夕食前の食堂。来るのが少し早すぎたかなと思っていたけど、レベッカさんが先に来ていた。
ペネロペはいない。いつも一緒というわけじゃないんだな。アゼルさんから預かった手紙を渡したいけど、夕食の後で執務室に寄ってもらえばいいか。
レベッカさんは食堂の端にある小さなテーブルで、アクセサリーを磨いていた。
持ち物を磨くのはレベッカさんの趣味だ。昔からの習慣で、落ち着いて休める時には、鎧もしっかり磨いてから寝ると言ってた。もっとも、鎧に関しては隙間に砂なんかが入り込むと耳障りな音が出るからっていう止むに止まれぬ事情もあるけども。
「きゃっ! びっくりした……。リオン、いたなら声かけてよね」
アクセを磨く手を止めて、レベッカさんが抗議してきた。黙って近付きすぎたか。
「すみません。レベッカさんも集中してるみたいだったから、邪魔になるかなと思って」
「まだ誰も来てないからやってただけよ」
言って、レベッカさんはブラシや布を小箱にしまい始めた。磨いていたアクセは……邪神と戦った頃にも身に付けてた護符か。古王国遺産の一種で、実際に効果があるお守りだ。俺も同じものをまだ持ってるな。ユウリィさんにでも売ればきっと高く買ってくれるけど、また使うかもしれないし、手元に置いててもそんなに嵩張らない。
「リオンは演し物の練習には行かないの?」
「今回は女性陣だけでやりたいってことみたいなので。完成してから見て、驚きたいなと思ってるとこです」
中庭の方からは今もクレールの歌声や楽器の演奏が聞こえてくる。
かなり速い曲だ。クレールの歌と、たぶんミリアちゃんがやってる笛が、まだ合ってないみたいだけど。
「そういえば、ペネロペは一緒じゃないんですね。どこに行ったんです?」
「演し物の練習を見に、中庭に行ったわ。あの子も音楽は好きだから。聖ルクレツィアを目指してるって言っていたし」
「聖……誰です?」
「昔の大教会にいた歌い手よ。後に教皇になるレナトゥス三世と共に魔獣の大軍に立ち向かったの。大教会から〈聖女〉の称号を受けた聖人のひとりで、今でもその名前を冠した聖歌隊があるわ」
「そんな人がいるんですね」
レナトゥス三世って、最近どこか他のところでも聞いたな。どこだっただろう。まあ、今の教皇の名前も知らない俺でさえ名前を聞くくらいだから、相当な偉人なんだろうな。
その偉人と共に戦ったというくらいなら、その聖ルクレツィアって人も相当な有名人なんだろう。俺が詳しく知らないだけで。
「でもちょっと複雑な気分なのよね……私もこの前、その〈聖女〉の称号を受けたのだけど……」
「えっ。すごいじゃないですか」
実際にどのくらいすごいのかはよくわからないけど、今でも名前が残ってるっていう過去の偉人と並ぶレベルってことだよな。
それにしては、レベッカさんの表情はすぐれない。
「でもね、生前にその称号を受けた人って、みんな早逝してるのよ……」
「ああ……」
レベッカさんは大教会の聖騎士だから自分でははっきりとは言わないけど、要するに、すごい称号だけど何となく縁起が悪い気がする、ということらしい。
俺が雷王都市からもらった〈剣の王〉っていう称号にはそういうのあったのかな。誰からも詳しくは聞いてないような気がする。多分、〈剣鬼〉を倒したからそれより上、って程度の理由でくれたんだろうとは思ったけど。
「でもそんなすごい称号を受けたのに、こんな田舎に来てていいんですか?」
自分のことはひとまず棚に上げて、俺はレベッカさんにそう尋ねてみた。
「快く送り出してくれたわよ。私が天命都市で目立つと、困る人もいるのね」
……なるほど。それについては、何となくわかるな。俺に対する雷王都市の扱いと似たようなものなんだと思う。
俺と一緒に戦った将軍のヴォルフさんは言いにくそうにしてたけど、俺の名声が王様より高まると政情が不安定になりかねないから、雷王都市に長く留まるのは勧められないって、そう言ってた。
俺にそのつもりがなくても、王位簒奪を狙ってるなんて噂になれば都市を二分しかねないからね……と、叔父さんが説明してくれたけど。言外に、今の王様の人気のなさを含ませてたな……。
俺は出世欲があるわけでもないし、今の雷王都市が打倒すべき敵だとも思ってないしで、ちょっと多めの支度金だけもらって都市を出たけど。
あのまま残ってたら、今頃はどんな暮らしをしてたんだろう。
何となくだけど、元々が農村暮らしだった俺には、ここの暮らしの方が性に合ってるんじゃないかな、という気はするけど。
「私としても、大教会の運営のためにずっと会議室詰めなんて耐えられそうにないから、今まで通りの扱いの方がいいけれどね」
レベッカさんは元々、「人々の自由を守る」っていう聖騎士の理念に憧れてその道に進んだっていう人だから、なるべく現場でっていう意識があるんだろうな。
そんな話をしている内に、レベッカさんの片付けも終わって……
「……ねえ、リオン。正直に言って欲しいのだけど」
そんな言葉と共に、レベッカさんはじっと俺を見た。
「何でしょう」
よほどのことじゃなければ、正直に答えよう。俺にはやましい事なんてない……と言えるようになりたいな、とは、常々思ってる。うん。
「昼間のことなのだけど。あの後、見えたのよね……茂みに隠れてたあの人が這って逃げていくところ。いたのよね? あの場に」
そのことか……。そこまで知られてるなら、下手に言い逃れしても仕方ない。
「はい。……アゼルさんが聖騎士には会いたくないと言うので、隠れていました」
アゼルさんのせいみたいな言い方になったけど、ほぼ事実だよな。うん。
俺の判断ももちろんあったけど、アゼルさんだけでなくレベッカさんにとってもその方がいいと思ったから内緒にしてただけで、悪意からそうしたんじゃないことは信じてもらいたい。
ということを正直に伝えると、レベッカさんは頭を抱えるようにしてテーブルに突っ伏した。
「やっぱり。ああ、もう、どうしよう……」
俺に怒るでもなく、アゼルさんをののしるわけでもなく。
どっちかというと、自分の行いに後悔している……ような。
「もしかして、アゼルさんに生理的嫌悪感があるって言ったことですか?」
あの人は気にしてませんでしたよ、とも付け加えたけど、レベッカさんは大きくため息。
「どちらかというと、言わなかったことを、ね」
「……言いましたよね? 実際」
ヘビみたいだとかなんとか、言ってたよな。ヘビに感じる嫌悪感の大きさは人それぞれかもしれないけど。
それに対するレベッカさんの返答は、言い逃れでも言い訳でもなかった。
「本人がいないところでああいうことを言うのは、本当はよくないことだと思うのね。その場にいた他の人は、その時は話を合わせても、自分も陰ではどう言われているかって不安になる話だと思うから」
「そうかもしれません。それで、だから、それを言ってしまったのは良くなかった……って話ですよね?」
そう確認すると、レベッカさんは首を左右に振って否定した。
「ちゃんと本人に直接言うべきだった、という話よ」
「えぇ……」
そう……そういうもの? わかるような、わからないような……。
確かに俺もレベッカさんからは厳しい指摘を受けることもあるけど、そういう信条からのことだったのか。
「ペネロペを預かってる身として、なるべく、正しい姿を見せたいと思っているのだけど、まだまだ未熟ね……」
レベッカさんは苦労が絶えないな。自分でわざわざ苦労を背負い込んでる気がしないでもないけど。
……っと、そうだ。
この際、レベッカさんには話しておかなくちゃいけない。
「アゼルさんが言ってたんですが、あの人はペネロペの叔父なんだそうです。アゼルさんのお兄さんの娘さんが、ペネロペ」
レベッカさんは知っておくべき話だろう、と思う。
ただ、その話を聞いて少し顔がひきつってる感じだから、ちょっと悪いことしたかなとも、思うけど。
でもここまで来て黙ってるのも何だかね。レベッカさんを信用してないと思われるのは嫌だし。
「……それ、冗談よね?」
「アゼルさん本人がそう言ってましたよ。ペネロペには、まだ訊いてませんけど。俺の心証では、まあ、確かな話かなと」
「何となく納得いった感じがするのは、なんでかしらね……」
二人の振る舞いや言動に、どことなく共通点を感じてしまうんだな。
そこは俺と同じか。
「だとしたら、ペネロペがあんな風にならないように、ちゃんと導いてあげないといけないわね」
レベッカさんはそんな言葉で決意を新たにしたけど。
「今、アゼルさんのことを本人がいないところで『あんな風』って言いましたけど、それはいいんですか?」
さっきその辺をもっと気を付けたいと言ってたから、一応、訊いておく。
するとレベッカさんの返事は。
「どんな風かは言ってないでしょう?」
……それは、確かにそうだ。でも、ありなのか、それ。
まあ、いいや。レベッカさんに聖騎士の立場や聖女の称号はあっても、素顔は普通の女性。完全無欠じゃなくて逆に親しみが持てる、か。