竜牙の勇者はしばらくお休みします   作:雷神宮燦

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ヨハナの過去

 教会開きの翌朝、テオドーラさんは村を後にした。天命都市へはかなりの距離がある。帰り着く頃には『休暇』も終わりだそうだ。昨晩の温泉が少しは息抜きになってればいいけど。

 一方、ヨハナ司祭はこのままこの村の教会に留まる。そのために来たんだから当然のことだ。

 それでひとまずしばらくの間、レベッカさんとペネロペが、竜牙館でなく教会の方に寝泊まりすることになった。

「慣れない土地に一人では、きっと心細いと思うの」

 レベッカさんの意見はもっともだ。

 

 ヨハナ司祭と改めてちゃんと話す機会を得たのは、しばらく経ってからだった。

 なにしろ、こんな小さな村でも教会の司祭は忙しい。

 お祈りはまだ日も昇らない早朝に始まって、一日五回。うち朝夕の二回は村の敬虔な人たちも教会にやってくる。

 朝昼夕を知らせる鐘も、教会が機能していない間は自警団が鳴らしていたけど、元は教会の仕事。

 もちろん、教会やその敷地の清掃も必要で、そこには併設の墓地も含まれる。結構な広さだ。

 村の生活や商取引でのトラブルも、教会が仲裁する。それを一時的に引き受けていた俺の経験で言うと、こんな田舎村でも一日一件くらいはそういう相談がある。その場で簡単には解決できないものも、まあ、ごくまれに。

 俺の場合は館のみんなが手伝ってくれるからなんとかこなしていけてる。

 一方、教会のことは、ヨハナ司祭がほとんど一人でやる。レベッカさんたちも手伝ってはいるけど、司祭の資格がないとできないことも多いそうだ。

 それに加えて自己研鑽の時間も必要……となれば、睡眠時間は俺の半分もないんじゃないかな。

 俺が教会を訪ねていった時には、その忙しさのちょうど隙間だったらしい。

「お忙しい中ご足労いただき、ありがたいことなのでして」

 と言ったのは俺じゃなくて、ヨハナ司祭の方。俺の方はヨハナ司祭ほど忙しくはないと思うけど、まあ、常套句ってところだろう。

「これ、ニーナが作ってくれたので、差し入れです。レベッカさんたちと三人で食べてください」

 そんなにやることが多いなら、あまり料理に手間をかけられないんじゃないか。ニーナがそう心配して用意してくれたものだ。

 その味については……

 竜気(オーラ)のせいで変化した俺の味覚は、相変わらず人間の食事に対していまいちあてにならない。

 だけど、作ったニーナと味見をしたナタリーの肯定的な意見の方は信じてもいいだろう。

「それと、ここの生活で何か足りない物があれば、遠慮なく言ってください。できる限りは用意しますから」

「これはどうもご丁寧に……」

 と、本題はこれで済んだものの。

「教会開きの時にも来たけど、修繕前と同じ教会とは思えないな」

 改めて見回してみると、そんな感想が出てくる。

 何しろ酷いありさまだった。村の集会所として使われていた教会に、前の領主が手下を使ってかなり嫌がらせをしたという話で、外壁は落書きだらけ、窓は割られ、扉は壊され、中の調度品は持ち去られたり、壊されたり。

 それが今はぴかぴかだ。

 内装に派手さはなくて、シンプル。それは必ずしも潤沢ではなかった修繕費用の関係でもあるけど、上手い具合に静謐な雰囲気になっていると思う。

 俺はそんなに敬虔な方ではないけど、それでも、誰かにとっての祈りの場がこうしてあるべき姿に戻ったのは、素直に嬉しい。

 心なしか、教会の聖印である陽光十字を背負った聖者の石像も、表情が穏やかになったように感じられるな。

「こうして教会の活動を再開できたのも領主様のおかげなのでして」

 祭壇に向かって祈りを捧げ、ヨハナ司祭が呟いた。

「村の人たちからの寄付もあったので、俺だけの手柄じゃないですよ」

 それは実際、そうだ。雷王都市くらいの都会ならともかく、田舎村だと教会は役所と学校と施療院を兼ねてるような場所だから、ないと困るよな。

 そんな風にあれこれ考えると、お金にこだわる聖職者の気持ちも、わからないでもない。

「メルツァーさんから聞きました。ヨハナ司祭のお父さんの話。吝嗇(けち)だとか守銭奴だとか言われながら、そうして集めたお金で、弱い人を助けてもいたって」

 きれい事だけじゃ回らないところには、やっぱりお金も必要だ、っていう話。美談とまではいかなくても、そういうこともあるよなって……教訓話、かな。

 ただ、ヨハナ司祭はその話題を気に入らなかったらしい。こっそり舌打ちして「あの男、余計なことを」と呟いたのが、俺の耳には聞こえてしまった。……なんでそんなにメルツァーさんのことが嫌いなんだろう。よくわからない。

「一方の言い分だけ聞いて誤解をされても困るのでして」

 ため息をついて、ヨハナ司祭は俺を振り返った。

「……私の父は聖職者でありながらお金のことが大好きでして。父が救った人間がどれだけいたとしても、父に泣かされた人間が大勢いるのは変わらないのでして。私の母も、その一人なのでして」

「お母さんが?」

「父の家柄。母の家の資産。愛のない結婚。そして出世……とまあ、そんなところなのでして」

 それは……並べられた単語から想像できる事情には確かに、子の立場では思うところがあって当然か。

「そうしてお金が大好きな父は、あの男が言ったとおり、よく怪しい商売にも手を出していたのでして……ついには〈鉄騎〉の密輸に手を出したのでして」

「鉄騎、というのは?」

 俺の質問に、ヨハナ司祭は『中に人が乗り込んで動かせる鉄巨人(アイアンゴーレム)』が鉄騎と呼ばれてると説明してくれた。

 アイアンゴーレムなら見たことがある。鉄巨人の名前の通り、鉄を材料に作られた人型の兵器だ。血のかわりに霊気(マナ)が体中を巡っているとか……。単純な命令を受けて自動的に動くのが普通だけど、ゴーレムを製造した古王国はとっくの昔に滅びたから、今の時代にはもうゴーレムに命令できる人はいないんだそうだ。

 それが、鉄騎は最初から人が乗り込んで動かす仕組みになってたおかげで、今でも動かせるんだな。千年以上前の兵器がまだ使えるっていうのはすごいな。

 俺からするとさほど強い相手じゃないけど、竜牙の村の自警団では全員でかかっても歯が立たないかも。並みの魔獣なら寄せ付けないくらいの強さはある。

 お金で買えるなら欲しい、って人はいくらでもいるだろう。値段は想像もつかないけど、決して安くはないはずだ。

「古王国時代、国境防衛のために製造されて、現存しているのは鉄騎都市だけなのでして。あの都市の象徴で、名前の由来で、現役の防衛兵器……となれば当然、都市外への持ち出しは厳禁。密輸なんて明らかになれば死刑は免れないのでして」

 ……それは、怪しい商売というよりは、危ない商売と言うんじゃないか?

「あの二人がその密輸に気付いて、父を説得してくれたので、おおごとになる前に収まったのでして……これでも感謝はしているのでして」

 そんなことがあったのか。そこまでは、メルツァーさんも話してなかった。自分の活躍は語りたがらないっていうのは、いかにもあの人らしいけど。

「でも」

 と、ヨハナ司祭が肩を震わせた。

「父が……父が、私をあの男と結婚させようとしたのだけは、いまでも許していないのでして!」

 ……そういうことか。

「あの男は鉄騎都市の騎士団長の息子なのでして。父の魂胆はおわかりになるはずなのでして」

 つまり、鉄騎都市での地盤を固めるために娘を嫁がせようとした、と。

 ヨハナ司祭はそう感じて、それでメルツァーさんのことを避けていた、ってことなんだろう。

「それで父と会うのを避けていたら、急死してしまって……少し後悔もしたのでして……」

 それは、気の毒だし、気持ちはわかる。

 俺も、ある日突然、両親を喪った。こんなことになるなら生きてる時にもっと……と思うことは、もちろん、あった。

「でも、あの男は無理なのでして……」

 うーん。亡き父親が生前に望んでいたことだから、それで思い出してしまうのか。

 でも、薄情かもしれないけど、もう亡くなったんだから無理に望まない結婚までする必要はないだろう。

 だから、メルツァーさんをそこまで嫌わなくてもいいんじゃないか、とも思う。

「メルツァーさんは俺の仲間ですし、一応擁護しておくと、ときどき不真面目そうに見えても根はいい人ですよ」

「それは、ええ、悪人でないことは、わかっているのでして」

 ヨハナ司祭の返事はそうだったけど、その後に深いため息も続いた。

「ですが、人格とかそういう部分ではないところで、いろいろ、無理なのでして……」

 となると、考えられるのは……

 ひらめいた。メルツァーさんはウェルースさんと一緒にいることが多い。ヨハナ司祭のお父さんと関わった件でもそうだったと言ってた。ヨハナ司祭は、その二人のどっちかならウェルースさんの方を気に入って、それで――

「あら。お二人で何のお話を?」

 俺の考えがまとまる前に、俺たちに気付いて近付いてきたのはペネロペ。ほうきを持っているところを見ると、掃除でもしていたんだろう。

「大したことではないのでし……ありませんよ。お互いに自己紹介をしていただけです。これからこの村でお世話になるのですから、当然のことです」

 答えたのはヨハナ司祭。そんな話だったかな、と思いつつ……まあ、ヨハナ司祭のことは、少し知ることができた。自己紹介と言えば、そうだったかな。

「そうでしたか。熱心ですわね。素晴らしいです」

 言って、ペネロペはにっこりと笑った。

「お二人はどちらも私にとって大切な方。お二人が仲良くなってくださると、私も嬉しいですわ。リオン様、ヨハナ様のこと、どうかよろしくお願いいたしますね」

 ペネロペはレベッカさんや俺のことになると少し、時々、自分を抑えきれなくなる瞬間があるみたいだけど、それ以外のところではおおよそ模範的な聖騎士見習いと言っていい女の子だ。

「ほうきを片付けてきますわね。また後ほど」

 小走りに駆けていく後ろ姿も、まあ、悪くない。

 そう思っていると、ヨハナ司祭がぽつりと呟くのが聞こえた。

「……天使……」

 天使? どこに?

 視線を向けると、ヨハナ司祭が見ていたのはペネロペの後ろ姿。

 ……天使はどこに?

 俺に気付くと、ヨハナ司祭は「んんっ」と咳払いをした。

「念のため言っておくのでして。領主様であろうと、ペネロペ様に手を出したら、さすがの私も許さないのでして……」

 ペネロペ……様? 聖騎士見習いより司祭の方が立場は上だと思うけど。

 いや、ああ、うん。

 どうしてメルツァーさんだと駄目なのか、わかったような気がする……かも……。


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