夕食後の中庭が、最近、少し賑やかになった。
その発端は数日前。マーシャの歓迎会だ。ミリアちゃんが歓迎の歌を披露すると言って、縦笛を持ち出してきた。
……笛という楽器を知っていればすぐにわかると思うけど、あれを演奏しながら歌うのは、普通の人間にはちょっとつらい。
それで、ミリアちゃんの歌の伴奏を、マリアさんがリュートでやることになった。
ミリアちゃんの歌は、上手い方と言えると思う。何度も繰り返した法術の詠唱のおかげで、音程は取れてるし、声もよく出てる。これはクレールやステラさんにも同じ傾向があるな。
マーシャもその歓迎の歌に頬を緩めていた。
その後だ。
存分に歌い終わったミリアちゃんが拍手を受けながら一礼して満足げな様子で席に戻った後。
マリアさんの演奏が、もう少しだけ、続いた。
ミリアちゃんやクレールたちの音楽隊が好んでる飛び跳ねて踊るような早い曲調じゃなくて、ゆっくりめで、なんだか、優しさや懐かしさを感じさせるような……
俺がそう思っている傍で、マーシャには劇的な変化があった。
涙。
マリアさんの演奏を聴きながら、マーシャの目からはぽろぽろと涙がこぼれはじめた。本人もそのことに戸惑っている様子で、おろおろと周囲を見回した後、ついには両手で顔を覆ってしまった。
「どうしたの? だいじょうぶ? おなか痛い?」
びっくりした様子のミリアちゃんが声をかけているけど、マーシャは首を左右に振るだけ。
それに気付いたのか、マリアさんも演奏を止めた。
「この曲が、わかるんですね?」
マリアさんのそれは、質問ではなくて確認だ。
手で涙を拭ったマーシャは顔を上げて、一度マリアさんと視線を交わしてから、頷いた。
「……お母さんの曲……」
そこまで言われれば、俺にも察することはできる。
マーシャはこことよく似た異界から来た子で、こっちの世界のマリアさんに相当する魂を持っているんだそうだ。向こうでは名前もまさに同じ『マリア』で、こっちに来た時に、まぎらわしいから呼び名をマーシャに決めた。
その『マーシャ』って名前。
お母さんからそう呼ばれていたんだそうだ。それはこのマーシャだけでなく、マリアさんも、幼い頃はそうだったと言っていた。
二人のお母さんは、別人だけど、同じ人でもある。
だから、二人にはよく似た思い出もある……。
そういう、ややこしい話。
「母から習ったんです。リュートの弾き方も、この曲も」
「覚えがあります……。家族四人で暖炉を囲んでいて……母がリュートを弾いて、父と姉が歌っていました……」
二人の違うところは、年齢。なぜか姉妹が入れ替わっているせいで、マリアさんには妹のミリアちゃんが、マーシャには姉のミリアさんがいる。その関係で、両親と死別した年齢も違うらしい。
両親との記憶はマリアさんの方が多く、マーシャには少なくて、マーシャの方にはおぼろげな記憶しか残っていない。
それが不意に刺激されて、それで、涙が出てしまった。そういうことみたいだ。
「あの……」
マーシャが、少しためらいながら、口を開いた。
でも、続く言葉がなかなか出てこない。
それで俺たちは、マーシャが続けるのを黙って待っていたけど……
「少し練習すれば、弾けるようになりますよ」
マリアさんがそう言うと、マーシャはぱっと顔を上げた。
「やってみたいです……」
マリアさんにはマーシャの心の内もお見通しのようで、そこは、さすが『本人』というところだ。
そういうことがあって、夕食の後にほぼ毎日、二人がリュートを練習する時間が設けられた。
食後しばらくはもともと歓談の時間だったから、マリアさんとマーシャ以外のみんなも近くにいて、練習の音を聞いたり聞かなかったりしてる。
みんなで練習、とならないのは、なにしろリュートがふたつしかないから。
この村でリュートを扱ってるのはニコルくんの店しかない。そして、在庫はひとつしかなかった。
ニコルくんは「注文すれば近いうちに用意する」と言ってくれたけど、そこまで熱意のある子はいなかった。まあ、そのつもりならとっくに始めてただろう。
それで、新しい方のリュートはマーシャの物になった。
「こうですか?」
「そうです、そう」
マリアさんの指導で、マーシャも上達してる。ほんの数日で、俺でも知ってるような有名な曲のいくつかも、遅めのテンポではあるけど、演奏できるくらいになった。
「もう少し基礎練習を続ければ、あの曲も弾けますよ」
マリアさんが言う『あの曲』というのは、もちろん、マリアさんのお母さんが弾いていたって曲のことだ。あまり速い曲ではなかったし、マリアさんがお祭りの時に音楽隊の一員として弾いてた曲よりは、簡単そうに感じたな。
「ねーねー」
と、練習を見守る俺に声をかけてきたのは、クレール。
「あの曲って、僕、どこかで聴いたことある気がするんだよね。でも、他のみんなは知らないって。リオンは心当たりない?」
「ああ。それは、俺も思ってたよ」
俺とクレールは聴いたことがあって、他のみんなは知らない……となれば、可能性は絞られる。
「たぶん、ミリアさんが歌ってたんじゃないかな」
「そっかー。そうかも」
ミリアさんはマーシャのお姉さんで、俺の冒険の仲間でもある。異界の人だから、ここにはいないけど……
この館にいるミリアちゃんが大人になったような人だと思えば、ほぼ合ってる。
こっちとは姉妹が逆だから、そうなる。
だから、マーシャが両親と過ごした時間が短い分、姉のミリアさんは家族の記憶を少し多めに持ってるはず。
マリアさんが母親の曲をリュートで弾けるようになった時間で、ミリアさんは歌を覚えた……ってところか。
「ちょっとうらやましいなあ。僕、母様のこと、あんまり覚えてないんだよね……」
クレールが少し寂しそうに呟く。
「父様やヴァレリーおじさんは、すごく綺麗な人だったって言ってたけど」
「それは、そうなんじゃないかな」
俺がそう言えるのは、時間の流れが乱れた異界の冒険の中でクレールやルイさんの過去に触れたからで、その時に、クレールのお母さんの姿も見た。一言で言うと、ありきたりな言葉になるけど、気品を感じる人だったな。
「んふ。そっかー。リオンが言うなら、そうかもねー」
と、クレールが妙に機嫌のいい声になって、笑った。
何がそんなに響いたのかと首を捻っていると……
「僕がこーんなに美人だから、僕の母様もきっとそうだったはずって話でしょ?」
「ああ……」
納得した。
まあ、親子が似るのは普通によくある話だ。だからクレールの解法も間違ってはいない。機嫌がいいならあえて水を差すこともないだろう。
と、そんな話をしている間にも、マリアさんとマーシャは練習を続けている。
マリアさんも魔女の店の手伝いで忙しいだろうに、それでも、ほぼ毎日。
……もしかしたら、マーシャは夏の終わりには自分が元々いた異界に帰ることになるかもしれない。
そして、もしかしたら、それは何らかの理由でもっと早まるかもしれない。
特に、向こうでひとり待ってるであろうミリアさんのことは、やっぱり心配だし。
そういう事情はマリアさんもわかっていて、もちろんマーシャもわかっていないはずはなくて、だから、この練習は決して遊びじゃなく、本当に熱心だ。
「弾けるようになるといいね」
一生懸命に取り組んでいるマーシャを眺めながら俺が呟くと、クレールも「そうだね」と頷いた。