聖母の包丁ができた翌日。
朝食の席でニーナから、その包丁を今日の夕食の準備に使うつもりだと発表されて、みんなの期待は高まっている。
朝や昼からじゃだめなのかと訊ねたら「マリアさんがいないから、みんな集まってる食事で初披露したい」と言われた。なるほどね。そのことはナタリーがマリアさんに伝えてきてくれることになった。
どんな夕食になるんだろう。
普段なら俺も夕食の準備を少し手伝ったりするけど、今日はニーナが一人でやると言うので任せることになった。だから、いったい何を作るつもりなのか、全容はニーナにしかわからない。
ちなみに、さっき台所を覗きに行ったナタリーからは、肉が使われていることが報告された。
「どんな料理なんだろうね」
クレールの呟きに、ナタリーが追加の情報を提供する。
「特級いい匂いがしてたです!」
「いい匂いがするって、ニーナの料理はだいたい全部そうじゃないかな?」
それはまあ、確かにそうだ。ほとんどいつもそうだ。つまり、参考にならない。
まあいいけどね。完成すればわかることだ。
「おそらく、非常に美味であるはず」
「ですです!」
期待をたっぷり込めたステラさんの言葉に、ナタリーが強く同意した。
それからしばらくして。
「夕食できたから、みんなに声かけてくれる? ……って、もうみんないたんだ」
台所から食堂を覗き込んだニーナが、驚いていた。
ニーナが言ったとおり、すでにみんな食堂に集まっている。それだけ、今日の夕食を楽しみにしていたわけだ。
みんなを代表して、クレールがニーナに訊ねる。
「今回は聖母の包丁を使ったんだよね?」
「その名前は確定なの? まあ、うん。使ったよ。切れ味すごすぎて、慣れるまで少しかかるかなって思うけどね」
切れ味がすごいと聞いて、マリアさんとミリアちゃんが「へぇー」と声を上げた。二人は聖母の包丁ができてすぐの時はその場にいなかったから、まだその包丁の切れ味は見てない。見たら驚くかもしれないな。
「それで今日の夕食は何ですかっ?」
ナタリーは包丁のことより献立が気になるみたいだ。肉が使われてるらしいから、なおさらだろう。
「牛肉と茸の赤ワイン煮と、野菜とベーコンのスープ、それとトースト」
「おにく! おにくは特級好きです! ベーコンもです!」
ナタリーの主張は聞き慣れたものだったから、みんな「はいはい」と苦笑で済ませた。でも、夕食を楽しみにしてるのはみんな同じ。
ニーナの指名を受けた俺が配膳の手伝いをして、ほどなく、夕食がテーブルに並んだ。
いい匂いが食堂いっぱいに立ちこめて、それだけでもう、腹が「早く食べさせろ」とうるさい。みんなも同じ気持ちみたいだけど、特にナタリーは今にも食いつきそうで、すぐに自分を抑えきれなくなりそうな気配を漂わせてる。
みんなで、少し端折り気味に食前の祈りをしてから、食べ始め。
赤ワインで煮込んだというだけあって、少しとろみのある煮汁は濃い赤茶色。肉はどこの部位かはわからないけど、ごろっと大きめに切ったものが入っていて、見た目には固そうに見えた。
でも、スプーンを差し入れると肉は簡単にほぐれた。口に入れると、見た目ほどには濃厚な味ではなくて、ふわっと染み込んでくるような味。
故郷にいた頃、母さんが作ってくれた料理を思い出すな……。
「やっぱりニーナの作る料理はおいしー」
「ですです!」
みんなも「おいしい、おいしい」と食べていて、その様子を見たニーナも嬉しそうにしている。
ただ……。
気のせいか、ステラさんだけ少し、なにやら浮かない顔をしているような。ステラさんの表情はわかりにくいけど、他のみんなほどは食が進んでいないように感じる……いや、うーん。ステラさんの食が細いのは元々かな、とも思うけど。
「おかわりが欲しいです!」
「はいはい」
食べまくっているのはナタリー。こっちは完全にいつものことだけどね。
魔剣化が成功したお祝い気分もあって、夕食はおおむね賑やかに終わった。
食後のお茶と雑談も一区切りして、それぞれ後片付けにお風呂にと食堂を出て行く中……
ステラさんだけが、自分の席でまだお茶を飲んでいた。
やっぱり、何か様子がおかしい気がする。
考えられるのは……魔剣化のことしかないよな、やっぱり。
もしかすると、魔剣化の費用のことで何かあったかな。ステラさんに、実際にかかった費用をまとめておいて欲しいと頼んでおいたんだけど、それが思いの外、悪い結果だったのかもしれない。
まあ、覚悟して聞くしかないな。
「ステラさん」
声をかけると、ステラさんは肩をびくっと震わせた。
ステラさんがこんなにわかりやすく驚くのは珍しいな。
「何か悩み事ですか。例えば、その……魔剣化のこととか」
元々、安く済むとは思ってなかったけど、さて、どうなったのか。
「……魔剣化……」
ステラさんが心ここにあらずといった様子で呟いた。
そして、うつむいてしまった。
「ステラさん?」
心配になって声をかけると、ステラさんはうつむいたまま、ぼそぼそと……
妙なことを言った。
「ニーナに謝らなければならない」
「謝る? どうして」
訊ねるけど、ステラさんは両手で持ったティーカップを見つめたまま、無言。
「ニーナなら、まだ台所にいると思いますけど、呼んできますか?」
そう言ってもステラさんは無言のまま。
どうしたものかな。
そもそも……ステラさんとニーナ。二人の間に、何があったんだろうか。
俺には心当たりはなくて、どう言うべきか考えがまとまらない。
「……いい。こちらから行く」
と、ステラさんが言った。
「一緒に来て欲しい。……私一人だと不安」
そんな風に不安を訴えるのは、ステラさんには珍しい。だから、俺も力になりたいとは思うんだけど。
本当に、何があったんだ。
ニーナは台所で後片付けをしていた。いつもなら誰かしら手伝っているんだけど、今日はそれも含めて一人でやりたいとニーナが言ってたから、任せている。
もしかしてそれも、ステラさんとの不仲が原因だった? そんな風には見えなかったけど、俺もみんなのことを何でも全部知ってるわけじゃないからな……。
話してみないとわからないか。
「ニーナ、ちょっといい? ステラさんが話したいことがあるって」
「ん? うん、私はいいけど……どうかした?」
片付けの手を止めて、ニーナが返事。ニーナの方はこれといって怒っている様子もない。さっきの夕食の時も、そんな感じは全然なかったし。
だから、俺としてはいよいよ何が何だかわからない。
「……ニーナに謝らねばならない」
意を決したのか、ステラさんが話を切り出した。
「何のこと?」
「聖母の包丁」
「?」
ニーナは俺に視線を向けてくるけど、俺にもよくわからないので首をひねるしかない。
「聖母の包丁のことを、謝りたい」
ステラさんが、そう繰り返した。
「そこはわかったけど、どういうこと? 私には心当たりないけど……あ、もしかして名前のこと? 確かに、聖母の包丁は大袈裟かなって思うけど」
なるほど、そのことか?
……と思ったけど、ステラさんの様子を見るに、どうもハズレらしい。
ニーナと顔を見合わせて、どうしたものかと思っていると、ようやく、ステラさんが続けた。
「今回の魔剣化。……ニーナに魔剣化した包丁を渡せば喜ぶと思った。今思えば浅はかだった」
でも、やっぱり論点がはっきりしない。
浅はか……? 何がだろう。何のことだ?
「うーん? いまいちよくわからないけど……」
ニーナも困惑したままだ。
最終的についた名前はともかく、包丁の魔剣化自体はちゃんと成功もしたし、ニーナも喜んでると思うんだけど。
さっき食べた夕食も美味しかったし。
「……今日の夕食。非常に美味だった」
俺が思ったのと全く同じ事を、ステラさんが言った。
あれ。でも、だったらなぜ?
「あ、うん。ありがとう」
ニーナはそう反応したけど、俺と同じで、ステラさんの話の脈絡はよくわかっていない様子だ。
「だが……正直に言うと……」
「うん」
ひとつ頷いて続きを待つニーナを前に、ステラさんはたっぷり十呼吸ほども躊躇してから、ようやく言葉を絞り出した。
「正直に言うと、今日の夕食も『いつも通りに』美味だった。……聖母の包丁を使えば、より一層の美味になると思っていた」
「んー……まあ、やってることはいつもと同じだから、それはそうなんじゃないかな?」
ステラさんの言葉に、ニーナはそう返した。
でも、なるほど。ここまで言われれば、俺にもなんとなくわかる。
つまり、あえて悪い言い方をすれば、ステラさんにとって今日の夕食は……
『期待したほどではなかった』
……ということだ。
ただそれだけなら、わざわざ謝るほどのことじゃない……と思う。誰だって、そう思ったりするくらいのことはあるはず。
でも、ステラさんがそれを謝りたいと言うのは……
魔剣化したのが原因だと思ってるから、か。
「身勝手な失望をした。そして思い至った」
ステラさんはまるで懺悔するかのように、静かに言葉を続けた。
「今後、ニーナが聖母の包丁を使って料理をすると知った者は、私と同じように期待をして、同じように失望するかもしれない。そして、ニーナの料理を美味だと評価しながらも、聖母の包丁あってこその美味であろう、聖母の包丁がなければ凡庸なものに違いないと、不適切な評価をするかもしれない。私は自分の興味と楽しみを優先して、浅はかなことをしたと……後悔の念を抱いた。同時に、ニーナに対して申し訳ないという思いが強くなった」
俯いたままそこまで一気に言い切ってから、ステラさんは顔を上げた。
そして、ニーナの顔をじっと見つめた後で、
「ゆえに、謝りたい」
そう言って、頭を下げた。
――自分のせいで、ニーナが正当に評価されないかもしれない。
ステラさんはそう考えているわけだ。
でも、それだったら、俺も同じ。
「魔剣化の話が出た時に、包丁にしたらいいんじゃないかって提案したのは俺だ。ステラさんが謝らなくちゃいけないなら、俺も同罪だと思う。だから、一緒に謝るよ」
その気持ちは本当だ。
でも、その前に確かめなくちゃいけないことが残ってる。
「ニーナが、魔剣化しなければ良かったと思ってるなら、だけど」
するとニーナは「ふむ……」と腕組みをした。
……俺がこれまで見た感じだと、ニーナは特に怒ってはいない。
そう期待していながらの俺の行動は、あんまり褒められたものじゃないかもしれないけど。
ちゃんと当事者として首を突っ込むなら、もうここしかなかった。
もしニーナが本当に怒っているんだったら、俺もステラさんと一緒に怒られよう。その責任があるはずだ。
「じゃあね、私も正直に言わせてもらうけど」
「……うん」
ニーナが口を開いたから俺は、そしてきっとステラさんも、まな板の上で捌かれるのを待つ魚の心持ちで、続く言葉を待った。
「この包丁、すっごいよく切れるよ。前なら『えいっ』て切ってたものが、もう、刃を当てただけでスパッと切れちゃうの。ほら、このパンの切り口、角がきれいでしょ? 前はこれちょっと潰れちゃってたんだよね。ここまで切れ味がいいなら、気を付けて使わないとちょっと危ないかなーって、それは思う。何か、まな板まで一緒に切れちゃいそうな感じ」
「使いにくくなったということか?」
「まだ慣れてないから、ある部分では、そうだね」
魔剣化は、予想以上の効果だったと思う。ニーナほど普段から包丁の扱いに慣れていても、それでも気を遣うというほどの切れ味になったわけだし。
鋭すぎるから逆に使いにくい、か。
古王国の人たちもそうだったのかな。だから、魔包丁はあんまり作られなかったのかも。
「申し訳なく思う」
ステラさんが呟く。俺も……と思ったら、ニーナが止めた。
「そんなこと思う必要ないよ。しばらく使ってたら慣れてくると思うし」
慣れの問題なのか。
「今はまだ戸惑いもあるけど、この切れ味でないとできない料理もきっとあると思うんだよね。腕が道具に負けないように、まだまだ修行かなーって感じ。だから、うん。今日の料理を『いつも通りに』美味しいと思ってくれたなら――」
ニーナは聖母の包丁に手を添えてから……
「――この包丁に慣れたら私、もっとすごいの作るよ?」
そう言って、俺とステラさんに笑いかけた。
「そうなのか」
「そうだよ。だからね……」
なおも不安げな様子で顔を上げたステラさんに、ニーナは頷く。
「お母さんの包丁、長く使えるようにしてくれて、ありがとう。大事に使うからね」
ニーナの笑顔からは嘘を言っている感じは全くなくて、その言葉はきっと、本心。
「うん……」
料理の味がそう劇的に変わったわけではなくても、包丁を魔剣化したことは、ニーナも喜んでる。それが確かにわかって、ステラさんもようやく納得したみたいだ。
これで、本当に一件落着。
――っと、費用の話が残ってたな。
事前の予想通り、古王国時代の魔剣を買った方が安上がり、という結果になった。いや、それどころか、ちょっとびっくりするような値段になってしまっていたから、やっぱりこれは自己満足、道楽、趣味……まあ、そんな感じ。村の産業にはできそうもない。
もう次はないんじゃないかな。
今度こそ銘入りの魔剣が作れる、ってことにならない限りは、だけど。