昼の日差しはいよいよみんなの防寒着を剥ぎ取って、クローゼットの中に放り込んでいった。冬の間には聞かれなかった鳥のさえずりも、もうここまで届いてきている。館のある丘では、緑色の中にもちらほらと色とりどりの花が顔を出し始めていて、その合間を蝶が飛んでいるのが見られるようになった。
季節の変わり目、というものを全身で感じる日だったな。
そんな日の夕食の席で、マリアさんから重大な報告があった。
「春の花、咲いてたらしいですよ。おばさまと親方さんが、一緒に確認してました」
……こういうの、ちゃんとこっちにも知らせてきて欲しいんだけどな。マリアさんに伝言したから十分ってことになったんだろうか。村の人たちから嫌われてて報告をもらえないってことでは……ないだろう。たぶん。俺はそう信じたい……。
まあそれはともかくとして、なんでその報告が重要なのかというと。
「じゃあ、いよいよ春祭りだね」
そう。ニーナが言ったとおり。
少し前に親方から春祭りの開催の許可を求められて、それは俺もすぐ応じた。その時に春祭りの日取りとして申請されたのが「春の花が咲いたら十日以内」というもの。
マリアさんが働いている魔女の店の庭先にある木が、その基準になってるらしい。と、そう聞いたのは後でのことだったけど。
その木に花が咲いたのを、魔女の店のおばさまと、そして親方も確認した、と。
いよいよ冬も終わるな。そんな気持ちになる話だ。
「楽しみだよね」
クレールがそう言ったから、俺も頷いた。
とはいえ、心配なこともある。
「ステラさん。ユウリィさんに注文しておいた葡萄酒と麦酒、まだ届いてないですよね?」
俺が確認すると、ステラさんはこくりと頷いた。
心配事はそれだ。村のみんなに飲み放題で楽しんでもらおうとクレールが企画して、確かに注文を出しておいたんだけどな。
……とはいえ、村の準備もまだ整ってはいないだろうし、祭りの当日までに届けば問題はないか。
それについては明日にでも、お店のニコルくんに確認してみるとして……。
「他には、何かありますか。こっちで準備するようなもの」
と、ステラさんに訊ねた。そのつもりだったけど。
「あるよ!」
手を挙げたのはクレールだった。
「僕たちもお祭りの演し物をやることにしてるんだ」
「え。初めて聞いたけど」
寝耳に水の話だ。というか、え、やっぱり俺だけ何か情報をもらえていない、端的に言うと仲間はずれにされてる気がする……。
「あ。リオンは、今回は出番ないよ」
ないのか。今から大慌てで準備するよりは、気は楽だけど。でも、俺だけみんなの輪に入れてないんじゃないかっていう懸念は消えない。
「一体、何をたくらんでるの」
意を決してそう訊くと、クレールは「んふ」と笑った。
「僕たち、女声音楽隊を結成したんだよ」
「えぇ?」
やっぱり、俺の知らないところで何かが……って、結成する、でなく、結成した、なのか。クレールひとりの思い付きの段階の話じゃないってことだよな。それに、女声音楽隊? それは確かに、俺の出番はないと思うけど。
考えがまとまらずに混乱する俺を見て、クレールがガタッと席を立った。そしてそのまま、食堂の広く空いたところに小走りに駆けていって。
「しゅーごー!」
号令をかけた。
すると、それを待っていたかのように、ニーナとナタリーが動いた。二人はクレールの左右にそれぞれ立って……
「せーの!」
クレールの合図に合わせて。
「僕たち、スターリー・シュガー・シスターズ!」
ポーズを決めた。
「……ええぇ?」
スター……なに?
「スターリー・シュガー・シスターズは、歌える・踊れる・戦えるの三拍子揃った新感覚の音楽隊だよ」
「そうなのか……」
そうなのか? 何が何だかよくわからない。もしかして、この気持ちが新感覚なんだろうか。
ミリアちゃんとマリアさんからは拍手が起きている。
いや、うーん。確かに、すごいのはすごい……んだろう。三人がポーズを合わせるだけでも即興では無理だろうし、相当練習したのは伝わってくる。
でも何だろう……何だろうなあ……。
「んふ。どうやら驚いてくれたみたいだね」
そりゃ、驚いたのは確かだ。そりゃあね。
「ナタリーはこういうの好きそうだからともかく、ニーナはそれでいいの?」
念のために訊ねると、ニーナは苦笑した。
「何か、成り行きで……」
断り切れなかった、ってところか。それでもちゃんと決めポーズを合わせてるのはさすがだ。何にでも手を抜かないというか。ニーナはそういうところあるな。
「あたしはお姉ちゃんと楽器をやるんだよっ!」
ミリアちゃんが手を挙げて主張した。ミリアちゃんが踊り子役にいなかったのはそういうことか。
「そうなんだ。どんな楽器を?」
「お姉ちゃんがリュートで、あたしは笛!」
「まだまだ練習が必要ですけど……」
言われてみれば、笛の音は少し前から聞こえてた気がするな。あれはミリアちゃんの練習だったのか。
マリアさんが演奏するっていう『リュート』は、吟遊詩人がよく持ち歩いてる楽器だ。滴型の本体に何本かの弦が張ってあって、これを指で弾いて音を出す。音を出すこと自体は簡単だけど、ちゃんとした演奏となると一朝一夕で身に付くものじゃないと思う。
「幼い頃に両親から習っていたので、まるで素人ではないですけど、やっぱり随分忘れてますね……」
「練習あるのみだよ、お姉ちゃん!」
ミリアちゃんにそう言われて、マリアさんは微笑んだ。
「ミリアと一緒にひとつのことを頑張るのも久しぶりなので、楽しんでいますよ」
確かに、以前はずっと一緒にいた姉妹だけど、ここに移ってきてからはそれぞれの仕事や勉強を頑張っていて、その分、二人で過ごす時間は減ってそうだな、とは思ってた。
もしかして……それを何とかしようとでも思って、こういう演し物を企画したのかな、クレールは。
「始めたばっかりの頃より随分良くなったよ」
「ねー」
「ですです!」
言ったナタリーがちらちらとこっちを見て、何か訊ねて欲しそうにしてるな。
「ナタリーは」
「ですです! 歌と踊りが特級得意なので、大抜擢されたです! 特級がんばるですよ!」
何を質問するまでもなく、名前を呼んだだけで食い気味にアピールされたので、ちょっと苦笑。
さて、そうすると気になるのは、あと一人。
「ステラさんは?」
「裏方。予算や予定の管理を行う」
矢面に立つのは避けたか。大騒ぎが好きそうには見えないしな、ステラさんは。
「辺境には古い警句が残る地域もある。祭りなどで目立つのは避けたい」
「警句?」
ただ賑やかなのが苦手なだけじゃなくて、何か理由があるのか。
そう思っていると、ステラさんが頷いた。
「黒髪の少女は災いをもたらす。そう信じられていた時代もあった」
「そんな話があるのか」
確かにステラさんは黒髪だ。そういう話があるなら、気にするのも無理はないかな。
とはいえ、俺も黒髪だけどそういう話は初めて聞いたな。俺が男だからかもしれないけど。
「気にしすぎじゃない?」
割り込んだのはクレール。
「ものすごーく昔に一時的に流行しただけの迷信だと思うよ。出所もよくわかんないしね。古い時代の王国法には確かに、黒髪の女子が産まれたら領主に報告するようにって規定もあったみたいだけど、違反した時の罰則はなかったらしいし」
クレールがものすごく昔なんてわざわざ言うくらいだから、相当昔の話なんだろう。とすると確かに、気にしすぎのような気はする。
ただ……ステラさんは両親に疎まれて育ったと言ってた。その理由として探し当てた話なのかもしれない。だとしたら、あんまり強くは言えないな。
「ステラさんは詠唱の時なんか声も良く通ってるし、歌だけの参加もいいんじゃないかと」
俺から言えるのはその程度。
「……あなたがそう言うなら、検討する」
せっかくみんな盛り上がってるし、ステラさんも楽しく過ごせるといいなとは思う。
「まあ、お祭りの時くらいしか出番はないけどね」
クレールが笑いながらそう言った。それはそうだろうな。巡業するとも思えないし。
ただ、ステラさんはそれに異論があるようで。
「祭りの演し物に留まらない。歌劇の新しい形としてこれからの時代の主流になる」
「そうなのか……」
ステラさんは何でも知ってるな……と、言っていいんだろうか。妙に自信満々だけど、その根拠が俺にはいまいちよくわからない。
まあ、ステラさんが自信満々に言い切ったのはナタリーやミリアちゃんに大変好評で、察するに、ステラさんも今回のことを応援してるってことなんだろう。
「リオンにはお祭りより一足早くお披露目したいところだけど……まだ歌と踊りが完璧にはできてないんだよね。もう少し練習して、ちゃんと合わせないとだねー」
クレールが言って、ニーナとナタリーが頷いた。ニーナもただ巻き込まれただけじゃなくて、楽しんでやってるみたいだ。
「ていうかクレール。確か最近、魔法の訓練を頑張ってるって言ってたよね。もしかして」
「んふ。実は、この練習をしてたんだよ!」
そうなのかー……。
「しばらくは夜遅くまで騒がしいかもしれないけど、春祭りまでだから我慢してよね」
まあ、みんながやる気なんだったら、無理矢理止めるほど無粋じゃないけどね。