「……ところでお嬢、領主サマは元気なのか?」
スレイダーさんが以前と同じ呼び方でルイさんのことを訊ねた。
「父様は元気だよ。今はちょっと遠くにいるけど」
ルイさんとはしばらく会っていないけど、ときどきルイさんの使い魔が手紙を持ってくるし、仲間内で一番最近会ったユリアも特に何も言っていなかったから、元気なんだろう。
「輪廻鳥の街じゃねえのか。遠くってどこだ」
スレイダーさんが続けて訊ねた。
……でも、それを訊いてどうするんだろう。
スレイダーさんとルイさんは、今はもう主従関係ではないし、むしろ魔杯を巡って敵対していたくらいだ。再会しても碌な事にならないんじゃないかという気が――
「ずっと北の方にある、〈風の終焉地〉っていう遺跡を調べに行ったみたい。って、最近の手紙に書いてあった。すっごい遠くらしいよ」
俺が止める間もなく、クレールが話してしまった。
「そうか。で、お前の言う最近って何年前だ」
さらに質問を重ねられると、クレールは何やら憤慨した様子。
「春頃だよ!」
「最近だな」
「だから、最初からそう言ってるじゃん! またばかにしてー!」
今の、ばかにしてたかな。クレールが考えすぎなんじゃないかな……。
ともあれ、ルイさんの居場所を知って、スレイダーさんは思案顔。
「ま、気が向いたら行ってみるさ」
スレイダーさんはそう言ったけど、そんな気軽に行ける距離じゃない気がする……。でも、この人は普通の人間じゃないから、何か手段があるのかもしれないな。
「それにしても、驚きました。お互い住む世界が違うから、もう会うことはないだろうと思ってたので。それがこんな急に訪ねてくるなんて」
最近、マリアちゃん――マーシャとも再会したばかりだから、あり得ないことじゃないとはわかっていても、こんなに立て続けに……という気はする。
「ちょっとな。心の奥で『冒険の虫』が騒ぎ始めた、ってところか」
よくわからない理由だ。……いや、わかる気もするけど、異界まで出かけていく理由にしては、ちょっと軽いような。
「お前が暇そうなら大冒険の仲間に誘うつもりだったが」
詳しい内容も聞かないまま、ただそう言われただけでも、少しワクワクした気分になってしまう。俺の中にも、その『冒険の虫』とやらはいるんだろう。
ただ、受けるわけにはいかない。
「それは……すみません。面白そうだとは思うんですが、今はちょっと」
「構わねえさ。理想郷の建設には時間と手間がかかるってこたぁ、俺も知ってるつもりだ」
スレイダーさんはそう言ってコップの麦酒を呷った。
それにしても、スレイダーさんが大冒険か。気にはなるけど、内容を聞いてしまうと参加したくなってしまいそうだ。知らないでいた方がいいだろうな。
「ただな、油断はするんじゃねえぞ」
と、言葉が続いた。
「理想を実現するためにはどうしても戦わなくちゃならないこともある。平和になった気分でせっかくの魔剣を鈍らせてないだろうな?」
少し前なら「強敵がいないからなまってしまいそうですよ」なんて言ったかもしれないけど、今日なら、
「さっきデーモンを倒してきたところですよ」
と言える。もちろん邪神ほどではないものの、最近の敵の中では強い方だった。
「……ん?」
今、ちょっと何かひっかかったぞ。
――そう思った瞬間。
「あーっ!」
クレールが叫んで椅子から立ち上がった。その視線はスレイダーさんへ向いている。
「なんであんなとこに異界のデーモンがいたのかと思ってたら、もしかして……!」
クレールに少し遅れて、俺もそのことに気付いた。
急に異界から現れたという点で、スレイダーさんとデーモンには共通点がある。デーモンの発生にも、スレイダーさんが関わっている……?
「もしかして、俺が転移した時に境界をこじ開けたせいかもしれん、と思ってるのか?」
「そうだよ!」
スレイダーさんの顔には、痛痒を感じている様子はまったくない。
「……ま、そういうこともたまにはあるさ」
そう言って肩をすくめただけだ。
この態度から察すると、クレールの予想はたぶん、正解だな。
「リオンがいなかったらこのあたり一帯が滅びてたかもしれない強敵だったよ!」
クレールの言い分は確かにそうで、このあたりでは特に精強とされる雷王都市の騎士団ですら、もしデーモンと戦えば壊滅するだろう。たまたま俺と仲間たちがいて、特にウェルースさんとメルツァーさんがすぐに知らせてくれたから、ほとんど被害がなかったけど。
「倒せたんならいいだろ。細かいことは気にするな」
「デーモン出現は細かいことじゃないよ!」
クレールはそう言うけど、スレイダーさんにとっては大したことではないのかもしれない。魔杯を巡って一時敵対したとき、敵としてはとんでもなく強かった。異界〈箱庭〉の外から『本来のちからが戻ってきている』と言っていたな。
「スレイダーさん、今は力を制限されてないんですか?」
「ある程度はこっちのルールにも縛られるんで、全開ってわけでもねえが――箱庭にいた時ほど弱くはねえな」
……それならまあ、デーモン一匹くらいは『細かいこと』なんだろう。
「異世界人ってそういうものなんですか?」
「ここよりも原初の混沌に近いから、まあ、振れ幅がでかいってとこだ。無茶苦茶強えやつもいるし、無茶苦茶弱えやつもいる」
無茶苦茶強いはなんとなくわかるけど、無茶苦茶弱いっていうのは何だろう。吹けば飛ぶ、が文字通りの意味だったりするくらいだろうか。……そんなので生きていけるのかな……。
「不思議なところなんですね」
正直な感想を言うと、スレイダーさんは「ああ」と頷いた。
「住みにくい所だが、何とかマシになるように整えてる。今はまだまだだが、いつかは……ってとこだな」
「うちと同じですね」
「ああ、まあそうだな」
この村がスレイダーさんの『理想郷』と同じくらいになるのにどれだけの年月が必要かはわからない。ただ、規模は違うかもしれないけど、似たような悩みがある者同士、ということにはなる。
スレイダーさんの国は、いったいどんなところなんだろう。興味はあるな。異界にあるわけだし、行く機会はちょっとなさそうだけど。
「じゃあまあ、お前らの顔も町も見たし、俺はもう行くぜ」
言ってスレイダーさんが立ち上がった。
「もう行くんですか?」
突然の訪問と再会。会う前はまた敵味方になるかもと心配していたけど杞憂だった。それなら、話したいことはある。別れてからどうしていたのかとか、それに……
「少しゆっくりしていったらどうですか。館にはあの時の仲間もいるし」
そう、あの時のことを懐かしむのもいいだろう。
でもスレイダーさんは首を横に振る。
「知った顔はいるかもしれねえが、『こっちの』とは知り合いでもねえしな」
「あれ? ……そうか、そうなるのか」
そうだった。スレイダーさんと一緒にした冒険は、異界でのこと。館にいるみんなは、それには関わっていない。同じ姿の仲間はいたけど、その記憶が共有されているわけじゃない。
となると、あの時の仲間といったら俺の他はクレールくらいで……
「あ、そうだ」
今はもう一人いた。
「マーシャ……マリアちゃんは、一緒でしたよね?」
「だから……」
「いや、ちょうど異界から来ているんです。あの時に一緒だった子が」
「そうなのか。そりゃ、珍しい偶然だな」
スレイダーさんは少し興味を示したみたいだったけど、そこまでだ。
「それなら確かに知り合いじゃあるぜ。だがな、そうは言っても、別に今さら話すこともねえだろう? もし元の世界に帰れないでいるってんなら、案内くらいはしてやってもいいが」
そう言うからには、スレイダーさんはかなり自由に異界を行き来できる手段を持っているんだろう。
「一応、迎えが来る予定にはなってます」
マーシャの場合は、デュークが元の世界へ案内すると言っていた。猫はきまぐれと言うけど、あそこまで言っておいてすっぽかすなんてことはさすがにないだろう。うん、多分……。
「そんなら、俺からは特に何もねえな」
うーん。あの頃のことを思い返しても、スレイダーさんとマーシャが特に親しくしていたという感じはなかったかな……。なにしろ二十人近いグループだったから、付き合いにいくらか濃淡があるのは無理もない。
立ち上がったスレイダーさんは、愛用の魔剣を腰に、長旅をするとは思えない程度の荷物袋を肩に掛け、出口へ。外から様子を窺っていた村の人たちが、さあっ、と散って道を空ける。
「ああ、そうだ。念のため言っておくが……」
店を出る直前、俺たちを振り返ったスレイダーさんがそう切り出した。
「もしかしたら俺を追って誰か来るかもしれねえが、そいつらは俺の敵だ。あんまり俺のことをべらべら喋るんじゃねえぞ。いいな?」
「追われてるんですか」
この人はすごい人だけど、言葉や行動でかなりの恨みも買っていそうだ。敵対者くらいは当然いるだろう。一時は手を組んだ俺でも、それは思う。
「ま、お宝の争奪戦ってところだ。勝った奴が総取りするゲームなんでな。まずは一歩でも先を行く必要がある。わかるだろ?」
さっき言ってた『大冒険』のことか。相変わらず、安息の日々からは遠い生活をしているみたいだな。それも面白そうではあるけど。
「それじゃあな。メシはうまかったぜ。ごちそうさん」
と、今度こそ店を出ようとしたスレイダーさんの足が止まって――
「おっと、そうだ。メシ代のかわりに、こいつをくれてやる。受け取りな」
その手から拳大のものが俺に向かって放られ、とっさに掴もうとしたクレールの手をすり抜けてその頭で跳ねた後、最後には俺の手におさまった。
魔石、に見える。魔法の回路が刻まれていて、魔法の素養のない人間でも
中の魔法は、何だろう。外見からはよくわからない。
「これは?」
「紫電の魔石」
「え」
〈
でも、魔石で冥術の回路を外付けしても
ただ、館には
「クク。ま、管理にはせいぜい気を付けるこった」
……確かに貴重なものではあるし、スレイダーさんなりに感謝を込めたお土産なのかなって気は、まあ、する。
スレイダーさんのために開いた人垣の間を歩き去って行く背中に、見送りに出た俺とクレールは声を掛けた。
「スレイダー! たまには顔出しなよ!」
「今度は、ゆっくり遊びにでも来てください」
二人分の声に、スレイダーさんは片手を挙げて応えた。
「気が向いたらな」
それがいつのことになるかわからないけど。
スレイダーさんがこれから向かう大冒険の話、次の時には聞かせてもらおう。
*
……失敗した。夜に自室で日記を書く段階になって、ようやく思い出した。
スレイダーさんに竜石のことを聞くのを忘れていた。
あの後、スレイダーさんからもらったのが間違いなく紫電の魔石であることをステラさんたちと確認した。その上で、ユリアに渡すかどうかは一時保留になった。
それから、ウェールスさんとメルツァーさんのことだ。
二人の西への旅は順調に終わったそうで、これからどうするかは少し考える、と言っていた。しばらくはここで疲れを癒やすのもいいだろう、と俺は思う。
それで少し話し合って、クルシスが滞在していた客室を二人で使ってもらうことに決まった。
ウェルースさんは「もっと質素な部屋でいいんだ。使用人が使うような」と言っていたけど、その使用人部屋は今はペトラが使ってる。ウェルースさんたちは俺の仲間ではあるけど、ペトラからすれば初対面の男二人。いくら寝台が四人分あると言っても、いきなり同じ部屋に放り込むわけにはいかないよな。
というあれこれを済ませて、自分も浴室で疲れを流し、部屋に戻ってきて……
で、ようやく、竜石のことを思い出した。もう今からスレイダーさんを追いかけても捕まりはしないだろう……。
スレイダーさんの活動範囲は異界にも伸びているし、紫電の魔石みたいに、こっちでは珍しい物でもスレイダーさんなら持っていたかもしれない。
そう考えると、うーん……失敗したなあ。今更言っても仕方ないんだけど。それでも、うーん。
いや、もう悔やんでも仕方がない。
デーモンとの戦いでは、新たに
――まだ、大丈夫のはずだ。
そう信じて、俺はこの日を終え、眠りについた。
……夢見はあまり良くなかった。