春祭りは明日の早朝から開催される。変更の連絡は受けていないから、そうなんだろう。
クレールたちも演し物の練習を、まだがんばっている。明日のギリギリまで質を高めたい、と言っていた。
俺はその邪魔にならないように、執務室にいる。と言っても、別にだらけて過ごしてるわけでもなく、溜まっていた書類を片付けているところ……まあ、クレールとステラさんが用意してくれたものに目を通して署名をするだけだけど。
そういえば、俺としては『いつの間にか』って話になるけど、川に堤防を整備する計画がほぼ完成していた。以前クレールが自分が川に滑り落ちたのを根に持――貴重な経験にして、必要性を説いていたものだ。
書類の内容は、整備に必要な材料と金額の見積もりと、それに応じた予算の申請。もちろん、許可を出しておいた。
将来的には水車小屋を増設する予定もあるらしい。
こういうの、俺がいなくても二人でさくさく決めてしまえるあたり、俺の存在意義について疑問を持たざるを得ないところでもあるけど、あまり気にしないことにする。
思い出すのは、今はここにはいないけど、一緒に戦った仲間の一人のメルツァーさんの言葉。
『世間ってのは意外と、俺がいなくても関係なく回る。俺がいなくても回るところに追加で俺が入ると、みんなの助けになる。その時のために、普段は休んでても問題がない。だろ? その心構えが、前向きに生きるコツ』
騎士のわりに少し不真面目なところがあるメルツァーさんの言葉だから、聞いた時は苦笑したな。
でも実際、そのくらいの気持ちの方が暮らしやすいのは確かだ。
いつか必要とされた時のために、今は力を蓄えておこう。
そうして過ごしていると、執務室のドアがノックされた。そしてそれに返事をする間もなく、ミリアちゃんが乗り込んできた。
「お兄ちゃん! ユウリィさんが来たよ!」
その報せに俺は安堵の息を吐いた。
ようやくか。頼んでいた葡萄酒と麦酒を持ってきてくれたんだろう。
そう思いながら、鍵付きチェストから財布を取り出す。これは俺個人の財布じゃなくて、館に関する比較的少額の取引のために取り分けてあるものだ。ユウリィさんが来たなら必要になるだろう。
ミリアちゃんと一緒に表に出ると、そこには確かにユウリィさんがいた。
ただ、俺に視界には期待した荷物が入ってこなくて、俺は少し困惑。
「よう、領主様。元気そうだな?」
ユウリィさんからそう挨拶された俺は、それがあまりにもいつも通りだったから逆に不意を突かれて「はあ、どうも」とぼんやりした会釈を返すことになった。
「頼んでいた荷物を持ってきてくれたんですよね?」
「そのことだが、村の祭りで振る舞うと聞いていたからな。まだ下の店に置いてあるのさ。ここまで運んだ方がいいのかね」
ああ、なるほど。それは確かに伝えてない。それどころか、俺も知らない。これを企画したのはクレールだし。どうするつもりなんだろう。
「クレールに訊かないとわからないな。少し待ってください」
「あたしがきいてくる!」
ミリアちゃんがそう言って駆け出すのは、俺より早かった。任せよう。
「その他の注文品は持ってきてある。次の注文はどうだ?」
「それはステラさんに訊かないと……」
しまった。ミリアちゃんにそのことも頼まないといけなかったな。ステラさんの方で気を利かせてくれるといいけど……
俺の慌てぶりを見て、ユウリィさんは苦笑。
「戦う敵がいなくなって、領主様はすっかり置物になってるな?」
「まあ、適材適所、ってところですね……」
呆れられてるのはわかるけど、実際、戦い以外のことは何をやってもダメ……とまではいかなくても、せいぜい歳相応しかないから、ほとんどのことは専門家に任せるのが一番だ。
逆に、いざ戦いになれば、きっと役に立てると思う。
……その唯一の取り柄を封じてるから、置物化が加速してるのは事実だけど。
「さて、そんな領主様が威厳を取り戻すために、オレも一肌脱ごうじゃないか。ここはやはりプレゼント攻勢が効果的だ。というわけで、今日のお勧めの品はこの……」
「買いませんよ」
ユウリィさんが何か言いかけたのを、先んじて止める。これは耳を貸しちゃいけない。間違いなく、お金がかかるやつだ。
「……売り口上くらい言わせてくれてもいいだろうに」
もちろん、すぐさま抗議があったけど、俺としてもここは譲れない。
「この前ニコルくんにお勧めされて金細工を買ってしまったから、もう自由なお金がないんです」
これが事実だから、まあなんとも情けない話ではある。
以前にもらった報奨金はもちろん結構な額だったけど、それも普通に暮らしていくならってことで、領地経営に十分な額とはとても言えなかった。村の復興が順調にいって財政が健全化したら、そこから給金をもらうことにしているけど、今はまだ無理だ。
その上で、ジョアンさんの商船にも投資してる。みんなそれぞれ無理のない範囲で出してたけど、俺は見栄を張って結構出しちゃったな。ジョアンさんからは「三倍にして返す」と言われてるけど、あまり期待はしてない。
残った現金は、後で困らないように、少しずつ使うことにしていて……というか、みんなの勧めでそうなって、今の俺が使える額は実のところそう多くはない。
高価な魔導器や霊薬は結構持ってるから、それも含めた資産額で言うと、決して困窮しているわけじゃないんだけど。これ、すぐには現金化できないんだよな。
「一見華やかな領主様も、内実は大変そうだな?」
ユウリィさんに少し同情された。そのおかげで、余計なものは買わされずに済みそうだけど。
「俺が買わなくていいなら、売り口上くらいいいですよ。どうぞ」
「オレがそんな無駄なことをすると思うか?」
なんとも、もっともな言い分だ。
さて、そうしているうちにミリアちゃんも戻ってきた。
「きいてきたよ! お酒は村の広場に出したいから、今日はお店の倉庫に置いといてほしいって!」
「この坂を大荷物で登ってくる手間は省けたな?」
ミリアちゃんの報告を受けて、ユウリィさんが呟いた。まったくその通り。俺としても異論はない。
とするとあとは次の注文だ。
尋ねると、ユウリィさんはひらひらと手を振った。
「明日でもいいさ。ニコルから聞いたが、春祭りはもう明日なんだろう? 明後日まではこの村に滞在することにした。それまでに届けてくれりゃ、それでいい」
ユウリィさんがそう言ったのは、もちろん、春祭りを見ていくという意味で間違いない。
「それは、ぜひ楽しんでいってください。見所は……俺からはちょっと案内できませんけど」
情けないことだけど、春祭りで何があるのか、俺も全部知ってるわけじゃない。特に大きな催しだけは、いくつか聞いてるけど。
「んっんー! あたしたちも演し物をやるんだよ! いまねー、明日の本番に向けて最終調整中!」
ミリアちゃんのアピールに、ユウリィさんは目を細めた。
「まあ、オレなりに楽しませてもらうとしよう」
ユウリィさん自身は今でも旅商人とはいえ、一応の『本店』があるこの村にも、少しは特別な思い入れもあるだろう。……多分。
「じゃあ樽はこっちで預かっておく。明日の朝、荷車ごと広場に出しておけばいいな?」
「それでお願いします。それと、ニコルくんに予備で頼んでおいたお酒が……」
「ああ、聞いてる。それはキャンセルするんだな?」
話が早い。……おっと、でも、そうだ。
「よければ、林檎酒と蜂蜜酒を一樽ずつはそのまま譲って下さい。明日、他の樽と一緒に広場に」
「わかった。それは手配しよう。じゃあその分も含めて、金を頂こうか?」
執務室から持ってきた財布で、ユウリィさんに言われるままに代金を支払う。ユウリィさんはそれを念入りに数えて、満足したら財布にしまう。いつものやりとりだ。
「いい買い物したよ、あんた」
これでひとつ、春祭り前の懸念が減った。ぎりぎり、間に合って良かった。
「さて、ところでこれは……」
「買いませんよ」
何かを鞄から取り出そうとするユウリィさんに、俺はそう言った。
ユウリィさんは苦笑しつつ、結局それを取り出して、俺に押しつけてきた。
「そいつは、ニーナのビスケットに対する正当な対価、だ。あの子に渡しておいてくれ」
……一瞬、何のことかと思ったけど、そうか。
前に来た時に、ニーナが渡したお菓子。値段はいくらだと訊かれたニーナが、ただのお裾分けのつもりだったから困って、結局はユウリィさんが食べてみて判断してくれ、ということで渡したんだ。
「そういうことなら、わかりました。ひとまず預かっておきます」
きれいな花の模様が縫い込まれた小袋だ。両手で包むように持つとそんなに重くはないから、中身は貨幣の類じゃないと思うけど、さて。
ユウリィさんを見送って、ミリアちゃんと館の中に戻った。
クレールたちはちょうど少し休憩に入ったところで、ニーナも額に大粒の汗をかいて花壇の縁に座り込んでいた。
「これ、ユウリィさんからニーナに。ビスケットのお礼らしいんだけど」
小袋を受け取ったニーナは、早速その口を開いて中身を確認した。
中には折り畳まれた紙片が入っていて、ニーナはそれにも目を通した。
そして……
「なるほどね」
そう言って笑った。
「中身は何だったの?」
尋ねると、ニーナはその袋の中身を、俺にも見せてくれた。
「ビスケット。ユウリィさんが材料を買ってきて、ニコルちゃんが作ったんだって。手紙にそう書いてある」
「ビスケットのお礼は、ビスケットか」
結局、落ち着くべきところに落ち着いた……かな。