マーシャが倒れた。
ミリアちゃんにそう言われて駆けつけると、マーシャは前庭の木陰に横たわっていた。
名前を呼んでも反応がない。ただ、息はしているし、脈もある。苦しげな様子はない。ミリアちゃんがその瞬間を見ていなかったら、眠っているだけだと思っただろう。
ひとまずマリアさんが様子を確認してから、その指示で屋内に寝かせることになった。
抱え上げると、見た目の通り、軽い……。
……いや、軽すぎる。
マーシャは同年代の子と比べても少し細い方だと思うけど、それにしても、これはおかしい。
そのことを告げると、マリアさんもマーシャの重さを確かめた。
「食事はちゃんと摂っていましたし、見た目にも痩せすぎではありません。こんなに軽いはずはないんですが」
とはいえ、この場で原因がわからない以上、ここで悩んでいても仕方がない。
俺がマーシャを抱えて、マリアさんたち姉妹が三人で使っている部屋のベッドに寝かせた。
まずはマリアさんが簡易的な検査をすることになり、俺は桶いっぱいに水を汲んでくるよう指示を受けた。
もしも容態が悪化するようなら、ここよりも設備の整っている魔女の店に連れて行く必要がある……。
*
「原因らしいものは特定できませんでした。ですが、心拍や呼吸などは正常で高熱もありませんし、ミリアも法術を施してくれましたから、しばらくここで様子を見ます」
検査を終えたマリアさんが、そう報告した。
まだ安心はできないけど、そういうことならあまり深刻になるのも良くないかもしれない。
「マーシャの身体が妙に軽いのは、どうしてなんですか」
気になっていたことを訊くと、マリアさんは首を左右に振った。
「今はその症状がなくて……見た目通りの重さに戻っているんです」
不思議な話だ。倒れたのと関係あるんだろうとは思うけど、原因がわからないのは少し不安になる。
でも、マリアさんにもわからないとなると、今は見守るしかないのかもしれない。
マーシャを寝かせたベッドの方から小さなか細い声が聞こえてきたのは、その時だ。
「……姉さん……」
「ここにいるよ!」
すぐさま、ミリアちゃんが応じた。
マーシャの言う『姉さん』が誰のことかは、少なくとも三人は候補がいるから俺にはよくわからないけど、ミリアちゃんが応じるのは間違ってはいない。
「……ここは……私は……」
「あたしと話してたら急に倒れたんだよっ! でも、目が覚めたならよかったね! どこか痛いところはない? ちからが入らない? 熱はどうかなっ?」
呆然とした様子で呟くマーシャに、ミリアちゃんが一気に問いかけた。マーシャは表情をほとんど動かさずに視線だけを周囲に向けて、俺やマリアさんの顔を見た。
「ご心配を……おかけしました……もうだいじょうぶ、です……」
言って起き上がろうとするマーシャを、今度はマリアさんが手を伸ばして止めた。
「無理をしてはいけません。しばらく休んでいるべきです」
マーシャは不服そうな顔でマリアさんを見詰めている。マリアさんもマーシャの視線を受け止めて、それでも「ダメです」と付け加えた。
……と、マーシャの視線が俺に向いた。
「リオンさんも、同じ意見ですか」
いきなりそう言われても、俺は病気に関して特に詳しくはない。こういう時の処置はマリアさんが専門だ。
でも……うん。事情はわかる。
「俺も、マーシャは無理せず休んだ方がいいと思うよ」
「わかりました。少し……休みます」
俺の言葉に、マーシャはほとんど即座に返事をした。
マリアさんの指示が正しいのはマーシャも理解してるけど、ついさっきけんかした仲だから素直には聞けない……というところだったんだろう。
「あとで念のため、ステラちゃんにも診てもらいましょう」
続いたマリアさんの言葉には、もうマーシャは返事をせず、目を閉じてしまった。
*
その後しばらくしてからステラさんによる魔法的な検査があったけど、そこでも特に異常らしい異常は確認できず、単に疲れが出ただけだろうということになった。
休んでいるマーシャの邪魔にならないように、集まったみんなは二階の談話室にいる。マリアさんたちの部屋のすぐ隣だけど、同じ部屋で騒いでいるよりはマシだろう。
かなり広々した部屋で、北側は透明度の高いガラスの窓。通して見える空はまだ明るいけど、気持ちの方はなかなか、空と同じようには晴れていない。
「きっと、私のせいです……よくできる子だからと、無理をさせすぎたのかも」
そう言ってうなだれているのは、もちろん、マリアさん。
「マーシャの疲れは、マリアのせいではない。本人が望んで多くの挑戦をしていた」
「今後は気を付けるようにしましょう。俺も注意して見ておきます」
ステラさんと俺でそう声をかけて、マリアさんを落ち着かせた。
事情を聞いて集まってきた他のみんなも、少なくとも今後しばらく、マーシャの様子に異変があればすぐ知らせてもらうようお願いして、館にいる全員が納得した。
「心配ですよね。今朝は元気そうに見えたのに、急に倒れるなんて」
ユリアが呟いた。今も
「あの子は、私にとっても妹みたいなものなんですよ。ほら、私ってマリア、ミリア、ユリアの三姉妹だったじゃないですか」
……そういえばミリアちゃんがそんなことを言ってたな。
「なので今は四姉妹なんです。本気で心配してますよ?」
その四人の中でユリアだけは明確に血縁関係がないけど、姉妹のように仲がいいというだけの話だから細かい指摘をする必要はないだろう。
「でも、本当にただの疲れなのかな?」
首を傾げたのはクレール。
「僕がもしかしたらって思うのは、異界から来たマーシャはこの世界にまだうまく適応できてないんじゃないかってこと。リオンなんか、僕が最初に見つけた時は自分の名前以外はぜんぜん覚えてなかったしさ。マーシャにもそういうのがあるんじゃない?」
それは、確かに考慮に入れるべきかもしれない。
俺やステラさんがそのことについて考えを巡らせ始めたところに、クレールは「僕はねえ、こう見えても結構時間をかけて準備をしてから来たんだよ」と付け加えた。確かクレールのお父さんである〈
「でも、あのとき俺の記憶がなかったのは、ルイさんが持ってた魔杯に力を奪われたのが原因だったような」
クレールはわかっていると思うけど、そのことは一応改めて言っておきたい。
一方、マーシャにはそういうトラブルはなかった。偉大なる魔術師を名乗る黒猫、デュークの用意した扉を通ってこの世界に来た。どこからも誰からも特に妨害はなかった。そうだったはずだ。
でも……確かに、何かひっかかる。
思い返してみると、マーシャは本来なら自分がもともといた世界に戻ることになっていた。デュークも、マーシャのためにもうひとつ扉を開いていたはずだ。それなのにマーシャは、俺やデュークと一緒にこっちの世界に繋がる扉へ飛び込んだ。
クレールの言うように、何か準備が足りなかったというのはあるかもしれない。でも、それならそうとデュークが言うような気も……いや、うーん。そういえば、肝心なところであまりあてにならないやつではある……。
と、そんなことを考えていた時だ。
「キシャーーーーーーーーッ!」
獣の威嚇が聞こえた。廊下の方だ。続けて、ばたばたと走り回る音。
「ええい、どこから現れたこの毛玉ネズミ! 私はここのライオン君に用があって来たのだ! おとなしく通さないとパイ生地に練り込んで食ってしまうぞ!」
聞き覚えのある声。
慌てて廊下に出ると、そこには両手を広げて立ち塞がるスペースハムスターのハスターと……
〈偉大なる魔術師〉デュークがいた。