穏やかな日差しを受けながら、俺たちの乗る馬車は街道を進む。
神託の霊峰で助言を受けてからすでに二晩を明かした。
あれ以来、今のところだけど、誰とも何とも戦ってはいない。
天駆の街道みたいな人通りの多い道を駅馬車に乗って旅する分には、危険な魔獣と遭遇することもほとんどない。そうだからこそ、街道が通っているわけだし。
さっきの荒水の町で駅馬車の旅は終わり。預けていた自前の馬車と馬を引き取って、ついでにと頼まれていた買い物も済ませて、天駆の街道を離れ南への街道に乗った。
この調子なら、特に波乱もなく、もうすぐ館に帰り着けるだろう。
「いい天気だねー。もう冬の終わりも近くなってきたって感じがするなー」
クレールは荷台に寝転んで、気楽にそんなことを言っている。
俺は御者台で馬の手綱を取っている。確かに日差しは暖かだけど、この位置だと冷たい風を受けるからまだ結構寒い。
「んー、うまいっ」
「うまいって何が? ……あ」
「あ。見られた」
荷台を振り返ると、クレールは積荷の中にあったリンゴを食べているところだった。
「それ、ニーナに頼まれて買ったやつなんだけど」
確かそれでタルトやジャムを作ると言ってたような。
「箱いっぱいあるんだから、一個くらい大丈夫だよー。たぶん……」
そのままかじりついたせいで果汁が垂れたのを、クレールは舌でぺろりと舐め取った。
人によっては、色気の出るしぐさかもしれないけど……。
クレールがやるといかにも子供っぽい感じに見えるな。
「でも一個は食べきれないなあ。残りはリオンが食べてよ」
「えぇ……」
「ほらほらー。あーんってして」
そう言ってクレールは、食べかけのリンゴをこっちに近づけてきた。
「口開けたとして、入らないでしょ、その大きさは」
「……うまいことやったら入らないかな?」
「いや、無理だから。普通に渡してよ」
「わがままだなー、リオンは」
仕方なく、という感じで、クレールはリンゴを手渡してくれた。
今の、わがままだったのは俺の方なのかな。違うと思うんだけど。どうも釈然としない。
そんな気分を紛らわすために、半分よりちょっと少なくなっていた赤い実から、シャクッと一口頬張ると、甘酸っぱい味が口の中いっぱいに広がった。
「あ、うん。確かにこれはおいしい」
そう言ってから……ふと見ると、クレールが「してやったり」という顔をこっちに向けていた。
「んふ。これでリオンも共犯だね」
……そういう魂胆だったのか。
「仕方ない。ニーナには俺も一緒に謝るよ」
「そうしよう。ま、ニーナなら『別にいいよ』って言ってくれるって信じてるけどね」
それは、そうかもしれない。でもクレールにはこれまでに積み重ねた罪もあるから、いつか本気で怒られることもありそうな気がする。
まあ、それもたまにはいい薬になるかな。
クレールは貴族の生まれだからか、わりとわがままなところあるし。
「あー、オレンジもうまいなー」
荷台からのんきな声が聞こえた。
「……それもニーナに頼まれて買ったんだよ」
「どうせ謝るんだから、食べたのが一個でも二個でも大して変わんないよ」
「はぁ……」
クレールは実に美味しそうにオレンジを食べている。
どことなく小動物みたいだ。リスとか、あんな感じの。可愛いのは可愛い。女の子として可愛いかどうかは、また別の話ってことになるけど。
「んぐ」
突然、クレールが不穏な音を発した。
まさか喉に詰まらせたんじゃ……と思って荷台を振り返ると、さっきのオレンジを口いっぱいに頬張っているところだった……のは、ともかく。
前方を指さしている。何かに気付いたらしい。
そちらの方に目をやると……。
「ああ、ヘビか」
「ヘビか、じゃないよ! あの大きさを見てよ、リオン! あれはモンストラススネークっていう魔獣だよ!」
改めて見ると確かに大きい。豚くらいなら呑み込んでしまうだろう。でも人間や牛なら無理かな。まあ、その程度の大きさ。締め付け攻撃はあるけど、毒はない。
神託の霊峰の洞窟にはよくいるタイプの魔獣だけど、そういえばクレールとはあそこでは一緒に戦ったことがない。そんな名前だったのか。何度も倒したことがあるけど、名前までは気にしないから初めて知った。
「一匹だけみたいだし、別に怖がるような魔獣じゃないよ」
「え、そう?」
「でもこんな街道の近くにいると危ないのは確かだから、退治はしておこう」
「それがいいよね」
「あ」
「ん?」
ここまで話して気が付いた。
……戦っちゃいけないんだった。
俺やクレールにとってそんなに強い相手じゃないのは間違いない。何度も倒してきたから大体の強さはわかってる。見た感じ、何か特別な個体とも思えない。
でも、戦っちゃいけないとなると……。
「……というわけで、倒しておいてくれない?」
「あれ。リオンが魔剣で輪切りにするとかじゃないの?」
「いやあ……クレールの経験になるかと思って」
「ふーん? まあいいけど」
俺は馬の手綱を引いて馬車を停めた。周りは草原で見通しもいいし、相手は拾ってきた家畜か何かを呑み込もうとしてるとこみたいで、その場を動かない。魔法なら十分に射程距離内だろう。
クレールは荷台にすっと立ち上がって、お気に入りの
「それじゃー、いっくよー! えーい!」
杖が振り下ろされて、その動きに合わせるように、無数の氷柱がヘビの体を貫いた。攻撃されてもがくヘビはこっちに気付いたみたいだけど、でももう、その氷柱に動きを阻害されてこちらまでは近付いてこられない。
こういうところ、魔法攻撃は便利だと思う。
「確かに、そんなに強くないかも。これでとどめだーっ!」
渦巻く
「お見事」
俺が拍手しながらそう褒めると、クレールは両手を腰にあてて、得意げな顔。
「ふっふーん。さっすが僕だなー。……で、あれはどうするの?」
「冒険者の組合に討伐報告をしておけば、素材回収の人たちが来て片付けてくれるよ。そしたらその一割くらい、分け前がもらえる」
冒険者組合には、何でも屋の手伝いをやる時に叔父さんの勧めで登録した。悪竜を含む魔獣の討伐報酬で、俺も結構稼いだと思う。
「そっかー。そういうのやってるの、大迷宮みたいなとこだけかと思ってたけど、こんな平原でもやるんだねえ」
「街道沿いだからね。まあ、通りすがりの人や獣に取られて、儲けがないこともあるらしいけど」
「へぇー。大変だねー」
魔獣の素材、ちゃんと自分で取れるようになるともっと儲けがあるんだろうけど、持てる荷物の量も限界があるからなあ。
何でも屋ではそもそもそんなに魔獣と戦うつもりもなくて、素材回収の技術は学んでない。ちゃんと学んでいたら、かさばらなくて高価な部位だけ選んで取れたかもしれないけど。
今から学ぶか、専門の回収人を雇って……と、考えてみて。
そういえば、戦わないことにしたんだった。
と思い出した。魔獣を倒さないのに素材回収に悩んでも仕方ないな。
「ヘビって食べたら美味しいのかなー」
倒したヘビの近くを通るとき、クレールがそんなことを言った。
「他の肉だと、鶏肉みたいな味」
「……食べたことがある?」
「クレールはないんだね」
「……僕は、うん、ないよ……」
そうかー。そこは育った環境の違いなのかな。
といっても、特別に美味しいわけでもないし、他に食べるものがあるなら無理に食べることもないだろうとも思う。
「っと、ここか」
街道から、村の方への分かれ道。油断していると見落としそうな小さな道だ。
「ここ、何か目印が欲しいよね」
俺がそう言うと、クレールも「ね」と頷いた。
「普通に看板? それとも、何か建てよっか! リオンの像とか」
「それはやめて」
「んふ」
からかっているのか、本気なのか、微妙にわからない。正直、クレールなら俺の像を建てるくらいは本当にどうにかしてしまいそうな気がする。
「リオンの像は、広場の真ん中に建てたいって、親方が言ってたよ」
「親方が? それは止めないとな……」
親方は村の指導者……というか、本来なら村長であるべき人だ。今は俺が領主で村長ということになってるから、親方って呼び方になってるけど。
そんなわけだから、時々、俺の希望を無視して話を進めてしまうことがある。
親方は悪意があってそうしてるわけではなくて、むしろ逆。ただ、ちょっと行き過ぎなところがあって……。俺としては、俺がやったことになってる話を大げさにして欲しくないんだけど、やたら持ち上げてくれたりするので、少々困ったことになりがち。
像のことも、そうならないとは限らない。帰ったらすぐに話をして、止めてもらおう。
林の中の小道を、馬車はゆっくり進んでいく。
「もうすぐ村に着くね」
クレールが急に御者台の俺の隣に移動してきて、そんなことを言った。
ふわっと、甘く爽やかな香りが漂ってきて……。
……ああ、リンゴとオレンジか。
「二人きりの旅行、楽しかったなー。僕ね、リオンと一緒に旅行……冒険じゃなくってね、旅行。したいなーってわりと長いこと思ってたから、夢がかなった気分」
そう言って、クレールは俺の肩に寄りかかってきた。
まだ冬の寒さは残っているけど、この距離だと、クレールの体温を感じて少し暖かい。
「また一緒に行こうよ。行き先はどこでもいいからさー」
「機会があれば、そうしたいね」
クレールの要望に俺が前向きな返事をすると、クレールは笑った。
「えへへ」