあ、クレールの指摘はたぶん正しい。スレイダーさんほどの人が残金ゼロってことは、さすがにないだろう。魔剣以外にだって高価な品を持っているはずだ。スレイダーさんも否定せずに笑ってるし。
「クク。相変わらずだな、お嬢は」
二人とも、お互いの呼び方は以前のままだ。スレイダーさんがルイさんの部下として振る舞ってた時、こんな感じだった。一時は敵対したこともあったけど、もう済んだ……ということなんだろう。俺もそういう気持ちだし。
全面的に信頼できるかというと微妙なところ。でも、敵か味方かなら、どちらかというと味方。そのくらいの距離感だ。
「そんなところに突っ立ってないで座れよ」
言われて、俺とクレールはスレイダーさんと同じテーブルにつく。マスターがその俺たちにお茶を持ってきてくれた。
近くのテーブルの下にネスケさんが隠れてるな。どうも記者としてこの事件を注視しているらしい。……近くに酒瓶も転がってるから、後までちゃんと覚えていられるかはわからないけど。
「それで、俺に何か用があって来たんですか?」
他に思い当たるところはない。スレイダーさんもすぐに「ああ」と頷いた。
「お前が領地を持ったって聞いたんでな。お前の作る理想郷がどんなもんか、見てみようと思ってな」
なるほど。異界にいたはずのスレイダーさんがどうしてそんなことを知ってるのかはわからないけど、わからないでもない理由だ。
スレイダーさんはこう見えて実は、異界の国では王様らしい。そしてそこを理想郷にしようと努力している。他の異界からちょっと強引な方法で魔導器を集めていたのもその一環だ。奪われる方としては「ふざけるな」というところだろうけど、理屈はわかる。
まあそれで、俺に何か先達としてアドバイスでもしに来たのかもしれない。というのは甘く考えすぎかな。
「メシはまあまあだな」
どうやら食べるのには満足したらしい。
「理想郷かどうかはともかく、前よりは良くなってると思うし、これからもっと発展していくと思いますよ」
「僕がついてるからね」
俺の素直な感想に、クレールが自分の手柄を主張した。
スレイダーさんはそんな俺たち……特に、得意げな顔のクレールを見て苦笑した。
「何だ、お前ら。まさかとは思うが、結婚でもしたのか?」
ぐう。スレイダーさんまでそんな話をし始めるとは……。何か年上の仲間と会うたびに同じようなことを言われている気がする。ヴォルフさんとか、ジョアンさんとか、ヴァレリーさんとか。
「んふ。それはまだだけど、おおむね順調、かな?」
クレールがそう言ったから、俺はめまいを感じてこめかみを押さえる。視界の端では親方がクレールを応援するしぐさをしているのが見えた。近くの床に寝転がっているネスケさんも何事か熱心にメモしている……。
スレイダーさんは俺たちを見比べて、また苦笑。
「リオン、こんなんでいいのか? もっと選びようがあるだろうに」
その言いぐさに、クレールは衝撃を受けた様子で呆然と口を開けている。
そういえばスレイダーさんは箱庭でもよくクレールをからかっていたな。
「いや、クレールはよくやってくれてますよ」
ここはさすがにフォローを入れた。
「少なくとも領地運営に関しては大事な戦力です。結婚はまた別の話ですけど」
故郷の田舎村で平穏に暮らしてたら絶対に出会わなかったというくらい素敵な女の子なのは確かだ。スレイダーさんは俺より人生経験も豊富だから別の感じ方があるのかもしれないけど。
ということを口には出さずに、それとなく態度に込めた……つもり。
しばらく俺と視線を交わした後、スレイダーさんは笑った。
「成長したってことなのかね。ずいぶん時間も経ったしな。お嬢、あれから何年だ?」
「え」
あれから……というのは、偽神〈
これがまた、異界の話だからややこしい。
俺にとってはちょうど一年くらい前の出来事だった。去年の夏だ。不思議なことに、異界での長い冒険を終えて戻ってきても、こっちではほとんど時が経っていなかった。こっちと異界では時間の流れ方が違うと説明されたけど、それがどういうことなのか、俺はいまいちよくわかっていない。
異界育ちのクレールの方はさらに複雑で――
「あの頃の僕は十四歳くらいだったはず……そして今は実質十七歳……つまりあれは三年前のこと……」
クレールがそう言うのは、実際にはそれ以上の時間を過ごしてきたからだ。
確か、異界〈箱庭〉がこの世界に実体を持って現れるのに『しかるべき時』を待つ必要があって、それで時間がかかったと言っていた。
噂を聞く限りでは、俺がこっちに戻った頃に、あの街もこの世界に現れたはずなんだけど……
クレールの体感では三年どころじゃないらしいのは、何となく察した。クレールは
「クク、まあそういうことにしといてやるか」
スレイダーさんもそれをことさらに追求するほど悪辣ではなかった。
ただ、その時間のおかげでクレールはルイさんから領地経営について教わる時間が持てたとも言っていたから、悪いことばかりじゃない。
輪廻鳥の街の領主の地位と侯爵位を相続して、領地の経営と同時に大きな改革もやって、いまあの街は合議制で運営されているのだそうだ。
そうして住民に全て任せるようにした結果、クレールもルイさんもいまは自分の目的のために街を離れることができるようになった。
この村もいずれはそうしていきたいけど、クレールからすると「まだ時期尚早」ということらしい。そうかもしれない。