ドラゴンが目撃されたあたりまで近付いてきたから、一応、所々にある岩陰を選んで進む。ドラゴンは視力がいいから、その程度では隠れたことにはならないかもしれないけど。ただできれば、敵がこっちに気付くより先に見つけ出して、大まかにでも作戦を決めてから臨みたいところだ。
「あ、あれじゃないかなっ?」
最初に気付いたのはミリアちゃん。指差す方を見ると、確かにいる。
赤い鱗を持つ竜――レッドドラゴン。
「赤竜は生息域が比較的身近であるため、人間に与える被害の規模では暗黒竜を上回るとの試算もある。気性が荒く、遭遇すれば戦いは免れない。戦いになれば生半可な力量の者は死ぬしか無い。恐ろしい魔獣。……ただし、今のリオンにとってはさほど脅威で無いのも確か」
ステラさんの解説に、ミリアちゃんが「へぇー」と感心。
ミリアちゃんも俺と一緒に結構倒してると思うけどね、レッドドラゴン。とはいえ、たくさん倒したからってそいつに詳しくなるわけじゃないか。
「成竜だな。あれで何歳くらいなんだろう」
「身体的特徴からおそらく、百以上二百未満と推測される」
この距離から見ただけでそこまでわかるのか。ステラさんは何でも知ってるな……。
「近くで観察すればより絞り込めるが、今日の本題では無い」
まあ、確かに。
しかしそうすると、成竜とは言ってもまだ若い方だ。身近にもそれ以上の年齢の人がいるし。ええと、まあ、何人か。……うち一人は、ものすごく身近だな。
「だったら、そんなに強くないかもね。僕ひとりでも勝てちゃうかも!」
「油断は禁物」
調子に乗ったクレールを、ステラさんが窘める。
……まあ、単純に何年生きたかじゃなくて、何を経験したかなんだろうな、こういうのって。
しかし、さて。
向こうはまだ気付いていないみたいだけど、寝ているという感じでもない。すぐにこっちに気付くだろう。どう対応するか、みんなと話し合っておきたい。
とはいえ、大した相手でもなさそうだ。おおまかに方針が決まってれば十分だろう。
「俺が引きつけるから、みんなは後ろにいて。俺が合図をしたら、援護を頼むよ」
俺以外の三人はみんな術士。距離を取ったまま戦えるのが強みだ。あえて近付く必要はない。俺がドラゴンを的にしやすい場所に引き留めておけば、クレールとステラさんは一気に仕留めてくれるはずだ。
「オッケー、まーかせといてっ!」
「問題無い」
俺は背負った荷物を降ろして、剣を――取る。
少し迷ったけど、魔剣じゃなく、普通の剣にした。ここにクレールたちも控えてるから、信頼しよう。
そうしていると、ドラゴンが頭を上げた。
そして、こっちを見た。
「……向こうも気付いたな。行ってくる」
念のため腕には〈
俺が岩陰から立ち上がって荒野に身を晒すと、ドラゴンは咆吼した。
これを聞くのも久しぶりだ。村の人たちだったら、もうこれだけで恐怖を感じてしまうかもしれないけど、俺は気分が高揚してくる。久しぶりの戦いの予感に、身体が熱くなってくる……。
……いけないな。戦いの高揚は
ドラゴンはこっちを見てはいるけど、近付いては来ない。
それに向かって、一歩ずつ。
俺の意思よりももっと深い、本能に近い部分が、俺の背中を竜に向かって押し出そうとしてくるけど、その衝動を抑えながら、ゆっくりと歩く。
それに焦れたのか、ドラゴンが動いた。
大きく広げた翼を、どうっ、と打つと、巨体が浮いた。飛んだというよりは、跳んだ、という感じだ。でもそれだけで、俺と竜との距離は一気に縮まった。
ずん、と地面が揺れ俺の目の前に赤竜が立ち塞がった。
縦長の瞳孔を備えた、ヘビのものにも似た眼が、俺を睨む。俺も睨み返したけど、相手の方が頭の位置が高い。かなり上を向くことになってしまった。
理性や知性を感じないその相貌。俺のエサとしての価値を見定めようとしているのか。
俺と睨み合う竜の口から、ごはぁ、と熱い息が漏れる。
びっしりと並んだ牙は、なるほど、噛みつかれたらただでは済まない。人間の細い首なんか、ひと噛みでちぎれてしまうだろう。
人間の天敵とも言うべき生物。
これがドラゴン。
……まあ、このくらいのドラゴンは何度も倒したことがあるけど。
『また下等動物が我が領土に無断で立ち入ったか。いかにしてその愚かな振る舞いを後悔させてくれようか……』
「ん?」
違和感があった。
『ん?』
どうやら相手も同じ違和感を覚えたらしい。
「喋れるのか……」
『貴様こそ、下等動物のくせに我が言葉を解するか』
お互いに、相手に話が通じるとは思っていなかったみたいだ。
喋ることができる竜は珍しいな。俺が実際に会ったのは三頭しかいない。よほど歳を重ねた古竜でないと無理なのかと思ってた。
「ということは、悪竜ではないのかな」
俺が呟くと、それを聞き咎めたのか、ドラゴンが鼻を鳴らした。
『下等動物ごときが何を以て我らをそのように呼ぶのか知らぬが、言葉には気を付けることだ。この地はすでに我が物。下等動物には我が
言葉を喋るのはともかく、言ってる内容は悪竜だな。まあ、人間の悪人のほとんどは人間の言葉を使ってるわけだし、言葉が通じるならいい奴だ、ってことにはならないか。
それにしても。
「悪竜にも一応名前とかあるんだな……」
人間が勝手に付けてるだけかと思ってたけど、竜同士で呼び合う時用の名前があるんだな。当たり前か。でも正直、悪竜の知性ってそれ未満だと想像してた。
『聞いておるのか』
怒ったような声音。
相手が要求してるのは「崇め、讃えよ、そしてエサになれ」だから、こっちとしては受け入れられるはずもない。
いや、それとももしかして。
「もしかして、俺が名乗ってないから怒っている?」
『下等動物の名など何の意味も無いわッ!』
やっぱり違うか。でも意図はどうあれ、相手は名乗ったんだから、こっちも名乗らないと失礼なような気はする。
「一応、名乗ろう。俺はリオン。――〈竜牙の勇者〉」
名乗ったところで、ドラゴンが俺の名前を知ってるとも思えないけど。
『……確かに最近そんな奴がいると聞いた覚えがあるが、だからと言って』
聞き覚えあるのか。吟遊詩人の題材になるとすごいな。竜にまで噂が届くなんて。
ん……そういえばこいつ、竜か。
「竜が相手なら〈安定をもたらす者〉って名乗る方が通じるのかな」
確かその称号、竜の間で伝わる古い予言詩に出てくるものだと、聖竜だったか、ヴァレリーさんだったかが言ってた気がする。
『はっ?』
相手は驚いて声も出ないという様子。
『……〈安定をもたらす者〉と言えば、古き詩にその到来を予言され、魔剣〈真竜の牙〉を手に多くの竜たちを屠り、かつてこの大陸に大災厄を引き起こしたあの〈歪みをもたらすもの〉をも余裕で倒したという、竜の天敵にして、不死身の者……ッ!』
「えぇ……。まあ、倒したのは確かだけど……」
余裕では無かったと思う。
あと、少し前に来た人もそうだったけど、何で俺、不死身ってことになってるんだろう。
それにしても、結構詳しく知ってるもんだな……。そこは、俺の方が驚く。
『我が伯父も、いとこも、いとこの子も、その友の父も、さらにその父も、その友のはとこの子も、その者に屠られたと聞くぞ……』
うーん……そう言われると少し心が痛むな。
ただ、向こうも俺を殺そうとしてたし、元々人間を襲ってた悪竜だったから戦ったんだよな。
こんな風に話が通じたら、別の解決法もあったかもしれないけど。
でもまあ、こうまで言うってことはこいつ、相当怒ってるな。
怒りを堪えているのか、ぶるぶると身体を震わせているし。
……ステラさんが言ってた通りか。やっぱり、遭遇すれば戦いは避けられない。
殺さないまでも、悪さできない程度に痛めつけてやる必要はありそうだ。
「さあ、かかってこい」
みんなも後ろの方からこっちを見ている。戦いが始まったら、総攻撃の合図を出して――
そう考えた次の瞬間、ドラゴンが動いた。首を持ち上げ、すうっと息を吸い込んだ。
そうそう、ドラゴンと言えばこれだ……。
鉄をも溶かす、灼熱の吐息――ドラゴンブレス!
――来るッ!
*
みんなのところに戻ると、みんな状況がよくわからずにいるようで、首を傾げていた。
「ドラゴン、逃げちゃったけどいいの?」
クレールが訊ねてくる。もっともな疑問だ。
「もうこのあたりには近付かないから見逃してくれ、って言ってきたから、まあいいかって」
事実。あのドラゴン、炎の息を吹きかけてくるものだと思ったのに、額を地面に擦りつけて命乞いをしてきた。
どうやら悪竜の間で俺は〈竜を絶滅させるもの〉とかいう有名人らしい。それと出会って生きて帰った竜はいないとかなんとか……。
かなり倒したのは確かだけど、そこまで噂になるほどだったかな?
正確な数は覚えていないから、強い反論はできなかった。
まあ、今は戦いたくないってのは、こっちも同じ。
本当はすぐにでも殺してやりたいがそこまで言うなら仕方がない、と恩着せがましく言って逃がしてやった。もし人間を襲えばどこへいても見付け出して殺してやる、とも付け加えたら震え上がっていた。所詮は悪竜だし、いつまで約束を守るかはわからないけど、さすがにしばらくは大人しくしてるだろう。
「しゃべれるドラゴンだったの? レッドドラゴンだったら普通は悪竜だと思うけど……」
そう言って、クレールが首を傾げた。
「赤竜は竜の中でも特に気性が荒いとされる。通常、交渉は不可能であるはず」
ステラさんもそう指摘。
「こっちまでは聞こえてなかったか」
そんなに大声で話してたわけでもないから、何か話してるのはわかっても、内容までは……ってところか。
と思っていると。
「がうがう言ってるのは聞こえたよ」
そう補足されて、今度は俺が首を傾げることになった。
……がうがう?
「がうがうっ! がーう!」
「似てる!」
ミリアちゃんが両手を振り上げてやったしぐさを、クレールが評価。
そうだったかな。普通にいろいろ話したと思うんだけど。
あれ。もしかして……
――俺の方が、竜の言葉を理解できるようになった?
これも、
竜に近付いてるって、こういうことなのか。
これだけなら便利な面もあると思うけど、他にもこんな風に、気付かないうちに何か変わってしまってることがあるのかと思うと、かなり不安だ。
他はまだ何ともない……よな?
硬い鱗も鋭い牙も爪もないし、翼もないし、炎の息も吐かない。
「……まあ話し合いで追い払うのも、退治するのとそんなに変わらないけどね、手間は」
なるべく平静を装いながら、みんなにはそう言ったけど。
――俺、人間だよな……?
今後それをどうやって確認したらいいのか、ちゃんと、本気で考えておこう……。