傭兵組合のロウシェさんが急に押しかけてきたあの日から数日が経過して、その間ペトラにこき使われ続けたネスケさんが「もう限界だー!」と泣き叫んで俺の執務室に逃げ込んできた。そのネスケさんに机の下を占拠されたので、俺は応接用のテーブルで書類の確認。
「おい変態! ネスケを見なかったか!」
突然飛び込んできたペトラが、俺にそう怒鳴った。
「……いや、見てないよ」
机の下に隠れているのは言わないでおく。
俺から見てもネスケさんに振られた仕事は激務だったし、今朝も早くから何事か申しつけられて館中を走り回っていた。ロウシェさんからはこき使っていいと言われているけど、さすがにどうかと思う仕事量だったな。ただ、同じ仕事をペトラも一緒にやっていたから、俺からはどうも止めにくかった。
だけど、それを自分の仕事として取り組んで経験を積んでるペトラと比べると、ネスケさんの手際が悪く見えてしまうのも、同じ仕事をして余計に疲れてしまうのも、無理ないところだろう。
「ふーん?」
俺に疑わしげな視線を向けた後、ペトラはゆっくりと執務室の中を見渡して……
「……結構がんばってたから、一緒にお菓子でも食べようかと思ってたのになー? まーいないならしかたないかー、一人で食べちゃおう。そうしよう」
顔にしても声にしても、これはあからさまな罠だ。ネスケさんもさすがにこれに引っかかるほどぼんやりはしてないだろう。
「えーっ! そんなあー!」
…………あーあ。
「そこにいたか! 次は庭木の剪定をやるぞ!」
「あぁぁぁぁぁぁだまされたぁぁぁぁぁぁぁ!」
……せめて、働きに報いるくらいの謝礼金は用意しておこう……。
*
「リオーン。いま戻ったぞー」
メルツァーさんたちが帰ってきたのはその日の午後だった。声に気付いた俺がエントランスに向かうと、馬から荷物を下ろし終えた二人が並んで立っていた。
「予定通り、すべて断ってきた」
そう言ったのはウェルースさん。
もちろん、二人が俺の代理で参加していた、傭兵組合の『商談会』のことだ。
「一応、希望者は俺とメルツァーで腕試しをしてみたんだ。なかなかの強者もいたよ。常備軍を編成するつもりなら採用したいくらいだった」
「ま、俺とウェルースに勝てるほどの奴はいなかったけどな」
それはそうだろう。二人に勝てるくらいの傭兵がいたら、こんな田舎村の領主に売り込まなくても、もっといい条件のところで雇ってもらえるはずだ。
という想像を裏付けるように……
「逆に、俺たちを雇いたいという貴族が現れて、それを断る方に苦労したよ」
ウェルースさんがそんな話をした。
二人が傭兵たちの売り込みを断るために実力を見せつけたなら当然だ。騎士として戦い方を学んだ、というだけでまず基礎が違う。二人と初めて出会った頃は俺も駆け出しだったから、二人の戦技には驚かされた。今でも単純な力比べならともかく、戦技の多彩さではまだまだ及ばないほどだ。
「目ン玉が飛び出るくらいの金額を提示されたぜ。断ったの、惜しかったかなあ」
メルツァーさんがそう言うと、ウェルースさんは鼻で笑った。
「今からでも行ってきたらどうだ?」
「冗談冗談。リオンも本気にするなよ」
今から雇われに行くってのは冗談でも、ものすごい金額を提示されたのは本当だろう。それだけの価値がある人材だ。
その点、俺は二人を正式に雇っているわけではないから、給金のようなものを出したことはない。前にその話をした時には、二人ともから断られてしまった。まだこれからどうするかはっきり決めていないし、もしかしたらまた旅に出るかもしれないから、と言っていた。
どこかから誘われたなら、そっちに仕える選択肢もあったと思うけど……
今のところ、そのつもりもないみたいだ。
「あっ、そうだ、リオン! 向こうでの飲み食いは全部、傭兵組合に払わせたから心配すんなよ。ま、迷惑料ってやつだよなあ。それでせっかくだから豪遊してきたんだぜ。なあ?」
「お前は、かなり飲んでいたな」
「お前は飲まない代わりに食ってただろ」
突然のことだったけど、二人は二人なりに楽しんできたらしい。
その分、ネスケさんがかわりに苦労していたってことになるな……。メルツァーさんたちは戻ってきたし、ロウシェさんが戻るのは待たずに解放しよう。さっき確か、庭木の剪定をするとか言ってたな……と、庭の方へ意識を向けようとしたところで。
「……リオン。君はこの村をどのくらい大きくするつもりなんだ?」
ウェルースさんに、そう声をかけられた。
「もっと大きくするには爵位を上げるべきで、そのためには常備軍が必要なんだろう? 傭兵組合のロウシェがそう言っていたよ。そういうことなら今回、何人か雇い入れても良かったと思うが」
なるほど。あの人は傭兵を雇って欲しい立場だから、そういう話をしたんだろう。ウェルースさんたちは俺が頼んだとおりに全部断ってくれたみたいだから、その宣伝は実を結ばなかったわけだけど。
でも、このまま領主を続けるなら、いつかは考えないといけない話ではある。
「具体的にどのくらいと決めてはいないですけど、村の人たちが不幸にならないようにはしたいなと。まあ、予算の都合もあるので、村の復興や発展を優先して、ちゃんとした軍備はその後になりますね。……橋もひとつ、早めに造り直さないといけなくなったし」
橋はまだ壊すつもりはなかったのに壊されてしまったから、とりあえず仮の橋を架けるつもりではいる。その分、他のところに遅れが出てしまうとステラさんが言っていたけど、橋は生活に直接関わるから放ってはおけない。
そんな中だから、常備軍が後回しになってしまうのは仕方ないだろう。今のところ自警団が問題なく機能しているし、それにほとんどの場合、いざとなったら俺が出向けば済む。もっと住人が増えたら治安の維持なんかにも人手が必要になってくるんだろうけど、今のところ急激な人口増加の兆候はない。準備は進めるにしろ、今すぐに傭兵を雇って、ってほどまで急ぎの話ではないな。
「ふむ……」
俺の話を聞いたウェルースさんは、思案顔で黙ってしまった。
「そんなにすごい人材がいたんですか」
なかなかの強者もいたと言っていたし、この機会に雇わなかったのは惜しかった、と思うほどの傭兵。いてもおかしくないよな。それも全部断ってしまったから、それで残念がっているんだろうか……
そんな風に考えていたら、メルツァーさんが軽く握った拳でウェルースさんの脇腹を小突いた。
「こいつな、リオンが大陸統一する道筋を考えてやがるんだよ」
「えぇ?」
大陸統一? 無茶苦茶なことを言い出したな……
「おい、メルツァー」
「リオンにその気はないだろ。いい加減、夢と現実の区別は付けろよ」
ウェルースさんからあがった抗議の声に、メルツァーさんがすぐさま追撃の言葉を放って、観念した様子のウェルースさんはそれにため息で応じた。
「……能力的には可能だと思っている。信頼できる仲間もいる。君がこの村の領主になったと聞いた時に、もしかしたら君が大陸に覇をとなえるつもりかもしれないと、想像してみただけなんだ……」
……なんとも壮大な話だ。
古王国の後にあらわれた新王国すら滅び、今は多くの都市国家が並び立つ時代。でも、それらの都市も繁栄の裏には多くの問題を抱えていて、一部には救世主――あるいは、勇者――というものの出現を望む空気があるそうだ。
その空気は、俺が雷王都市を離れざるを得なかった理由の一つでもある。
そして、少し前に、雷王都市では俺の名を騙った何者かが実際に行動を起こそうとしていた。それは未然に防がれたらしいから、ひとまず良かったけど。
事の善し悪しは、俺にはまだよくわからないこともある。ただ、もし本当にそれをやろうと思ったら大きな戦いになるだろう。それはきっと、流血なしには済まない。
そう考えると、メルツァーさんの言ったとおり、俺にはその気はない……。
「すまない。忘れてくれ。だいたい、最初に言い出したのはメルツァーだ」
「はあぁ? 俺にせいにするなよな」
まあ、二人とも単に雑談の種にしただけなんだろう。
そう考えて、俺は苦笑を返した。
「そのつもりはないですよ。この村のことでも手一杯だし、戦う相手が魔獣ならいいけど、人間が相手だと遠慮してしまって」
「そうだな。そうなのだろう」
少人数での戦いならある程度は加減ができるけど、相手が大人数だとどうかな。やりすぎてしまうかもしれない。
この館で前の領主の手下たちと戦った時なんかは、結構あちこち壊してしまったし、大怪我もさせた。ただその件に関しては、そうなる前に村の人たちがされていたことを思えば、相手にも因果応報って面はある。
でも、大陸統一……そのために他の都市を攻める、となると相手は悪人ばかりじゃないだろう。古竜にも匹敵するようになった自分の力を、そんな時でも遠慮なく振るえるほど魔道を歩んではいないつもりだ。
ウェルースさんも、そのことはわかってくれているだろう。
だから、この話題はもう続かないし、俺が征服王になる未来はない。
「ただ……」
と、真剣な表情のウェルースさんが呟いた。
「俺は、君がどんな選択をしても、それを助けるために力を尽くす。そのことは覚えておいて欲しい」
それはウェルースさんの忠義とでもいうもので……
こんないい人を道連れにしてまで魔道を行く気にはならないな。