ある日の執務室。
俺の今日の仕事はひとまず片付いて、夕食までの時間は自由。
とはいえ、こんな風に不意にぽっかりと空いた時間ってどうもうまく使えない。夕食には間に合うように戻るから、あまり遠出もできないし。
仕方がないから絵本を読むことにした。古王国語で書かれているから、内容は子供向けでも俺が読むには少し苦労するやつだ。
同じ部屋で、ステラさんは自分のメモ帳に何事か熱心に書き込んでいる。
「それは、何を書いてるんですか」
絵本を読むのに疲れた俺がそう訊ねると、ステラさんは書き物用の眼鏡を通した視線を少しだけこちらに向けて、口を開く。
「……伝記。貴方の。しかしまだ材料を集めている段階」
ああ……そういえば、そんな話もあった。いつだったかな、ステラさんが俺の伝記を書くと言い出したのは。
俺自身は大げさだと思ったけど、周りのみんな……特にフューリスさんは、ぜひ書くべきだと勧めていた。記憶がしっかりしているうちに書くべきだって。
まあ、どうせ書かれるなら、なるべく事実に沿った内容であって欲しい。
その点は、ステラさんなら安心して任せられる。少なくとも、よく知らない人から変な書かれ方をするよりはいいだろう。
「しかし、数が合わない」
「ん?」
ステラさんの呟きが何を意味しているのか、俺にはよくわからない。
視線を送って続きを促すと、ステラさんは小さく首を傾げた。
「〈銀の玉座〉に生じた歪みである〈
ステラさんの言葉は断片的だけど、俺に関わることだから、もちろん俺にはわかる。
雷王都市近郊の古代遺跡の奥に〈銀の玉座〉っていう魔導器が安置されている。
これは大昔の人が邪神〈歪みをもたらすもの〉に対抗するために魔法技術の粋を集めて造ったものだそうで、魔剣〈真竜の牙〉を持つ〈安定をもたらす者〉がこの魔導器を起動すれば、周辺の
らしい、というのは、俺は結局ほとんど使えていないから。資格はあったはずなんだけどね。
使えなかった原因はわかってる。
俺より先にそこにたどり着いた〈剣鬼〉が、歪みを帯びた魔剣〈極北の魔神〉で無理矢理起動したせいで、〈銀の玉座〉にも歪みが入り込み、育ってしまったからだ。
それが〈
邪神にも匹敵するちからを持つそれは最奥に巣くっていて、そこへ進むには四方を守護する四体の凶獣をほとんど同時に討伐する必要があった。
この四方の凶獣が、また、とんでもなく強い。
それで俺たちは四人組を四つ編成した。
「だから、全部で十六人でしたよね。俺と、ステラさんと――」
ステラさんと二人で、指折り数えてみた。
館にいる人から。ニーナ、ナタリー、ミリアちゃんとマリアさん、レベッカさん、ウェルースさんとメルツァーさん……。
いまこの館にいない人だと、暗黒司祭のアゼルさん、船乗りのジョアンさん、雷王都市の将軍のヴォルフさん、霊峰の星読みのティータさん、あとは旅をしてるフューリスさんとクルシスか。
「一人足りない」
ステラさんがそう指摘する。確かに、ここまでで十五人。
……ええっと、待てよ。誰を数え忘れてる?
あのとき一緒にいた、というと、スペースハムスターのハスターもだけど、さすがに討伐メンバーの一人に数えてたはずはないだろう。他には……
「どうしたの、二人で難しい顔して」
そう言ったのはクレール。
「あ、クレール?」
「ん?」
クレールだ。確か、クレールも一緒だった。それでそう、スレイダーさんもいて……
あれ? クレールだけじゃなくスレイダーさんも足したら今度は多すぎる。それに、よく考えたらそれは異界の偽神封印殿の方だ。
「クレールではない」
ステラさんの指摘もあって、結局また悩むことになった。
でも、こんなことってあるかな。
邪神にも匹敵する巨悪に一緒に命を懸けて立ち向かった仲間を、顔も名前も思い出せないなんて。
しかも俺だけじゃない。ステラさんもだ。
……何だ、これは。
その後、あのとき一緒に戦ったみんなにも訊ねてみたけど、誰の反応もほとんど同じで、最後の一人が誰なのかはわからないままだ。
何かがおかしい。何かが――
気味の悪いことに、その『何かがおかしい』という気持ちすら、日記に書き留めておかないと忘れてしまうくらいなんだ。
*
それが急に繋がったのは、さらに数日経ってからだった。
「リオンか。こんなところで会うとは奇遇だな」
村の南の外れ、湖の近くを一人で散歩していたところに、声を掛けられた。
今後架け替えようと思ってる古い木造の橋。ちょうどその上だ。
「……ええっと……」
親しげに話しかけてきたけど、誰だろう。
中背の男だ。スタイリッシュなレザージャケットに細身のズボン。このあたりではあまり見かけない異様に都会的な服装で、一目で外部の人間だとわかる。
特徴的なのは緑色の髪。草原の色、と言おうか。普通に出る髪色ではないと思う。少なくとも、俺はこんな髪の人には覚えがない。男にしては長めの髪で手入れもされているから、色を着けているのかもしれない。
そして、もっと特徴的なのは黒眼鏡。そのせいで表情が読みにくい。
歳は、二十歳くらいに見える。そこは、黒眼鏡をはずしたら印象が変わるかもしれないけど。
そして、たぶん……凄腕の剣士だ。
腰に剣を下げてる。魔剣だ。それも、かなり強力なもの。
そのわりに
「……いや、そうか。奴の目的はお前だったのか。それでここを訪れた……」
男が呟く。
奴って誰だろう。こんな村でも最近は人の出入りがそこそこある。俺に会う目的で来る人も何人かはいた。でも、これほどの剣士が気に掛ける人物というと、かなり限られるはずだ。
ウェルースさんかメルツァーさん? それとも聖騎士団副長のテオドーラさんか? まさかデュークではないよな……。
深く考えるほどの間もなく、男が訊ねてきた。
「最近、スレイダーが訪ねてきただろう。何か言っていなかったか?」
「スレイダーさん?」
――失敗した!
意外な名前が出て、つい反応してしまった。
「その様子だと、奴に最近会ったな? どこに行くとか、言っていなかったか?」
男が、無造作に見える動きで俺との距離を詰めつつ、続けた。
こうなるとさっきの一瞬のミスが悔やまれる。
思い出されるのは、先日俺を訪ねてきたスレイダーさんが言ってたことだ。
『もしかしたら俺を追って誰か来るかもしれねえが、そいつらは俺の敵だ。あんまり俺のことをべらべら喋るんじゃねえぞ。いいな?』
その『敵』が、いま、目の前にいる!
すぐに使える武器は、ごく普通の短剣しかない。一応、腰にあるその存在を確かめる。いつでも抜き放てるようにだ。
これで、あの魔剣と戦えるか?
やってみないとわからないけど、……厳しい気がする。
それでも、いざとなればやるしかない。
「スレイダーさんは俺の仲間です。たとえ行先を知っていても教えられません。そんな、仲間を売るようなことは――」
「待て。リオン、何を言ってる?」
俺の言葉を遮って、黒眼鏡の男が眉根を寄せた。
「……俺が誰だかわからない、というところか。くそっ。あいつめ、大雑把な処理をしやがって」
前半は独り言、後半は誰かへの恨み言だ。
何のことだろう。何を言っているんだ?
困惑する俺の目の前で、男は何も持たない右手をあげて俺に向けた。
まずい。腰の魔剣に気を取られすぎてた。術法か何かで仕掛けてくるッ!
「いま封印を解いてやる。――思い出せ、全てを!」
言葉と共に。
その手のひらがギラリと光った。