三日後に春祭りを開催したい、と親方がわざわざ朝食前の早い時間に知らせに来てくれた。もちろん準備が順調に進んでいるからこその話で、いよいよだな、という気持ち。
クレールたちは演し物の練習に集中したいそうだから、俺はその邪魔をしないように、今日は村の方を視察……という名目で散歩することにした。
気になるのはユウリィさんのことだ。
注文した葡萄酒と麦酒が、まだ届かない。本当に祭りまでに間に合うのか、不安だな。ニコルくんに頼んで、他のお酒で注文量の二割分くらいは出せることになってはいるけど、きっと足りないよなあ。
そんな不安を抱えながら、今にもユウリィさんが帰ってくるかもしれないと、村の正門の近くまで足を伸ばした。
南北を結ぶ大きな街道から、細道が別れてこの村に繋がる。
門があるのは高台の間にできた谷間みたいなところで、村の外から魔獣が侵入してくるのを防ぐにはいい立地だ。旅人の検問もやりやすい。
ただ、大型の馬車が向かい合うとここではすれ違えない、という幅だから、今後を考えると整備が必要な場所でもある。
今はそもそもそんなに人の行き来がないから、後回しになってるけど。
とはいえ、ユウリィさんが馬車で通るならここしかない、という地点だ。
午前中に村を一通り見て回ってから、ここで、ニーナが作ってくれたお弁当を昼食にして休憩。
それにしてもここ、屯所もあるのに誰もいない。元は前の領主が他の領地からの介入を防ぐために強化した場所とはいえ、魔獣への警戒にも便利だから、本来なら自警団の誰かがいるはずなんだけど……。
春祭りの準備が忙しいから来てないのかな。不用心だ。後で村の方に戻ったら自警団の方に知らせておこう。
ひとまず、昼食の間は俺が警戒を担当することにした。
ニーナのお弁当は相変わらず美味しい。とはいえもう少し肉が欲しいと思うのは……贅沢かもしれないけど、思うくらいはいいだろう。
昼食を終える頃になると、暖かさもあって少し眠くなってきた。
戻るのは、もう少し休んでからにしよう。
そう考えて目をつむると……
足音。村の外の方から、だんだんこっちに近付いてくる。
一瞬、ユウリィさんかもしれないと思ったのは、他にこの村を訪ねてくる人はほとんどいないから。
ただよく聞けば、徒歩で、一人だ。ユウリィさんなら荷物を馬車の荷台一杯に載せているはず。
じゃあ、誰だろう?
目をこらすと、一人の男がこちらに向かってきているのが見えた。長い杖を持っていて、黒地に金の縁取りが鮮やかな法衣をまとっている。フードを目深にかぶっていて、その顔はまだよく見えないけど……
あの格好からすると、知ってる人だな、多分。
「おや。ククク……自らお出迎えとは恐縮です……」
その声を聞いたら、それが知人だというのははっきりした。
左手でフードが上げられてその顔があらわになると、もう間違えようがない。
「お久しぶりです、リオン……」
長い黒髪と整った顔立ち。そして、仄暗い感情を秘めたブラウンの瞳。
「誰かと思ったら、アゼルさんじゃないですか」
「そう……法と秩序の神の司祭であるアゼルです」
ねっとりした喋り方も相変わらずだ。
「知ってますよ」
「もしやお忘れではないかと、思いましてね……」
と、アゼルさんは冗談めかして言った。
会うのが少し久しぶりなのは確かだ。邪神〈歪みをもたらすもの〉との戦いの後、アゼルさんとは雷王都市で別れた。それ以来じゃないかと思う。それにしたって一年は経っていない、という程度だけど。
「アゼルさんには何度も助けられましたし、忘れるわけないですよ」
まあ、それは事実だ。
「それならよいのですがね……」
とはいえ、印象に残ってるのは戦いで助けられた記憶だけのせいでもないな。
言ったとおり、アゼルさんは法と秩序の神の司祭。
歳は俺よりだいぶ上で、二十……何歳か。三十にはなってないと言っていた気がする。
そのアゼルさんが信じる『法と秩序の神』は、大教会が祭っている『自由の神』とは異なる存在で、お互いに良く思っていないらしい。レベッカさんは、アゼルさんのことを暗黒司祭、その信じる神のことを『支配と束縛の暗黒神』だと言っていた。アゼルさんはアゼルさんで、大教会の神を『無法と混沌の邪神』と言ってたから、まあどっちもどっちだ。
アゼルさんが暗黒系統の法術を得意としているのは事実だし、限定的にとはいえ
顔は美青年のそれだ。法衣の下には鍛えられた身体を隠してもいる。司祭になる前はどこだかで傭兵をやっていたらしい。本人は「神の司祭となった時に、剣は捨てました」と言っていたけど、手斧を振り回して戦う姿も見たことがある。
まあ、見た目が格好いい感じでも、ねっとりした喋り方と性格が台無しにしてるけど。
出会いはとある遺跡。アゼルさんは「我が神の気配を感じる」と言ってその遺跡に住んでいたところを、剣鬼との戦いに力を貸してくれることになって、仲間に加わった。
問題はその後だ。アゼルさんが感じると言っていた神の気配。その神はアゼルさんの信じる神じゃなくて、偽神〈
結局、激戦の果てにその偽神は倒したけど。
あの時のアゼルさん、ひどく落胆してたな……。
それで結局、〈歪みをもたらすもの〉を倒したのを機に、また旅立っていった。
さて、そのはずのアゼルさんが、どうしてこんな村に来てるんだろう。今は領主である俺が言うのも何だけど、そんなに見所がある村じゃないと思うんだよな。
「何か用があって来たんですか?」
本人に聞くのが早い……と、普通の人が相手ならそうなんだけど。
「何か用がなければ、私などはここを訪ねてはならぬと?」
「そんなことは……」
アゼルさんは相変わらず皮肉屋というか、意地悪な話し方をするな。
「リオン……いま『こいつ面倒くさい奴だな』と思いましたね?」
「いやいやまさか」
見抜かれている、というわけでもないと思う。だって、それ以外の感じようがないし。
ただ、そうやって二歩ほど踏み込んだような発言をしてから。
「その気持ちを大切になさい……貴方が親身になって話を聞く必要のない人間というのは、世の中に大勢いるのですから……」
「……はあ」
こうやって一歩引っ込む。
ばかばかしい問答のように聞こえるかもしれないけど、油断してると思考や心を誘導されかねない危険な話術だ。
そんな挨拶を交わしてから、本題。
「リオンがこちらにいることを風の噂で聞いたのです。それで、少しお願いがありまして、訪ねてきたのですよ」
アゼルさんは、口はうっすらと笑っているけど、目は笑っていない。何か企みがあるとかでなく、大体いつもこの顔だけど。
それにしても、お願い、か。
「何でしょう。俺でできることなら、できる範囲で聞きますよ」
「やる、とは言っていませんね? いま」
「…………」
アゼルさんと話すと疲れるな。端的に言うと、面倒くさい。
「……『こいつ面倒くさい奴だな』と思いましたね?」
「はい」
実際にそう思ったから、素直に頷いておく。
「それは傷つきますね」
アゼルさんは額に手を当てて、大袈裟に天を仰いで見せた。
「面倒くさい人ですね……」
まあ、今更この程度のことで仲がこじれるって間柄でもない。お互いに笑い合うだけだ。
「……それで、お願いのことです。ある人物を捜していまして、もしここに来たら私に知らせて欲しいのです」
人捜しか。こんなへんぴなところにアゼルさんの尋ね人が来るとも思えないけど……
そうか。アゼルさんがそうだったように、俺の噂を聞いて訪れる可能性はあるわけだ。
俺としては、あちこち探し歩かなくても、訪ねて来た人の顔を確認すれば済むだけだ。大した手間じゃないな。
「そのくらいならいいですよ。みんなにも聞いてみます。似顔絵があるなら、酒場の掲示板に貼ってもいいし」
「ありますよ。……これです」
アゼルさんはそう言って旅の荷物を探り、くるっと丸められた羊皮紙を一枚、取り出して見せてくれた。
それを広げると、描かれていたのは女の子の絵だ。
この、目を大きく描く可愛らしい画風は、アゼルさんが描いたものだな。アゼルさんがこういう絵を得意にしてるのは前に見たことがある。使われてるのは黒のインク一色だけど、巧みな筆遣いで、生き生きとした絵に仕上がってる。
件の女の子は、十歳くらいかな。いかにも快活そう。
……ふむ。何かちょっと記憶に引っかかるな。もしかしたら、どこかで会ったことがあるのかもしれない。どこだろう……。
そう思いながら文字による追記を確認すると、そこには『ストロベリーブロンドという珍しい髪色』だと書いてあった。