クレールが掃除に向かった浴場は、本館から分かれて裏庭の東側にある。
この館の他の部分と同様に、この浴場にも相当お金がかかっている。
建材のほとんどは大理石。知識の豊富なステラさんによると、その装飾は古王国中期の様式で統一されているらしい。
浴槽のお湯は元は天然の熱水泉……いわゆる温泉からのもの。薪を焚いてお湯を用意する必要がなくて、いつでも、入りたい時に入れる。
東側には壁がなくて、並んだ柱の間から海を望むことができる。早朝なら日の出を眺めながら、というわけだ。
そして広さ。十人くらいなら余裕で入ることができる。ちょっとした公衆浴場並みだ。個人で使うのはちょっと贅沢かなと思う。
ただしもちろん、広いってことは、それだけ掃除が大変ってことでもあるわけだ。
クレールもたぶん苦労してるだろうから手伝おう。
そう思って、脱衣所を経て、浴場へ。
「クレール? 掃除は進んでる?」
声を掛けると、一生懸命に浴場を磨いていたクレールと目が合った。
「…………」
「…………」
お互いに、しばし無言。
それから、かーっと顔を赤くしたクレールが、
「わーーーーーーーーっ!」
と叫んで、浴槽の中に飛び込んだ。お湯張ってないのに。案の定、「あいたっ!」と悲鳴が聞こえた。
まあ、それはともかく、だ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! 外に出てて! 僕がいいって言うまで! 脱衣所よりも外だよ! 扉も閉めて!」
言われて、俺は慌てて廊下まで戻った。
……何か、見えたら嬉しいけど見てはいけないものを、見てしまったような。
扉を閉めて、そこに背中を預けて立つと、脱衣所の方でばたばたと足音がした。
「……どうしたの、その……その格好は」
扉越しに声を掛けてみる。
「リオンは僕の今の格好を見ていないはずだから、そんな質問はしないはず」
「えぇ……」
ダメ出しされた。理不尽な気はするけど、逆に、黙っているなら俺の方も見なかったことにして流していいってことでもあるのか。
質問を変えよう。
「何があったの。そんなに慌てて」
「いやあ……僕ね、真面目にやろうと思って。そしたら、動きやすくて濡れてもいい姿の方がいいかなって思って、それでちょっと、そういう姿なの……」
「ああ……」
「ニーナになら見られても平気なんだけど、リオンはダメだよ! ちょっと待ってよ。まだ入ってきちゃダメだよ!」
「はいはい……」
どうりで布面積が小さいと思った。動きやすいのは確かにそうなんだろうけど。それにしても上下の下着だけなのは……っと、見てない見てない。
でも、うう。しばらく忘れられそうにないな、これは。
脱衣所の方ではクレールの気配がごそごそと動いている。
「……それで、リオンはもう終わったの?」
「まあね。主犯じゃなかったからちょっとだけ罪が軽かったんじゃないかな……」
「ううーっ。こっちは全然終わらないよー。広すぎるんだよー」
「そうだと思って、手伝いに来たんだよ」
「あっ、それは助かるね。でも、僕がちゃんとがんばってる風に演出してほしいな。ニーナが見に来た時だけでもね」
「ニーナ、すごく怒ってたからね」
本当はそうでもなかったけど、脅かしておくように言われたから大げさに言っておいた。
「うう。ニーナ、怒ると怖いからね……」
本気で戦ったら多分クレールの方が強いんだけど、こういう力関係って、必ずしも腕っぷしの強さだけでは決まらないもの。
そしてニーナは、みんなの食事を掌握しているから、この館の中ではかなり強い。
ニーナは俺を立ててくれるから一応、俺も面目を保っていられてるけど、正直なところ、俺もニーナには頭が上がらない。
「よしっ! もう大丈夫! さ、せっかく来たならリオンも手伝ってよね!」
クレールから声がかかった。手伝うのは、そのつもりで来たから、頑張ろう。
脱衣所に入ると、クレールは一足先に浴場に戻るところで……。
……何か、うん。
さっきと比べるとシャツは一枚着てるけど、それだけだ。
シャツの裾は長めで、下もそれなりに隠れてはいるけど、チラチラしてて、かえって気になる。
これ、いいんだろうか。
目のやり場に困る……。
「ぼーっとしてないで、リオンはあっち側から!」
クレールは気にしてないみたいだし、たぶん見られてもいい格好なんだろう。線引きがよくわからないけど。
……せっかくだから、よく見ておくべきでは……。
そんな気持ちがなかったと言えば嘘になるけど、すぐにニーナも来ると思うからどうにか自重した。やましい気持ちで見ていたら、そのことはきっとすぐにバレてしまうだろうし。
それに、たぶん大丈夫だとは思うけども、可能性として、そういう興奮でも
平常心。
平常心……。
「どうしたのリオン。手伝ってくれるんじゃなかったの? あれ、もしかして具合悪い?」
クレールが声をかけてきた。
「何か心配事とかあるなら言ってよね。僕が何とかできることなら、手伝うからさ」
基本的に、クレールは優しい子だ。だからこうして、何かあれば気にかけてくれるし、手助けもしてくれる。ただ、ちょっと抜けてるところがあるだけで。
そう、ちょっと抜けてるところがあるんだよな……。
……やっぱり、禍根を残さないためにちゃんと確認しておこうかな。
「じゃあ、その……聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「境界線はどこなの……」
「? 何の話? この村と隣村の村境のこと?」
いまいち通じていない。
でも、どうしよう。はっきり言っていいものだろうか。
悩んでいると……。足音が聞こえた。
「クレール? お風呂の掃除進んでる?」
「あ、ニーナだ。話はまたあとで聞くね」
「もしかして怠けて……あれっ、え、クレール? その格好はどうしたの?」
浴場に顔を見せたのは確かにニーナで、俺と同じようにクレールの格好に驚く。
それでもさっきよりはマシな格好なんだけど、言ってもややこしくなるだけだろうから言わない。
「動きやすいように薄着にしたんだー。真面目にやろうと思ってさー」
クレールは得意げな顔でやる気をアピールした。
「……リオン?」
ニーナの視線が俺に向けられる。俺のせいじゃないんだけど。どことなく冷たい視線に感じる。俺もやましい気持ちがなかったとまでは言えないからか。
「本人がそう主張してるから、俺には線引きがわからなくて……」
一応、言い訳。
「さっきから何の話?」
一人だけよくわかっていないらしいクレールが、のけ者にするなとばかりに参戦。
「えっと……下もちゃんとした方がいいと思うんだけど……」
どうやら俺からは言いにくいことだと察してくれたらしく、ニーナがそう指摘。
「下? 下って、この短パンが……えと、短パン……」
クレールはそう言いながら、空いている手でぱたぱたと下半身を確認。何か違和感を覚えた様子で、次は目視で確認。
そうして、ようやく。
「わーーーーーーーーっ!」
と悲鳴を上げた。
「こっ、これっ、これはっ! 違うんだよー!」
やっぱり違ったのか。具体的に何がどうなのかは俺にはまだよくわからないけどとにかく、違ったんだ。
半泣きになったクレールは、シャツの裾を下に引っ張って何とか隠そうとしているけど、前を引けば後ろが出るし、後ろを引けば前が出る、という……。
「リオンは見ない。廊下に出てて」
ニーナの的確な指示。
「はい」
それ以外の返事は選択肢にない。
でも、そういうことなら……。
せっかくだから、もっとよく見ておけばよかったかな……。