廊下で睨み合う二人……あるいは、二匹。
スペースハムスターのハスターと、〈偉大なる魔術師〉を自称する黒猫のデューク。
「どうしたの、デューク。そんなに慌てて」
「どうもこうもない! 私はライオン君に用事があると言ったのに、このネズ公がいきなり噛みついてきたのだ! 私を怒らせていいのか? 使うぞ極大爆裂呪文を! 相手は死ぬ!」
杖を振り上げてよくわからないことをわめく猫のデュークと、今にも必殺の前歯攻撃を放とうと身屈めて構えるハスター。絵本の中で小動物同士がするような光景だけど、この二人にやらせると周囲にどんな被害があるかわからない。
「ハスター、デュークは敵じゃないから」
「きゅいきゅい!」
俺が止めようとしたらハスターはそう返事をしたけど、何と言っているかはわからない。これにはデュークが反応した。
「はあぁーっ? 何を言うかと思えば、所詮ネズ公はネズ公だな! 私は偉大なる魔術師だぞ! ネズ公から木の実なんぞ盗むわけなかろう! どうせそのへんに埋めたのを忘れてるのだ、ネズ頭が! 木の根でもかじってろ!」
一気に言いつのって、デュークはフゥフゥと荒い息を吐いた。
それを聞いたハスターにはもはや反論の言葉はないらしく、フンッと鼻を鳴らして手すりを乗り越え、吹き抜けから下の階へと飛び降りていった。
「酷い目に遭った」
デュークは杖を持っていない方の手で灰色のローブの乱れを直してから、猫らしく顔を洗った。
「……それで、何か用があったんじゃないの」
「そうだった!」
ようやく毛繕いを中断して、デュークが顔を上げた。
「オホン。ライオン君と、マリア君に話があって来た。マリア君はどこに?」
名前を呼ばれて、マリアさんが進み出た。その姿を見たデュークは一瞬、怪訝な顔をして、ピンと尖った耳をひくつかせた。
「ああ、いや、失敬。小さい方のマリア君だ」
となれば、マーシャのことだ。デュークはマーシャの頼みを受けて、異界にいる姉のミリアさんに手紙を届けに行った。その件だろう。
「今はちょっと具合が悪そうで休んでる。しばらく待ってくれる?」
俺がそう言うと、デュークはごく小さな声で「やはりそういうことか」と呟いた。
やはりって、何のことだ?
「……ならば、まずはライオン君と大きい方のマリア君に話をしたい。他の者のいないところへ行こう」
そのデュークの態度で、何やら良くない話らしいってことは、察することができた。他のみんなに聞かれないようにしたいというからには、よほどのことなんだろう。
要望通り、談話室からも近い俺の部屋へ移動して、三人で丸テーブルを囲んだ。
「失念していた」
と、デュークが切り出した。
「マリア君はまだ迷い人だったのだ。可能性の世界からこちらへ来てしまったが、オホン、ライオン君はあの時、ペネロペ君がどうなったか覚えているかね」
「あの時?」
始まりは、意識を失って魔女の店に寝かされていたペネロペに触れたことだ。気付くと俺もペネロペが迷い込んだのと同じ可能性の世界にいて、そこを進む内に、マーシャやデュークと合流した。いろいろあったけど、ともかく出口までたどり着いて、そして、それぞれの世界に帰れるってことになった。俺とデュークとペネロペはこの世界に、マーシャも自分が元々いた世界に帰ることになっていた。だけど結局、マーシャもこっちに来ることになった。
その一連の出来事の、どの時のことを言っているんだろう。
「あの世界からここへ戻ってきた時だ」
デュークの返事を聞いて、その時のことを思い出す。
本来ならこっちに来るはずじゃなかったマーシャが一緒にいて、それと……
「ペネロペがどうなったか、だったね。確か、同じ扉をくぐって一緒に戻ってきたはずだったけど、ペネロペはいなくなってて、それは魔女の店に眠っていた身体に戻っていたからで……あ!」
俺がここまで話すと、デュークは重々しく頷いた。
マーシャは悪夢の霧で異界に迷い込んだと言っていた。それはペネロペと同じ。
ある程度自由に行き来できるらしいデュークや、おそらく〈安定をもたらす者〉としてのちからで身体ごと迷い込んだ俺とは、違って――。
「私は彼女からの手紙を彼女の姉に届けるためにあちらへと渡り、そして、マリア君の肉体がそこで眠っているのを見た。私は全てを悟った。彼女はまだ可能性の世界に囚われたままの、精神に属する存在なのだ、と。……おそらく、もうすぐ肉体と精神の縁が切れる」
縁、というのは前にも聞いたな。元々いた世界との間には縁……特別な繋がりがあると言っていた。肉体と精神についても、そういう繋がりがあるってことか。
「縁が切れると、どうなるんですか……?」
マリアさんが、おそるおそる訊ねた。
確か、元々いた世界との繋がりが切れると、帰り道が見つけられなくなって、帰れなくなると言っていた。
それが、肉体と精神の関係において起きた場合は……
「死ぬ」
デュークの返答は、実に簡潔で、重かった。
*
他のみんなも話を聞きたそうだったけど、まずはマーシャに聞いてもらうまでは言えない、と告げるとおとなしく引き下がった。ただ、マリアさんの表情を見れば楽しい話でないのは明らかだっただろう。
マーシャの不調と一時的な重さの変化も、デュークに言わせれば、存在が不安定になっている証拠で、縁が切れる前兆らしい。マリアさんの顔に不安が出てしまうのは、無理もない。
夜になって目を覚ましたマーシャに、さっきと同じ話をした。
マーシャはそれを蒼白になった顔で聞いて、しばらくは何も言えなかった。
「……ここに、戻ってこられるんですよね……?」
ともかく一度戻って体調を整える――デュークに言わせると「存在を安定させる」必要がある、という説明があって、長い黙考の後でマーシャが発した問いがそれだ。
訊ねられたデュークは、重々しく頷いた。
「偉大なる魔術師である私がいれば、戻れる」
それなら、そんなに深刻なことではないのかもしれない。俺は少し安心したし、マーシャとマリアさんの様子も、そうだった。
「が、多少問題がある」
「問題?」
「オホン。異界神の眷属たちがこの世界に近付くものを見張っているのだ。理由は知らないがね。私も散々追い回されたが、ようやく撒いてここに来た。マリア君を連れて同じことをやるのは、いくら私が偉大なる魔術師でもなかなかに厳しいものとなろう」
……つまり「いずれは戻ってこられるだろうけど、すぐではない」ということだ。
でも、その原因が異界からの監視……というのは。
何だか、最近の出来事と繋がる気がするな。
「スレイダーさんやガルナシリアさんが何かを探してるみたいだった。確か、エセリアルハート、ってものがこのあたりにあるらしいって。そのせいかな」
俺の言葉を聞いて、デュークの顔色が変わった。
「エセリアルハート! それが本当ならとんでもないことだ。手中にすればあらゆる願いが叶うという代物だ。警戒が厳重なのはそのせいに違いない」
ガルナシリアさんはそれを、特大の
「その騒動が収まるまではこの世界に戻ってくることはできないと心得たまえ」
「いつ頃まで、かかるんですか……?」
マーシャが訊ねると、デュークは目を閉じ、耳を寝かせた。
「とんと見当がつかぬ」
返事自体はいつもの、肝心な時にいまいち役に立たないデュークのものだ。
だけど何しろ異世界の神々同士の戦いに発展するかもしれない事態だから、これはデュークを責めるわけにもいかないだろう。
ここから出て行くことはできても、戻ってくることはできない。
それを嫌がってこのまま滞在していても、そう遠くないうちに縁が切れて、デュークの言う通りなら、……死ぬ。
理性的に考えれば、選択肢は無いと言っていいだろう。
それでも、マーシャはまだ黙ってうつむいている。
マーシャはこのままこっちにいるつもりだったし、まだここでやり残したことが多いのかもしれない。それを今すぐに帰ろうと言われても、準備も何もない。
でもそこに、デュークが諭すように言った。
「姉のミリア君も心配していたぞ」
それはマーシャにとって無視できない言葉だったようだ。
「……わかりました」
やがて、マーシャは頷いた。
「でも、もう少しだけ……待ってください。あと一日だけ……」
懇願するように言うマーシャに、でも、デュークは同意しなかった。
「早い方がいい。でなければ――」
「デューク。……マーシャもわかってる」
改めて危険性を説明しようとするデュークを、俺は止めた。
マーシャは頭のいい子だ。帰るしかないことは理解してるはず。あとはそれを納得できるかどうかで、そのために、もう少しだけ時間を必要としている。
そのくらいは、何とかしてあげたい。
俺とマーシャからの訴えに、デュークは大きな溜息で応じた。
「一日だけだぞ。明日の日没までだ。ゲートの再計算が必要になると、本当に間に合わなくなるかもしれないからな。また倒れるようなら、それが日没より前でも、私はそのままの君を勝手に連れて行く。それでもいいな?」
デュークの確認に、マーシャは強い視線を向けて「はい」と頷いた。