館に戻ると、正門を入ってすぐのところでデュークが憤慨していた。
「私がこんな大荷物を持てるはずがないだろう! 花を鉢ごと持たせようとするな! 減らせ!」
「んっんー! でもこれは二人で水をあげてたお花なんだよっ! だからマーシャも持っていきたいはずだねっ!」
口論の相手はミリアちゃんらしい。ミリアちゃんの気持ちもわかるけど、確かにこの量の荷物を猫のデュークが苦もなく運べるとは思えない。
「おお、マリア君。この荷物の山を見たまえ。皆が君を気にかけているのは喜ばしいことだな。しかし、オホン、この袋に入るだけの量に減らして、残りはお断りしてくれ!」
デュークからそう頼まれたマーシャは、苦笑しながらお土産の山に近付いていった。
テーブルの上の物だけでもそこそこの量なのに、その下を見れば樽も置かれてる。聞こえてくる会話によると、中身は温泉水らしい。徒歩での旅にこれを抱えていくのはなかなか難儀だろう。持っていくのがマーシャじゃなくてデュークだからって、みんな遠慮がなさすぎだ。
「うわっ、すごい量ですね」
俺たちに後れて館に戻ってきたユリアが、積まれた荷物を見て目を丸くした。
「これも持っていって欲しいんですけどー……まだいけます? 大丈夫そう?」
そう言うユリアの手には、紐で綴じられた紙の束。
「それは?」
「確か、薬草学の本から一部を抜粋して写したものだって」
そう聞いて、ユリアと薬草学ってあまり繋がらないなと思ったけど……
魔女の店に向かったマリアさんの付き添いを頼んでいたんだった。この紙束はマリアさんが筆写したものなんだろう。薬草学の本に関しては館の書庫よりも魔女の店の方が体系的に揃ってる。それで朝早くから魔女の店に行ってたのか、と納得した。
でもそれにしては、肝心のマリアさんの姿が見えない。
「どこにいるんですか?」
俺たちのやりとりに反応したマーシャが、荷物の仕分けを中断してまで駆け寄ってきて、ユリアに詰め寄った。
かなり端折った言葉だったけど、俺が思ったことと同じ。ユリアにも十分伝わっただろう。
俺とマーシャに視線を向けられると、ユリアは肩をすくめた。
「それが、そのー……合わせる顔がないって言って」
それを聞いたマーシャが、きっ、と正門の方へ視線を向けたから、俺もつられてそうした。
正門の、柱のそば。
柱に隠れていてその姿を直接見ることはできないけど、いる。少し西に傾いた太陽が、そこにいる誰かの影を地面に落としている。
マーシャが駆けだして、俺も後を追った。
隠れていた誰かが少しだけ顔を覗かせて、たぶん駆け寄ってくる俺たちに気付いたんだろう。慌てて引っ込んだけど、もう遅い。
「……どうして隠れてるんですか?」
マーシャが、その場にしゃがみ込んでいたマリアさんを見下ろして、そう言った。
そう。そこにいたのはマリアさんだ。
「どんな顔をすればいいかわからないから、いっそもう、会わない方がいいと……」
マリアさんは頭を抱えていたけど、やがて、おそるおそる顔を上げた。
「怒っていますか……?」
「当たり前です」
ぴしゃりと言われて、マリアさんは余計に縮こまってしまった。それでももう逃れられないと観念したらしい。大きく深呼吸をして、マーシャに向き直った。
「ごめんなさい。やっぱり昨日は、きつく言い過ぎてしまって……」
「そういうことじゃありません!」
さっきよりもさらに強い口調で、マーシャは怒鳴った。
「マーシャ、落ち着いて」
俺が声をかけると、マーシャも一度、深呼吸をした。
「……私が怒っているのは、あなたが自分を悪く言うからです。さっきの謝り方だってそう。どうして?」
少しは落ち着いても、マリアさんを問いただす口調はまだ厳しい。
マーシャのその指摘は、俺も内心は思っていたことだ。ただ、それも個性だから、俺としてはその性格を変えたいとまでは思っていなかった。
マーシャは『自分』のことだから、気になってしまうのか。
「だって……事実だから、仕方ないんです……」
マリアさんが、また俯いた。
「あなたには、何度も、偉そうなことを言いましたけど……それは、あなたが私の幼い頃にそっくりで、だから、あなたより年上の、成長した私は、きっとあなたよりも何でも上手くやれてるはずだって、思って……」
少しずつ溢れてくる言葉を、マーシャは黙って聞いている。
どうも、俺が口を挟める様子じゃない。ユリアに至っては、半歩くらいは関わってたはずなのに、ただならぬ雰囲気を察したのか離れたところからちらちらと視線を送ってくるだけだ……。
「でも、でも……」
マリアさんの声が、揺れた。
「だめだった。私が無くしたものを持っているあなたを見ていたら。できなかったこと、やりたかったことを、できるようになっていくあなたを見ていたら。だんだん……胸の奥から、黒い感情が溢れてきて……苦しく、なって……」
その両手は、胸の真ん中に添えられている。胸から溢れ出てくるものを止めようとするかのように。
「あなたさえ……」
口からは、呻きが漏れた。
「あなたさえいなければ……私は、この気持ちに気付かずにいられたのに……!」
マーシャに過去の自分を重ねて、自分と同じ後悔はしてほしくないという思いと……
自分ができなかったことをできるようになっていくことへの、嫉妬や羨望。
どっちも、本当のことなんだろう。
そして、マリアさんにとってマーシャは『自分』だったから、比べずにはいられなかった。
俺は、デュークが可能性の世界で言っていたことを思い出した。
可能性は、完全に夢であるよりも手が届きそうに見えるのが厄介で、それ故に多くの人間が囚われている……。
「この際だから、正直に言います」
マリアさんの目の前にしゃがみ込んで、マーシャが口を開いた。
「私も、羨ましかった。……あなたは、私が欲しいものを、今の私じゃ手が届かないものを、たくさん持ってる。なのに、自分は何も持っていないみたいに言うから、だから……腹が立ちました」
そこまで言ってから、マーシャは右手の指を揃えて挙げた。それでマリアさんの頬を平手打ち――とはならず、その手はマリアさんの頭の上にそっと置かれた。
「……お互いに、ない物ねだりをしていただけだったのかもしれないね」
マーシャは、まだうなだれたままのマリアさんを抱きしめた。
そして、優しい声で、囁くように言った。
「ねえ。あなたが無くしたと思っているもの、もう一度、よく探してみて。私にはわかるの。それは心の奥の方で眠っているだけで、誰かが起こしてくれるのを、待ってる。今でも……絶対に、無くしてなんかいない」
マリアさんは泣くのを堪えているけど、目の端はもう濡れている。
喘ぐように開いた口が、言葉にならない声を発した。
「マーシャ」
そう相手の名前を呼んだマーシャは、マリアさんをその小さな身体で強く抱きしめ、その背をさすった。
マリアさんの両手が、何かを求めるように伸び、さまよう。
「自分を信じて」
マーシャが、マリアさんを……もう一人の自分を、励ました。
「だってあなたは――私がなりたかった大人に、なれているから」
マーシャを強く抱きしめ返して、マリアさんは泣いた。
*
一方、みんなはデュークと口論を続けていた。
「ええい、服を詰め込もうとするな! 向こうでも手に入るだろうが! オホンオホン! そっちの包みはなんだ!」
訊かれて答えたのはクレール。
「今朝とれた魚を親方がくれたから、ステラの魔術で凍らせておいたんだよ。脂がのってておいしいらしいんだー」
「ヨシ! それは私がもらっておこう!」
「ダメー!」
……結局、荷物はあんまり減ってない気がするな。
「えと……お気持ちだけ、いただいていきます……」
マーシャは結局、マリアさんが用意してくれた薬草学の本の写しと、こっちで買ったリュート、それとニーナが作ってくれたお菓子を少し……というくらいだけを選んで、デュークに託した。
「その紙にも、書いておきましたけど……」
みんなの前に姿を現す前にどうにか落ち着きを取り戻したマリアさんが、付け加えた。
「こちらでは、母が持っていた特許の使用料が〈
そういえばそんな話もあった。かなり大きな額だったと言っていたし、あれば助かるだろうな。
「オホン。そろそろ刻限だ。行こうか」
やがてデュークがそう言う頃には、日が傾き、空には赤みが増してきていた。
……旅立ちの時だ。
「これ以上いると、離れたくなくなってしまいますね」
デュークの催促に、マーシャは笑って答えた。
旅立ちの門は、この偉大なる魔術師が杖をひと振りすると地面に落ちた影から立ち上がってきた。境界の向こうは、様々な色に輝くもやが見えるだけで、景色らしい景色はない。だけど、可能性の世界の出口もこんな感じだった。心配ないだろう。
マーシャは、集まったみんなの方へ向き直り、微笑んで軽く手を振った。
そして最後に――
「リオンさん」
俺の目の前へとやってきて、マーシャは……俺に軽く抱きついてきた。でもそれはほんの一瞬。すぐに体を離し、少し赤らんだ頬を緩ませて、マーシャは俺を見上げた。
「お世話になりました。……いってきます」
「うん。気を付けて」
ごく簡単な言葉を交わして、マーシャはくるりと背を向けた。
「また来てね! 待ってるからね!」
その背にミリアちゃんが声をかけると、マーシャは最後にもう一度だけ振り返った。
笑顔だ。
次に会えるのがいつになるかはまだわからないけど……
マーシャのことを想う時には、みんなきっと、この笑顔を思い出せるだろう。