一日の終わりに日記を付けていると、部屋の戸がノックされた。
……誰だろう?
今夜はクレールは来ていない。いつも俺の部屋にいるわけじゃない。十日に一度くらいだ。
だから、もしかしたらクレールかな、と思ったけど。
「あれ、ミリアちゃん? どうしたのこんな夜更けに」
廊下にいたのはミリアちゃんだった。大きな本を一冊、胸に抱えている。
「お兄ちゃん。困ったことになったの」
「困ったこと?」
わざわざ助けを求めてくるくらいだ。よほどのことだろう。
ミリアちゃんに続きを促す。
「さっきまで本を読んでて……」
「うん」
「読み終わったから続きを読みたいと思って書庫に行ったら……」
「うん……」
と頷いてから、ふと思い出した。
「そこは、もうこんな時間なんだから、寝ることにしてほしかったな」
たぶん、ミリアちゃんと同室のマリアさんもそう言うと思うけど……。
そういえばマリアさんは今夜も魔女の店から帰ってないんだった。
それで夜更かしを止める人がいなかったのか。
「そしたら! 続きがなかったの!」
俺の小言を遮るように、ミリアちゃんは自分の困りごとを言い切った。
読んでいた本の続きが見当たらない。
なるほど。
「……そこまでで終わりの本じゃなかったの?」
「上巻を読んで、次に中巻を読んだの。下巻がないはずないでしょ?」
それは、確かに。
これが上下巻だったら、多少納得のいかない終わり方だとしてもきっとそこで終わりだろうけど。
……いや、うーん。
もしかして『下巻の二』とか『完結巻』とか『続の上巻』とかに続いたりする?
滅多にないと思う。……たぶん。
話が逸れた。今回は上巻と中巻の次の話。当然、下巻があるだろう。
「書庫の本棚わかりにくいっ!」
ミリアちゃんが不満を口にした。
ステラさんも言ってたな。本棚の本は、前の領主が適当に突っ込んだだけみたいだって。
「いま、ステラさんが並べ替えをしてくれてるはずだけど……まだ全部はできてないのか」
ロビーに持ち出してまで一冊を熱心に読んでたしなあ。
ずっとあんな感じなら、あまり進んでなかったとしても頷ける。
いつまでにと決めた仕事じゃないから、そこは別にいいんだけど。
「でも、下巻もきっとどこかにあると思うの。お兄ちゃんも探して?」
なるほど。単純に人手が多い方がいいって程度の話だ。俺のところに来たのも深い意味があったわけじゃなくて、起きてる人だったら誰でも良かったんだろう。
うん。他の子を叩き起こしてでもというほどの事件じゃないな。
「……仕方ないな。ミリアちゃんが早く寝られるように手伝おうか」
俺が断ると他の誰かが寝てるところを起こされるかもしれないし、まあ、仕方ない。
「やったー! ありがとう、お兄ちゃん」
まだ見付かってもいないのに、俺が手伝うというだけでこの感謝。
それはそうか。二人いれば探す速度は二倍。書庫は本が多いといっても、きっとすぐ見付かるだろう。
「それで、どんな本?」
「これ!」
差し出された本は分厚くて、なるほど、分冊になるのもわかる。無理矢理一冊にまとめたら作る方も読む方も難儀するだろう。
さて、ミリアちゃんが夢中になっているという、その本の題名は。
「えーっと……『法術文化史詳論・中巻』……」
……うん。
「探してるのはそれの下巻なの!」
…………うん。
表紙を見ただけで「俺だったら手に取らないだろうな」「開いてみてもさっぱりわからないだろうな」という感じがびりびり伝わってくる。
「面白いの? 読みたくて夜更かしするくらい?」
一応、訊ねてみる。
「うん。お兄ちゃんも読む?」
軽ーい感じで勧められたけど、うーん。
もしその……法術文化史とやらに興味があったとしても、いきなりここから読む段階の本ではない気がする。もっとこう……『猫でもわかるかんたん法術文化史』みたいな本から始めないと。
だよな……?
「……そのうち機会があればね」
「そっかー」
たぶん読まないよ、というニュアンスもどうやら過不足なく伝わったようで、ミリアちゃんは少しがっかりした様子だった。
それぞれにランタンを持って、二人で書庫へ。
ここは本の劣化を防ぐ目的で地下に造られていて、窓もなく暗い。
夜の静けさも相まって、なるほど、一人で来たら結構不気味に感じるかもしれない。
壁の燭台に火を入れて部屋を明るくしたら、二人ならそこまで心細くもないけど。
本棚には多くの本が並べられている。入り口に近い一部は、ステラさんによって整頓された形跡があるな。テーブルの方には並べ替えている途中の本の山。確かにこれは大変そうだ。
ただ並べ替えるだけでも大変なのに、それぞれの本の内容から、関連性のあるものを同じ棚に……とやっていたら、いつまでかかるやら。ステラさんはやる気みたいだから、頑張って欲しいけど。
それにしても。
「難しそうな本ばかりだな……」
正直、俺にはよくわからない本が多すぎる。まず、題名が古王国語な時点で無理。題名が読めるものもそこそこあるけど、読めるというだけで、理解はできないものもある。
それにしても、よくもまあこんなに集めたものだ。
これが前の領主の課した重税によるものでなければ、もっと良かったんだけど。
一応、この蔵書も相応の値段で現金化する案はあった。
真っ先に反対したのはステラさん。今後、村の人たちにも多くの知識が必要になるときが来るから、その時のために残しておくべきだって。
もっともな意見だと思ったから、書庫の本のほとんどはそのまま残されている。
村の人たちのために、この本をしっかり活用していけるようにしないといけないな。
ちなみに……教育によろしくない本もそこそこあるらしい。知り合いの商人にお願いして、そういうのを専門に集めているという図書館にそれなりの金額で買い取ってもらえるよう交渉中。
今のところは、ミリアちゃんの手が届かない一番上に仮置きされている。
俺も興味がないわけじゃないけど、一応、領主として品行方正であろうと心掛けているから、読む機会は多分今後もないだろう。
……でも、村の人たちからはもう、複数の女性を囲っている好色男扱いらしいから納得がいかない。最近では、誰が正妻になるかの賭けまで行われているらしい。うう。
「お兄ちゃんは本を読むのは嫌い?」
ミリアちゃんがそんなことを訊ねてきたから、慌てて意識を戻した。
そう思われたのは、難しい顔をしていたからかな。心配事は別のことだけどね……。
さてそれで、ミリアちゃんからの質問の件だ。
「あんまり習慣はないかな……故郷は農村で、本なんかほとんどなかったし。両親が教えてくれたから読み書きは不自由なくできるけど、そのくらい」
「そっかー。面白いのになー」
ミリアちゃんは残念そうな顔。
「面白くて、その……読みやすそうな本なら、俺も読んでみたいけどね」
「そう? それじゃあねー、どれがいっかなー」
まず読める文字で書かれていないと、内容がどうとかという以前の問題。両親は古王国語の読み書きは教えてくれなかったしなあ。たぶんそもそも、二人とも読めなかったんだと思うけど。
「んっんー……じゃあこれ!」
ミリアちゃんが本棚から一冊の本を取り出して、その表紙を見せてくれた。
「……『上級法術の展開と維持』……」
これは……ミリアちゃんが雷王都市に住んでた頃、その部屋で見たことがある気がする。あれから一年くらい経つけど、その間の成長を考慮しても、読めるようになった気はしないな……。
「気に入らない? こっちは?」
「えーっと……『術法回路構築基礎概論』……」
この本、基礎とか概論とかってある以上は、きっと初歩的なことが書いてあるんだろう。
……でも、全く読める気がしない。
ミリアちゃんにとっては精一杯簡単な本を選んだのかもしれないけど。
「お兄ちゃんは好き嫌いが多いなー。これはどうかなっ?」
次のもきっと俺には難しすぎる本が……と思いながら確認。
うん。題名が古王国語だから読めない。
「これは?」
「えっとねー、『魔剣を作ろう・第一巻』だよ」
「……ああ、それは面白そうかな」
そんなに厚みもないし、魔剣についての本なら興味はある。古王国語が読めるんだったら、ちょっと読んでみたかったかも。
せっかくだし、読み書きから勉強するのもありかなあ。
「付録の素材がないから魔剣は作れないけど、作り方はわかるよ!」
おっと。ミリアちゃんが重要な情報をくれた。
何か架空の物語かなと思ってたけど、どうやら実用書らしい。
付録がないから作れないけど、作り方はわかる。
逆に言うと。
「素材さえどうにか調達できれば、魔剣が作れてしまうのか」
魔剣は貴重なもので、いま出回っている少数の魔剣は、主に古王国時代に作られたもの。美術品としても、実用品としても価値がある。値段も、もちろん相応に高い。
作れるっていうんだったら、この村の産業にできないかな。
そう思っていると、ミリアちゃんは渋い顔をした。
「それは、うーん……」
「うん?」
何か言いたそうにしているので、続きを促すと……。
「全百巻の付録が全部ないと魔剣は作れないの」
「百巻」
思わず繰り返してしまった。
古王国では今より紙が安価で、本が多かったとは聞いてるけど、さすがに……。
そんなに厚みもないと思ったけど、全部揃えるとこの百倍ってことなら、話が別。
ミリアちゃんが探してる『法術文化史詳論』を上中下巻併せたよりさらに分厚くなってしまう。
「でも読み物として面白いよ!」
せっかく興味を持った俺のために、ミリアちゃんがフォローをするけども。
「そうなのかー……百巻かー……」
さすがに厳しいな、百巻は。
探していた本はすぐに見付かった。
少し高いところにあったせいで、ミリアちゃんからは見えなかったらしい。
「今度からは上の方もちゃんと探すね!」
ミリアちゃんがそう言っていたので、教育に良くない本は別の場所に移した方がいいかもしれないな。