「いたな。準備は? 済んでるか?」
そろそろ太陽が真南に来るというお昼時の、執務室。そのドアが乱暴に開かれたと思ったら、見知らぬ女性が入ってきた。
「ちょっ、何なんです、これは」
俺はいつものように書類に目を通していたところで、こんな来客がある予定だったとは聞いてない。ステラさんやクレールに視線を向けても、二人とも首を傾げるばかり。
「この人たちがいきなり来て、変態領主に会わせろって。私は止めようとしたんだけど、勝手に」
遅れて執務室に入ってきたのはペトラ。この人たち、と言われてよく見てみると、最初に入ってきた女性は左手で誰かを引きずってきていた。ネスケさんだ。その関係者とすると――
……傭兵組合の人か。
他の仲間ならともかく、さほど戦闘経験のないペトラじゃ抑えきれないのも仕方ないだろう。
改めてその女性の姿に目をやる。
長身で、豊かな栗毛を首の後ろで雑にまとめている。淡褐色の目には強い眼光を秘めていて、油断ならない感じがするな。身体のラインが露わなレザーのスーツを着込んでいて、腰には片刃の剣を帯びている。もちろん、抜いてはいないけど。
「もう開催は明日。急がないと間に合わなくなる」
明日? 何の予定があったかと、もう一度ステラさんに視線を向けたけど、ステラさんは首を左右に振って返してきた。俺と同じで、心当たりがないらしい。
その頃には他のみんなも騒ぎに気付いて駆けつけてきた。でも、この人について知ってそうな素振りは誰からもなかった。
「何の話です? いや、そもそもあなたは誰なんです?」
退路が完全に塞がれていることに、気付いていないわけはないだろう。それでも動じないあたり、相当の胆力は感じる。
でも、本当に何者なんだ。
しばらく間があってから、相手の方も首を傾げた後で、ようやく。
「……聞いてない?」
それは返事というものでもなく、独り言に近い呟きだった。
次の瞬間。
「ネスケー!」
「は、はいれしゅ」
片手で引きずられてきていたネスケさんが改めて襟元を掴まれ、謎の女は互いの額がぶつかるほどに顔を近づけて、怒鳴った。
「何で言ってないんだ!」
ネスケさんは首が動かせないので視線だけを目の前の女から逸らしながら……
「い、言いましたれしゅ。たら、ちょと、そのぉ、いきちがいがあったといいましゅか……」
と、しどろもどろな返事をした。これは、また……
「また酔ってやがるなてめえ」
俺が思ったこととまったく同じことを、謎の女が口に出した。
「酔ってないれしゅ!」
ネスケさんは強く否定したけど、どう見ても嘘だ。
「酒の匂いがしてんだよこのアホがあ!」
「ぐえぇー! ギブ、ギブアップれしゅ! グエェー!」
少し強く揺さぶられて、ネスケさんは顔を歪めた。……ここで吐かれるとちょっと困るな。
俺の心配が現実になる前にネスケさんは解放され、謎の女は改めて俺に視線を向けた。
「自己紹介が必要か。私はロウシェ。傭兵組合で広報に関わっている」
やっぱり傭兵組合か。広報、というと記者であるネスケさんの所属している部門だろう。この人……ロウシェさんは、ネスケさんの上司ってところか。
「あー、それで説明すると。我が傭兵組合主催の商談会が、明日、迷香の街で開催される」
「商談会」
というのは武具の取引でもやるのか、と思ったけど違った。
「雇われたい傭兵と雇いたい貴族との間を繋ぐ催しだ」
傭兵は買われる側というわけだ。
「それで事前に、組合に所属する傭兵に話を聞きたい貴族の名前を挙げさせたところ……新顔で特に注目度が高かったのが、リオン・ドラゴンハート男爵」
「はあ」
最近はそんなに大暴れはしてないはずだけど……雷王都市で大暴れした時の話を吟遊詩人が広めてるからそうなってしまうのかな。
「ってわけで、組合としてはまず番記者であるネスケに対して、男爵に参加を促すよう指示を飛ばして、ネスケは『内諾を得た』と返事をしてきた。ここまでは合ってるな?」
ロウシェさんがそう確認してしきたけど、そんな話、あったかな。もしかしたら他の誰かが聞いてるかもしれない、と思って見回してみたけど、知ってた様子の人は誰もいない。
「……初耳です」
俺がそう言うと、ロウシェさんは「チッ」と舌打ちした。そして。
「ネスケー!」
「は、はいれしゅ」
「どういうことだよ、これはよ」
矛先がまた、ネスケさんに向いた。一応は弁明の機会を与えられて、ネスケさんは「にへらっ」とした薄ら笑いを浮かべながらそれに答えるも。
「ちゃ、ちゃんと話はしたんれしゅ……そしてしゅぐに快諾をもらったんれしゅ……こんなにうまくいくなんて、まるで夢のようれした……」
内容はそんな感じで、俺には覚えのない話だった。酒の席でそんな話があったかもしれないけど、少なくとも正式に日程を伝えられたとかそういうことはない。
ロウシェさんはそんな俺の表情を見て、ネスケさんに裁きを下した。
「夢だ、そりゃあ!」
ネスケさんは痛飲のせいでよく記憶が曖昧になってるしな……。俺とネスケさんの言い分が食い違った時、こうして信憑性に差が出てしまうのは普段の行いのせいだろう。俺もこれに驕らず気を付けたい……。
「ああぁもぉお!」
ロウシェさんが頭を抱えて叫んだ。
「商談会はもう明日。今日になってもまだ迷香の街に来てないと聞いて、慌てて様子を見に来たわけだ。それがこんなことになって……」
その事態には、まあ、同情する。するけど……
「本当に急で申し訳ないが、何とか都合を付けて参加してくれないか。相応の埋め合わせはするから!」
そう言われてもね。今回は俺のせいじゃないからなあ。
なので、相手の事情はともかく。
「今のところ傭兵を雇うつもりはないので……」
という返事になるんだけど、ロウシェさんも簡単には引き下がらない。
「もう大々的に宣伝してしまってるんだ! 顔を出すだけでも!」
悲鳴に近い声とともに差し出された多色刷りのチラシには、確かに『あの〈剣の王〉リオン・ドラゴンハート男爵も会場に?』と大きな文字で書いてある……。
ちなみに〈剣の王〉というのは剣鬼の騒動を収めた時に雷王都市でもらった称号だ。こうやってわざわざ書かれるってことは、他の称号より知られてるのかもしれない。
「会場入りが確定してる書き方じゃないよね?」
横から同じチラシをのぞき込んだクレールの指摘は、確かにそうだ。
「だが、本当にいなかったら、納得しない傭兵たちが大挙してこの村まで押し寄せてくるかもしれない……」
ロウシェさんのそれは脅しではなく、注意喚起か。傭兵には強盗と変わりないような乱暴者もいるそうだから、本当にそうなると村の治安が心配だ。
その商談会に出て、きっぱり断ってくるしかないか……。
俺がため息をついたところで、クレールが「ダメだよ」と口を挟んできた。
「リオンはダメだよ。行くときっと女傭兵のアタックを受けて雇っちゃうから」
「そんなことは……」
「絶対ないかな?」
そこまで言われると、どうかな……絶対とまでは言い切れない気がしてきた。
「……たぶん、ないよ」
その弱々しい返事に、今度はクレールがため息。
「それなら俺たちが代わりに行ってきてやるよ」
そう言ったのは、部屋の端で話を聞いていたメルツァーさん。
「売り込みを全部断ってくるだけでいいんだろ? 簡単簡単。なっ、ウェルース」
「ああ。任せてくれ」
一緒にいたウェルースさんもそう請け負ってくれた。
この二人ならこっちの事情はわかってるし、傭兵たちにも軽く見られない風格と実力がある。俺としても安心して任せられる。
「二人は俺の仲間で……」
「ま、騎士隊長とその補佐ってところかな」
俺からロウシェさんに紹介しようとすると、メルツァーさんが笑ってそう自己紹介した。
「お前が? 騎士隊長?」
驚いた声をあげたのはロウシェさんではなく、ウェルースさん。
「騎士隊長はお前に決まってるだろ。俺がそんな面倒くさい役をやるかよ」
メルツァーさんも自ら公言してるほど無責任な人ではないけど、二人の関係性からすると、ウェルースさんをメルツァーさんが補佐する形が収まりがいいのは確かだろう。
「信頼できる仲間です。商談会のことは全て二人に任せます。それでいいですか」
言うとロウシェさんは明らかにほっとした様子になって、一瞬だけど、笑顔も見せた。会場入りするのは俺本人ではないけど、一応の形は整ったか。
「こっちの不手際なのにすまんな。この埋め合わせは後日必ずさせてもらう。とりあえず、商談会が終わるまではネスケを自由にこき使っていただくということで……」
「えーっ!」
ネスケさんが抗議の声をあげたけど、ロウシェさんはまた鬼の形相に戻ってネスケさんに怒鳴った。
「反省しろこの飲んだくれ!」
その覇気だけでネスケさんはまたへたりこんでしまう。ネスケさんは傭兵組合に所属してるといっても記者で、傭兵として強い様子はないけど、ロウシェさんはなかなかの手練れに見える。直接激突したらネスケさんに勝ち目はないだろう。
で、急に元気になったのがペトラ。
「そっか。じゃあ短い間だけど私の後輩だな! よし、まずは浴室の掃除でもしてもらおうか!」
「ええーっ!」
わりときつめの仕事を振られて、ネスケさんはまた抗議の声をあげた。